★夏の暑い日



うだるような暑さとはこのことを言うのだろうか。夏本番を前に体調を崩す隊士たちも出てきていた。
もともと小食な総司は気温と湿度のせいでさらに食が細くなり、それを気にかけた近藤がたびたび団子だ饅頭だ羊羹だと土産を買ってきていた。食欲がなくとも近藤が与えてくれるものだ、総司はにこにこと嬉しそうにそれを食べた。
その結果、胃がもたれて通常の食事が喉を通らなくなる。ますます心配した近藤がさらに菓子を与え、数日後には総司の食は菓子一色となった。その悪循環の過程を苦虫噛み潰したような顔で見守っていた土方がついに耐え兼ね、大の大人ふたりに菓子禁止令を出したのだった。




「……暑っ」

中庭の一角にある大きな石にだらりと腰をかけながら、総司は金平糖をガリガリと噛み砕く。土方に禁止されようがされまいが特に気にしない。ただ、買い与えを禁止されてガックリ肩を落としていた近藤のことが気になるだけだ。
ふと足元を見ると、先ほど落とした一欠けらにむらむらと蟻が集っていた。身体の数倍はある砂糖の塊を一生懸命運ぼうとしている。一度手放したものになど興味はないが、それは近藤が自分のためにわざわざ買ってくれたものだ。目の前で寄って集って持ち去られるのも面白くはなかった。
無造作に持ち上げた足をそこ目掛けて二度、三度と落とした。そうしているうちに視線を感じて顔を上げると、建物の外廊下から千鶴が訝しげにこちらを見ていた。

「暑さでおかしくなったわけじゃないよ」
「そ、そんなこと思っていません! な、何をしているのかなぁって……」

千鶴は首をぶんぶん振って必死に否定する。明らかにおかしなものを見る顔つきだったくせに誤魔化しきれると思ってるのか、と総司は薄く笑いながら答える。

「蟻踏んでた。千鶴ちゃんもやる? それとも踏まれたい?」
「……やりませんし踏まれたくありません。じゃ、じゃあ私はこれで」

ぎくりと肩を震わせながら、千鶴は逃げるようにそそくさと歩いていってしまう。
何でこれくらいで引くかなぁ子供の頃には誰でもやった経験があるはずだ、と総司は昔を思い返す。通り道を塞いで巣へ帰れないようにしたり、埋めたり、水攻めしたり、餌で誘導して罠にかけたり……。

「……これ、千鶴ちゃんにやったらすごく楽しそう」

総司が思い浮かべたのはなぜか蟻ではなく、屯所に帰れなくてピーピー泣く千鶴の姿、落とし穴に落ちて脱出しようとぴょんぴょん跳ねる千鶴の姿、水の中でじゃばじゃばともがく千鶴の姿、罠に嵌って絶望に打ちひしがれる千鶴の姿。
そして最後にそんな千鶴へ手を差し伸べて甲斐甲斐しく助けてやる自分の姿。
楽しすぎる想像に暑さも忘れて口元が緩む。これほどまでに納涼に向いている遊びはないのではないかと思い、当然のごとくそれを実行するために総司は動き出した。







キラリ、と何かが光った気がして近づいてみる。光の正体をよく見てみると床に落ちている何かだった。それを指で摘み上げれば硝子のおはじきで、どうしてこんなものが屯所にあるんだろう? と千鶴は首を傾げた。
ここに子供はいないし、これで遊ぶような隊士に心当たりもない。でも落ちているということは誰かが持ち込んだのだろう。そう考えつつ視線をずらしてみれば、またキラリと光るものが目に飛び込んできた。同じように近づいて拾ってみれば、今度はビー玉だ。誰かの瞳と同じような薄い緑色をしていて、千鶴はその人物を思い浮かべて顔を綻ばせた。

