黒さんと私6

 "死んで償え"と、弟と同じ声で奴は言った。
 暗黒騎士の姿をした"影"が、私に刃を向けている。魂の輝きを奪われたセシルが抗うように悶えている。
 "影"は私を責めた。私に見捨てられ、自分が生まれ、これまで苦しめられのだと。呪詛を紡ぐその度に、背後のセシルが吼える。
 奴の言葉も、セシルがそれを否定するように呻くのも、どちらも真実だと思った。どちらからも、もう目を背けたりしない。私が背負うのは、贖罪だけではない。たった一人の肉親が悩み、葛藤し続けた末に出した答えを、私がはね除けてはならないのだ…!

「すまぬ、セシル…それは受け入れられん」
「!お義兄さん…!」
「私にとっての死は安寧に逃げ込むこと…それこそ卑怯な行為だと、やっと思い至った。それに、私の命は今や私のものではない。許可無く絶やして罪を増やす訳には…いかんのだ!」

 剣の柄を握り直し、真っ直ぐに"影"と対峙した。漆黒の仮面の奥から滲み出る憎悪。怯んではいけない。これがセシルの全てではないと、今の私なら理解出来る。
 奴が構える。

「…ならば…殺してやる!」

 およそ人の動きとは思えない勢いの突進。何とか受け止めたが、次は奴の身体から波動が放たれ、あちこちを刻まれながら吹っ飛んだ。私を指す名がいくつも上がる。
 この程度でやられはしない。諦めぬぞ…そうだろう、エルダ…!?

*

 補給缶を抱え、私は魔導船内を端から端まで駆け回っていた。
 数時間前からこの船は戦場と化している。いや、それは表現が悪いかな…ここは本陣で、三方向から同時に魔物の群れに攻め込まれていて、総員で迎え撃っている状態。
 これまでも襲撃は何度かあったけど、今回は明らかに統率された動きを取っている。魔物より高位の知性や技術を持つ、おそらくきっと、この"真月"の主が仕掛けた戦なのだろう。
 幸い始めから十分勝機は見えていた。魔導船の周りは一面平野。敵の位置は丸見えで、強さもこれまでと変わらない。近づいてきたら倒す、倒したら船内へ戻って休む。いつものより回数の多いそれを、三つに分けたパーティでそれぞれこなす。いつもと違うことといえば、司令部兼補給チームを置いて、そのトップのギルバート様が指示を出しているぐらい。

「皆さーん!ご飯持ってきましたよー!」

 備品庫へ踏み入り大声で存在を知らせれば、待機中の第二部隊から歓声が上がった。

「おにぎりと色々突っ込んだスープ!ここが最後なんで全部食べちゃって下さいね」

 器を渡し、補給缶の蓋を開けてスープを注いでいく。パーティの雰囲気は明るい。リーダーであるカインさんがきっちり上に立っていることに加え、生真面目なヤン様やアーシュラ様が彼を信頼し、従う様が見てとれた。あと、ブリーナもまぁ、ルカ以外の命令でも問題なく動けてるみたい。

「あぁ美味い。熱いのは助かるな」
「ふふふ、司令部総出で作った甲斐があります」
「…ギルバートたちもか?」
「はい。炊き上がったお米を持っていって、皆さんに握ってもらいました」
「ハハハ、流石お前は人使いが上手いな、エルダ!」

 カインさんに続いて、他の二人もどっと笑う。

「それで、カインさん、状況は?さっきの放送の通り、あと一団体で終わりみたいですけど」
「ウチの編成と敵の相性が少々悪いな…可能なら魔道士と一人交代させたい」
「じゃあ私が入りますよ」
「いけるか?」
「もちろん!今こそ控えの出番です」
「分かった。それから、各隊の被害規模を」
「えっと、第一、第三共に軽傷者各一名です。念のためポーションを渡してきましたけど、どっちもまだ使う程じゃないって言ってましたよ」

 スープを一気に飲み干してからカインさんがうなずく。私は食器を回収し、邪魔にならないところへまとめて片付けた。
 しばらくの沈黙。思考するカインさんに全員が注目する。程なく彼は決断を下した。

「よし、エルダはここに加われ。万一戦況が悪化した場合の伝令はアーシュラとする」
「承知しました」
「エルダはとにかく全開で攻めろ。残りは盾となって敵を彼女に近づかせるな」
「うむ」
「はい、頑張ります!」
「では、出撃命令が出るまで引き続き待機だ。以上」

