7.

 赤い翼と魔道士団の一部がファブール侵攻を開始したため、いよいよバロン城内は静かになった。その分、警備が役割である近衛兵団の存在が目立つ。
 彼らはディーナに友好的だったが、彼女はどの兵にもどうしても気を許すことが出来なかった。彼らと対峙すると、全身の肌が不快な物で撫でられたかのように粟立つ。言葉ひとつひとつに、誠意と表現すればよいのか、重みが感じられないような気がした。前主人の同僚であるという個人的嫌悪以外にも、ディーナを警戒させる何かが彼らにはあった。
 ゴルベーザの指示通り、彼女は一日のほとんどを自室で過ごしていた。寝室を含む、彼が使用する部屋の清掃ぐらいしか今は仕事が無い。空いた時間は本を読んだり、刺繍や料理の勉強をしたりと、比較的気楽に過ごすことが出来た。
 眠る前の日課となった祈りを捧げ、ディーナは遠く離れた主人を想う。

(もう、ファブールは交戦状態なのだろうか。ご主人様にお怪我は無いだろうか…)

 ゴルベーザはその手で人を殺めたのだろうか。ディーナがぎゅっと瞼を閉じた。

(戦争なのよ。避けられないことだわ…)

 指先が白くなるまで両手を握りしめていたことに気づき、彼女は苦笑してそれをゆっくり解いた。

*

 翌日、用具を片付けるディーナの元に、一人の男が近づいて話しかけた。

「ディーナ殿、ようやく見つけました」
「……近衛兵長様」
「ベイガンでよいですよ」

 そう名乗った男がにこりと目を細めた。この国で、ゴルベーザに次ぐ権限を持つ将軍である。物腰が柔らかく、常に国益を考える識者で人望も厚い。しかし。

(この方も、以前お目にかかった時とどこか雰囲気が違う。城の空気に感化されたのかしら…?)
「ではベイガン様、いかがなさいましたか?」
「実は、重要な印がひとつ紛失していることが発覚しましてね。最後に使った兵はもういないので、行方が分からなくなってしまったのですよ」
「はぁ」
「何ヵ所か目星をつけて探させているのですが、ディーナ殿にもご助力を頂きたく」
「…承知しました」

 ディーナがそう答えると、ベイガンはいかにも嬉しそうな様子で両手を軽く上げた。

「良かった、これは心強い!重ねて頼みますが、本日中に見つけ出さないと都合が悪いのです」
「分かりました、出来るだけ協力しますわ。それで、私はどこを?」
「こちらです」

 ベイガンが踵を返し、案内する。到着した場所は、地下の奥まった場所に造られた備品倉庫。ディーナの口から無意識にため息が漏れた。

「ここが、目星の場所ですか?」
「えぇ、えぇ、なにせそう使用頻度の高くない印でしてね。後で明かりと軽食を持って来させますので」
「お心遣い、恐れ入ります。まぁ…整頓ついでに探すことにしますわ」
「頼みますよ。それでは」

 ベイガンを横目にやりつつディーナが倉庫の扉を開けた。一応、最近も誰かが使ったような跡がそこには見受けられた。

「…疑いすぎか。どうも構えてしまっていけないわね…」

 一人では少々手を焼く広さだが、自分の立場を考慮してくれた結果なのかもしれない。そんな風に解釈し、ディーナは懐からハンカチを出して口元に巻いた。
 あらゆる備品をひっくり返し、埃をはたき、空のまま放置された箱を集め、暫定的に物を並べ直す。そんな単調作業を繰り返すうちに、あっという間に数時間が経過していた。

「いたた…中腰でいるのもそろそろ限界ね…。今何時かしら…?」

 懐中時計を確認すれば、もうまもなく消灯時間。ディーナは一度大きく伸びをし、すぐそばの木箱に腰を下ろした。用意してもらった水を飲んで一息つく。

(探し物はここに無さそうだけど、片付けはまだまだかかりそうね。先に見つからなかったと伝えに戻るべきかしら)
「そこで何をしている!」
「!!」

 突然地下室に声が響き渡り、ディーナは飛び上がる思いで木箱から立った。開いたままの扉の向こうにランプを手にした二人組の兵士が見えた。彼らは靴音を鳴らしながら倉庫に入り、ディーナに迫る。

「何をしていると聞いている」
「あ、その、近衛兵長様の命で、紛失した印を探しております」
「ベイガン様…?こんな時間にか?」
「はい。本日中に見つけなければいけないそうで…」

 兵士の片割れがランプを棚に置く。もう一人が倉庫の奥へ歩み、整然とした光景を眺めた後、顔だけディーナの方に向けて口を開く。

「で、見つかったのか?」
「いえ…ここには無いようです。ちょうど報告に行こうとおも…」

 がちゃん。
 入り口近くにいた兵士が扉を閉じていた。

「え?」

 振り向こうとしたディーナより早く、兵士が駆け、彼女の両手首をきつく掴んだ。痛みを感じてディーナが怯む。その隙に背面でまとめ上げられ、おまけに何か金属製のもので拘束されてしまう。声を上げる間も無く、今度はもう一人が彼女の顎を唇ごと手で覆い、そのまま強く締め上げた。

「んっ…ぐ…!」
「おとなしくしろ」

 拘束具が完全に装着されたのを確認して、口を押さえていた兵士がディーナを投げ飛ばした。彼女はその勢いのまま地面へ叩きつけられる。背後で固定された両腕と、庇えなかった後頭部が重く痛んだ。
 さらに兵士はディーナの胸を踏みつけ、苦痛に歪むその表情を上から照らした。

「うっ…!」
「魔人に魂を売った下女め…己の身がそんなに可愛いか…!?」

 兵士の憎悪に染まった眼差しを受けながらも、ディーナは気丈に睨み返す。侮辱の言葉に彼女は怒りを覚えていた。

(保身の為なんかじゃない…!私はただ、あのお方にお仕えしたいだけ…!)

 良心の葛藤などとっくに終え、ゴルベーザに全てを捧げ、彼と共に罪を被る覚悟もとうに決めているのだから。

「ゴルベーザの情報を吐いてもらう」
「お話することなど何もありません…!」
「間者として我々に協力する気はないか?」

 それまで静観していた片割れが言う。

「ありません!」
「ゴルベーザの支配から解放されるんだぞ」
「そんなこと、私は望んでっ…!」

 胸にかかっていた力が一気に強まり、ディーナの言葉は最後まで続かなかった。

「ふん、やはり生き延びるために従っている訳ではないな」
「あぁ…それなら話を進めやすかったが…仕方ない」

 ディーナはまだ自由である両脚を使って抵抗していたが、やがてそれも封じられてしまった。彼女を踏みつけていた兵士が動き、懐から出した小刀を見せつける。

「おい、まずは運び出す手筈だろう」
「先に足の腱を切るだけだ」
「!いやっ…!」

 刃が足首の薄皮に近づく。ディーナは恐怖で呼吸を止めた。






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