「……そっか、子供たちのかな?」

総司はよく近所の子供たちと遊んでいて、屯所の中もその範囲だ。きっとその子たちが落としていってしまったのだろうと千鶴は結論付ける。するとまた一つその先に何かが落ちているのを見つけ、千鶴はトタトタと歩いてそれを拾った。そして顔を上げてみれば、落し物が点々と廊下の先へと続いていることに気づく。
随分慌てんぼうの子がいるんだなと微笑ましく思いながら、落とし主の子が探しにきたときに渡してあげられるようにと、千鶴はそれを辿りながら拾い集めることにした。



結論から言えばもちろんそれが総司の罠だった。
お手玉、コマ、花札、けん玉、鞠……と次々と見つかる落し物に、千鶴は宝探し気分を味わって楽しくなってしまった。だからダルマを鷲掴んだときに笑い声が聞こえてようやく、何かがおかしかったことに気づく。

「飛んで火に入る夏の虫、ってことわざ知ってる?」
「お、沖田…さん」

なぜここに沖田さんが……と、我に返った千鶴がきょどきょどと自分の居場所を確かめてみれば、そこは総司の部屋だった。いくら襖が開きっ放しだったと言えど、幹部の、それも総司の部屋に勝手に入ってしまったこと。その事実に千鶴はこの世の終わりでも来たかのように顔を青褪めさせた。

「しっ、失礼しました!」

当然逃げるしか選択肢はない。だいたいその諺は己から災いに飛び込むことを意としている。つまりここは災いの場所なのだろう、すぐにでも立ち去りたい。去りたいのだが、背を向けた瞬間に襟首を掴まれてしまい失敗に終わる。

「ひぃぃっ!」
「別になにもしないよ、その顔が見れただけで十分」
「か、顔?」
「驚いたり怖がったり、泣きそうになったり怯えたりする顔」

総司はくるりと千鶴を反転させて、自分の方を向かせた。そして期待通りの表情を浮かべる千鶴に満足して、ぎゅっと抱き締める。
なにもしないと言ったのに、と千鶴は慌てふためくが、その様子が総司のツボを突くのだろう、くすくすと震えるように笑われた。

「沖田さん……?」

千鶴は困惑のまま総司を呼ぶが、総司は返事をしてくれない。それどころか、名前を呼ぶたびに腕に力が込められていく気がする。

「ねえ、暑い?」
「暑いです」
「僕も暑い」
「だったら、離してください」

ただでさえ暑い。密着していればさらに暑い。暑いのだったら離れればいい。
当たり前のことを言われた総司は、それが意外だったのかきょとんとした顔をする。

「離したら逃げるでしょ?」
「逃げ…ますけど、どうして捕まられなきゃいけないんですか」
「だって君は僕の仕掛けた罠に掛かったんだから、しばらくもがいて苦しまなきゃ。ね?」

わかった? と聞かれても、千鶴には意味がさっぱり分からなかった。
しかし、とりあえず被害拡大を防ぐためにコクンと頷いた。それが最善だと思えたから。

「暑……」

総司は項垂れながら前髪を掻き分ける。額にうっすら汗が滲んでいた。
暑いならやらなきゃいいのに。そんなこと口が裂けても言えないが、千鶴は総司のことを見上げながら、このよくわからない罰が終わるのを待つ。



そうして幾許か過ぎた頃、なにか思いついたらしい総司が千鶴を抱き締めたままトタトタと歩き出す。

「千鶴ちゃん千鶴ちゃん、これやって」

転ばないように総司にしがみ付きながら振り回されるままに着いていく千鶴。
背後でバサバサと物を漁る音がする。方向的に見て、引き出しだろうか。丁度千鶴の背中部分にあるのでなにを捜しているかは定かではない。
もがいて苦しめと言われた手前、何か恐ろしいものでも出てくるのではないかと不安が募る。

「はい、これで扇いで」

しかし意外にも手渡されたのは普通のうちわだった。
総司が座った真ん前に千鶴が正座して扇ぐ。少し長い髪がそわそわと揺れる。総司は猫みたいに目を細めて、顔を風の発信源へと近づける。

「涼しいですか?」
「うん、涼しい」

パタパタ扇ぐ千鶴、それに近づく総司。
気持ち良さそうに前髪を揺らす総司を見ていると、千鶴の気持ちもふわふわと軽くなり、嬉しくなってくる。しかし。

ベチン!

