科学館で会った人だろ

 特定のシチュエーションに身を置くと呼び起こされる記憶や浮かんでくる単語ってものがあると思う。
 私の場合、少々特殊だった。それは、夕焼けを眺めていると頭の中に現れる"緑"。その色の何か物体、とかではなく、ただただ"緑"なのだ。
 理由はもちろん分からない。夕焼けから連想する事柄を一つずつ辿ってもどれもしっくりこない。時が経つにつれその謎について考える頻度は落ちていき、けれど完全に忘れることもなく、私は高校生まで成長していた。
 四月も半分が過ぎ、長くなった通学時間や授業にも慣れ、順調な滑り出しを果たせた自負があった。クラスメイトの顔と名前もぼちぼち一致し、他の同級生に目を向ける余裕も生まれ始めた頃、事件は起きた。

「よーし、あとはこれだけっと…」

 家庭科室の掃除を終え、私は一つにまとめたゴミ袋を持って廊下を歩いていた。この作業は週一で回ってくるんだけど、今日担当の子が用事があるということで、明日の私と順番を入れ替えていた。
 通る道は同じでも、曜日が違うと雰囲気も別のものだなあ。…おや。

「あれ、珪じゃん。こんなとこ通るなんてめずらしいね」
「いつもはゴミ捨て明日だけど、今日だけ交代したの」
「あーそれでか」
「さっさと済ませてくる〜」
「はーい」

 備品を漁る美術部の子とやり取りを交わし、校舎の出入り口に進む。ちょうど男の子が一人入ってくるところで、お互い道の端に寄りながらすれ違った。
 学生なのに、白衣にネクタイ?ああ科学部の人か。でもネクタイ?てか何かそれ以上にすごい出で立ちだったような。

「……テメー!!」
「ひっ!?」

 いきなり上がった大声に体が強張る。次に右肩を掴まれる感触がして、さらに驚きゴミ袋を落としてしまった。

「んぎゃあ何!?誰!?」

 感触を振り払って身を反転させると、つい今しがたの男の子が眼前に迫っていた。
 天に向かって逆立つ髪に赤い目。不良としか思えない礼儀知らずの二人称。なのに格好は不快感を与えない程度だけ着崩した白衣。
 彼は興奮する両の瞳をさらにかっ開き、続けて言った。

「2011年8月6日に科学館で会った奴だろ!あ゙ぁそうだテメー間違いねえ!!」
「はぁ!?なになに怖い怖い怖い!」
「テメーがあん時理解出来てなさそうだった展示の解説してえと思ってたんだよずっと!オラ来い!」
「きゃー!先生不審者ー!てか君入学式で代表挨拶してた!?」
「石神千空!」
「そう石神くん!ちょ待っ、待って待ってどこ行くの!?離してよちょっとー!石神くーん!!」

 強引に腕を持っていかれ、共に走る他にない。そうして私は美術部員および通りすがりの生徒の視線を派手に集めながら、嵐の如く階段を駆け上がる羽目になっていた。

*

「……つう訳だ。理解したか?」
「………いや…その…夕日が赤いのは赤が遠くまで届く最後の色だからってのは分かったけど、多分」
「ククク、100億点やるよ」
「そうじゃない!初対面の女子を拉致とか非常識にも程があるでしょ君!?」

 放課後の廊下で突如絡んできた同級生、石神くんが私を連れ込んだ先は化学室だった。
 私は大きな黒板の前に座らされ、かつかつと板書を進める彼にここまで口を挟めず小さくなっており、その反動でつい声を荒げてしまう。いや正当な権利のはずだ。
 彼は怯むどころかきょとんと理解していなかったけど、すぐにデフォルトらしい悪い目つきになって口の端を吊り上げる。

「2011年8月6日に科学館で会ったっつっただろ。初対面じゃねえよ」
「何それ!?えと、はち…七年前!?」
「首ひねりながらつっ立ってただろ。"いろんな空の色、夕焼け"のパネルの前で」
「科学館…?空の色…?」

 妄言とは一蹴出来ない具体的な言葉に、私の脳は記憶をさかのぼり始めていた。
 七年前の八月…小学校二年生の夏休みだ。科学館には四年か五年生の時に学校行事で訪れたことがある。でもそれより前?確かに親は定期的に子ども向けの施設に連れていってくれたけど…。

「覚えてねえのか?」
「待って…思い出してる……」

 科学館…空の色…夕焼け……夕焼け、そう、やっぱり緑…緑?

