★この世界にひとりだけ(サンプル)
P92 / ¥700 / R18 / A5 / オフ / 2013.06発行
幕末パロの沖田×千鶴。
沖田羅刹化後の擦れ違うおきちづです。
性的表現が含まれています。
よく晴れた冬の晩。澄み切った寒空から零れ射す月明かり。
吐いた息は白く、気づけば背中が丸まっていた。
骨まで凍みるこの空気が心地良くて、屋内に戻る気になれない。
このままここにいたら、風邪を引いてしまうだろうか。
そうなったらまた怒られてしまうかもしれない。
でも羅刹となったこの身体は、風邪など引くのだろうか。
あんなに重たくて自由の利かなくなった身体を、ここまで回復させた魔の薬なのだ。
きっと、もう、二度と――。
「……………………」
隊士たちの寝静まったこの時間帯。
起きているのは夜番を任された者たちだけだ。
その殆どは現在、羅刹隊が勤めている。
表向き死んだことになっている藤堂や山南らの隊士たちとは違い、総司はまだギリギリで生きていることにされている。
こんなふうに夜中にフラフラ出歩いて誰かに見つかったとしても、羅刹隊のような不都合などない。
だけど、相手次第では少々気分も悪くなる。
「僕になにか用? 千鶴ちゃん」
廊下の隅からずっと総司を伺っていた千鶴に声をかけた。
「え、えと……気づいて、ました?」
気配を消せないこの子の存在に、気づかない方がおかしい。
総司の口角は自然に上がった。
この笑みは嘲笑を示している。
「子どもは早く寝ないと駄目だよ」
だけど、ここで何かを言って千鶴の行動を責めたり、意地悪をする気にはなれなかった。
だから子どもを諭すような物言いをして、追い返そうとした。
「……は、はい…………」
素直に返事をした千鶴を、見送ろうとする。
しかしいつまで経っても千鶴はその場から動こうとはせず、じっと総司を見詰めていた。
「…………千鶴ちゃん、部屋に戻りなよ」
もう一度注意する。
自主的に戻ってくれたらそれが一番なのだが、千鶴は表情を曇らせ、まごついている。
「沖田さんは…………」
「僕は活動時間が夜に変わったから、日が昇るまでは起きているよ」
「あ……そう、ですよね」
「君は違うんだから、夜更かしは良くない」
だから、さっさと僕の前から消えて。
そうハッキリと突き放せばいいのに、言葉が続かない。
この状況は総司にとって煩わしくて不快なものなのに、優しい言葉を選んで諭すだけなんて、らしくない。
千鶴を遠ざける方法はわかっている。
そういう心無い言葉をかけるのは得意だったはずだ。
実際、これまで何度も何度も彼女を突き放してきた。
今夜も同じようにすればいい。
だけどどうしてか、千鶴を突き放す言葉が出てきてくれない。
「……ごめんなさい」
距離を保ったままの千鶴が、ぽつりと謝罪を漏らした。
耳を澄ませばようやく聞こえるくらいの声で、総司へと聞かせるつもりはあるのかないのか、微妙な大きさだった。
一体彼女は何を謝っているのか。総司の中にはいくつもの理由が浮かぶ。べつに謝ってほしいわけでも、謝らなきゃいけないことをされたわけでもない。
総司は眉を顰め、空を見上げた。この明るい夜空のように彼女の心も晴れ渡ってくれたらいいのに、と思わずにはいられない。それを口に出すつもりはないけれど。
つい先日、総司は変若水を飲み、羅刹へと変貌を遂げた。
変貌――と言うよりも、生まれ変われたという言葉のほうが近い表現かもしれない。
病に臥していたせいで衰えてしまった筋力と体力。
常に身体が気だるく、重たく、力が入らなかった日々。弱りゆく己を認めたくなくて、戦えない己が許せなくて、全てに枯渇し、絶望しそうになっていた。
それが今ではどうだろうか。
起き上がれる。動ける。戦える。
ここに、新選組に、近藤の傍に、居られる理由がまた生まれた。
総司にとってそれは何よりも嬉しいことだった。
昔は、羅刹になった者たちを可哀想で哀しい存在だと思っていた。
決して、自分には無関係の存在として見ていたわけではない。
ただ何となく、ああはなりたくないな、という対象だった。
処罰を逃れ、人間らしく生きる道を閉ざされ、自我を忘れて血に狂う化け物。
もし自分がそんな化け物になってしまったら、近藤の役に立つことはできない。
生きる価値すらなくなってしまう。だから、羅刹にはなりたくない。
