君のかんざし

 元司帝国本拠地、医務室。有志を集めて定期的に行われる応急処置講習会が終わり、真珠は一人静かに息をついた。
 参加者の女性たちから声をかけられ、多少体を強張らせながらも会話に耳を傾ける。司陣営との和解に伴い何倍にも膨れ上がった仲間たち。社交的とは言い難い真珠だが、何度も顔を合わせている彼女たちとはすでに打ち解けたようだった。
 と。

「おっ疲〜〜」

 講習会の終了時間を完璧に把握したゲンが姿を現した。多少ざわつく面々。一箇所に集まる視線。眉をひそめた注目先。

「真珠ちゃんも頑張ったねえ!疲れたでしょ、休憩行こっ」

 人が割れて出来上がった道を一直線に進み、彼は両腕を伸ばして真珠の手を引いた。すると反対側の空いた手が恐ろしい速度で射出され、彼の顔を丸ごと鷲掴んだ。

「おぶっ!」
「触らないで」
「立ち上がるお手伝いをさせていただいております…」
「いらない」
「アッ俺より握力強い!?頼もしい!」

 ぎちぎち。ゲンが離さないので真珠も律儀に締め上げたまま立ち、その後振りほどく。そして、皺の寄っていた眉をすいと無に戻し、再び一言口を開いた。

「お疲れ様」
「う、うん、お疲れ」
「皆もゆっくり休んでね〜♪」

 足早に去る真珠にゲンが追いつき、並んで歩いていく。一方的、とは決めつけられない絶妙な距離感だった。

「…相変わらず苛烈だねえ」
「でも二人っきりの時はきっとしおらしくなるのよ」
「ホント、どうやってあのあさぎりゲンを骨抜きにしたんだか」
「ねー気になるねー」

 そんな女子たちの会話を耳に入れながら、片付けを進める羽京は一つ苦笑し瞳を伏せていた。

(寝返ったゲンがパートナーを見つけてたって聞いた時はどうなることかと思ったけど…皆受け入れているみたいでよかった。平和になったんだなあ…)

 娯楽が極端に制限されたこの石の世界において、道化のように振舞うゲンと彼を制裁する真珠のやり取りは一種の見せ物となっている。そう分析し、不本意であろう一方に心を寄せつつも、良い流れを拓いた二人に感謝する羽京だった。

*

「…ね、もう手繋いでいい?」
「いいけど」
「やった〜!真珠ちゃんの手はちっちゃ…い割にガッツリ掴むよね、俺の顔」
「……どうしてあんなに寄ってくるの?村にいた時よりひどくなってる」
「だって皆に自慢したいもん」
「いらない…」
「そんなこと言わないで?ジーマーでやなことは絶対しないって約束するから」
「……」
「はーい到着〜」

 逢瀬の場所に着き、ゲンが先導して真珠を座らせた。ぴたりと横について一つ笑み。袖に手を入れ探りながら言う。

「今日はプレゼントがあるの。何だと思う?」
「…ん…?」
「はい、どうぞ」

 彼女の手の平に乗ったものは、半月型の木製の櫛だった。歯の間隔は広く、まだまだ荒い造りではあったが、それでも再び世界に甦った逸品であり、上部にはしっかりと飾りの花弁が彫られている。
 その細工に彼女は一目で惹き込まれ、意識外に息を呑んでいた。

「これ…なあに?」
「櫛っていうの。この部分で髪の毛を梳いて整えるんだよ。ほら、こう指でやるみたいな感じ」
「ああ…」
「ビックリよね、まともな工具もまだまだ揃ってないのに。復活者の武器を作ってた子の一人がね、元々アクセサリー…装飾品の方に興味があったみたいでさ。女の子たちから頼まれて、色々試行錯誤してるんだって」
「そう…」
「じゃ、後ろ向いてくれる?」

 期待の乗った眼差しを見せ、真珠が黙ったまま指示に従う。ゲンが愛おしそうに彼女の髪をすくい取り、一房残して櫛を入れた。

「…引っかかったりしてない?」
「うん」
「ジーマーでゴイスーね…こんなに細いのどうしてんのかなあ」

 ほんの少しずつ力を加え、ほぐすように。もちろん彼女は普段から身だしなみを整えているが、生まれて十数年潮風に晒され日差しを浴び続けた髪はゲンが思う以上に硬かった。死すら身近な厳しい…壮絶と表現する方が相応しいかもしれない環境。そういうものを改めて感じ取る。

