17.夕焼

 燃えるように赤い大きな夕日が地平線に向かってゆっくりと沈んでいる。夕日がこれから通る空は鮮やかな橙に染まり、過ぎた後は淡い紫が生まれ、少しずつ濃度を増していく。雲のまだらが無い、果てしなく広がる世界。
 その美しい光景をゴルベーザとアンヘルは黙って眺め続けていた。どちらともなく歩みを止め、そのまま静かに佇んで。星の歴史と共に、数えるのがおこがましい程繰り返される自然の営み。その恩恵を受けて生きる人間が感動を覚えるのは、魂に刻まれた本能なのだろう。

「……きれいだね」
「あぁ…」

 ぽつりと言葉を交わし、再び沈黙。太陽が沈みきる。やがて夜が全てに行き渡り、星が姿を現した。
 アンヘルは薄く笑い、大きな伸びをする。ずっと遠くをはっきりと見つめる横顔。ゴルベーザへ一歩近づいた。

「あのね、お願いがあるの」
「ん?」
「…もう死にたいなんて言わないから…手、つないでほしい」

 動揺は無かった。ゴルベーザもゆっくりと微笑む。ぎこちなさはいつからか消えていた。

「あぁ、いいとも」

 小さな小さなそれを包み込む。アンヘルがぎゅうと握り返してくる。溢れる温もり。彼女がゴルベーザに顔を向けた。

「あなたの手、とても大きいね」
「そなたは小さいな…」
「そうかな?…わたしね、あなたと一緒に外の世界を見て、色んなことたくさん知って、死ぬのはもったいないって思うようになったの。外の世界は出来ることがたくさんあって、あっという間に一日が終わるの。それが分かったのは、あなたがわたしのところへ来てくれたおかげだよ…ありがとう」
「礼を言うのは私の方だ。そなたと出会い、私は生きることを許された。私はそなたに救われたのだ…」

 アンヘルが不思議そうにゴルベーザを見上げる。

「救う…?それって、あなたの役に立てたってこと?」
「そうだな」
「ほんと?嬉しい…わたし、どんなことであなたの役に立てた?もっと頑張るから教えて」
「とても一つには絞れぬな…」

 彼は苦笑し、しばらく考えてから言った。

「…こうして会話し、笑いかけてもらうことだろうか」
「ん…そんな、こと?」
「どちらも一人では出来ぬことだろう?」
「あ、そっか。じゃあ、もっとお話ししたらいい?」
「あぁ。そなたの言葉を聞かせてくれ」
「うん!」

 アンヘルが返事して、星が輝く夜空へ視線を戻した。細く頼りない腕。小さな手、そしてわずかな温度。それでも今のゴルベーザはその腕に、手に、温もりに支えられている。彼が考えるよりもはるかに大きく、深く。

「…どうしたの?」
「すまぬ、痛かったな」
「ううん、ぎゅってしてくれた方が嬉しい」
「そうか…。さぁ、そろそろ行こう」
「このまま歩いていい?」
「あぁ」
「ふふ、ありがとう」

 二人がゆっくりと闇の中へ紛れていく。

「……こんなにあったかいの、久しぶり…本当に、久しぶり…」
「あぁ…私もだ」
「……」
「…アンヘル?」

 様子を窺ったゴルベーザがぎょっと驚く。彼女は微笑みを作ったまま、ぽろり、ぽろりと透明な雫を両目から零していた。

「そなた…」
「え…?あ、あれ…わたし、どうして泣いているの…?おかしいな…」

 何度も手の甲で目元を拭うが、涙は止まる気配を見せない。アンヘルは本当に理由が分からないようで、心配そうに見守るゴルベーザ以上に自身に起きた異変に戸惑っている。

「悲しくなんかないのに…ごめんなさい…」
「謝る必要など無い。大丈夫だ…止まるまで、流せばよい」
「でも…ご飯、作らなきゃ…もう、暗いもの…」

 ゴルベーザが空いた腕をそっと伸ばし、アンヘルの濡れた頬に手を添えた。潤んだ瞳が彼をじっと捉える。しばらくそうした後、瞼を下ろし、委ねるようにそこに重心を乗せた。

「…あのね、わたしね、あなたが最初の時みたいにだめって言ったらどうしようって…本当は怖くて、どきどきしてた。でも、いいよって言ってもらえて、すごくほっとした。だから、泣いているのかな…」

 繋いだ手に力を込め、頬に添えたもう一つのそれにも重ねて。

「あの時、わたしを止めてくれてありがとう。生きることを教えてくれてありがとう」

 もう一粒だけ涙を落としてアンヘルが笑った。世界でただ一人、彼だけのために作られた、未来へ踏み出すためのこの上ない澄んだ笑顔。
 彼の奥底から、熱が湧き上がる。それは喉の蓋となって言葉が出ていくのを止めた。
 ゴルベーザは強く眉を歪ませ、ただ瞳は目の前の彼女と同じように光に濡れて、唇の両端を上げながら一度大きくうなずいた。全身を巡る幸福感に押し潰されそうになって、それで構わない、いっそそうなってくれと思った。






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