★淋しがりな君と甘えたな僕


HR半ばで教室を飛び出すと、後ろから担任の古典教師の怒声が響いた。
もはや恒例行事のようなそれを気に留める者は少ない。
総司が目指すのは四階にある一年生の教室だ。
階段を駆け上がれば目的のクラスは既にHRを終えていたらしく、廊下には生徒たちが多く行き交っていた。そこへ一つ上の学年であり、女子生徒に絶大な人気を誇る総司が現れたとなれば、黄色い悲鳴が響かないわけがない。

「沖田先輩! 雪村さんに会いに来たんですか!?」

廊下にたまっていた女子グループの中の一人が、緊張気味に、だけど目一杯の気を引こうと声を張り上げた。
本来ならば総司は適当に相槌を打つか無視するかなのだが、大好きな人のことを話題に出されたとなれば話は別だ、惚気たい。

「そうだよ。早く会いたくて我慢できなくって」

にっこり笑顔で答える。総司はこれから部活があり、千鶴はその部活のマネージャーだ。
あと十分や二十分後には確実に会えるというのに、この始末。
走っていた総司の足が歩くものに変わった。
そのチャンスを逃さないようにと、今度は別の女子が総司に話しかける。

「先輩と千鶴ちゃんはいつから付き合ってるんですか?」
「生まれるよりも前から」

からかうみたいな表情で総司が答えると、女子たちは一瞬ぽかんとして顔を見合わせ、そして笑い出す。

「もぅ、先輩ったら冗談ばっかり」
「千鶴ちゃんに聞いても答えてくれないんですよ」

彼女達の予想通りの反応に総司は笑みを深めた。
誰もが冗談だと笑い飛ばすが、それは真実だ。
逆に言えば、誰もが信じられないほどの運命を経て自分たちは結ばれている。だから総司は彼女たちの反応を嬉しく思っている。千鶴は……違うようだが。

「千鶴はきっと答えないよ。恥かしがり屋だから」

恥ずかしがる様子を思い出しながら語る総司の顔は、デレデレと締りがない。

「雪村さんのそんなところが好きなんですか?」
「うん、照れた顔がすっごく可愛いんだ」
「今度の連休はデートですか?」
「連休は部活でね。けど夕飯に僕の好物をつくってくれるんだって」
「きゃー先輩の家で!?」
「そ、僕の家で二人きり」

次々に飛んでくる質問を総司は惚気ながら律儀にも答え続ける。
あれほど急いでいたというのに足は完全に止まり、気づけば四方を女子たちに囲まれていた。







彼、沖田総司は何においても人並み外れている。ルックス、スタイルといった外見は人目を惹く。
人当たりがよく、年齢の割には大人びた性格は目上の者からは大変評判がよく、しかし遊び心を忘れぬ子供っぽさも兼ね揃えている。まあ一部の人間には猫かぶりだと言われているが。
剣道に対する並々ならぬ情熱とその実力は部活動が盛んなこの学園でも一際期待されている。

つまり彼はこの学園では知らぬ者などいないほど有名な存在だ。
同時に、彼が一つ年下の彼女、雪村千鶴を溺愛し、べた惚れ状態だということも知らぬ者はいない。

二人が付き合い始めたのは彼女が入学してすぐのことだった。
一説によると出会ったその日からだったらしい。
総司はモテモテにも関わらずこれまで一切彼女を作ろうとしなかった。
それどころか女子には興味がないようで相手にすらしようとしなかった。
同じ学園に通っていながら遠く離れたアイドルのような、まさに高嶺の花のような存在だったのだ。
そんな総司が新入生にメロメロになったという噂は一瞬で学園中に広まった。
どこのどいつがどんな手段を使ったのか、当初は千鶴に対するやっかみはかなり多く、酷いものだった。


アイドルに恋人ができたとき、ファンの多くはどういう行動に出るのだろうか。
さっさと見切りを付けて、新しいアイドルへと移る?
――幸いにもこの薄桜学園には沖田総司の他にも多種多様のイケメンが揃い踏みだ。
やたら色気があったり、やたらゲームに没頭していたり、やたら留年していたりと気になる点もあるにはあるのだが。

それとも恋人の存在を脳内で帳消しして、これまで通り皆のものとして愛で続ける?
――彼の場合、それは無理だった。
なにせ登下校から昼休み、部活動はもちろんのこと、授業と授業の間の短い休憩時間にまで恋しくなったと恋人のもとへ通う姿が目撃されており、脳内で帳消しするには不可能なほどベッタベタのイッチャイチャだった。

では、恋人を妬んで破局させるために工作する? 
――控えめで大人しそうな千鶴ならばすぐに身を引くのでは…と嫌がらせをする短絡的な者もいた。
しかしどこかで聞きつけたらしい総司が激怒して、溺愛はさらに深まるばかり。
そして周囲には敵意と侮蔑を向けるようになった。
嫌がらせをした者にとっても、そうでない者にとってもこれは不本意な結果だっただろう。

