★月のない夜に

新月の夜。
かすかな星明りだけが頼りだった。夜目が聞くという理由で選抜された千鶴だったが、これだけ煩いなら音だけで相手を捕らえることができそうだ、と考える。

耳を澄まさなくとも聞こえてくるのは標的の必死で逃げる足音、苦しそうな息遣い。そして追いかけるいくつかの足音。

彼は足を止めれば終わりだ。だからこそ死に物狂いで逃げようとする。
死を覚悟した人間ほど、追い詰められたときに何をするかわからない―――つまり、そういう奴を相手にするときは油断するな、ということだ。

小さく深呼吸をして息を調え、建物の影から頃合を見計らっていたとき……。

「いってらっしゃい♪」

「え、ひゃあっ!」

トン、と背中を押され、千鶴は情けない声を上げながら真っ暗な道へと飛び出した。
よっとっと、と飛び跳ねながら横から現れた千鶴を、逃げる男はすぐさま確認して刀を抜いた。

「くっ、待ち伏せか…っ!」

男を真正面に向かえた千鶴は、片膝を前に踏み出し、構える。そして男の刀が振り下ろされるよりも先に素早く抜刀し、そのままの勢いで斬りつける。
それは相手の脇腹から肩へ一本の鋭い線を引き、すぐさま千鶴はよろけた男からは半身になるように構え直し、刀を後ろへ引いてから一気に――右肩へと突いた。


この男は、今夜決行された捕り物において捕縛対象となっていた男だ。
新選組が敵の会合があると掴んだのは昨晩のこと。会合場所の料亭内外はもとより、逃走経路となるいくつかの場所にも隊士を待機させていた。
そのうちの一人が千鶴だったわけだが……。



男の刀はカランという音を立てて地に落ち、それに続くように男自身も倒れて動かなくなった。
ビシャッと頬に降りかかった生暖かい液体を、千鶴は無造作にこする。ブンと一振りして赤色のものを払ってから、刀を鞘に収め、ふぅ、と息をついた。
すると先ほどまでいた物陰からパチパチと手を叩く音がした。千鶴は口を尖らせながら振り返った。

「実践で使うのは初めてにしてはよくできました」

にっこり。
薄い作り笑いを携えて、沖田は千鶴の方へと歩み寄った。

「おっ沖田さん、さっきなんで押したんですか、危ないじゃないですか!」

男を斬ったときに手に伝わった感触はもうないというのに、沖田に押されたときの感触は未だに残っていた。

「だって君、なかなか出ようとしないからさ。腰が引けてるのかと背中を押してあげたってわけ」

本当は僕がやりたかったけど君が皆の役に立ちたいって張り切ってるから譲ってあげたのに……と、悪気なんて一切ないと言わんばかりに千鶴を見下ろした。

「違います、私は私なりに好機を見計らってたんですっ!」

その沖田の態度に、千鶴は頬を膨らませる。
大体、ああいう場面でわざわざ敵の真正面に出ることはない。もし押されたときに足を滑らせて転んでたら、どうなっていたことか。
………そのときは沖田が助けてくれたのだろうけど、そういう展開すら見越して押されたのかと思うと、千鶴は少々悔しかった。

「だから沖田さんと組むのは……」

当てつけに不満を口にしようとするが、続きが出てこなかった。




千鶴は正式な新選組隊士ではないため、所属している組はない。
剣の腕に覚えがないわけではないし、稽古だって積極的に参加している。だけど千鶴に回ってくるのは、幹部たちの小姓のような仕事ばかり。
人手が足りないときに借り出されたり、たまたま同行していた隊が不逞浪士と斬り合いになったり……そういうときしか刀を抜く機会がない。

同行したり、組む相手にもよりけりだ。

例えば、原田と一緒だととてもじゃないけど刀を抜かせてもらえない。そういう事態に陥った場合はまず「お前はどっかに隠れてろ」と言われるし、鞘に手を伸ばしただけで怒られたこともある。
斎藤だってそうだ。「下がってろ」の一言。口ではそれ以上言わないけれど、視線というか雰囲気というか、とにかく絶対に出てくるなという無言の圧力を感じる。
平助も基本的に千鶴が刀を抜くことを良しとしないが、積極的に前へ出なければ……例えば後方支援などの、守りに徹していればそこまでとやかく言わない。

歓迎してくれたのは永倉くらいだ。「やるじゃねえか、千鶴ちゃん!」と褒めて煽てられて、ついつい嬉しくて前へ前へと出てしまう。だけど屯所に戻って土方に報告すると、苦虫を噛み潰したような顔をされ、永倉とふたりで縮こまった思い出がある。





「僕と組むのは…?」

沖田の声に我に返った千鶴は、慌てて言葉の続きを絞り出そうとする。

「沖田さんと組むのは…、えっと……」

沖田はどうだろうか。
いつも「僕の邪魔だけはしないでね」と言って放置される。放置されるというより沖田が全て片付けてしまうので、手を出す隙がない。下手に手出しをすれば危ないのはこっちだろう。

斬り合いだというのに口角を上げながら、純粋に強さを求め、何かに飢えているような沖田の姿に千鶴はいつも圧倒されていた。
最初はもちろん危険な人にしか見えなかった。
しかし何度も目の当たりにするうちに、彼の刀を振るう姿がとても綺麗なもののように思えてきて、もっともっと見ていたいと思うようになっていた。



