★スキラ(サンプル)
P76 / ¥500 / A5 / オンデマ / 2013.09発行
屯所パロの沖田×千鶴。
総司が千鶴の勘違いに振り回されて付き纏われる話です。
※文字サンプルは改行を増やしています。
寝坊でもしたのだろうか。慌てて朝仕度を整えたらしい千鶴が、前髪の盛大な寝ぐせに気付かないまま皆の前に現れた。
その間抜けな姿がおかしくて笑いを堪えていると、原田がやんわりと指摘した。
自覚した千鶴の顔はすぐに赤くなっていき、前髪を両手で押さえながら口元をあわあわさせていた。
その姿が余計に間抜けで、何だか可愛いと思えたのだ。
だが総司がそれを口にするよりも先に、原田が彼女のくるんとはねた寝ぐせに触れながら、言った。
「そんくらい可愛いもんだ。気にすんなよ」
千鶴の失敗を可愛いと言ったのか、千鶴の反応を可愛いと言ったのか。
そんなものはどちらにしても興味はなかった。
だけど、その言葉を聞いた千鶴が、照れ恥ずかしがりながらも零した笑顔。
それが妙に心に残って仕方がなかった。
屯所の庭の木の下で、千鶴がぴょんぴょこ跳ねていた。
一生懸命手を伸ばして、足はつま先立ちになっている。
千鶴の視線の先にあるのは、風で飛ばされてしまったであろう洗濯物。
どうやら木の枝に引っかかってしまい、それを何とか掴もうとしているみたいだ。
絶妙と言っていいほどに、千鶴にとっては「手に届きそうで届かない高さ」だった。
何度も何度も後ろ髪をふりふりと揺らしながら跳ねては手を空振りさせていた。
総司が手を伸ばせば簡単に届くくらいの高さだろう。
だけど、その必死な姿をもうしばらく眺めていたくて、口元を弛めながら声もかけずにいた。
すると、どこからともなく現れた永倉が彼女に声をかける。
彼女が申し訳なさそうに枝の先の洗濯物を指差せば、永倉はなんとも大袈裟に飛び跳ねながらそれを取った。
千鶴も千鶴で、洗濯物を受け取るや、なんとも大袈裟に何度も何度も頭をぺこぺこ下げる。
まあ、千鶴のような細くて小さい子にあんなことを頼まれたら、誰だって断れないに決まっている。
それにただ手を伸ばして取るだけなのだから、労力など無いに等しい。
だからそんなに過度に礼を言う必要などないはずだ。
総司がそんなことを考えていると、永倉が言った。
「千鶴ちゃんは可愛い俺の妹分だからな。なんだって頼ってくれ」
千鶴自身を可愛いと言ったのか、妹的な存在を庇護対象として可愛いと言ったのか。
そんなものはどちらにしても興味はなかった。
だけど、その言葉を聞いた千鶴が、照れ恥ずかしげに零した笑顔。
それが何故か心に引っかかって仕方なかった。
巡察の途中、露店の前にしゃがみ込んでいる千鶴と藤堂を見かけた。
何をしているのかと近づいてみれば、女物の装飾品を物色している最中だった。
碌に女らしいことをさせてもらえない彼女を、藤堂が気遣っているのだろう。
一応千鶴は男装中だというのに、二人してあれやこれやを手に取りながらキャッキャと賑やかにしている。
今の千鶴は女らしさのない地味な格好をしているが、それなりに着飾れば、そんじょそこらの町娘なんかよりもずっと可愛いんじゃないかと思えた。
だが、総司が二人の間に割り込もうとするよりも先に、藤堂が彼女の黒髪に山吹色の簪を近づけながら、言った。
「ほらな、可愛いじゃん! 千鶴はなんでも似合うぜ」
千鶴自身を可愛いと言ったのか、山吹色の簪を可愛いと言ったのか。
そんなものはどちらにしても興味はなかった。
だけど、その言葉を聞いた千鶴が、照れ恥ずかしそうに零した笑顔。
やっぱりそれが何とも言えないほどに心にこびり付いて仕方がなかった。
可愛いという言葉は、どうやら千鶴を照れさせ、恥ずかしくさせる言葉らしい。
それが例え本音だろうが冗談だろうが、千鶴は気にも留めないはずだ。
いや、どちらかなど見破れるはずもない。
ただ言葉のままにそれを受け止め、恥ずかしげに顔を赤くさせる。
なんて単純な子どもなのだろうか。
適当におだてておけば気を良くして、簡単にご機嫌取りができるってことだ。
とりあえず彼女を羞恥に染めれば、その恥ずかしさから逃げるために何でも引き受けてくれるに違いない。
扱いやすい子だ。
だがそれ故に騙されやすく、運も悪い。誰かがしっかり目を向けてあげないと、甘い言葉に乗せられて痛い目にばかり遭いそうだ。
――それが総司の、千鶴に対する評価。
無論、彼女に目を向ける側よりも、彼女を騙す側になりたいと思っている。
だってその方が楽しそうだ。