 ヤン様とアーシュラ様はすこし離れたところへ移動し、なにやら座禅を組み始めた。精神統一というものだろうか。ブリーナは相変わらず何も喋らず、壁際でじっとしている。こちらの話はちゃんと聞いていて、号令をかければすぐさま戦闘モードに切り替わるらしい。
 私とカインさんは反対の壁側に並んで座り、思い思いに武器を触り出した。

「……ローザ様たち、無事ですかね…」

 多分、皆触れないようにしていたんだと思う。空気が変わって、それでも口に出さずにはいられなかった。

「…これは勘だが、向こうでも大きな戦いになっているのだろう。セシルの"影"とやらの元へ向かい、呼応するかのように今回の襲撃が発生した。黒幕も焦っているのかもな」
「負けてられませんね」
「その通りだ。黒幕がどれだけこちらを把握しているかは知らんが…このまま大勝して士気を下げてやればいい。それがきっと、あいつらの助けになる」
「はい!」

 これまで出番の無かった杖を抱くようにして握り込む。久々の実戦なのに、驚く程落ち着いている。自分への不安より、深層へ赴いたあの五人を案じる気持ちの方が大きいからだろうか。
 ローザ様、セオドア様、リディア、そして黒さん……どうか、セシル様と共に、誰一人欠けることなく戻ってきて下さい。私たちも全員で、ここで一緒に戦っていますから。
 絶対に絶対に、誰もいなくなったりしない。ねぇそうでしょ、黒さん、信じてますからね…!

*

「………あーーー…眠い……」
「部屋で休んでていいのよ、エルダ?いつになるのか分からないんだから」
「あぁ、ポロム…。でも、多分ね…もうすぐだと思うの…そんな気がする…」
「そう…」

 最後の戦闘も、問題なく私たちの勝利となった。
 久しぶりに黒魔法を景気よく放った反動で眠気がすごい。後始末や報告を他の人たちにお任せして、私は船の入り口で深層組の帰りを待っていた。
 何とも言い表せない胸騒ぎ。だけど、悪いものではないと思っている。だからきっと、もうすぐ。

「…!」
「あっ…」

 あぁほら、転送装置が反応した。ポロムが駆け出す。私はちょっと、そんな俊敏には動けそうにない。早くも根っこが生えた体を軽く叩き、うつむいたままながら、何とか地べたから立ち上がる。

「おかえりなさい、皆様!」
「ただいま、ポロム!」

 リディアの声が大きく響く。それに続々と別の声が重なっていく。
 …"心配かけてごめん"。確かに聞こえた。あれは、セシル様だ。あぁ良かった、全部上手くいったんだ。
 壁に手をつき、顔を上げた。視線の先に、彼がいた。

「……黒さん……黒さん…!」

 思わず両腕を彼に伸ばして、でも足が絡まってしまって、私の体はぐらりと傾く。彼がぎょっと表情を一変させるのを、異様にじっくりと眺めていた。
 ぼすんと衝撃。黒さんに抱きとめられていた。姿勢を正せない私に気づき、彼はその場に座り込む。ごめんなさい、何か、思ってたより疲れているみたい。だけど、ちゃんと元気ですから…。

「おかえりなさい、黒さん…」
「あぁ……ただいま、エルダ…!」

 へらりと唇が歪む。それから、両目に涙が溢れてきた。

「えへへ…すみません、ちょっと眠気がピークで…」
「…何があった?」
「襲撃…でも、皆で勝ちました…。私もちょっとだけ戦って…このザマです…」
「怪我は…!?」
「無いですよぉ…張り切りすぎただけ…」
「そうか…良かった」
「黒さんも…皆無事で良かった……良かったぁ…!」

 もう言葉は紡げない。ぐすぐすと泣く私の頭を、黒さんがぎこちなく撫でる。

「…約束は、守ったぞ…」

 うんうんと、何度もうなずいて返事する。

「…エルダ…今は休んでくれ…。目覚めたら、また、話そう」
「………あはは…それ…私が言うべきなのになぁ…」

 黒さんが動く。体が浮き上がる。お姫様だっこ、というやつだ。羞恥心は湧き出ているけれど、黒さんの温度が心地良すぎて表出しそうにない。

「ん〜…すみません…」
「構わぬ。私も…生きていることを実感したい」
「へへ…私でよければいくらでも…」

 大きな大きな胸板に擦り寄れば、またぐっと力を込めてくれた。
 生きている。黒さんが生きている。この先も戦いはもう少し続くけど、きっとこれからも黒さんは生きる。黒さんだけじゃない。私も、皆も、大丈夫。
 起きたら何を話そう。何を話してくれるだろう。そんなことを薄れる意識の中考えながら、私は黒さんに全てを委ねて、すとんと眠りについたのだった。






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