そう思っていた、はずだった。
興味が湧いたのはいつ頃だろうか。
畳の上で死ぬのかもしれないと意識し出した頃だった気がする。
あのまま死ぬくらいならいっそ……。そんな考えがいつからか生じ始めた。
数年前に羅刹となった山南が未だに理性を保っているのも大きな後押しになった。
何より、あのとき変若水を飲まねば、生き残ることができなかったのだ。
この結果に不満はない。
(中略)
まだ日が昇りきっていない午前中だ。
羅刹の総司には昼夜逆転した生活のほうが身体に無理がないはずなのだが、何しろまだ一日中寝ている身。
昼も夜もあまり関係ないらしい。
「あんなに大きな声を出して……」
傷口に障ったらどうするんだとでも言いたげに、山崎が小さく舌打ちをした。
その瞳は厄介なものを睨むように細められている。
「で、では……私、沖田さんのところに行きますね」
千鶴はしめたとでも言わんばかりに突っ掛けを脱いで廊下に上がった。
山崎が仕方なさげに頷くのを横目に捉えながら、パタパタと総司の部屋へと急いで走る。
「汗かいた。……着替えたい」
千鶴が入室すると、総司が布団に頭を埋めながら呟いた。
顔を隠されてしまっているので表情は見て取れないけれど、声がほんの少し不機嫌そうだ。
障子から漏れてくる太陽の光が、直接当たっているわけではないが煩わしいのかもしれない。
総司の着替えは普段から千鶴が手伝いをしている。
一番手空きの者が千鶴だったからという理由でしかないのだが、京で寝込んでいた頃は絶対にさせてもらえないことだったから、距離が縮まったように思えて嬉しかった。
手ぬぐいと汲み置いて温くなった水、そして新しい寝間着を用意するのも、今では小慣れてきた。
すぐにまた総司の部屋へと戻ると、まだ顔を埋めたままの総司へと声をかける。
「沖田さん、準備できました」
水で濡らした手ぬぐいをギュッと絞って丁寧に畳む。
それを自分の腕に当てて、冷たすぎないかを確かめる。
以前、井戸から汲んだばかりの水で身体を拭こうとして、総司に嫌味を言われたことがあったのだ。
それ以来、十分に気をつけている。
「…………うん」
総司が返事をするものの、布団から一向に顔を出そうとしない。
やはり今日は機嫌が悪いのだろうか。
それとも、体調が悪いのか。
無理をしてほしくない千鶴は、一度訊ねる。
「お身体、大丈夫ですか? 起きれますか?」
「……平気。起こして」
ようやく布団の中から顔を出した総司が、両手を小さく千鶴へ向かって伸ばした。
寝苦しかったのか、布団を被っていたせいなのか、汗で額に前髪が貼りついていて、後ろ毛はぴょんぴょんと跳ねている。
千鶴はくすりと笑むと、身体を屈めた。
「掴まってください」
総司の髪の毛は千鶴とは毛質が異なる。
明るくて、柔らかくて、触り心地がとても良い。
着替え終わってから梳かさせてもらえたらいいな、と考えながら起き上がろうとする総司を支えようとした。
総司を起こすとき、千鶴はいつもこうやって屈んで彼の背中に片手を添える。
総司も千鶴に片手で掴まりながら、無理なくゆっくりと身体を起こすのだが……――今日は少し違った。
総司の手は、片方ではなく両方とも千鶴へと伸びていて、そのまま背中へと回る。
(あ、あれ……? これ、は……)
これではまるで抱き締められているみたいだ。
いや、そんなことはない。
きっとこっちの方が起き上がりやすいだけなのだろう。
千鶴は自分の煩悩を振り払うように心の中でかぶりを振ると、総司の背中に手を添えて支え起こそうとした。
だが――。
(……え、えっと……ど、どうしよう……)
総司に正面から抱き締められ――もとい、両腕を回されているため、千鶴が彼を支えようとするとどうしても……
千鶴まで総司を抱き締めるみたいに腕を回さなくてはならなくなる。
いつもは横から片腕を伸ばすだけだったのに、このままでは、なんか、その、総司と抱き締め合ってしまうみたいで、いつもと違って、すごく、なんだか恥ずかしい。
――そこまで考えて、千鶴は再び心の中でぶんぶんと頭を振った。
ただ着替えを手伝うだけなのに、ただ総司を起こすだけなのに、こんなことを考えて恥ずかしがっている自分が馬鹿みたいで、総司に対して物凄く失礼だと思った。
(……っ! よ、よしっ……!)
