★恋愛中級者(サンプル)
P72 / ¥500 / A5 / オンデマ / 2013.06発行
学パロの沖田×千鶴。
「恋愛初心者」のその後の話です。前作を読んでいないと分かりづらい部分があります。
千鶴に元彼がいます。出番はサンプル部分程度で、あくまで沖千の話です。
――春。
若草が芽吹き、生物が目を覚まし、桜が舞い散る。
生まれたばかりのこの季節とともに、総司は幸せを謳歌していた。
と、言うのも先月。
ようやく千鶴とお互いの気持ちを伝え合い、念願の両想いになれた。
二人の間にあった巨大な障害は取り払われ、あとはただ愛を育むだけだ。
無事に進級した総司は、残り一年の高校生活が夢と希望でいっぱいだった。
目下の目標は、剣道部の新入部員勧誘を頑張ること。
初めての勧誘に張り切っている千鶴が可愛いのと、あとは女子マネージャーが一人か二人、入ってきてほしかったりするのが、頑張る理由だ。
現在、剣道部のマネージャーは千鶴一人。
もちろん彼女一人で手に負えない業務は部員それぞれがフォローもしている。
だけど、毎日それができるわけでもないし、総司は夏で引退してしまう。
そうなると余計に、女子部のない剣道部において、女が千鶴一人だけというのは何かと心配なのだ。
それに、他にマネージャーが入ってくれたら千鶴の自由な時間が増えて、その分、いっぱい構ってもらえることができるはずだ。
想像するだけですっごく楽しくて、勧誘にも熱が入る。
四月中旬に差し掛かった今は、新入生も大体目当ての部活を決めていて、仮入部にやってくるメンバーも固定化されつつある。
何人かは名前も覚えたし、気安い新入生に至っては、校舎で出くわしても積極的に挨拶なんかをしてくる。
礼儀正しい後輩は嫌いじゃない。
だけど、そんな新入生を見ていて思い出すのはいつだって、千鶴との出会い。
一年前に千鶴と出会えたのは、平助が彼女をマネージャーとして引き込んでくれたからだ。
それまで剣道部にはマネージャーがいなかったため、仕事を覚えるまでにかなり苦労したと思う。
男だらけの中で戸惑っていることも多くて、それでも頑張っている姿が、可愛いなと思ったきっかけだ。
もう一年も経ってしまったのか、と時の流れの早さに驚く。
だけど、まだ一年しか同じ時間を過ごせていないのか、と寂しく思うこともある。
まあ、今は彼氏彼女だ。
これから先、何年何十年、ともに歩み、誰よりも長く彼女の隣に居続けて、絶えることのない幸せの中で生きていくのだから、感傷に浸る必要などない。
そんな総司の耳に、ある質問が飛び込んできた。
「雪村先輩は、彼氏いるんですか?」
タイムリーな話題にパッと顔を上げ、その声が聞こえた方向へと振り返る。
その先にいたのは千鶴と、仮入部の新入生男子数人。
部活が始まるまでの間、武道場の入口付近で雑談をしているらしい。
異性の上級生にそんなことをわざわざ聞くなんて、千鶴に気があるとでも言うのだろうか。
少し前までの総司なら、すぐに間に割って入り、邪魔をしていたはずだ。
だが、今は違う。
今は、正真正銘、千鶴の彼氏だ。
恋人だ。
不安がることは何もない。
あの会話の流れからすると恐らくこの先――千鶴が「いるよ」と答え、新入生が「誰ですか?」と問い直し、そして千鶴が恥ずかしそうに頬を染めつつ、「沖田先輩」と答える。
新入生が「やっぱり」とか「お似合いですね」とか二人の仲を褒め称えて――と、まあそんな感じの流れになることが確実だ。
総司は一足先に笑みを零しつつ、千鶴たちの会話に耳を傾けた。
柄にもなくソワソワしてしまう。
そういえばまだ誰かに自分たちの仲を冷やかされたことはなかった。
きっとすごく嬉しくて気分がいいのだろう。
想像するだけで顔がにやにやと崩れてしまう。
だが、千鶴の言動はいつも予想とは違った方向へとぶっ飛んでいく。
「ううん、付き合ってる人は……いないよ」
総司の耳に届いたのは、千鶴の凛とした否定の声。
後輩にこんな質問をされて、少し困ったような言い方にも聞こえた。