総司が顔を近づけすぎたのか、千鶴がうちわを前に出しすぎたのか、見事なまでの接触事故が起こった。
千鶴は青ざめ、その手からするりとうちわが零れる。総司は鼻の頭を少し赤くし、にやりと笑った。

「ご、ごごごご、ごめっ……なさっ!」
「いい度胸だよね、君って」
「で、でも、でも沖田さんが、近寄ってくるからっ!」

千鶴は恐怖のあまり一番やってはいけないこと――沖田のせいにしてしまった。

「だったら」
「ひ、ひぃっ」

どさっ、と膝に倒れてきた総司に千鶴は気の抜けるような悲鳴をあげた。

「僕はここでゴロゴロする。起き上がらない。……次ぶつけたら君が悪いんだよ」

そう言って総司は千鶴の膝に頭を寝かせて、丁度良い場所を探しているのかしばらく首をゴロゴロと動かす。そして納得したのか、横向きの状態で止まり、目を閉じた。

「千鶴ちゃん、扇いで」
「あ、はい!」

ぱたぱたと再び扇ぎ始める。やわらかそうな髪がさわさわと揺れる。
総司は片手を千鶴の太ももに添えたまま、身を小さく丸める。
子供のときのそうやって小さくなって寝る癖があったなあ、と千鶴は思い出しながら、くすりと微笑む。

もしかしたら総司にもそうやって眠る癖があるのかもしれない。
千鶴は綱道から「そんな風にすると背が伸びない」と言われてまっすぐ伸びるようによく注意されたものだが、総司の背丈を見るに、それは迷信だったのかも……と考えてしまう。

「涼しいですか?」
「太ももがやわらかくて気持ちいい」
「え、えと…………あ、あの、土方さんが心配されてましたよ、沖田さんが食事を取らないって」

何気なく訊ねてみたら、太もものことを言われて、膝枕をしていることを急に意識してしまった。
千鶴は自身の耳に熱が篭もるのを感じて、総司が目を閉じたままのことに感謝しながら話題を変えた。
しかし総司はそれがお気に召さなかったようで、ガバッと起き上がり、千鶴の顔を覗き込んで聞く。

「千鶴ちゃんは土方さんが心配なの? 食欲なくて倒れそうな僕よりも」
「そ、そんなこと言ってないです」
「じゃあ僕のこと心配?」

期待を込めたような表情で言われて、千鶴は思わず視線をそらす。どうしてか、目を見たままでは言いづらかった。

「……心配です」

小さく呟くように答える、総司が微かに笑った気配がした。

「だったら僕のために何かして」

言うと同時、総司は再び千鶴の太ももへと頭を下ろす。今度はすぐにお気に入りの場所が見つかったようで、腿と腿の間に顔を埋めるようにする。

「何ができるでしょうか」
「それは君自身が考えて」

千鶴はしばらく考え込んで、そしてまたうちわをぱたぱたと動かし始める。
今日の夕食は、暑い日でも食べやすい冷たいものを出してみようと献立を思い浮かべる。
あとは部屋の風通しをよくするとか、そういったことくらいしかできないだろう。

総司は目を薄く開けて、黙り込んでしまった千鶴を見る。眉間に皺がよっていて、先程の総司のことばを真剣に考えていることが手に取るようにわかった。千鶴らしいと言えば千鶴らしい。
くす、と一つ笑いを零して、総司は肩を揺らしながら言った。

「深く考えなくていいよ。僕のことだけ思って行動するくらい簡単でしょ?」

みるみる顔を赤くし、目を見開く千鶴の顔を総司は目に焼き付けて、また千鶴の膝に顔を埋める。
やっぱりこの子をからかうのは楽しい――気分が弾むせいか、今はいつもより暑さを感じない。千鶴から受けるものなら体温すら心地よいと思える。目を閉じると、このまま良い夢が見れるような気がした。



それはまだ何かが芽生える前の、ある夏の出来事だった。







END.
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2011.09.09

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