「……沖田さんと組むのは、楽しいです」

「あっはは、何それ。君、頭おかしいんじゃないの」

予想していなかった千鶴の答えに、沖田は心底おかしそうに笑った。

「そういえば君、よく僕が戦ってるのを笑いながら見てるもんね」

「ええっ!? そ、そうなんですか?」

信じられないといった具合に千鶴は驚いた。

「うん、口の端がいつも上がってる」

危ない子だなぁ〜って思ってたけどまさか無自覚だとはね、と意地悪に笑う沖田。
確かに沖田の戦う姿をもっと見たいと思っているけど……それが表に出ていたなら、沖田同様に危ない人だ。
千鶴は恥ずかしくなって視線を地面に落とした。その視線を追うように沖田も下に目を向ければ、先ほど斬った男を視界に捕らえた。


「……それにしても千鶴ちゃん、土方さんに怒られたいなんて物好きだね。何も殺さなくったっていいのに」

動かなくなった男を見ながら沖田がそう言うと、千鶴は慌てて言い返した。

「こ、殺してません!ちゃんと見てください、急所は外してます!」

最初の居合いだって峰打ちだし、続く上段突きも肩を狙った。
新選組の仕事は何も殺すことではない。できるだけ生かして、情報を聞き出さなくてはならない。

今夜ここで沖田との待機が命じられたとき、土方から「できるだけ生け捕りだ」と入念に言われたことを思い出す。どちらかというと千鶴ではなく沖田に言っていたのだが。



そこへ、バタバタと足音を立てて平隊士たちが到着する。
料亭での捕り物は終わったことや逃げた浪士も全員捕らえたことが報告されると、沖田は千鶴が斬った男も捕縛するように命じた。
千鶴はテキパキと的確に指示を出す沖田を見て、こういう風にしてれば幹部に見えるのになぁ、とぼんやり思った。



「千鶴ちゃん、ここは任せて平気だから料亭に行くよ」

着いて来るように促され、千鶴はタタタッと沖田の隣まで走った。そこで、そういえば…と思い出し、ワクワクした顔つきで沖田に尋ねた。

「それよりさっき、よくできたって……」

男を倒したとき、沖田が言った言葉だ。
本来の千鶴ならば、あそこで男と対峙した場合、まず待ち構えて、相手の刀を受け、鍔迫り合いになる。そこから速さを活かして立ち回り、自分のやりやすい具合に持ち込んでいく。
しかし男女の力の差で、最初に力技に持ち込まれるとどうしても相手有利の戦い運びになってしまう。
それを解消すべく、千鶴は最近の稽古で沖田や斎藤から指南を受けていたのだ。

「君は速さがあるから居合いで真っ先に斬りつけるのは合っているかもね」

沖田の言葉に千鶴はパァと表情を明るくする。だがしかし。

「けど男と比べると筋力がないでしょ。だから威力がね……。上段突きもいい線いってるけど、腕が短い分、外したときの危険が大きいと思うよ」

やっぱり身軽さと速さを活かした本来のやり方のほうがあってるんじゃない、まあこの程度の浪士なら十分通用するから覚えといて損はないけどね。


………がっくり


褒められたい気分満点だった千鶴は大きく項垂れて足を止めた。沖田は振り返り、ヤレヤレと言った顔つきで、千鶴に寄っていく。

「出来が悪いって言ってるわけじゃないんだから。よくできたって褒めたでしょ」

沖田は溜息を吐きながら、千鶴の頬についた血をゴシゴシと丁寧に拭った。

「……はい」

千鶴に赤い飛沫の散っている羽織を脱ぐように言い、代わりに自分の羽織を千鶴の肩にかけてやる。

「髪の毛にもついちゃってるね。屯所に戻ったらすぐに洗うんだよ」

そう言って、前髪を一束手に取ってこすり合わせるような仕草をすると、千鶴はやっと顔を上げた。

「私そんなに返り血ベッタリですか?」

少し怪訝な顔をして聞く。

「そんなことはないよ」

「…でもいつも皆さん……沖田さんだって、私が人を斬った後はこうやってやたらと血がついてないか気になさるし……」

もしかして私にこういった仕事をさせてくれないのは処理の仕方が悪くて返り血がすごいとかそういうことなんでしょうか……?
何にもわかっていない千鶴の言いっぷりに、沖田はまた盛大な溜息をつく。そして少しだけ言うか言わないかを思案してから、口を開いた。

「………きっと少し罪の意識があるのかもね。屯所に閉じ込めて、男装させて、挙句にこんな汚い仕事にまで巻き込んで」

「汚い……?」

京の街を守る立派なお仕事のどこが汚いんです?ときょとんとする千鶴に、沖田は苦笑するしかなかった。

「私は皆さんのお役に立てることが嬉しいです」

「うん、だから今夜は君に任せたんだよ」

沖田と組むと、たまに、ほんのたまに、こうやって仕事を任せてくれることがある。それは千鶴が心から望んでいることなので、叶えてくれる沖田と組むことは、千鶴にとってはやはり、“楽しい”なのだろう。

「嬉しかったです、とても。またお願いします」

千鶴がニコッと笑えば、沖田も釣られて笑った。



人を斬ることでしか役に立てないと思う千鶴の気持ちは、沖田には痛いほどよくわかった。だけど彼女を血に塗れた道から遠ざけたい皆の気持ちもよくわかる。

今夜は新月、真っ暗闇。夜が明ける前に全て拭い去ってしまえば、彼女の穢れもなかったことにできるような気がした。

夜空を見上げて、沖田は思いを巡らせる。









END.
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2011.05.01
アンケより『千鶴が剣豪』でした。殺伐とさせようとしたら沖千にならなかったのでちょっと明るい感じにしちゃいました。

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