夜の空の仕上げ

 図らずも公開プロポーズとなった例の件のそれから。千空とミカゲは早速里帰りした巫女を証人とし、婚姻の議を執り行った。
 結局村に滞在した期間は長くなく、ガソリンやそれを動力とするボートが完成すると、彼らの拠点は再び本陣へと移った。大衆の質問攻めから逃げるように海へ飛び出した千空は、電波通信を介し石化の黒幕と思われる存在、"ホワイマン"との接触を果たす。しかし情報はそれきりであり、議論の結果、当初の予定通り帆船製造に全力を注ぐことになった。
 決起集会と、きっと最初に言い出したのはゲンだろう。冬は目前だが反対意見は出なかった。こうして科学王国は石神村に留まる人々の運送すらやってのけ、リーダー夫妻を祝う大宴会が催された。

*

 虫の音ももうまばらで、じっとしていると冷えを感じる夜だった。初雪もまもなくだろう。
 千空が羽織った上着の位置を調節し、小さくあくびした。まばたきを繰り返して広げた資料に焦点を合わせ直す。と、背後に気配を感じ、首を動かしそちらに目をやった。

「まだ起きてるの?冷えるでしょう?」
「ん、いや」
「問題があったの?こんなの持ち帰って」
「ただの情報整理だよ」
「ふうん?」

 現れたミカゲが隣に腰を下ろしていた。造船の設計に大した興味はないが、水を差すつもりもないようで、静かに彼を眺めている。

「ん」
「いいわよ、そのまま使って」
「寒ぃだろ」
「え、まだまだ平気よ」
「…俺が寒ぃ。暖取らせろ、どうせなら」
「あっ、は、はい」

 上着を二人で共有して、その分風を通すようになってしまうから、もっと近づいて温もりを与え合って。

「気が利かなくてごめんなさい」
「いや」
「……そうじゃなくて。えっと…してもいいのね、"こういうこと"」
「…おー」
「分かったわ。それじゃあ、遠慮しないから」

 ミカゲが柔らかに微笑み、宣言通り両の手を彼の左腕に巻きつけぴたりと密着した。
 いちいちときめいてしまうのは、きっと心の着地点をまだまだ探している最中だから。そして、そんな状態も悪くない。

「あ゙ー、腕、は空けてえ」
「あ、やだ、また」
「ちーと待ちやがれ…」
「……」
「やっぱ前か?ほら来い、ここ」
「遮ってしまわない?」
「トライ&エラーだろ、何でも」
「それもそうね」

 ごそごそと物音を伴い、再度二人が動く。千空があぐらを組む足を広め、ミカゲがその中に収まった。ちょうど彼の左半身が彼女の背中に重なる。気が向けば全部で包み込める。

「どう?」
「良好だがそのうち足が痺れっかもな」
「じゃあ邪魔しないわよ、出る」
「寒ぃって」
「んー、なら後ろから抱きしめるのは?」
「次試せ次」

 それきり黙り、千空は二枚の図面を何度も見比べ片方に印を入れていった。ミカゲも同じようにペン先を追っていたが、どう目を凝らしても相違点が分からなかったので、すぐに飽きたようだった。
 残った虫たちが、次の朝日を拝むために土や葉の奥へ帰っていく。
 彼の手が止まったのを見計らい、彼女は口を開いた。

「毎日お疲れ様、千空」
「あ゙ぁ」
「あなたはいい子ね、本当に…ずうっと誰かのために頑張ってる」
「ガキ扱いすんな」
「してないわ。皆、いい子よ」
「……」

 限られた範囲の中、器用に身を反転させる。目を合わせて一つ笑いかけてから、胸板に片頬を当て強く抱いた。

「あなたは私の特別。どうか無理はしないでね…」

 ばさ、ばさと、上着がずり落ちて、設計図も手から離れていく。
 後ろ向きな意味ではなく、何も答える気にならなくて、彼は数回うなずき彼女の背に触れた。

「……やっぱこれだろ、最適解の体勢」
「そうね。でも一番は仕事を持って帰らないこと。切り替えが大事よ?」
「分ーってるって。んじゃ寝るか」
「ええ」

 寝床はすでに整えられており、先に到着した千空が早速横になって何度か身じろいだ。
 杠を始めとした手芸チームが快適な寝具作りに精を出しているらしく、村人の知恵も取り入れた改良品を都度彼らの元に送り込んでいる。曰く、結婚祝いとのことで、断る理由もないので有難く受け取り、代わりに使用感を伝えていた。

「マジで新作の度に保温性が増してくな…いい仕事しやがる」
「なぁに?」
「うお、いたのか。とっとと入んな、ぬくいぞ」
「はいはい待って」

 暗闇の中ほのかに浮かぶミカゲの表情は、一日の中で一等慈しみに満ちていた。
 ふわりと頭をひと撫でされ、彼女が屈んでくる。

「おやすみなさい、よい夢を」

 そうして彼の額に仕上げの温もりを灯してから、隣に潜り込んだ。

「あらほんと…前よりさらに暖まるわ…。これをたくさん作ってご隠居たちにも渡したいわね…ふぁ…」
「おやすみ」
「ん…」

 まもなく訪れる静寂。千空が眠気と戯れながら、最後に一人考える。

(してるよなあガキ扱い。それか、家族にやる行為っつう定義なのか、村ん中では…?)

 就寝前の挨拶のキスを、彼女は共に暮らすようになってからほぼ欠かさずこなしている。初日、当然彼は驚いたが、彼女の方もその反応にずいぶん衝撃を受けてしまい、慌てて嫌悪感は一切ないと付け足した。赤の他人が一緒になる実感というものをすぐさま経験出来たのは幸いだったと思う。

(百夜が遺した…?自然に発生した慣習…?こいつん家特有…?まあ、そのうち聞くか…)

 探り当てた彼女の手を握ればとたんに意識が重くなる。何よりも安眠をもたらすこの熱に心の中で感謝して、千空は思考を一旦中断させた。
 凍てつく冬が迫っている。けれど、誰一人何も恐くない。



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