★君からの



「千鶴ちゃん、約束したよね」

総司が至近距離でにこりと笑った。
それに答えるかのように千鶴は顔を引き攣らせる。逃げ場は……もう、ない。
背中はびったり壁にぶつかっていて、前には総司、左右には総司の腕がある。
つまり壁と総司に閉じ込められているのだ。

「で、でもさっき……!」

そこからどうにかして逃げ出したい千鶴は、もう約束は達成したことを言い募ろうとする。
しかしそれを総司はきっぱりと否定した。

「あれは僕からしたから数には入らないよ」
「入ります! とにかくしたんです、だからあの話はもう終わりです!」

口元を手で覆い隠しながら千鶴は精一杯の主張をする。
そんなふうに隠したって無駄なのにどうして逃げようとするのかが総司にはよくわからなかった。
だが一度こうなれば千鶴は頑固だ、簡単には譲らないだろう。
それに総司自身、無理やりどうこうしたいわけではなく、自発的なものを望んでいた。
それでもこんなふうに嫌がられてしまうと不満の一言や二言は勝手に零れてしまうものだ。

「千鶴ちゃんの嘘つき」

それを聞くなり千鶴はおどおどさせていた態度を一変させ、くりくりっとした瞳で総司を上目づかいした。
本人はきつく睨みをきかせているつもりなのだろうが可愛いだけだ。
総司は思わず緩みそうになる表情筋を無に保ちながら、その瞳を覗き込む。

「大体どうして私が沖田さんにそんなことしなくちゃいけないんですか」

納得いきません、と言うのが千鶴の主張だ。
納得できなかろうがそういう約束だ、というのが総司の主張だった。
二人の意見が相容れぬのには、まあ、少々理由がある。そもそもの始まりは一月前のことだった。









その夜は幹部たちがドンチャン騒いでいて、珍しく千鶴も酒の席に呼ばれた。
千鶴自身は飲まないが、お料理はおいしくて、気持ち良さそうに酔っぱらう幹部たちを見ているだけで十分楽しかった。

「あそこの店主、怪しいかなって思ってるんですよね」

こういう場所とは不思議なもので重要な情報も飛び交うことがある。
そもそもそういう話をするためにここへ来たのか、それとも酔った勢いなのかは千鶴にはよくわからなかったが、この日は総司の一言が発端だった。

とある甘味屋の店主がどこぞの藩と繋がっているのではないかと総司は睨んでいるのだがまだ確証はなく、念のため何度か店に足を運んだものの一服するだけの短い時間ではボロすら出てこない。

「あの餡蜜のうまい店の、か?」

眉を顰めて聞き返す新八に総司は頷いた。
あの店は他の隊士たちも非番の日によく訪れる。
新八もその一人だったのだがそんな気配は感じ取れなかったらしく、疑わしそうに隣の平助へと視線を送った。
平助もその店の常連で、新八に同意らしくコクコクと頷く。……と、そこまではまだ真面目な話だったのだが、やはり酒の席、酔っていたのだろう。

「僕の勘がはずれてるって言いたいんですか」
「あそこの看板娘をおまえも見た事あるだろ、あの子がそんなふうに見えるのか!?」
「だから店主ですって。これだから新八さんは……はぁ」

揉め始めた。
いつもより大きめの声で言い合う二人、特に総司の珍しい態度に千鶴は少し驚くが、周囲はさほど気にする様子もなく、平助はケラケラと笑いながら見ていて、一や左之助は我関せず酒を煽っていた。

「絶対に何かあります、賭けたっていい」
「おう、だったら何を賭けるんだ?」

嫌な予感がした千鶴はさり気なく土方の横に移動して巻き込まれないように身の安全を確保したつもりだったが、移動したことで総司の視界に入ってしまったのだろうか、一瞬だけ目が合った気がして背筋が冷やりとする。
そしてやはり嫌な予感とは的中してしまうものだった。

「千鶴ちゃん、おいで」

総司は目を細めて薄く笑いながら、猫にするみたいにちょいちょいと手招いて千鶴を呼んだ。この流れで名を呼ばれても素直に返事などできるはずがない。
聞こえなかったふりを決め込もうとした千鶴だったが、総司が再度「千鶴ちゃん」と呼んだときの声が多少の苛立ちを含んでいたため、ビビって返事をしてしまった。

「いい子だからこっちおいで」
「……は、はい」

助けてくださいという無言の訴えを乗せて土方に視線を送ったものの、彼の頭は仕事のことへと切り替わってしまったのか、千鶴とは反対方向を向いたまま「山崎を潜り込ませてみるか」などと呟いている。
ここは全然安全地帯じゃなかった…と千鶴は項垂れながら総司の横へとトボトボと向かった。


「僕は自信があるので千鶴ちゃんを賭けます。そうですね、千鶴ちゃんからギュッてしてもらえる権利とかどうですか」

殊の外かるい内容に千鶴は目をぱちくりさせた。
総司のことだからもっと酷いことをさせられる羽目になると思っていたのだが、そう思ってホッとしてしまったのが千鶴の甘いところなのだろう。

「新八さんは何を賭けますか。よっぽど自信があるみたいだから――」

もっとスゴイものを賭けてくれるんですよね? とにっこり微笑む総司に煽られるまま、新八が爆弾を投下した。





「あったりめーだ。千鶴ちゃんからギュッしてもらった揚句に接吻まで付いてくる権利でどうだ!」






「な、なななな永倉さんっ!」
「いいですよ、じゃあそれで成立ってことで」
「沖っ、沖田さん!!?」

新八が勝てば抱擁を交わさなくてはならなくて、総司が勝てば抱擁に加えて唇を捧げなくてはならなくて……。
二人の言い合いになぜ関係のない自分が巻き込まれなければならぬのか全くわけがわからなかったが、こうして千鶴は自分の意志とは関係なしに賭けの賞品にされてしまったのだった。
左之助と一から「酒の席での冗談だから気にするな」「いざとなったら助けてやる」と慰められたものの千鶴はやり切れない気分のままその日を終えた。