その後に続いたのは、彼女がフリーだとわかって盛り上がる新入生たちの歓声。
「…………は……?」
一瞬なにが起きたのかわからず、総司はぽかんとする。
聞き間違いなのだろうか。
聞き間違い以外有りえない。
だって千鶴には沖田総司というとっても優しいお似合いの彼氏がいるのだから。
それでも総司は居ても立ってもいられなかった。
すぐに武道場入口まで駆け寄ると、千鶴を呼ぶ。
「千鶴ちゃん、ちょっと来て……っ!」
千鶴がびくんと揺れた後、恐る恐る振り返った。
それを見て総司は、しまった、と思った。
声に苛立ちと焦りが篭もったのだろう。
ただの聞き間違いだという線は残っているのに、千鶴が絡むとすぐに余裕がなくなってしまう。
こんな聞き間違いかもしれないことで千鶴を動揺させたくないのに。
「ど、どうかされましたか、沖田先輩?」
千鶴とともに、新入生たちも総司に注目した。
こんな人前で彼女を問い質したくはない。
総司はちらりと周囲を見回し、千鶴と二人きりになれる場所を探した。
この武道場周辺で二人きりになれる場所など…………用具倉庫くらいしか思い浮かばない。
きっと今なら誰もいないはずだ。
「……こ、この指! 怪我したから、手当てして」
周囲に不審がられないように用具倉庫に行くために、総司は傷ひとつない人差し指をピンと立てて怪我アピールをしてみせた。
「ほ、本当ですか? すぐに……っ!」
千鶴が焦ったようにその場から駆け寄ってくる。
嘘を吐いてしまったことにほんの少し罪悪感が湧くものの、今はこうしてでも千鶴と二人きりになりたかったのだ。
剣道部の備品の多くは、活動場所である武道場の用具置き場を間借りする形で置かせてもらっている。
マネージャーが管理する救急箱もそこにあり、千鶴に連れられる形で用具置き場へと向かった。
「沖田先輩はそこに座っていてください」
千鶴が器械体操などで使用するマットを指差した。太ももあたりの高さまで積み重ねられているマットは、部員たちがよく上に乗って寛いでいる。
総司は軽く返事をしながら、もしものときのために邪魔が入らぬよう、用具倉庫の扉を閉めると内鍵をかけた。
一番奥にあるロッカーの最上段に救急箱はあり、千鶴が背伸びをして取る。それを後ろから眺めるのが総司は好きで、よく見える位置に座って彼女の後姿を見詰めた。
仮病だと打ち明けたら怒られてしまいそうだけど、千鶴に怒られるのも好きだったりする。
普段は穏やかな彼女が、ちょっと不機嫌そうに口を尖らせている姿が新鮮で、可愛く思えてしまうのだ。
でも怪我の振りをし通せば、手当てと称して千鶴に触れてもらうことができる。
あの小さくて滑らかな指先が、器用に手当てする様は素直に感心してしまう。
そんな彼女の指先を好きなだけ堪能したい。
「お怪我したところを見せてください」
千鶴が総司の座ったすぐ横に救急箱を置き、手当ての準備を始めた。
その姿を見て、総司は嘘を吐き通すことを決意する。
「ここ。突き指しちゃったから冷たいのでシューして」
そう言いながら、無傷の人差し指を千鶴に見せた。
だが、その途端に千鶴の眉間に皺が寄る。
そして、とんでもないことを言い出した。
「……先輩、嘘吐いたんですか?」
「…………なにが? なにが嘘なの?」
こんなにすぐに勘付かれるとは思ってもいなかった。
総司はすっ呆けながら小首を傾げる。
「先輩が突き指って言い出すときは……嘘な気がします」
……そういえば、以前にも同じ手を使って千鶴を用具倉庫へ誘き出したことがあった。
そのせいでバレてしまったのだろうか。
と言うことは、千鶴に怒られてしまうのだろうか。
しかし総司は、嘘を見破られたことにほんの少しだけ心を弾ませた。
「千鶴ちゃん、僕のことは何でもお見通しなんだね」
嘘を吐かせてもらえないくらいに、千鶴が己を深く理解してくれている。
それが嬉しい。
まさに相思相愛だ。
総司は彼女の手を引いて、マットに座る自分の両足の間に引き寄せた。
座っている総司と、立っている千鶴。
そのせいでいつもより目線が近い。
