15.市場

 一夜明け、朝からアンヘルは興奮冷めやらぬ顔で外出を待っていた。女将や従業員ともすでに打ち解け、見知らぬ人間に抱いていた恐怖心も解消されたようだ。内に持っていた彼女の適応能力に、ゴルベーザは流石といった感想を持った。

「通貨の単位は覚えたか?」
「うん、大丈夫」

 硬貨を袋に片付け、部屋を後にする。一階の主人に断ってから広場へ向かう。露店が数列に渡って立ち並び、大勢の客で活気づいていた。宿の窓からは分からなかったその騒々しさにアンヘルは少しだけためらいを見せたが、それでも興味が勝ったようで、ゴルベーザと共に人混みの中へ入っていった。

「わぁ〜…色んなものがあるね。これ全部買えるの?」
「そうだな」
「すごいね。…あのね、わたし、小さいころクルーヤおじさんとお店ごっこをしたことがあったの。わたしはお金の代わりに花をおじさんに渡して、おみやげをもらってた。今ならわたし、分かる…おじさんは、わたしに外の世界を教えようとしてくれたのね…」
「そうか…。クルーヤの想いは無駄にならなかったな」
「うん…」

 野菜や果物。木の実や加工保存食。色鮮やかな織物や衣服、日用品。生活に必要な一通りのものが揃う店構えだった。多くの客で埋まった通路をゆっくりと割っていきながら、ゴルベーザたちは品物を物色していく。客引きの声にいちいち驚き彼の外套を引いていたアンヘルも、しばらくすれば慣れて賑やかさを楽しんでいるようだった。

「…欲しい物は無いのか?」
「んー…」

 しきりに目線を移し、熱心に商品を見つめ続ける彼女の生返事にゴルベーザが苦笑する。不要な質問だったと、彼は先に自分の買い物を済ませることにした。
 支払いを終えたゴルベーザが、外套を握るアンヘルの手が無くなっていることに気づきはっと振り返った。人混みを素早く見渡す。彼女は斜め向かいの店の前で歩みを止めていた。
 ゴルベーザが近づき、上から商品を覗き込む。装飾品を扱う店だった。繊細な細工のピアス、緑の石がはめ込まれた指輪、木彫りの厄除け札を提げたネックレス、他にも素朴な雰囲気のものが並べられている。
 アンヘルの視線は丸く磨かれた石が連なるブレスレットに固定されていた。赤と、それよりやや小ぶりな透明が交互に繋がっている。店主がゴルベーザに声を掛けたことで彼の存在を知り、彼女が振り向いて見上げた。

「これが良いのか?」
「あ…うん」
「ではもらおうか」
「いいの?」
「無論だとも」
「はいまいど。お嬢ちゃん、すぐ付けるかい?」
「う、うん…!」

 代金を受け取った店主がブレスレットを取り、アンヘルの腕に合わせて紐を調節してやった。

「あの、あの、ありがとう!わたし、とても嬉しい…!」

 彼女が瞳を細め、うっとりとした仕草で顔に寄せたブレスレットを撫で上げた。どこか大人びた色を持った微笑み。これまで何度も立ち会った、心の枷が外れる瞬間とはまた異なるような、そんな新しい表情。
 ゴルベーザの意識下に存在する何かが揺れた。

「あ…あぁ。他にも欲しいものがあれば言いなさい」
「うん!」
「しかし…本当にそれで良かったのか?そなたには少し重いのではないか?」
「ううん、これがいいの」
「そうか、分かった」

 ゴルベーザが次の露店を目指して歩き出す。アンヘルの両目は彼の左手を捉えている。

「だって…あなたとお揃いみたいなんだもの」
「何か言ったか?」

 質問に微笑みながら首を振り、彼女は彼の真横に並ぶように駆けて、もう一度にこりと笑いかけた。

*

 追加で干し果物を希望して、アンヘルは市にすっかり満足した様子だった。それでも、宿に引き上げ荷造りを終えてから、飽きもせず窓から人々の行き交う姿を眺め続けている。
 ゴルベーザはそんな彼女を見守りながら、昨晩考え抜いた結論を再度反芻した。

(まだ常識が備わっておらず、加えて強大な魔術の才を持つ彼女が一般人に紛れて生きていくのは困難だろう。やはりミストの村…あそこならば…)

 彼の旅の目的地である山奥の小さな集落。幻獣と交信し、使役する召喚士の血統が脈々と受け継がれ、その者たちは人目を避け、息を潜めるようにして暮らしている。月で起こった異変には幻獣が関わっていた。ミストの村を訪ねることは、情報を得る確実な手段だと睨んでいた。

(排他的な村だと聞くが…才ある彼女なら、希望はある)

 十数年前の戦役の発端、赤い翼による焼き討ちが思い起こされる。その悲劇も、元を正せば彼の犯した罪の一つだ。壊滅的な被害を受けたあの村が現存するかははっきり言って分からない。それでもすがるしかなかった。

「さぁアンヘル、そろそろ出るぞ」
「あ、はぁい」

 アンヘルが扉の前に移動し、ゴルベーザを待つ。あたたかな眼差しを向けられる、この心地良さ。それにあと少しだけ浸っていられる。そう考えてしまう。けれど、嫌悪することは出来ない。

(…無駄な思考は不要だ。現状だけを見ろ)

 荷を背負い、彼は立った。






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