7.御前試合

 御前試合。それは村の巫女が十八歳を迎えた年に行われる儀式の一つ。男たちが神に己の強さを示し、最後まで勝ち上がった一人が巫女の夫となり村長(むらおさ)の座を継ぐ。
 コハクの姉にして当代の巫女、ルリも今年で十八となり試合が執り行われたが、実妹の優勝という前代未聞の結果になってしまった。それはルリの身を全く案じないマグマを阻止するための苦肉の策であり、ひとまず半年後に仕切り直しという形で収められた。
 この猶予期間中に現れたのが千空だった。彼は科学の万能薬、サルファ剤の精製に取り掛かる。一歩一歩、加わった仲間たちと共に歩みを進め、残りの材料を手に入れるため、そして今度こそマグマを退けルリの安全を確保するために、総出で試合に臨んだのだった。

*

「……新しい長、巫女のルリ様の夫となるのは……優勝者、千空…!!!」
「……ん?????」
「ええええ〜〜〜〜〜っ!!?」

 出自の分からないよそ者の、それも出場者の誰よりも非力なこの男が残ってしまうとは、神すら予期せぬ事態だろう。
 こんなことになるなんて。こんなはずでは。千空本人を含め、この場にいる全員が全く同時に考える。
 絡んだ因果はあまりにも複雑だった。
 味方は多ければ多い程良いという理由で、試合には千空、クロム、コハク、金狼、銀狼の五人が志願した。初手で金狼はマグマとぶつかり勝利寸前まで追い詰めるが、卑劣な行為により敗退してしまう。コハクも同じく敵勢の思惑に陥り不戦敗となった。
 もう誰にも止められないと思われたマグマを破ったのはクロムだった。彼はスイカの被り物にはめ込まれた凹レンズ、己の汗、覚悟、さらに絶妙のタイミングで乱入した第三勢力あさぎりゲンの助太刀を駆使し、発火現象を引き起こさせ、見事マグマを退けた。一方千空は欲にくらんだ銀狼に攻められるものの、道具を組み合わせた一撃により事なきを得た。
 決勝戦、クロム対千空。ここで千空が降り、誰よりもルリを想うクロムが優勝することで、最高の結末となるはずだった。しかしマグマ戦で死力を尽くした彼の意識はついに途絶え、試合が始まると同時に戦闘不能の判定が下された。
 そうして話は冒頭に戻る。
 よそ者に村を奪われていいのか。彼は正当な試合を経て勝ち残ったのでは。意見がぶつかり場が騒然となっている。しかし、ミカゲはこの騒ぎに加われていない。まばたきを忘れてしまったかのように両目を丸に固定し続け、呆然と一団を眺めていた。
 "結婚"。どよめき。"離婚"。絶叫。機能が麻痺したミカゲの耳に、二つの単語がするりと抜けていく。

(…だ…誰が…誰と…!?)

 巫女が、優勝者と。

「けっ、結婚して離婚!!?ルリと千空が!!?」

 一旦静まりつつあった場に最後の叫び。そこでようやく彼女は我に返る。
 訝しむ視線たちの中に、一つ毛色の違う眼差しがあった。未だ病に蝕まれながらも、それでも憑き物が落ちた微笑みを浮かべるルリだった。
 彼女は駆け出し、親友を抱きしめた。

「ミカゲ…!あぁ…もう一度こうしてお話し出来るなんて…!」
「ルリ、ごめんなさい、今まであなたを放ってしまってごめんなさい…!」
「いいえ…あなたはずっと遠くからでも、何度も姿を見せてくれたじゃありませんか。だから御前試合の今日まで…頑張れました」
「ええ、ええ…!ねえルリ、あなた本当に千空と…その…」
「はい、あっという間にバツイチです」
「バ、バツイチ…」
「ふふふ、本当に…なんにも分からないうちに」

 悲壮感などない、満足げな声色。理由を察し、ミカゲがルリの背を大きく撫でた。

「そうだ、ミカゲ。行かなくていいんですか?」
「えっ?」
「コハクたちがお酒を持って走っていってしまいましたよ」
「!!そ、そうお酒!それがあれば!ルリ、行ってくるわ!もう少しだけ待っていて、私も頑張るから!」

 終始取り乱し最後は全力疾走していったミカゲの姿に、村人たちは唖然としている。その中で、場違いなルリの笑い声が一つ響いていた。

*

「おおミカゲ、来たか!」
「はぁ、はぁっ……じ、状況は…!?」
「カセキとコウモリ男は川にいる。千空とクロムはラボで、私はこれから海に…」

 がちゃん。
 甲高い騒音、続けてクロムのお決まりの口癖。反射的にミカゲが再び駆けた。
 ラボまで辿り着けば、男二人が床に注目していた。その視線の先には落ちて砕けたフラスコがあった。

「あっ、た、大変!」

 何を判断したのか、ミカゲが破片に手を伸ばしていた。ぎょっと男たちが顔色を変え、先に千空が動く。

「オイバカ触んな!」
「!!」

 寸でのところで彼が手首を掴み上げた。安堵の表情になった男たちと散らばるガラス片、そして自身と千空の腕をそれぞれ見比べ、少しずつ彼女が平静を取り戻していく。

「あ…ガラス……ごめん、なさい…」
「はぁ……ちったあ落ち着いたか。クロム、テメーも焦んな。ここでしくったら今までのあれそれが全部パーになんだろが」
「お、おお悪ぃ…千空の言う通りだぜ」
「ええ、その、二人ともちょっと…一度深呼吸しましょう…」

 すうはあと、何故か千空まで巻き込んで大きく呼吸を繰り返す。ミカゲとクロムが頬を軽く叩く仕草を同時に見せ、三人は向き合った。

「よし、もう大丈夫よ。千空、止めてくれてありがとう。掃くものを持ってくるから踏まないよう気をつけて。他に何かいる?」
「火だな。外で起こしといてくれ」
「任せて」

 次の目的地は備品置き場。竹箒とちりとり代わりの欠けた素焼きの皿を探しながら、ミカゲがまた一つ大きなため息をつく。

(みっともないところを見せてしまったわ…はぁ、挽回しないと。それにしても……そうよね、千空もクロムも、まああと銀狼もだけど、もう結婚出来る歳、なのよね…)

 火を煽るための竹筒も抜き取り、腋に挟み込んだ。

(千空の手…大きかった。それに、働く男の人と同じように硬くて乾いてた。クロムもきっと同じ…銀狼や、他の子どもたちだって、順に大きくなっていく…。私やコハクもどんどん歳を重ねていく。そこにルリも…これからも一緒に、ずっと一緒に…!)

 過剰に恐れ、考えることを放棄していた未来。だから彼女は無意識に、自身に集う人々をいつまでも幼く扱っていたのかもしれない。
 それを彼女が自覚することもないまま、どこかで止まっていた時がほんのわずか、再び動き出そうと身を震わせ始めていた。

(……あら?そういえば…巫女様のルリがまだ結婚しないとなると、他の人の縁談ってどうなるのかしら…?)



  

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