「痛くない?けっこう引っ張ってるけど」
「大丈夫」
「………ああほら、綺麗に通ったよ。触ってみて」
「…ほんとだ…すごい…」
「ねー。よーし、この調子で…」
「ゲン…全部やる時間はないよ」
「正当な理由になりまぁす」
「ならない。…あの、でも…」
「うん」
「……私もやって、みたい」
「いいよぉもちろん。真珠ちゃんの櫛だもの」
「ん…」

 手渡されたそれを真珠はまだ動かさず、じっと見つめ続けている。目を楽しませる目的で道具に何かを施すという概念すら、村にはまだ根付いていないのだ。彼女の感動はどれだけのものなのだろう。
 遅れて気づいたゲンは唐突に胸を詰まらせ、衝動に従って彼女を抱きしめていた。

「!?」

 決して憐れみなどではなく。ありとあらゆる"美しいもの"を彼女と共有し、その初めてと出会う瞳を全て欲しいと思う。

「なに…!?」
「メンゴ…やっぱり最初の一回は全部俺にやらせて?夜にゆっくり…いろんなことを話しながら」
「べ、別に、いいけど…」

 頭に向かって頬ずりされ、真珠の体温がわずかに上昇する。応えるように一つ身じろいで彼に近づき、顔を上げた。

「ゲン…くし、ありがとう。嬉しい」
「どういたしまして。あぁ早く夜になんないかな〜。ここで真珠ちゃんと一緒にいられればあっという間に時間が経つのにな〜」
「他の人に迷惑かけられない」
「そだねえ。んじゃ、名残惜しいけどぼちぼち帰ろっか」
「あの…これ、持ってて。落としたら怖い…」
「オッケー、じゃあ預かっとくね。…んん〜〜〜よいしょっ」

 返ってきた櫛を片手で持ち、もう片手で仰々しく念を送る仕草。その後指を広げて一瞬覆って隠す。次にはもう、両手とも空になっていた。

「これで俺が次に取り出す時まで誰にも見えないし、どこにもいかないからね」
「ん。…ねえゲン、お返し、何がいい?」
「わ、くれるの?嬉しーっ!」
「でも、あの…その、きっと足りない…」
「値段のこと?そんなので価値は決まんないよ。てか形の有る無しだって関係ないからね」
「………そのまま止まって」
「え、うん、こう?」

 馬鹿正直に半端に傾いた姿勢で固まったゲンの肩を押し、真珠が背を伸ばす。
 ヒビの無い側の頬に小さな温もりが灯り、一瞬で広がって彼の全身を温めていた。
 逸らした両目、赤みを増した耳。彼は比較にならない程派手に燃やされて。

「……今すぐ動いて死ぬ程チューしていい?」
「いや」
「普通にチューしていい?」
「いや」
「髪の毛梳かし終わったらお返しに欲しいものいっぱい言っていい?」
「……いっぱいは…少し、困る」
「うん、いいよ、真珠ちゃんがあげたいって思った分だけ」
「…うん」
「ね、ね、もう動いていい?」
「変なことしない?」
「しない!」
「……じゃあ」
「やったー!真珠ちゃん好き!だーい好き!」
「!」

 静から動へ、一度両腕を上げばんざいを決めてから、ゲンは俊敏に再度真珠を捕らえていた。

「しないって…!」
「好きな子ぎゅーってすんのは変なことじゃないでしょ?はぁ、真珠ちゃん可愛い…どうやったら俺が喜ぶか、知ってて分かってないんだもん…ジーマーでずるいよ」
「っ、外でお尻触るのは変!」
「ムェンゴー!流石に調子乗っちゃったねこれは!」
「戻る。ついてこないで」
「はーい」

 すたすたと、もう一度も彼に目線を寄越すことはなく彼女は去っていった。
 つねられた両頬を撫でで労わってから、彼は懐より櫛を取り出す。短く眺め、唇を尖らせて軽く触れた。

「欲しいもの、たーっくさん出来ちゃったなあ。自分で何ともしようがないのがもどかしいとこだけど…まずは杠ブランド初のフルオーダードレスかな。ふふふ、ヘソクリまた貯ーめよっと」

 彼女の"初めて"をいっぺんにもらってしまうのはとても勿体ないから。一つ一つ、努力を尽くして手に入れるぐらいがちょうどいい。
 微笑みを浮かべ、この預かり物を守るべく、彼は律儀にもう一度魔法をかけてから立ち上がった。






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