花一輪交わして

 石神村の戦士、金狼と、石化復活者、珪の出会いは戦場だった。
 科学王国が奇跡の洞窟に奇襲を仕掛けた際、珪は他の協力者と共に草陰に控えていたが、最後の総力戦に巻き込まれる形で表に現れた。立ち回りを判断する暇もなく、彼女は吹き飛ばされてきた男と衝突し、共に地面に打ちつけられた。その男が金狼だった。
 彼は急いで己と彼女の身を起こし、短く謝ってから前線へ戻っていった。痛みと恐怖に翻弄され、彼女は後ずさり、立ち尽くしてしまう。そのうちに戦闘は停止し、結果人と刃を交えずに済んだ。
 何も出来なかった醜態を打ち消そうと、彼女は怪我人の手当てに奔走する。その中で先程の背中を見つけ、声を掛けていた。彼もすぐに気づき、互いの身体を労った。
 後日、金狼は再び珪を訪ねた。弟の助言に馬鹿正直に従い花を一輪手にして。あの日下敷きにしてしまった謝罪を改めて行うだけのつもりだったが、花に視線を固定し目を丸くする彼女の反応を前にして、弟の余計な世話をやっと理解した。
 彼は恥じたが、恥ずかしいだけだった。しかしそのささやかな違いを知らないまま、全霊を込めて頭を下げた。
 彼女に拒む選択肢は生まれていなかった。しかし花は投げ捨てられ、受け取ることが出来なかった。
 心のどこかの出っ張りを押し込むには、十分過ぎる一幕だった。

*

 大型帆船の建造が生活の大きな軸となり、季節は駆け抜け、全ての雪が溶け去った。
 珪は武器を持つ日を大きく減らし、最低限身を守る術だけ習い、残りは科学王国の一員として集団の基盤を支えていた。この頃には製紙業に納まり、開校したばかりの青空教室に出入りするようになっていた。
 ある日、彼女は金狼がそこに参加していることを知り、授業の終わりを見計らって話しかけた。

「金狼」
「!…珪か…」
「金狼も字、勉強してるんだね。えと、最初は覚えることたくさんあって大変でしょう?分からないことがあったら何でも聞いてね」
「い、いや、結構だ!」
「!」
「疑問点は教師に質問するべきだろう。役割の異なるお前の手を煩わせる訳にはいかない」

 彼は教材を束ねながら勢いに任せて言い放つ。だから、珪の眉毛が力なく下がっていることを見逃してしまった。

「……ん、そっか。差し出がましいことしてごめんね…色々」
「…?」
「じゃあ、頑張って」

 顔を上げた時には彼女は走り去っていて。結局眼差しも声の行く先も交わらず会話は終わっていた。
 金狼が黙ったまま呼吸を整えるように息をつく。
 おそらく喉、空気が通る道のどこかにいつの間にか小石が埋め込まれ、時折じくじくと存在を主張していた。その症状がひどくなってしまう、彼女と時を共有すると。

(俺は科学王国を…彼女たちを守る戦士だ。ボヤボヤ病の件で痛感した。心身の不調はきっちり解決すべきだと。だが…)

 彼女の瞳を捉えないことがその場しのぎの解決法でしかないことも分かっている。しかし、根本を断つ方法を特定出来ていないことも事実だった。村に新たにもたらされた技術、科学も範疇の外だろう。

「ん?これは…」

 持ち場に戻ろうと歩み出して、何かが落ちていることに気づき拾い上げる。鳥の羽を加工して作ったペンだった。金狼の中で、これを愛用する心当たりは二人、羽京と珪。そして羽京は今日この辺りを横切った覚えがないため、持ち主は自然と珪に絞られていた。
 少し迷って、彼は直接手渡すことを決めた。治療法がないのであれば、この痛みから逃げるのではなく、痛んでも何食わぬ顔で耐えられるよう、もっと向き合うべきではと思った。
 製紙場で珪の行方を訊ねたが、まだ戻っていないという。交代の時間になれば当然会えるが、それだと少しも話せないため、彼は陣営内を探すことにした。

(さて、どこから当たるべきか…)
「おっ疲〜金狼ちゃん!鍛錬場以外で見かけるのめずらしいね。何かあった?」
「ゲンか。その…忘れ物を珪に届けたくてな。どこにいるか知らないだろうか」
「珪ちゃん?メンゴ、分かんないなあ」
「お困りごとなんだよ?」
「スイカちゃん、いいとこに。珪ちゃん見なかったかな〜?」
「珪ならさっきニッキーと浜辺の方に行ったんだよ!」
「ワオ、さっすが名探偵!…ん?ニッキーちゃん?」
「分かった、感謝する」

 目的を果たし、金狼が足早に去っていく。その背中を見送る二人の内、男の方は顎に手を添え何やら思案しているようだった。

「…ゲン?」
「あっ、んーん、だいじょぶよ」
(いい方向に転がるきっかけになりそうかな…多分)

