34.予知

「……あれ…?」

 何の脈絡もなく見慣れぬ景色の中に立っていたことを自覚し、アンヘルはその場をぐるりと見渡した。岩肌、高い天井、そしてそれらを包み込む白いもや。霧がかった洞窟らしい。

「セオドール?」

 呼びかけても返事は無い。両の瞳は彼を求めるが、不安だとか恐怖だとか、そういう類の感情は芽生えていない様子であり、ただただ不思議そうに辺りを歩き回っていた。

−………聞こえますか?−
「!」

 洞窟内に声が響き、アンヘルが顔を上げた。初めて耳にする女性のそれに、彼女はこくりと返事する。

「うん、聞こえるよ」
−あぁ……やっと、届いた−

 風が巻き起こる。白い霧が一つの意思の元集結し、凝縮し、輪郭を作っていく。首の長い、なだらかな曲線を描く大きな竜だった。
 顕現した竜が、先の女性の声で話し出す。

−我が同朋よ……どうか、お願いです…−
「うん…なぁに…?」
−力を…貸してほしい……世界の裏側へと続く……島へ…−
「島…?そこに行けばいいの?」
−娘に……力を………−
「あっ…」

 再び風が吹き荒れた。霧の竜が一気に崩れ、アンヘルの視界は白で満たされた。

*

 定刻に起床したゴルベーザは、隣のアンヘルが何やら言葉になりきれない寝言を呟いていることに気づき、何気ない日常の一幕に胸を暖めながら静かに見守っていた。

「んっ……うぅん……」
「おはよう」
「……んぅ……朝…?」
「そうだな」
「んん〜〜っ!」

 いくらか目を擦り終えた彼女が起き出し、力いっぱい伸びをして一息。それからにこりと笑いかけた。

「おはよう、セオドール」
「あぁ。…夢を見ていたのか?」
「え?あ、うん…そっか、夢か。ほんとの出来事みたいだった。白い霧の竜が出てきたんだよ」
「…何?」

 穏やかだったゴルベーザの眉間がぴくりと反応する。
 アンヘルはそのことを知る由もなく、髪の毛を整えながら続けた。

「しかもねぇ、わたしに話しかけてきたの。力を貸してほしいって」
「他には?」
「んー……わたしのこと、"我が同朋"って呼んでたよ」

 直感が彼の背筋に悪寒を走らせる。ある種の確信が生まれ、やや語気を強めて改めて問うた。

「その竜が語ったことを全て教えてくれ」
「え、えぇと、待ってね…。……"やっと届いた"…"我が同朋よ、どうかお願いです"って。それでわたし、何?って言ったの。そうしたら…えっと……"力を貸して"…"世界の裏側へと続く島へ"って…」
「!」
「あとは……そう、最後に、"娘に力を"って言ってたよ」

 ゴルベーザの双眸がさらに開く。アンヘルは醸し出される気迫の理由が分からず、遠慮がちに言葉を継いだ。

「へ、変な夢、かな…?」
「いや、そうではない」

 彼が近づき、衝動のまま彼女の両肩を抱く。

「アンヘル、よく聞いてくれ。その白い竜はミストドラゴン…私の知る召喚士が使役する幻獣だ」
「えっ!?夢のお話じゃないの?」
「確かに信じがたい現象だが…幻獣が夢を通し、そなたに助けを求めたに違いない」

 アンヘルがごくりと唾を飲む。と同時に、二人の間から場にそぐわない鳴き声のようなものがきゅうと上がった。
 それが止んでから少しして、アンヘルの顔にぼっと火がつく。

「ご、ご、ごめんなさい…!」
「いや、すまぬ、私が悪かった。先に食事にしよう」
「うぅ…恥ずかしいよぉ…!」

 そう言い残して逃げてしまった彼女に思わず笑みが零れた。しかしその次には唇を真一文字に結び、唐突に眼前まで距離を詰めた現実と対峙するよう、瞳を鋭く細めていた。

*

 食事の合間にゴルベーザは語って聞かせた。ミストドラゴンの主である召喚士は、かつて肉親のセシルと共に彼と戦った一人であると。竜が言った島とは世界の裏側、すなわち地底へと通じる道を唯一持つアガルトのことであり、召喚士が滞在しているに違いないと。
 アンヘルは突然の情報量に呆然としていたが、地底で一国を築くドワーフの存在を続けて話してやると、そこで本の知識と繋がったようで得心した表情を見せた。

「悪いが行き先をアガルトに変更するぞ」
「うん、もちろん。その人を助けにいかなきゃ」
(…セシル…お前も…そこに居るというのか…!?)

 彼は意識外に、膝の上の拳をぐっと握りしめる。
 旅の終わりが近づいている。心地良い温もりだけに包まれたゆたっていた海から、いくつもの刃が厳しく光る外界へ。
 だが、進みたい。この彼女の手を取って、共に。
 毒虫の殻を纏い、しかしそれすら盾に変えて、必ず彼女を守ってみせる。

「…セオドール?」
「あ、あぁ、何だ?」
「うぅん、呼んだだけ。……わたし、頑張るから。また竜の夢を見たら、すぐに言うから」

 拳を緩め、彼女の気持ちを汲むように何度も小さくうなずく。それから頬にそっと指を這わせた。

「力む必要などない……あぁ、私もだな。共にゆこう、アンヘル」
「うん!」

 迷い無くうなずき返す彼女を前にして、また一つ勇気が溢れた気になった。






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