おつかれさま

 消灯時間の少し前。
 よぼよぼ、そんな擬音が似合う足取りでゲンが自室へ帰還する。彼は大して柔らかくもない寝床でまず両膝をつき、ばったりと大げさに倒れ込んだ。

「ああああつっかれたー!!今日はジーマーで輪をかけてドイヒー案件連発よぉ!」

 みっともなくもがき、枕に何度も額を擦りつける。やがて動きを緩め、止めて。

「はぁ〜〜……あー………あ゙ー真珠ちゃんのおっぱい揉みたい」
「ないよ」
「うわっいたの!?メンゴ!」

 始めからすぐそばに座っていた彼女の存在にようやく気づき、慌てて顔をそちらに向けていた。

「ないよ」
「ありまぁす。コハクちゃんたちと比べちゃダメ〜」
「……」
「違う違う、そっち想像した訳じゃないからその目はやめよ?男が欲しいおっぱいは好きな女の子のだけなんですぅ〜」
「ハーレム…」
「ひぃん黒歴史ほじくっちゃイヤ〜」

 再びじたばたと暴れるゲンを真珠が冷ややかに見下ろしている。ただ、お互い戯れているだけなのは明白であるため、彼はめげずに上目遣いを作り、唇を尖らせて人差し指を添え、もう一度訴えた。

「真珠ちゃん、頑張った俺にご褒美ちょーだい?」
「自分の二の腕揉めば?」
「俺?それこそないない。ね、ね、じゃあぎゅってしていい?」
「いいけど」
「ありがと〜!よっと……ふふ、はい、どうぞお越し下さい」

 静まり返った表情を崩さないまま、彼女は立ち上がらず四つん這いで前へ進み、到着後反転して背を見せた。残りの距離をゲンが縮め、両足を広げて陣地を作り、その中に彼女を閉じ込めた。
 腕を回し体重をかけてみると、受け入れて支える反応が返ってくる。へにゃりと笑みが零れた。
 しばしの沈黙。腹の前で重なる手の甲に真珠の指先が触れる。背後の気配が喜び、頭に唇を落とそうと体勢を変える。彼女はその隙を逃さず、彼の袖奥へ深く侵入し、二の腕をがしりと掴んでいた。

「ひえっ!?」
「…ないね、確かに」
「あっは、モヤシだしね俺。モヤシじゃない男についてんのは筋肉だし、やっぱりおっぱいは唯一無二なのよ」
「何の話?」
「分っかんなーい…ジーマーで頭回ってないから流して…」
「そう」

 彼女の手がゆっくりと戻っていく。順に撫でられ、その度にゲンは彼女の髪に口づける。ついでに香りを堪能しようと細く長く息を吸い込み、隠れて一人盛り上がる。
 手の甲に到着した彼女は、握り込もうとする彼を避け逆に自ら覆ってみせた。すかさず耳にリップ音を流し込まれ、それは望んでいないと首を振って牽制する。届く苦笑、すぐに本物の笑みが降ってくる。

「なーに?」

 彼女は確保した彼の手を持ち上げ、そこへ導いていた。
 ふに。

「へっ」
「お疲れ様」
「……おぁ……」
「……」
「…これ以上は絶対動かないで…俺今戦ってるから…」
「勝って」
「ハイッ勝ーちまーしたー!」

 命じられた瞬間空気を豹変させ、ゲンが両腕を頭上まで掲げて勝者のポーズを決め、再び彼女を抱きしめた。今度は肩口を包み込み自身の胸の内へ招き、真上から相変わらずの涼しい顔を覗き込んで。

「んも〜真珠ちゃんってば、スイッチ入っちゃったらどうすんのよジーマーで。俺のこと信頼してくれてんのは嬉しいけどさー、男は皆ケダモノなんだから。不用意に煽んのはめっ、よ?」
「じゃあ最初から変なこと言わないで」
「サーセン」
「元気出た?」
「いやもうそれはそれは……それは」
「勝って」
「勝ちまぁす。分かってるってば。でもくっついて一緒に寝たい」
「そう」
「チューは?」
「頬」
「ん〜っ♪…ありがとね、気遣ってくれて。明日からも頑張っちゃうよ、俺」
「ん。おやすみ」
「おやすみ〜」

 支度を終えていた真珠が一足先に横になるのを見届け、ゲンは寝床から抜け出し奥へ移動した。上着と長袖の衣を脱ぎ、仕込んだ品々を並べ、軽く水を飲んだ。歯磨きは入浴前に済ませているが、何となく確認したくなって手鏡を取る。
 表の歯をわずかに見つめ、口を閉じた。にい、と端を吊り上げてみせるとあまりに馬鹿馬鹿しくて、本来の感情、照れと自己嫌悪が混じった複雑な皺がすぐに眉間に現れた。

(いや〜〜〜リームーっしょ〜〜。勝てるよ?そりゃ勝てるけど決勝進出な訳なのよ、真珠ちゃん。そこんとこ全然察してなさそうだけど、どう考えても吹っ掛けた俺が100億%悪いね〜。まあいいや、その時が来たらきちんとお招きすればいいだけのこと。んふふ、明日からの生き甲斐にしーよおっと)

 いつの間にか疲労感は飛んでいて、不敵に目を細めた鏡の中の自分。それをなだめるために笑顔で上書く。
 これももちろん本心を元に出来上がった顔で間違いない。彼女への想いのどの一面を表に持ってくるか、そういうこと。

「………お待た…っと。遅くなっちゃったね」
「……」
「大好きだよ、真珠ちゃん…よい夢を」

 かすかなまばたきで返事した彼女の額をひと撫でし。彼も続いてもう一つの世界目がけて意識を放り投げた。






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