千鶴は心の中で掛け声をかけると、総司の背中に腕を回して、一気に起き上がらせ――ようとして力を入れたものの、総司の背中は布団に着いたままびくともしない。
あれ? と不思議に思いながらも、いつもと体勢が違うせいで上手く力が入らないのだろうと結論付けて、もう一度起き上がらせようと力を込めた。
だが、やはりびくりともしない。
そりゃあ千鶴の細腕で体格の良い男性を起き上がらせるなんて相当力が必要だろう。
だが、別に総司が抵抗しているわけでも意識がないわけでもない。
総司自身が起き上がる補助をするだけなのだから、そんなに余計な力を込めなくとも今までは大丈夫だった。
……なんだかおかしい。
「……あ、あの……沖田さん?」
よくよく考えると、総司に起き上がろうとする意志が全く感じられない。
ただ千鶴の背中に腕を回しているだけで……いや、むしろ起き上がらないように身体を硬くし、千鶴に持ち上げられないようにしているふうにも思える。
つまり起きたくないのだろうか。
まだ寝ていたいのだろうか。
でも総司が着替えたいと言い出したのだ。
……それとも、今日は具合が悪いのだろうか。
この部屋に来たときの総司はどこか不機嫌めいた声色だった。
それだったら無理に彼を動かすなんて――。
千鶴は眉を下げて、総司の容態を心配する。
最近は調子が良くて、あとは完治を待つばかりだったからあまり気に留めていなかったけれど、もしかすると無理が祟って悪化したのかもしれない。
そんな不安が千鶴の脳裏を過ぎり、瞬時に広がり、充満する。
だがその直後。
「あっはは。千鶴ちゃん、早く起こしてってば」
総司がくすくすと肩を震わせながら笑いを零した。
「えっ……わ、わざと、ですか?」
千鶴は目を丸くしながら、総司を見下ろす。
わざと起き上がらないように力を込めていたなんて、心配して損をした気分になる。
寝込んでいる人がこんな冗談でからかおうとするなんて、すごく、ずるい。
「もっ、もう! ちゃんと起きてくださいっ!」
千鶴は頬を膨らませながら、今度こそ総司を無理やりにでも起こそうと、勢いをつけてから身体をぐいっと引いた。
だが、それを見計らったかのように総司が両腕にぎゅっと力を込め、千鶴にぶら下がるように体重をかけてきた。
千鶴の上体はそのまま総司の上へと倒れ込んでしまう。
「――きゃわっ!」
「ふふっ……千鶴ちゃん、全然ダメだね」
寝間着がはだけて露出した総司の胸元に、千鶴の頬がくっついた。
包帯はもう取れていて、撃たれた跡は薄っすらと残っている程度だ。
この傷ももうじき消えてしまうだろう。
羅刹じゃなければこんなに苦しむことの無かった傷だけれど、羅刹じゃなければ即死していたかもしれない傷だった。
それを知ってからはまたほんの少し、彼が羅刹になったことを受け入れられるようになった。
千鶴は総司の心の音に耳を傾けるように、頬を摺り寄せた。
温かくて、逞しくて、落ち着く。
彼が生きていて良かったと、こうやって触れるたびに何度も何度も嬉しくなる。
「……千鶴ちゃん? どうしたの?」
総司の大きな手が千鶴の背中を撫で上げ、黒髪に触れる。
人を斬る恐ろしい手だと思っていたこともあるけれど、何度も何度も千鶴を守ってくれた優しい手だ。
総司に触れられるのが昔は怖かった。だけど今はくすぐったい。幸せな気持ちになる。
「沖田さん、私……」
「千鶴ちゃん…………君って…………」
総司の声が甘ったるく耳に届く。目を閉じれば総司の匂いが鼻を掠めて、ひどく安心する。
(中略)
すると千鶴が二度、ぱちぱちと瞬きをして、その直後、瞬時に頬を赤らめた。
「――っ…………ぁ、ぅ……」
それ以上は言葉も出ない様子で、みるみるうちに頬以外も赤く染まっていき、それが熱となり、総司の手に伝わってくる。
千鶴をからかうのは好きだった。
いちいち過剰に反応してくれるのがおかしくて、楽しくて、好きだった。
千鶴が顔を赤らめてくれるのも好きだった。
そのたびに意識してもらえているのかもしれないと調子に乗って、嬉しくなって、そうやって二人で過ごす時間が好きで、大好きで、仕方がなかった。
そんな千鶴の反応は、単に男慣れしていないから緊張してしまうだけだとわかっている。
だけど、どうかその緊張のドキドキを、恋だと勘違いしてほしい。