心の距離もぐっと近づき、総司は思わず笑みを零した。
(中略)
たまたまバスが到着したのが悪いだけであり、逃げられたわけじゃない。
置いていかれたわけでもない。
千鶴はあのバス停でそわそわしながら総司が追いかけてくるのを待っていたはずだ。
だけどそれよりも先にバスが来てしまい、恐らくコワモテ運転手に「さっさと乗れ」と言わんばかりに睨まれたのだろう。
千鶴は乗るつもりなどなかったのに、その鋭い眼光に半ば脅されるかたちで、バスに乗らざるを得なかった――と、言うのが現状、だと思う。
総司は鮮やかな推理で自分を納得させつつ、彼女がバス停へと足を進めた。
そして時刻表を眺めて、現在の時間を確認する。
「……次は、二十分後か」
そこからバスに乗り、千鶴を追いかけるとなると、会えるのはどれくらい先だろうか。
総司は時計に目を落としながら、この後の時間配分についてを考える。
バスに乗り、バスを降りて、千鶴の家をピンポンして、驚いた様子で出てきた千鶴と玄関先でイチャイチャして、「せっかくだから上がっていってください」という流れになり、千鶴の部屋で続きをして……と言う楽しい展開が待っている。だから、明日に持ち越すつもりなんてなかった。
――バスは予定よりも五分遅れてバス停に到着する。
総司は運転席の二つ後ろの一人掛けの席につき、窓の外を眺めた。
逸る気持ちがある一方で、このソワソワした気持ちに浸っていたかったりもする。
だがその後、帰宅時間に被ってしまったのか、総司の乗るバスはバス停に停まるたびに乗客が増えてギュウギュウになり、渋滞にもハマってしまい、結局千鶴の家の最寄り停留所へ到着するまでに、普段の二倍もかかってしまった。
そこから千鶴の家へと向かって歩き出したのが、バスを待ち始めてから約一時間後。
空は薄暗くなってしまい、街灯にも灯りがともった。
早く千鶴の驚く顔が見たい。
でも、いきなり家に行ったら都合が悪かったりはしないだろうか、と今さらながら心配になってくる。
例えば千鶴が寄り道をしていて、まだ帰宅していなかったら?
そんなのすごく虚しい。
千鶴の家の前で待ち伏せをしていたら、怪しい人扱いされないだろうか。
万が一薫と出くわしてしまったら、今日は千鶴と会わせてもらえなくなりそうだ。
総司は「千鶴の驚き顔」と「千鶴との確実な逢瀬」を天秤にかけ、そっと携帯電話を取り出した。
驚かせたいけれど確実に会いたい。
その両方を成立させるには、さり気なく現在地を聞き出せばいいだけの話。
家にいると答えたならそのまま自宅に突撃して、外にいると答えたならそこで合流を図ればいい。
リダイヤル画面を開くと、一番上に千鶴の名前が出てきた。
千鶴本人を扱うようにそこを優しくタップして、通話発信する。
何度目かのコール音の後、ようやく千鶴に電話が繋がった。
『――沖田先輩? どうかしましたか?』
電話越しでも千鶴の声は凛としていて、耳に心地良い。
だけどその大好きな声の後ろに、ざわざわと雑音が聞こえた。
「千鶴ちゃん、いまどこにいるの? まだ帰り道?」
車や風の音が混ざって聞こえ、まだ家には帰っていないらしいことが窺えて、総司は歩みを止める。
念のために電話をかけてよかったとホッとし、彼女の現在地を聞き出そうとした。しかし――。
『いえ、家にいます。先輩はまだ学校ですか?』
…………なんだか、あからさまな嘘を吐かれた気分になった。
彼女が自宅にいるときに何度も電話したことがあるけれど、こんなにザワザワと雑音が聞こえてくることはなかった。
確実に外にいると思うのに、どうしてこんな見え透いた嘘を吐くのだろうか。
「……僕は、君の家の近くまで来てるんだけど」
あの曲がり角を左に行けば、すぐ千鶴の家がある。
家にいると言い張るのなら、それを証明してもらおうじゃないか。
『えっ、先輩……いらしてる、んですか?』
千鶴の声が焦りで上擦ったように聞こえた。
それは総司の疑う心が、そう聞こえさせたのだろうか。
「来てるよ。家にいるなら、すぐに出てこれるよね?」