そんなことを考えながら後ろへと視線を移して、千鶴がぴょこぴょこ歩いて着いて来ているのを確認する。
ただ「お菓子買ってきたよ」と報告しただけで、「千鶴ちゃんにあげる」なんて一言も言っていない。
それなのに千鶴は菓子を貰えるものだと勘違いして、ウキウキした表情で付き纏ってきているのだ。
本当に騙されやすい。
飛んで火に入るナントカってやつだ。
菓子が食べられないと知ったときに彼女がどんな表情をするのか、楽しみでならない。
勘違いしていた自分を恥じて真っ赤になるのか。
それとも、総司の紛らわしい言い方を責めるように目を釣り上げるのか。
どちらも想像するだけで物凄く可愛い表情に思えた。早く見たい。
早く見て、お腹を抱えて笑いたい。
でも、まだ駄目だ。
彼女の期待を膨らませるために、より高いところから叩き落とすために、時間をたっぷり使って焦らしたい。
焦らして焦らして、最後に絶望へと背中を押してあげたい。
総司は急く気持ちを抑えるために、何もないところで突然立ち止った。
「――きゃっ」
それと同時に、総司の背中にぽすんと千鶴がぶつかってきた。
きっと気持ちが菓子でいっぱいになっていて、前を気にする余裕などなかったのだろう。
総司が口元を弛めながら振り返ると、千鶴が鼻頭をこすりながら総司を見上げた。
「す、すみません」
彼女がぶつかってくることがわかった上で、彼女をぶつからせるためにわざと、立ち止った。
だから千鶴が謝る必要なんてないのに。
「ううん、気にしないで」
総司はにっこり笑みを作りながら、千鶴の申し訳なさそうな表情をじろじろと見遣る。
これから意地悪をされるなんて思ってもみない様子だ。
それ故に期待感が膨らんでいく。
だけど我慢ができそうになくて、今すぐにでも苛めたくなって、総司は最近学習した、とっておきの方法で千鶴をからかうことにした。
「千鶴ちゃんって可愛いね」
「…………えっ?」
唐突な総司の言葉に、千鶴がぽかんと口を開けた。
まあ、確かに何の脈略もなかったかもしれない。
でも、その言葉に含まれているのは冗談ばかりではなく、本音だって混ざっている。
作戦通りにぶつかってきてくれる単純さとか、お菓子に目がないところとか、雛鳥みたいにてけてけ着いてくる姿とか、そういうところが可愛いと思っているし、気に入ってもいる。
そして、今現在の間抜けな驚き顔も――
「なんか、すごく可愛いよね」
「え、えっ…………えっ、と…………」
総司が二度その言葉を口にすると、ようやく我に返ったらしい千鶴が頬を赤くさせ、目を彷徨わせた。
こうやってすぐに赤くなってしまうところも可愛いし、視線を合わせることができないところも可愛いし、上手く言葉を返せないところも可愛い。
他の隊士が千鶴を「可愛い」と言ったときと同様の反応を返してもらえて、総司は嬉しくなってますます笑みを深めた。
きっと彼らも、千鶴のこんな可愛い姿を見ることができるから、彼女に「可愛い」と言ってしまうのだろう。
こんな姿を見るために、おだててしまうのだろう。
今の総司には、彼らの気持ちが手に取るようにわかった。
でも、彼らみたいにこの程度で千鶴を逃がしてあげるつもりはなかった。
照れて恥ずかしがっているところへ、もっともっと追い打ちをかけてやることこそが、総司の本当の楽しみなのだ。
(中略)
自分が追いかける方の立場なら、対象が逃げれば逃げるほどに楽しくなって、追い詰め甲斐というものが膨らんでいく。
だから、何の解決策もなく闇雲に逃げたって事態が解決しないことはわかっていた。
でも、逃げるしかないときだってあったんだ。
朝、水場で顔を洗っていたら、背後からぞくりとする気配を感じた。
嫌な予感がして、手拭いで顔を吹きながらゆっくり振り返ってみると、柱の影から千鶴に監視されていた。
一瞬目が合うと、千鶴はサッと柱に身を隠す。着物や揺れる後ろ毛が丸見えで、隠れている意味などなかったけれど。
もちろん無視した。気付かないふりをしてその場から逃げた。
食事の準備中、なぜか当番ではない千鶴が総司の隣にぴったりくっついて野菜を切っていた。
確かに千鶴は料理の手際がいいし、味付けもすごく良い。
手伝ってくれると助かる存在だ。
でも、だからと言って真横に立たれると危機感を覚える。
何しろ彼女は包丁を握り締めている。
それを突き付けられて「早く言ってください」と凄まれたら、なんかもう一番組組長としての立場が危うくなりそうだ。
千鶴の握る包丁に細心の注意を払い、総司はちらりと千鶴を覗き見た。