そう、幸せをやっかむなんて最も不毛なのだ。
最初に気づいた者が総司に祝福の言葉を送った。他人に興味のない彼のことだから、どうせ無視するか視線だけで挨拶する程度だと覚悟の上で。
しかし返ってきたものは実に意外な反応だった。



「ありがとう。誰かにそう言ってもえるとすごく嬉しい」

ごく身近な者にしか向けないであろう笑顔を浮かべながら、総司は喜んだ。
これまで手の届かなかった遠い存在が、彼女の話題を振れば笑顔で相手をしてくれる――この事実は瞬く間に広まった。
ファンというのは案外切り替えが早く、「会話できるなら話題はなんでもいい!」とか「惚気てる姿もステキ!」とか続々と方向転換していき、こうして総司と千鶴は全校生徒公認のラブラブカップルになったのだった。











「……沖田先輩?」

総司が声に振り向くと、たった今教室から出てきたところなのだろう、千鶴が教室寄りの廊下の隅に立っていた。
女子生徒の輪の中心で楽しくお喋りをしていた総司に眉を寄せている。
総司は千鶴の表情を気にもせず、パァと花を咲かせるみたいに笑顔になった。

「千鶴、会いたかった」

女の子達をかき分けて、千鶴のもとへ駆け寄る。
真正面から抱き締めて首筋に顔を埋めると、総司の背後から先ほどの女子達のキャアキャアと騒ぐ声が聞こえた。

「あ、待っ……人前です」
「大丈夫大丈夫」

千鶴には何が大丈夫なのか全く分からないが、他の生徒達からすれば二人のこんな様子は日常茶飯事。
“大丈夫”というよりは“慣れた”というのが正直な感想だ。
いつまでも慣れないのはこの場では千鶴だけで、一人真っ赤になって焦っている。
そんな姿も可愛い、と総司は腕に力を込めて、さらに焦らせるかのように千鶴の首筋に唇を押し当てた。

「総――沖田先輩、駄目ですって」
「ん、でも我慢できなくて」

千鶴がばたばたと身じろぐのに構わず、総司は擦り寄るように千鶴の首筋に触れる。
最初はただ触れるだけだったのに、次第にキスするように啄ばまれたり、ゆるく唇で挟まれたりして遊ばれる。
やわらかい唇の間から生温かいものにペロリとなぞられて、千鶴は思わず声を漏らした。
続けざまに歯を立てられ、ハッと我に返る。

「駄目…………ですっ!」

両手で総司の顔を押して遠ざける。千鶴は精一杯の力を振り絞って抵抗した。
無理やり離されたことで総司はぷくぅと頬を膨らませるが、視界のはずれにこちらを見ている男子生徒が何人かうつったため、千鶴に従って断念することにした。

「二人きりになれるところに行こう」

千鶴が誰の者かを見せびらかせて牽制することは大事だが、照れて恥じろぐ千鶴の可愛い姿を他の男に見られるのは癪だ。
総司は千鶴のスクールバックを奪うように持ち、千鶴の手を引いて足早に階段を下りていった。






学校には二人きりになれる場所がたくさんある。放課後ならば尚更。
常日頃から千鶴と二人きりになることばかり考えている総司には、既に幾つもの候補地が思い浮かんでいた。
今日は確か養護教諭が出張だから保健室には誰もいないだろうし、吹奏楽部が休みの曜日だから音楽室も空いている。
いつものように屋上に行くのもいいし、鍵の壊れた入口がある化学室には容易に侵入できる。

だけど総司が選んだのは、現在地に一番近い空き教室だった。
二階の端っこにあるその教室は階段が近いため、この時間帯は下校する生徒達の声がよく聞こえる。
千鶴はそういう音に気を取られるタイプなので、総司としてはベストの場所ではないのだが、今はとにかく急いでいた。
時間になったら真面目な千鶴はすぐに部活へ行こうと言い出してしまう。
担任に怒鳴られながらHRを抜け出したくらいなのだ、時間は一秒だって無駄にしたくない。
千鶴の白い手首を握り直しながら、総司は千鶴を教室へと引きずり込んだ。


ドアを閉めたら壁に押し付けて、思い切り……。


そう考えた矢先、壁に背中を打ちつけたのは総司の方だった。
二人しかいないのだから総司を押し付けたのは当然、千鶴。
総司の胸に飛び込むように抱き着いて、隙間なんてなくすように擦り寄る。
千鶴の珍しい様子に総司のはやる気持ちは落ち着き、愛しさが込み上げてやまない。

「どうしたの」
「…どうもしてません」

千鶴の拗ねたような声に総司は思わず口角を上げてしまう。
からかうことを言っていつもみたいに頬を膨らましてほしかったり、慰めるみたいに優しくしてもっともっと強く縋ってほしかったり、総司はこの先の行動と展開を思い巡らせる。

「千鶴の方が積極的って滅多にないよ」
「駄目ですか?」
「ううん、嬉しい」

そうして総司は、今日は千鶴のしたいようにしてあげたいと思って全てを委ねるように千鶴に寄りかかった。
伸長差や体重差のある分、千鶴は後ろへヨタヨタとバランスを崩す。
しかし何とか踏みとどまり、包み込むようにして総司の背中に手を回した。