千鶴を責めるみたいな口調になりつつ、再び歩き始めた。
さっきよりも早足で進み、彼女の嘘を証明し、咎めたい気分でいっぱいだ。
嘘を吐かれるのが一番辛い。
何かを隠されるのはもう嫌だ。
今度は一体何を企んでいるというのか。
『ちょ、ちょっと、待ってください! あの、っ』
千鶴の慌て声を聞きながら総司が道角を曲がると、千鶴の家が視界に入る。
そこで、思ってもみなかった光景に出くわした。
家にいる、と言う彼女の言葉は嘘ではなかった。
自宅の門扉前に立っていて、携帯電話を耳にあてているのが総司の瞳に映る。
これならば確かに、ギリギリ在宅していることになるのだろう。
「……ホントだ。家に、いたんだね」
総司の声が、冷たさを増す。
その声や言葉に、千鶴が弾かれたように顔を上げ、周囲を見回した。
そして曲がり角のすぐ傍に立ち止まっている総司を見つけ、声を怯ませる。
『えっ…………あ、っ…………』
総司が苛立っている理由は多々あった。
彼女に嘘を吐かれたわけではないことが今証明されたのだから、その件に関しては疑ったことを素直に反省し、詫びたいと思っている。
だけど、そんなものは後回しだ。
千鶴の自宅門扉前。
千鶴の傍らには、彼女より頭二つ分ほど背の高い男の後姿があった。
それが、総司を苛立たせる原因の一つだ。
「…………そいつ、誰?」
電話越しに問うた。
男はここら辺では見かけない学校の制服を着ていて、まだ総司の存在には気づいていないようだ。
あたふたしている千鶴を心配そうに見ている。
ただ偶然会った同級生や知り合いならば、べつに構わない。
総司だって近所をふらふらと歩けば、小学校や中学時代の同級生や先輩後輩と顔を合わせることがある。
そんなことでいちいち目くじらを立てるほど、小さな男ではないつもりだ。
それなのにこんなにも苛つくのは、千鶴に対して冷たい態度を取ってしまうのは、全て千鶴の言葉のせいだ。
家の近くまで来ている教えた瞬間、千鶴はなぜか慌てた。
「ちょっと待って」と、総司に来てほしくないと言うような台詞を零した。
それってつまり千鶴の隣にいる男が、ただ偶然会った知り合いではないと言ってるようなものではないか。
千鶴にとっては総司と鉢合わせたら困るような相手、千鶴が異性として意識している相手、誤解を招くような行為をしている相手……――そう受け取ってしまうのが、普通の流れではなかろうか。
やましい気持ちがなければ、千鶴が慌てる必要なんてないのだから。
『沖田先輩、あの……これは、その……』
千鶴がもごもごと言葉を濁す。
きっぱりと答えてくれない度合いが、そのまま千鶴のやましさを表すみたいでイライラが増す。
「……そいつの名前を聞いてるんだけど?」
ぎりっと歯噛みして、問い直した。
千鶴が見るからに意気を消沈させたのが、総司の今いる位置からでもわかった。
『…………え、っと…………彼は――』
千鶴が隣にいる男の苗字を、総司に伝えた。
途端に総司は心にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚に陥る。
本人には直接会ったことはない。
だから遠目から男の顔を見てもわからなかったけれど、その名前は、苗字は、総司がよく知っているものだった。
……それは千鶴が先月まで付き合っていた相手の名前と同じだ。
「僕に内緒で、いつも会ってたの?」
有り得ない。
元彼と会っていたなんて、信じられない。
それを隠していたことや、隠し通そうとしたことが、さらに有り得ない。
『ちがっ……話を、聞いてください。今そちらにっ』
「――っ、来ないで! 絶対に来ないで」
こちらに駆け寄ろうかという素振りを見せた千鶴を、電話越しに強く止める。
いま千鶴が手の届く距離に来たら、何をするかわからない。
それ以上に、自分がどうなってしまうのかも、わからなかった。
こんな感じのお話です(´▽`)
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