すると千鶴も総司を見上げて、頬を赤くさせて言った。
「しっ……新婚さん、みたいですね……っ」
「……………………」
妄想もそこまで飛躍されると恐ろしさしか感じ得ない。
もちろん無視した。
聞いていないふりをして、思わずその場から逃げ出した。
もう一人の食事当番と千鶴がいれば、総司などいなくたって準備は整えられるはずだ。
そう判断し、形振り構わず逃げるしかなかった。
稽古中、色んな悪夢を振り払いたくて必死に素振りをしていたら、背後から不気味な気配を感じた。
もう何がいるかなんて想像ができてしまって、振り返ることすら嫌だった。
振り返ってもし彼女と目でも合わせてしまったら、「運命的」とか「心で通じ合っている」とか何とか言われて頬を染められて、勘違いに拍車をかけてしまいそうだ。
だから総司は死に物狂いで木刀を振った。振り続けた。
千鶴の気配が消えるまで、そうやって遣り過ごそうとした。
だけどいつまで経っても背後からの謎の熱視線が途切れることはなく、躍起になって動いたせいで総司は汗をだらだらと掻き、体力をすり減らしていくだけ。
もう限界かもしれない。とりあえず水分補給がしたい。
そう思った瞬間、それを見計らっていたかのようにパタパタと足音が近づいてきて、総司のすぐ傍で止まる。
わなわなしながら見上げるとやはり千鶴がいて、総司にスッと飲み物を差し出した。
「お茶です。どうぞ」
なんて準備がいいのだろうか。
気が利くというか、目敏いというか。
でも一体いつ注いだ茶なんだろうかとか色々と考え始めたらきりがない。
この場からさっさと逃げ出して自ら水を汲みに行くか、千鶴の淹れた茶を飲むのか。
迷わなかったわけではないが、それでも総司は喉が渇いていた。
「……ありがとう」
短く礼を言うと、千鶴から湯呑みを受け取ってそれを一気に飲み干した。
自分のために用意されたものを無碍にしにくかっただけで、別に千鶴のお茶を飲みたかったわけではない。
そう心の中で言い訳をしながら、千鶴に湯呑みを返した。
千鶴が受け取ると、空っぽになった中身を見て、にこっと笑った気がした。
それを見た瞬間に、総司は身の毛がよだつ感覚に陥った。
「……何も入ってないよね?」
心配ごとをそのまま千鶴にぶつける。
なぜか、不意に、千鶴がさっきの茶の中に異物を混入させたように思えたのだ。
変な薬とか、得体の知れないものとか、空恐ろしいものを……!
もちろん本気で千鶴が何かを入れるとは思っていない。
ただ、何も入っていないことを証明して、安心させてほしかっただけだ。
「え、えっと……」
だが千鶴の反応は、総司が安心できるようなものではなかった。
受け取った湯呑みをバッと背中に隠して、視線を彷徨わせ始めた。
あからさまな態度に、総司は背筋にすーっと流れる冷たいものを実感した。
「何? まさか本当に何か入れたの?」
総司は自身の口元を覆って、わなわなと震える。
良心を見せて湯呑みを受け取ってしまったのが運の尽きだったのだろうか。
これから一体どんな症状が襲いかかってくるのか。
想像するだけで気分が悪くなる。
すると千鶴がまた顔を赤くさせながら、もじもじと照れ始めた。
何か言いたいことがあるらしいが、あまり聞きたいとは思えない。
だけど答えを聞けないままだと、気になって仕方がなくなってしまう。
総司はとりあえず千鶴に怒りをぶつける準備を整えながら、彼女に耳を傾けた。
「……あ、愛情を、いっぱい……入れました」
喉を掻き毟って全てを吐き出したい気分になった。
もちろん総司は千鶴の相手をするわけなどなく、無視を決め込んだ。
何も聞かなかったことにして、その場から駆け出し、逃げた。逃げるしかなかった。
ようやく千鶴の恐怖から解放された夜、部屋で寝仕度を整えてぐったりしていると、何だか聞き覚えのある足音がぺたぺたと近づいてきた。
嫌な予感しかしなかったから、すぐに布団の中に潜って、タヌキ寝入りを決め込む。
だが――
「……沖田さん。千鶴です、あの……」
案の定。部屋の前で止まった足音の主が、襖越しに話しかけてきた。
こんな時間に一体何の用だというのだ。
夜間に部屋の外に出るなと言われている立場じゃないのか。
だがそんな不満を口にするよりも無視に限る。
総司は布団の中から断固として出ないことを決め、耳をぎゅっと塞いだ。
千鶴をからかってたら本気にされて付き纏われて恐怖を感じる沖田さんのお話です(´▽`)
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