18.

 ディーナがいつもより駆け足で廊下を横切っていく。魔物たちもその形相に驚き、彼女が通り過ぎた後ひそひそと何かを囁き合った。
 目覚めれば時刻は彼女とローザの食事を作る頃合い。さっと血の気が引き、ある意味ゴルベーザの命令に忠実過ぎる自分の身体を恨んだ。
 慌てて身なりを整え、厨房に赴き、急いで準備を進めていった。ディーナの食事は朝昼兼用と夜の二回。捕虜であるローザもディーナと同じものを食べている。他に必要な備品は昨日のうちにワゴンに乗せていた。
 慣れた手つきでローザの部屋の錠を外し、中へ進む。いつもは椅子に座って待っているローザは、今日は窓から景色を眺めていたのか、立ち上がってディーナを迎えていた。その顔つきも普段と違っていくらか厳しいものとなっている。

「お待たせして申し訳ございませんでした」
「……」
「お聞きしていた品物はどこに置きましょうか?」
「ディーナ」
「はい」

 ローザが一歩進み、ディーナの瞳をじっと見定めて言った。

「カインから聞いたわ。あなた、ゴルベーザの侍女だったのね」
「えぇ、そうですが…ご存知ありませんでしたか?」

 さも当然と返すディーナの姿に、それまでずっと内に留め続けていたローザの感情が一気に溢れ出た。彼女は両眉をつり上がらせ、ディーナに詰め寄る。

「あなたのこと、信頼出来る人だと思っていたのに、よりにもよってゴルベーザに仕えていたなんて!」
「!?」
「あなたみたいなまともな人がゴルベーザの側にいるなんて信じられない…!」

 ローザの言葉に隠された主人への侮辱に反応し、ディーナも顔色を変えた。ローザは構わず続ける。

「あなたは何とも思わないの!?ゴルベーザの凶行のせいで数え切れない人が死んだのよ!それだけじゃない…クリスタルを奪って生き残った人々すら苦しめている!侍女のあなただってそれぐらい知っているでしょう!?」
「……」
「あなたはどんな思いでゴルベーザに従っているの?あなたほど意思をしっかり持った人なら、ゴルベーザを諌めることも出来たんじゃないの…!?あなたはゴルベーザの行いに賛同しているというの!?」

 なじられればなじられる程、ディーナの頭は冷静になっていた。目の前の白魔道士もこれまで出会ってきた人々と同様、無駄でどうしようもないことを叫び、彼女を責めている。
 仮にゴルベーザを止めたとして、彼がそのような進言を受け入れる人物でないことは誰もが承知だ。殺されて終わりだろう。すると人々は、次にディーナを我が身可愛さに従っていると言い始める。
 ディーナはゴルベーザ本人を敬服しただ彼に仕えたいと望むだけで、そこに保身などの余計な理由は一切付いていない。これはゴルベーザに敵対する人間には決して理解されない忠誠心で、彼女もそれで全く構わなかった。

「あなたはどうしてあんな狂った人殺しと一緒にいられるの!?ゴルベーザに操られているとでも言…!?」

 これでもかという程両目を見開いたディーナがローザの胸元に掴みかかった。壁に追い詰め、勢い任せに押しつける。単純な腕力ならローザの方が上だろうが、今のディーナにはそれを軽く上回る力が出ていた。

「私を責めるのはいい…ご主人様の行いを断じるのもまだ仕方ない…。だけどご主人様を狂人呼ばわりすることは許さないわ…!」
「う…!」
「あのお方は私を救って下さった!私を必要として下さった!あのお方はあなたたちの言うような冷酷なだけの人間じゃない!狂っているなんて決め付けないで!!」

 ディーナの脳裏に昨晩の彼の姿が鮮烈によみがえる。自らの業に疑問を持ち、彼女に何度も何度も尋ね続けた彼は、ひどく哀しげで、苦悶に満ちた表情を浮かべていた。
 彼はひたすら孤独なのだ。誰からも理解されず、あらゆる存在を憎み、そしてそれ以上に憎まれ続けているのだ。

「あなたはあのお方の何を知るの!?分かったような口をきかないで!」

 ディーナがもう一度ローザの身体を壁に打ちつけ、それで手が外れた。ローザが床に座り込む。二人とも息を乱し、さらにローザは何度か咳き込んだ。ディーナが我に返り、息を呑んで数歩後ずさる。
 長い沈黙。
 やがてローザがゆっくりと顔を上げた。はっとそれに反応し、ディーナがまた一歩下がった。ローザは相手の双眸を見つめ続け、刺激しないよう努めて静かな声で口を開いた。

「……あなたの瞳を見て…分かったわ…。ディーナ、あなたはゴルベーザを愛しているのね…」
「なっ…!何を言って…!?」
「私には分かる。私も似たようなものだから。誰かを愛すれば、それが全ての源になる…そのことも、よく分かるわ…」

 きっとディーナが眉を寄せ、鋭く睨みつける。しかし、ローザの真摯な眼差しを受け、やがて力は抜けていった。
 ローザの言う通り、彼女も理解してしまった。ローザの瞳には、彼女と同じ、愛する人に命すら捧げてもいいと、そういう力が宿っていて、同じだからこそ見抜くことが出来た。

「ひどいことを言ってごめんなさい」
「っ……ご主人様への侮辱は到底許されるものではありません…」

 言いながら、ディーナは怒りが急速に引いていくのを感じていた。絶対に知られてはいけないと秘め続けていたこの気持ちを、同じような想いを持つ者とはいえ、他人にここまで簡単に看破されてしまったことがまだ信じられないでいた。しかし、彼女の頭はそれでもローザの指摘を素直に受け入れようと働いている。その矛盾が苦しかった。
 ディーナは己を落ち着かせようと大きく息をついた。

「…ですが、あなたは人質。私がどうこう出来る方ではありません。今の話は口外しませんわ…」
「ありがとう…ごめんなさい」

 もう何も返せず、ディーナが背を向けて残りの仕事を終わらせる。黙って去ろうとしたが、その時、再び声を掛けられた。

「まだ何か…?」
「私にも約束させてちょうだい。今日のこと、あなたのことを、誰にも言わないって」
「…ありがとうございます。……ひとつ、聞いてもよろしいですか?」
「なぁに?」
「あなたがお慕いする方は、ご主人様と戦うのですか?」
「!」

 ローザが言葉を失った。ディーナが首を傾け、力無く微笑む。

「それでは、今夜から別の者がお世話をするよう、話をつけて参ります」
「ディーナ…」
「その方がよろしいでしょう、お互い。失礼します…」

 残されたローザはしばらくうつむき、ややしてから冷めた食事にゆるりと目を向けた。
 同じ人間の女性。それぞれ心に決めた男を愛する女性。けれど、彼女たちは語り合うことも、互いを労うことも出来ない。どちらかが涙する結末しか彼女たちは思い描けない。
 ディーナがゴルベーザの侍女であることも、彼へ向ける想いも知らない方が良かったのではないかと、ローザの胸の奥に言葉が浮かぶ。しかし、首を振って思考を撤回し、そのようなことを考えてしまった自分に後悔した。






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