「……緑……あっ!あーっ緑緑緑!!」
「!?」
「いたーっ!緑!!」

 叫びながらずびしと石神くんを指差せば、過ぎし日のあるワンシーンが頭の中に広がっていた。
 母に呼ばれ、歩き出す私。流れる視線の先に男の子がいて目が合う。さっきまで眺めていた夕日の写真よりもっと赤の瞳、そして先に行くにつれ濃く染まる逆立った緑の髪の毛。めずらしい組み合わせだなあと思いながら、私は最後まで男の子を追い続ける。そして母の手を取って父の元へ向かう。
 奇妙な連想の謎がついに解け、彼と私の情報が繋がり、両腕に鳥肌が立っていた。

「君が"緑"かあ!」
「何だァ?」
「思い出したってこと!」
「ほーん、そりゃ結構。こっちも長年残ってたタスクがやーっと片付いて万々歳だわ」
「え、そんなに気にしてくれてたの?…誰彼構わず声かけて解説してきたってこと?君は」
「してねえ。それは俺がやるべきじゃねえ」
「ええ?じゃあ私は…?」
「ガッツリ目ェ合ってたからな」
「ふうん…?まあ、それだと当事者同士になるってことかな…?」

 ずいぶんぶっ飛んだ人だと恐れていたけど、どうやら好きなものに興奮すると眼力が強まり黒目…赤目か、が小さくなるタイプということらしい。私との間に流れる空気が落ち着いた今、その姿は他のクラスメイトと変わらない同い年の少年だった。
 そんな彼が、七年間も名も知らぬ私を記憶し、もしかしたら折を見て探していたのか…。字面だけだと少女漫画のときめく場面だろうけど、こうして現実で起こるとやばさが圧勝だよ…。変な縁が出来ちゃったなあ。
 でも、普通の状態でこうやって黙っていると、かっこいい人なんだよなあ。顔のパーツ一つ一つがどれも整っていて、瞳の活力がすごくあって引き寄せられるというか。
 …何で私たち見つめ合ってるんだっけ?

「…えっと。もう解放してくれるんだよね?」
「おー」
「そうだゴミ袋どうなった………あっ、あの子が捨ててくれてる…」

 届いていたメールを確認し、私は深く息をついてから再度彼を指差した。

「それじゃ石神くん、一緒に謝りにいってもらうよ!今!」
「あ゙?」
「関係ない人に迷惑かけたんだから。とりあえずついてきてよね」
「しゃあねえな」
「ああ、あと言ってなかったね、名前、私」
「珪だろ」
「っ!?」

 男の子に下の名前を呼ばれるなんて、多分初めてのことだ。だからこんなにギクリとしてしまったのだろう。

「さっき美術部の奴が呼んでた」
「……」
「んで、俺は千空」
「いや知ってるけど」
「違ぇ。テメーが珪なら俺は千空が筋だろ?」
「え待って、名前呼び確定?君やっぱり飛んでるね…」
「んだそれ」
「分かった分かった、いいよ千空くん。だからほら、行こ?」
「ククク」

 嬉しそうに笑ったのは、自分の思い通りに全ての事が運んだからか、私に名前を呼ばれたからか。
 変な縁から不思議な縁になったことを自覚する。すぐ面白い縁に収まるんだろうという確信もある。
 順調な滑り出しは急転直下のジェットコースターだ。彼が加わることで、私の日常は誰も真似出来ない刺激的なものに変化するに違いない。嫌な気分ではない、少なくとも今のところは。

「そうだ、一つ気になってたんだけど」
「ん?」
「何でネクタイなの?」
「趣味」
「…あはっ、そっか、ネクタイしちゃ駄目な校則ないもんねえ」

 自然に笑いが零れて、"こういう人なんだ"と受け入れたのがきっと答えだ。




※タイトルオマージュ元:P-MODEL『美術館で会った人だろ』




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