「……昔のほうが良かったです」

誰もいない教室に千鶴の声がぼそりと零れた。
これは千鶴がご機嫌斜めなときのお約束のセリフだった。

過ぎ去った日々を美化してしまうのは仕方がない。確かにあの頃も楽しかった。
たくさんの自然に囲まれて、誰もいない隔離されたような世界にずっと二人だけ。
朝も昼も晩も、邪魔する者なんて誰もいなくて、常に幸せの中にまどろんでいた。
――だけどその幸せは多くの者を犠牲にして苦難の中でやっと掴んだものであり、長く続いたわけでもなかった。


「今は命の危険なんてそうない時代で、僕だって健康体だよ」
「それは嬉しいですけど……」
「一緒にいられる時間は減ったね」

総司にとっても家や学校という縛りがあることには少々不満を感じていた。
同棲や結婚をするのは時間の問題だから“家”という縛りはあと数年でなくなる。
学校という縛りも卒業してしまえばなくなるが、今度は会社勤めという縛りが定年まで続くだろう。

総司は学生のうちに千鶴の時間を存分に独占しようという答えに辿り着き、一人心の中で決意した。
しかし千鶴が考えていたのは一緒にいられる時間のことではなかった。


「昔は私だけの総司さんだったのに……………」


千鶴は、集団生活の中で二人きりになれる時間が少ないことはまだ割り切っていた。
屯所にいた頃だってそうだったのだ、身にしみている。
しかし、あの頃と決定的に違うのは、総司の周りに女の子がいるかいないかだ。
千鶴が独り言のように小さく零した不満を、総司が聞き漏らすはずはなかった。

「もしかして、やきもち?」
「ち、違います」

身体を少し離して千鶴の顔を覗き込むようにする総司。
その表情はウキウキというかワクワクというか、とにかく期待と希望に満ち溢れていた。
否定されても構わず嬉しそうに笑う。

「大丈夫だよ、僕は千鶴だけだから。さっきも君のこと話してたんだ」
「私のこと?」
「うん、惚気話を聞いてもらってたんだ」
「……嘘です」
「嘘じゃないよ。今度千鶴がうちに来るって言ったら頑張ってくださいって応援されちゃった」

如何にも信じていないといった千鶴の疑いの眼差しに怯むことなく、総司は「頑張るね」と千鶴と自分の頬を頬を合わせて擦り寄る。
だけど千鶴はまだ不満らしく、手で総司の顔を押しのけ、ぷくっと頬を膨らます。

「みんなは総司さんと話したくて私をダシにしているんです」
「僕だって君のこと自慢したくて話してるだけだよ」

他の女の子のことで拗ねてやきもち妬いてご機嫌斜めになって……確かにこんなこと二人きりの昔はなかった。
総司はくすくす笑いながら、そっかそうだよね、と納得したように離れた顔をまた近付ける。

「昔は男所帯で君がやきもち妬く相手なんていなかったもんね。……その点、君はあの男所帯の中で僕についてきた」

勝ち誇ったような余裕の笑みを浮かべる総司に、千鶴はむうっと対抗心を燃やす。

「今生ではわかりませんよ」
「あっはは、千鶴も言うようになったね。だったら僕も頑張らなきゃ」

余裕満面な総司は彼女の問題発言をさらっと交わして膨れた千鶴の頬にちゅっ、と音を立てて触れる。
千鶴は何だか悔しくて振り払おうとするけど、総司は笑いながら何度も口づけを落とし、はむはむと甘く噛んで抵抗する千鶴をからかう。
そうやってしばらく遊んだあと、ぎゅっと力を込めて抱き締めた。

「千鶴は不満かもしれないけど僕は嬉しいんだ」

真面目なトーンで言う総司に、千鶴はじたばたと抵抗するのを止めて耳を傾ける。

「全校生徒公認カップルって言われるのも、君との仲を自慢できる人や聞いてくれる人がいることが嬉しい。昔は二人きりで、二人だけの世界で幸せだった……けど、僕と君の関係を認めてくれるような人はいなかったから」

だから言い触らしたい――甘えながら言う総司に千鶴は思わず、あ…、と声を漏らした。
あんなふうに人前で過度なスキンシップをするのも、周りに触れまわるのも、そんな意図があるとは思ってもみなかった。
誰かに認めてもらいたいのは千鶴も一緒だ。
総司のシャツをキュッと握り、総司に伝わるように小さく頷くと抱き締める力が少し強くなった。



でも……、と何か言葉を続けようとする千鶴を見て、総司は愛しげに目を細め、言葉を待った。






「私だけを見てください」

「うん、君も……僕だけだよ」



まるで誓いの言葉のように囁き合った頃、時刻はもう部活開始時間を過ぎようとしていた。
二人は手を繋いで微笑み合い、教室のドアを開ける。
そうして二人きりの世界から、二人きりではない世界へと戻っていった。











END.
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沖千企画サイト「めぐりあい」様に提出させていただきました。

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