*

 情報を得た場所に到着した金狼だったが、珪たちは見当たらなかった。日差しを避けられる場所に目星を付け、さらに移動する。その読みは正解のようで、砂浜から少し離れた茂みに二人分の気配があった。
 そして彼は無意識に聞き耳を立ててしまう。

「……珪…アンタ…」
「正直つらいな。楽になっちゃいたい」
「!?おい早まるな!!」
「!!?」

 持ち前の身体能力で残りの距離を一気に詰め、二人の元へ金狼が現れる。突然の第三者に珪とニッキーはひどく驚き固まっていたが、彼は一切意に介さず珪の両肩を掴みかかっていた。

「考え直せ!!お前がいなくなればどれだけの人が悲しむと思っている!?」
「!?…!?」
「ちょっ、金狼!?」
「今すぐ撤回してくれ!頼む!!」
「いや何か変な方向に解釈してないかいコレ!?だーっもう!一旦離れな!」

 まだ動けない珪の代わりにニッキーが腕を伸ばし、金狼の額を鷲掴んで押しやった。様々な力がぶつかり合い、金狼と珪はそれぞれ重心を崩して倒れ込んでしまう。急いでニッキーが珪に寄る。

「大丈夫かい!?悪かったね…」
「う、ううん…」
「何で金狼がこんな所に…いやそれよりアンタ、一体何を勘違いして珪に迫ったんだい全く」
「せまっ!?い、いや、そうか、俺は何てことを…!」

 うろたえる金狼も、うつむく珪も、そしてその二人を見比べるニッキーも、各々別の理由で頬を赤く染めている。妙な空気が場に満ち誰も言葉を発せない。
 やがて、珪が控え目に視線を上げ、それを受けた金狼の肩が跳ね、ニッキーは思わず両手で口元を抑えていた。
 緩慢な動きで金狼の首がニッキーの方へ動く。だらだらと汗を流しながら、彼はやっとのことで口を開いた。

「…ニッキー…俺を殴ってくれ…全力で…!」
「はあ!?バ、バ、バカ言うんじゃないよ!」

 空気がもう一度弾け散る。

「アタシにそんな無粋な真似しろってのかい!?」
「何故だ!?婦女にむやみに触れるなど男として最低の行為だろう!?」
「今のは例外でいいんだよ!大体ねえ金狼、詫びたいならこの本人に向かってやるのが筋ってもんだろう?」
「ハッ、た、確かに…」
「アタシは行くからね!しっかりやるんだよ!」
「ま、待ってくれニッキー…!」
「くどい!」
「うっ!?」

 すれ違いざまに軽いげんこつで制裁を済ませ、彼女は大股で遠ざかってしまった。
 残された二人は黙って見つめ合う。飽きもせず。彼らも把握していない、そういう小さな願いがこれまで一度だって果たされてこなかったのだから。

「……」
「……」
「……えと、あのぉ…」
「!す、すまん、呆けていた!」

 やっと我に返った金狼が慌てて土下座の姿勢を取る。珪の顔色がまた一段階蒼白になってしまう。

「金ろ」
「先程は衝動に身を任せてしまった。気の済むまでなじってくれ」
「もう!やめてよ!私のこと心配してくれたって分かってるから!」
「あ、ああそうだ、とにかく考え直せ…!」
「だからそういう意味じゃないってば…。あのね、金狼、落ち着こう、ちゃんと」

 それきり珪はつぐみ、少しの時間が流れた。伏せていた金狼が、自分が動かなければ事態も前進しないとようやく思い至り、ばつ悪そうにしつつも背を正す。何度かのまばたきを見届けてから、彼女は会話を再開した。

「楽になりたいって、命を捨てたいって意味じゃないよ」
「……」
「仕事がきついって訳でもない。…まあ、悩みがあるのがしんどいなって話」
「……それを…ニッキーに相談していたんだな。なおさらすまなかった。立ち入った話に乱入してしまって」
「ううん…。それよりどうしてこんなところに?」
「ああ、そうだった…これを」
「あ…羽ペン…落としちゃってたんだね、私。わざわざありがとう」
「……」
「金狼?」
「っ、いや、礼には及ばん」
「……製紙場の誰かに預けてくれればよかったのに」
「はっ?」
「あ、その…何か、あなたの時間を潰した上に変な誤解をさせちゃったのが申し訳なくって」

 潮風に舞わないよう顔横の毛を押さえ、珪が静かに告げた。
 金狼の喉に埋まった小石がうずく。やはり、彼女といると。彼女が唇を開き、可憐な声で言葉を紡ぐと。けれど、今回の痛みはひたすら刺々しく、そこでやっと、今までのそれはどこか心地良い惑いを含んでいたと彼は知った。
 不意に珪がうつむき、拳を胸元に押さえつける仕草を見せた。

