雨宿り

※付き合うずっと前のお話




「わ、バイヤー!降ってきちゃった!」

 今日の天気は千空ちゃんから聞かされていたけれど、空はその予報ほど猶予をくれず、俺たちをびしょ濡れにしようと大きな雨粒を落としにかかっていた。
 俺は急いで辺りを見渡し、頭の中の地図に従い身を隠せるほら穴を目指した。後ろの真珠ちゃんも黙ってついてきている。
 ぱしゃぱしゃ足音を立てながら目的地に飛び込む。真珠ちゃんが続いた直後、どうっと雨の勢いが一気に増していた。

「あっぶな、危機一髪…真珠ちゃんだいじょぶ?」
「ん…」
「とりま、こんなんで悪いけど拭って〜」

 上着を脱ぎ、裏表を返して手渡すときょとんと戸惑うリアクション。想定の範囲内だったから、こちらの手に戻して頭の水滴を払ってあげた。

「はあい、服もやんないよりマシだからねえ〜失礼失礼〜」
「…ゲン、早く帰らなきゃ。しばらくやまないよ」
「え、ジーマーで?んーでも、ちょーっと惜しいんだよね、仕込みダメになっちゃうの」
「……」
「休憩ってことで、も少し勢い弱まるまでいない?ねっ?」
「そう」

 ほら穴は大人二人が並べるぐらいの広さがある。普段から石神村の子たちに使われている場所だから、獣が寄り着くこともないし火種を置く場所も整っている。今はそこまでする必要はなさそうだけどね。

「もういい。だめになるんでしょ、仕込み」
「裾は流石に何もないよ〜。ハイ、おしまい、お疲れ様」
「……あり、がとう」
「どういたしまして♪さ、座っとこっか」

 採集用の背負いかごを背面に置き、水滴を落として上着をまとい直し、俺たちは腰を下ろしてひと息ついた。真珠ちゃんは立てた膝を抱えて丸まっている。彼女の服装は他の子より露出が少ないからただただ可愛いだけで、他の男といる時にそういう仕草はしてほしくないなあなんて考えちゃう。

「……」
「……」
「……暇してる?真珠ちゃん」
「別に…」
「んじゃ、俺に付き合ってくれる?」
「なに?」
「ダメになっちゃう前に使っちゃえばいい訳。仕込みも、タネも」
「だから、なに…?」
「はいっ!」

 ぱっと手元に花を三本咲かせてみせる。訝しんでいた真珠ちゃんの瞳が開いて、滴り落ちる一瞬前の雨粒みたいに光を取り込んでいた。
 そうれ、ともう一声上げ、今度は花びらを盛大に散らした。景気よく複数回分いっぺんにやったものだから、視界を遮る程舞った。その隙間から驚いたままの真珠ちゃんが見える。心が動いたって、とっても分かりやすく伝わってくる。
 あぁ、今の俺、彼女"が"独り占めしてる。

「あーさぎりゲンのぉ!特別マジックショーの始まり始まり〜♪」
「え…本当にやるの?」
「やるやる。だっていつもは近くに来てくれないんだもん、真珠ちゃん」
「!」
「小っちゃい子たちに譲ってあげてるんだよね。知ってるよ、俺。だから今日はね、そのお礼で、君だけのために」

 右腕を伸ばすと驚きで肩が揺れた。怖がらせないよう少し止まってから、頭に乗った花びらを一つ一つ拾っていく。それを手の平に集めて見せて、握り込む。手首をこちら側に返して早速仕込みを一つ消費。指を広げ、すり替わった貝殻を示すと息を呑む音が聞こえてきた。
 派手なパフォーマンスももちろん好きだけど、俺の真価は対少数のテーブルマジックだったりする。どれだけ近距離で両目を凝らしても仕組みを悟らせない手つき。心理学を絡めた目線誘導や先入観の植え付け。鍛錬は続けていたけれど、このストーンワールドで復活してからすっかりご無沙汰だったこれらの手管を披露する時だ。
 貝殻で代用したコインマジックをいくつか行って、俺は上着の奥に腕を突っ込み最後のタネを準備した。

「…はい、じゃあ今度はこれを引っ張ってみて。ゆーっくりね」
「ん…」

 袖口からちょろりと出た細い紐を握らせて囁く。真珠ちゃんがどきどきと、これまでよりさらに期待を募らせているのが見て取れる。
 マジシャンしててよかったなあ、なんて、血反吐を吐きながら鍛錬を重ねていた過去の俺にブン殴られるような浅い喜びが胸を満たしていく。
 するするする。伸びていく紐には等間隔で革の旗が付いている。それは疲れ切って笑いの沸点が低くなった千空ちゃんに施す予定の横断幕で、ひらがな七文字、「おつかれちゃん」と書いてあった。ただ、真珠ちゃんは字を知らないから、今は袖口内に見合わない容量の長さに驚いているだけだけどね。

「……あ」
「おや〜、これは大当たり!見事引き当てた真珠ちゃんに進呈しましょう♪」
「え、でも」
「このまま濡らしたらカビちゃいそうだし、消費してほしいなあ」

 終わりに括りつけていたのは綿あめの原材料、のカスだった。焦げをそぎ落とした結果小さくなりすぎて、でも直接口に含めば十分甘みを感じることが出来る、とても原始的な飴。真珠ちゃんに手渡すと、しばらくの間ためらったものの小さくお礼を言って食べてくれた。

「これにておーしまい!ありがとね、付き合ってくれて」
「……ん」
「雨、もうちょっとで弱まりそう。ほら、あそこだけ雲薄くて明るくなってる」
「!…………」
「うん?どうかした?」
「…ごめんなさい」
「え!?なになにどしたのジーマーで!?」
「弱まるなら…大して濡れずに済むなら、無駄にした…仕込み」
「ええー、そんなこと俺は微塵も思ってないのに!たっぷり驚いてもらえて嬉しかったよ。だってきっとまた、真珠ちゃんはこの先も譲っちゃうんだもん。違う?」
「……」
「ね、俺、ああやって手元でちょこちょこやるマジックも定期的にやっときたいの。そういうの、大勢相手だと難しいからさ。また真珠ちゃんに見てほしいな」
「……機会が、あれば」
「ふふ、ありがと。じゃあ俺から作っちゃうからお楽しみにね♪」

 空の様子をもう一度確かめて立ち上がる。薄明かりが雲の隙間から零れていて、雨も小降りになっていた。

「行こう、真珠ちゃん。これ逃したらジーマーで動けなくなっちゃう」

 そうしてすぐ近くにあった温もりに手を伸ばし、駆け出していた。
 そんなことをしでかしてしまったと自覚したのは、手の先に不自然な重みを感じてからだった。
 バイヤー!何手握っちゃってんの俺!?浮かれすぎでしょ!?
 なんて内心汗ダラダラだったけど、止まる訳にはいかない。その思いは彼女も同じはずだ。だから振り解けないんだ。
 あぁもっと調子に乗っていい?反射の反応だとしても、されるがままじゃなくて、握り返してくれていることに。二人きりで会う機会を許されたことに。
 もっともっと真珠ちゃんに近づきたい。肩書きでも立場でも利用出来るならやってやる。
 だって俺はこの気持ちを、いつかは成就させるとすでに決めているんだから。






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