20.

 頭が痛い。
 ゴルベーザは兜を脱ぐ時間すら惜しみ、全身の鎧と共に術で消し去った。荒く足音を立て、寝室へ向かう。ディーナが急ぎ足でその後ろに続く。

「早く座れ…」
「か、かしこまりました」

 エプロンを脱ぎ、ソファの背に掛けた。腰を下ろすと同時にゴルベーザも横になる。眉間に深く皺を刻み、彼は低く呻いた。

「お加減は優れませんか…?」
「変わらずだ。薬も効かぬ…が、お前がいれば慰め程度にはなる」
「はい…」

 ディーナがゴルベーザの額にぴたりと手を当てた。彼の体から幾分か力みが取れた。
 彼女が恐れていた通り、ゴルベーザは慢性的な頭痛を抱えるようになった。部下に悟られない程のものだが、しばしば思考を邪魔する強さに膨れ上がる。その度彼は自室に下がり、彼女の元でじっと耐えた。

「忌々しい…外に出れば途端に引くというのに」
「塔の中はどうしても閉塞感がありますから…篭った空気がお体に障るのかもしれません。展望台はいかがでしょう?あそこから、さらに開けた場所にも出れますわ」
「あぁ…考えておく…」

 ゴルベーザが胸に置かれたディーナの手を握りしめた。

「お前は平気なのか?」
「えぇ…お気遣い、痛み入ります」
「は…僻んでいるだけよ…」

 そう言って彼の表情がさらに歪んだ。しかし気を紛らわせようとしているのか、話を止めることはしない。

「地底のクリスタルが思うように集まらぬ…。今の飛空挺の性能も限界か…」
「まぁ、あんなに速く飛ぶというのに」
「熱の前にはどうにもならぬ。…技師を集め対策せねば」
「地底とは、灼熱の地なのですね。…飛空挺はどのようにしてそこまで行くのでしょうか?」
「南西の地にバブイルの塔というものがある。あれは大地の底から伸び、雲をも貫きそびえ建つのだ」
「雲…!」

 ディーナが感嘆の声を上げ、窓の外を見やった。この部屋はゾットの塔の上部に当たるが、それでも雲ははるか頭上である。
 ゴルベーザは一息つき、ディーナにより密着を求めた。寝返りを打って彼女の腹に無理矢理顔をうずめ、腰に両腕を回し押さえつける。彼女は困ったように眉を下げて笑った。このような中途半端な体勢でしか、彼は甘えを見せることが出来なかった。
 ずきりと脳の深くを刺す痛みにゴルベーザが強張る。ディーナが広い背を大きな手つきで撫で回す。
 彼が宵以外でも温もりを求めてくれるのは彼女にとって喜ばしいことであり、しかしどうしようもなく複雑な気分でもあった。原因である頭痛を鎮めることは誰にも不可能で、役に立てないことが悔しかった。

(…やめろ…今は、話しかけるな…)

 あぁ、また痛みに乗って声が来る。ゴルベーザはディーナをきつく抱いた。

−抵抗など無駄なだけだ。何故理解出来ぬ?−
(……)
−何故私に従わぬ?−
(貴様は…誰だ…?)
−私はお前だろう?これまでずっとお前を導いてきたではないか。お前がお前自身に背こうとするから、私はこうして知らせてやっているのだ−
(私…自身…?)
−そうだ。人を憎め。全てを呪え。それがお前…いや、我らの宿命。忘れるな−
(……憎い、とは…?)
−何を言う。我らが持つべき唯一の感情ではないか。憎いものは壊してしまえ。その為にクリスタルを集めるのだ−
(……そう…か…?だが…)

 ずきん。

「ぐっ…!」
「ご主人様…!」
(あぁどうしよう…今日は特にひどくいらっしゃる…!)

 ディーナはほとんど泣きそうになりながら、ゴルベーザの背を引き寄せるように包み込んだ。彼は何度も額をすりつける。

「ディーナ、ディーナ…!」
「はい、ここにおりますわ…!」
「お前は私のものだ…逃げることは許さぬ。裏切ることは許さぬ…」
「えぇ、えぇ、もちろんですとも」
「誓え、私に服従すると…!」
「そのようなもの、とうに終わらせておりますわ。私のこの両手の傷跡が、その証でございましょう?」
「……」
「何があっても、私はあなた様のお側から離れません。ですからどうか、あなた様も私を離さないで下さいませ…」

 ゴルベーザがぴたりと止まる。ややあって鈍く身を起こし、そのままどこか遠くを見つめ始めた。前に垂れた髪にディーナが手を伸ばしたが、届く前に払われてしまった。

「よかろう。今の言葉、忘れるな」

 それまでよりも一段低い呟き。ディーナに縋っていた"彼"が身を潜めたと、彼女は知った。

「私は戻る。全て下げておけ」
「かしこまりました」

 ずず、と質量を持った闇がゴルベーザの足元から這い登り、彼はそれを纏って姿を消した。ディーナがため息をつく。腹にまだ残る彼の温度を感じようと、そこに両手の平を宛がう。それから自分の眼前に掲げた。
 花瓶の破片を握りしめ、力任せに弾かれて出来た傷。白魔道士の治療で切断面はすぐに塞がり、しかし彼女の出で立ちに似つかわしくない痕が残った。そして、ゴルベーザはその痕を隠すことを決して許さなかった。
 両手にぎゅっと力を込める。それからディーナは立ち上がり、大きく伸びをした。感傷に浸る必要などない。ゴルベーザを労わるには、まず自身が健常な精神でいなければ。
 彼女は両頬を叩いて気合を入れ直し、張り切って部屋の掃除にとりかかった。






- ナノ -