「どうした?どこかを痛めてしまったか…?」
「……」
「ちゃんと教えてくれ。痛むなら人を呼んでくる」
「違う…ちょっと、びっくりしただけ…」
「?」
「……そんな顔するとは思わなかった…」
「俺のことか?珪、悪いがもう少し要点を話してくれ。俺はその、言葉の裏を読み取るのは得意でない。知っているだろう?」
「……そう。……あのね」

 ためらい開かれた彼女の瞳は、無知な彼に本能で伝わってしまう程切ない熱を孕んでいた。

「っ…?」
「あなたは、今の状況で恋愛事にうつつを抜かせる?」
「!?」
「……」
「……」
「…ごめんね、変な質問。悩み相談のつもり」

 痛みをたたえて笑うから。一番に守りたいと思う彼女のその表情を、否定したかった。
 金狼が顔を逸らす。珪がさらに力む。
 運命と呼ぶ概念が存在するのなら、今、間違いなく彼はそれを引き寄せる。

「これを!」
「え……あ…」

 再び向き合った金狼の手には、小さな小さな白い花が一つ乗っていた。

「う、うつつは抜かせん!だが……誰かを想うことを禁じるルールは存在しないはずだ」
「!!」
「お、俺は……俺は、お前を特別な女性だと定めている!おそらく!でなければこの症状に説明がつかん!………迷惑、か…?」
「……」

 ぽろり。
 ずっと丸くしていた彼女の熱い瞳から、何かが溶けて涙となって、一粒二粒零れ落ちた。
 ぽろり。
 彼の喉に埋まっていた小石が、激しい収縮運動に負けて外れて落ちた。そして底であるどこかに辿り着き、異物に驚いてびくりと全身を震わせた。

「ううん…迷惑じゃない…!」

 彼女の痛みがみるみる癒えていく。望んだ本物の笑顔と共に煌めく光を放ち始めたように錯覚して、彼は気圧されさらに唾を飲み込んでいた。

「嬉しい…!私も、あなたが好き!」
「!!」
「えへへ…楽になれちゃった。伝えたらいけないなって、勝手に決めつけてたから…」
「……」
「…お花、もらうね」
「あ、ああ」

 主に彼のせいで、またしても視線を交えることが難しくなってしまったが、全ての理由を知った彼女が傷つくことはもうない。

「ねえ…金狼はどうして私のこと好きになってくれたの?」
「…そ、れは……その…」
「…ごめん、分かんないよね、そんなの。私も似たようなものなのにね…。でも、えっと、ちゃんと好き、なんだよね?」
「無論だ!何というか、今言葉にしたことで腑に落ちたし、お前も同じ気持ちで…嬉しい」
「うん…」
「ただ、俺は、その、繰り返すが"こういったこと"を第一には出来ん。女の理想とは程遠い男だろう。それでもいいのか…?」
「うん、平気。理想なんて人それぞれだから。私はあなたがいいの。それにね…羽目を外さない程度に仲良くするのが恋人のルールだよ、きっと」
「!?」
「ちゃんと守ってくれるでしょ、あなたなら。ね、金狼?」
「……ぜ、善処、する…?」

 珪が心からの笑みを再度浮かべ、金狼の頬が一層赤を増した。
 気まずくもあり、このまま愛でていたいとも思う沈黙を経て、彼が立ち上がる。唇を真一文字に結び、眉間に皺を寄せながら、それでも意思を込めて右手を差し出した。重なった温もりをしっかりと握り、まだ誰も立ち入らせていなかった間合いへ招き、覚悟と言う名の行動力を奮い立たせる。

「…金狼?」
「…っ!これは!ルールだ!」
「えっ…!?」

 ほんの少しの力で引くだけで、珪の身体は傾いた。それを止めるため、金狼が一歩踏み込む。完全に間合いはなくなり、彼女は灼熱の胸の内に強く強く収められていた。

「…っ…!」
「……え……うぁ……」
「……」
「……」
「っ、ぐ、限界だ!」
「……」
「…珪?珪、どうした!?所作や作法を間違えてしまっていたか!?」
「……えと、まあ……あはは……流石にちょっと、その、時期尚早、だったかなあ…?」
「!!」

 金狼が全力で頭を下げ、珪が羞恥を追いやり必死にそれを止めながら。いつかの場面の再現のようだと二人は思った。
 けれど、あの時とは様々なことが違う。金狼は自らの意思で花を贈り、珪は彼の不器用な情を全て理解した。
 彼がルールという一種の言い訳に縛られなくなる日を楽しみにして。彼女は汗にまみれた両手を取り、みたびの輝く笑顔を浮かべていた。





*****
「両片想いな2人が、告白して互いの想いを知るまでの話」でした。
リクエストありがとうございました。




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