恋だと錯覚して、それだけで身も心もいっぱいにして、一緒に堕ちてきてほしい。
「……千鶴ちゃん」
もう一度、名を呼ぶ。今度は願いを込めて呼んだ。
逃げないで。どこにも行かないで。
離れないで。
拒まないで。
否定しないで。
受け入れて。
甘えさせて。
傍にいて。
選んで。
ひとりにしないで。
願うなんてお綺麗な言葉は似合わないかもしれない。
だってこの願いは、祈りは、すなわち千鶴の不幸を望むことを意味する。
むしろ呪詛だ。
千鶴が間違った道へ進むように、道を踏み外すように、手引きしようとしている。
千鶴の思考を麻痺させて、神経の全てを蝕んで、取り込んでしまいたいと切望している。
自分が幸せになるために千鶴の災いを念じるなんて、最低最悪だ。
でも、これは仕方のないことだ。
そう割り切ることにしよう。
そうすれば、こんなに悩まずに済む。
千鶴をいま手放して故郷に送り出せば、確実に後悔する。
全部千鶴が悪いんだ。
近藤のように最初から手の届かない存在でいてくれたなら、最初からこんなことは望まなかった。
素直に千鶴の幸せを願えた。
でも千鶴は、欲しいと望めば手に入るかもしれない距離にいる。
だから、希望を持ってしまう。
諦められなくて、譲れなくなる。
このぐちゃぐちゃの想いを曝け出せる相手なんて、この世界のどこにもいない。
だけど、このぐちゃぐちゃの想いを、この世界で唯一千鶴だけが、和らげてくれる。
落ち着かせてくれる。
宥めて、鎮めて、慰めて、忘れさせてくれる。
「千鶴、ちゃん……」
総司は千鶴の額に自分の額を、こつんと合わせた。
「…………っ……」
千鶴が小さく俯いて、総司から目線を逸らす。
僅かに伏せられた瞳には今、総司の顔は映り込んでいない。
心の中で何度も「ごめん」と言った。
言葉にすることができなかったのは、臆病な心を隠して、強がりたかったからだ。
「千鶴ちゃん、こっち見て」
「あ、あの……沖田さん、っ……」
からかうように千鶴の顔を覗き込むと、千鶴がその視線から逃れるように顔を背ける。
それをまた追いかけると、千鶴が一歩、後ろへと下がった。
だから、一歩進んで間を詰める。
すると千鶴がまた一歩下がる。
それをさらに追いかける。
何度か繰り返していると千鶴の背中が壁にくっついて、今度は右へ逃げようとした。
すかさず右手を壁につけて通せんぼして、次の手を塞ぐために左手も壁にドンっとつけた。
千鶴は他の逃げ道を探しているのか、それとも降参を示しているのか、上目遣いで総司を見詰めてくる。
「……やっと僕を見てくれた」
もう一度額をこつんと合わせると、千鶴がぎゅっと目を閉じて身構えた。
ようやく諦めてくれたらしい。
総司からは無意識に笑みが零れる。
その笑みに気づくと、ああ本当に最低だな、と心の中で自虐する。
この調子で千鶴がこの先の未来を、人生を諦めてくれたら最高だ。
千鶴の下唇を指の腹でそっと撫でると、千鶴の肩がぶるりと震える。
せめて、怖がらせないように慈しんであげたい。
だけど、怖がらせて怯えさせて支配したい。
総司は千鶴の唇へとまた自身のそれを重ねる。
千鶴が身体を強張らせた。
その緊張が面白いくらいに伝わってくる。
彼女の唇にはきゅっと力が篭もっていて、きっと歯も食い縛っているのだろう。
総司が舌で抉じ開けようとすればするほどに守りが堅くなって、なかなか中へと到達できない。
一旦諦めたふりをして唇を離すと、千鶴が呼吸のためか、安堵の溜息を吐くためか、薄っすらと口が開いた。
その隙を見逃さず、今度は角度を変えて、噛み付く。
「……っ、ん…………っ」
ぷっくりとした唇を線に沿って舐めとって、やわく挟むように甘噛みする。
そのたびに千鶴から漏れる息遣いが、薄明かりが揺れるこの部屋に静かに響く。
その呼吸全てを自分が飲み込んでしまえるのだと思うと、気持ちが急いてしまう。
半開きになった口唇からゆっくり侵入すると、千鶴のまぶたがぴくりと動いた。
すぐに無防備なままの舌を絡め取ると、千鶴が逃げようとするみたいに顎を引く。
それを追いかけ、押さえつけ、存分に味わう。
次第に千鶴の背中が壁へと寄りかかり、もたれかかり、自分一人では立っていられないくらいに力が抜けていく。
それが総司の癪に障った。
千鶴が自分以外のものを頼り、身を任せているみたいで嫌だ。
こんな感じのお話です(´▽`)
[戻る]