それから一月後、調査を任されていた山崎が店主の尻尾を掴み、総司の勘が当たっていたことを証明する。
あの賭け事のことなどすっかり忘れていた千鶴は、呼び出されるままに総司の部屋へ行ってしまい、気付いたときには部屋のすみへと追い込まれていた。

「ほら千鶴ちゃん、まずはギュッてしてごらん」
「むっ無理です、絶対無理です!」

部屋の外を目指して必死に逃げ回っていた千鶴だったが、しばらくして、追いかけまわして遊ぶことに飽きた総司によってあっさりと抱きすくめられて捕獲される。
じたばたもがいて逃げようとする千鶴を、総司は実に楽しげに腕の中へ閉じ込め笑う。
そうやって傍から見ればじゃれ合ってるようにしか見えない攻防戦を繰り広げた後、千鶴はようやく覚悟を決めて総司にしがみ付いた。

「目、目を閉じてください」

言われるまま素直に目を閉じた総司を千鶴は凝視する。
薄眼を開けていないかよく確認して、ついでにいつもならまじまじと見ることはできない顔の細部を隅々まで眺め、最後に薄い唇に視線を落とす。
そこへ自分のそれを合わせるなんて考えただけでどうにかなってしまいそうだ、と千鶴は顔を真っ赤に染め、心臓をばくばくさせていた。
だけどそうしない限り逃がしてもらえない。千鶴はごくんと唾を飲み込み、恥ずかしいので目を閉じて、どんどんと大きくなる自分の鼓動を感じながら総司の唇へゆっくりゆっくり近づいていく。
しかしそこであることにふと気づき、触れる直前に慌てて顔を退いた。


そ、そういえば唇にしろなんて言われてない。危なかった、こういうときってほっぺた…だよね? 沖田さんだってまさか私が唇にしようとするなんて思ってもみないよね……!


とんでもない失態を犯すところだった千鶴は、寸前といえど気づいた自分に拍手喝采を送り、そして先程まであらぬ想像してはじたばたしていたことが恥ずかしくなった。
頬なら話は別だ。そりゃあ頬と言えどそんなことをした経験は千鶴にはなかったが、一度唇にする覚悟を決めた手前、頬なんてさして問題がないように今は思えていた。感覚の麻痺とは恐ろしいものだ。

改めて総司の頬に目掛けて唇を近づけていく千鶴。
吐息をかけてしまうのが妙に照れくさくて、息を止める。
総司を掴む指先は知らず知らずのうちに力がこもっていた。外で鳥の鳴く声が、間近に聞こえる。布が擦れる音ですら敏感に耳に届いた。
もう限界――千鶴が思わず目を閉じようとしたとき、なぜか総司が顔を動かしておでこ同士をこつんとぶつけてきた。
縮まった距離。翡翠色の瞳とかち合い、千鶴は硬直する。目を瞑っていてと頼んだのにどうして……と訴えようとしたが音にはならなかった。代わりに聞こえた音は、ちゅっ、と響いて千鶴の唇にやわらかい感触を残す。


「あっ……」

千鶴は思わず声を上げ、離れていく総司の唇を目で追う。
きゅっと結ばれた唇は何も語ろうとはせず、千鶴は戸惑いのままに視線を上げて総司の瞳を見つめる。
いつもより細められていて、だけど温かい眼差しをしていた。
どうしていいのかわからなくて、どうにかしてほしくて、千鶴は総司に擦り寄ってその胸に顔をうずめた。
それに応えるかのように総司は腕を回して、千鶴をゆっくり優しく抱き締めた。

「嫌……だった?」

しばらくすると総司が慎重に伺うように囁いた。

「い、嫌じゃなかった、です」
「そう、良かった…………」

慈しむように背中や髪を撫でられ、千鶴は心地良さに揺られる。決して嫌なんかじゃなかった。
そもそも最初から総司に対して嫌だという感情なんてない。ただ、戸惑いと恥ずかしさがあっただけだ。
乗り越えてしまった今は、ずっとこうして腕の中にいたい気分。

「ごめんね、焦らされるのは好きじゃないから我慢できなくて」

そう言いながら総司は、千鶴の髪を弄んでいた手を、背中を撫で上げていた手を、千鶴の頬へと滑らせて両側から包み込む。
総司の優しい笑みにつられ、千鶴も思わず微笑みを零した…………のだが、そうやって見詰め合っているうちに総司の笑みが徐々にいつもの意地悪めいたものに変わっていくのを感じ、千鶴は固まった。
そんな千鶴の変化を楽しむようにまじまじと見つめながら、総司は言ってのける。


「あ、でも千鶴ちゃんからする約束だったよね。僕からしたんじゃ無効かあ」


「へ!?」
「仕方ないよね、約束は約束だし。じゃあもう一度やり直そうか」

きらきらとした笑顔を振り撒きながら総司はん〜っ、と唇を突き出し、千鶴に口付けを強要する。
何を言っているんだろうこの人は…と呆然としていた千鶴だったが、すぐ我に返ってここから逃げ出すべくじたばたともがき始め、追い詰められ閉じ込められて、何とか話し合いに持ち込もうとして、そうして冒頭のやりとりへと繋がるのだった。





総司が千鶴を逃がすわけもなく、かといって賭けの代償をそう簡単に払わせるわけもなく、結局二人のじゃれ合いは長々と続いたのだった。














END.
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2011.07.07
沖田×千鶴 WEB企画『緑華祭』に提出させていただいた作品です。

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