15.

「なるほど、これがゴルベーザ様愛飲の紅茶という訳ね。どれどれ…」
「……」
「…ずいぶん渋いな。あの方の好みそうな味だけれど」
「……」
「ディーナ?そんなにこれを他人に振舞ったことが不服か?」
「いいえ、そうではありませんわ…バルバリシア様」

 ディーナが向かいに座るバルバリシアに微笑む。談話室の一角。

「ご主人様のことを考えておりました。急なご出立だったもので」
「あぁ…そうだな。我々も当日知らされた。まぁ、何かお考えがあってのことだろう」
「はい…」

 ディーナは目を閉じ、ゴルベーザが遠征に出るまでのことを、その前日の晩から思い返していた。
 普段よりもう少し和やかな空気の中、日課のマッサージを施していたが、突如ゴルベーザが苦しみ出した。あのような姿を見るのは初めてであったため、彼女も気が動転して言われるまま退室してしまった。それから夜が明けるまで一睡も出来ず、何度命令違反をしてでも彼の元へ戻ろうか思い悩んだだろう。
 朝の時間になってすぐに駆けつけると、信じられないことにゴルベーザは昨晩の発作を覚えていなかった。はぐらかされているとも思えず、彼の中では"マッサージを途中で切り上げ、すぐ就寝した"となっているらしい。そう話す彼の雰囲気にどこか違和感を覚えつつも、続けて聞かされた遠征という単語に、それ以上追求することは阻まれた。
 そして、日の入りと共に赤い翼は出立し、現在ディーナは主にバルバリシアと行動を共にしている。ゴルベーザが不在の間、ディーナの身柄について彼女が責任を持つことになっていた。

(あの時のご主人様は一体どうされてしまったのだろう…?頭を痛がっているようにお見受けしたけれど…)

 物音に反応し、ディーナは瞳を開ける。バルバリシアが菓子を平らげようとしていた。

「お口に合ったようで安心しました」
「お前の作るものはどれも美味ね。今度メーガスたちにも振舞ってやってほしい」
「はい」
「ところで、これから仕事はあるか?」
「夜まで特にありませんが…」
「そうか。私もずっと待機でな…ゴルベーザ様も、私を連れていって下さればよかったのに」
「申し訳ございません。きっと、私のせいですわ」

 ディーナがそう返すと、バルバリシアは目を丸くして、少ししてから言葉の意味を理解した。

「お前を責めている訳ではない。お前を護衛する命に不満は無いぞ」
「はい…ありがとうございます」

 ディーナは微笑み、自分の紅茶を一口飲んだ。バルバリシアの言う通り、一般的なそれよりずっと渋く、甘みもほとんど無い。
 とうに見慣れたものだったが、それでもまだ視線を彷徨わせてしまう程に、バルバリシアの肉体は妖艶かつ刺激的だ。手足どころか胸や腰、太ももといったあらゆる肌がさらけ出され、女性にしては筋肉質でありながらも十分過ぎる色香を振りまいている。
 ディーナはふと、深緑の給仕服に包まれた自分の体を見下ろしていた。女性としての魅力など考えないようにしてきたが、何故か今は自身が他人にどう映っているのか気になった。

「あぁしかし…護衛のことは置いて、ゴルベーザ様のご勇姿が見られないのがただ残念だ…」
「…それは、どのようなお姿なのでしょうか?」
「ん?そうだな…まず、何より力強い。それなのに、品がある。あのような美しい魔術を見るのはゴルベーザ様が初めてだった…」

 バルバリシアがうっとりと目を細める。ディーナはゴルベーザが戦いに身を投じる姿を想像することが出来ず、無意識に唇を噛みしめていた。

「我々四天王は一つの属性を極めることで強さを得たが、あの方は違う。人の身でありながら、魔物を超える強さを持っておられる。私では到達出来なかった高みにあの方はいらっしゃるのだ…。そして、それを正直に認めさせる尊大な器を感じずにはいられない」
「そう、ですか」
(……何を後悔しているの。ご主人様の外でのお姿を知りたいと願ったのは、私なのに)

 ゴルベーザに関する事柄は何でも把握していたい。自分の持つ情報は、他の誰にも漏らしたくない。
 自分だけが、ゴルベーザを知っていたい。身の程をわきまえない、浅ましい独占欲。
 バルバリシアはまだ話し続けている。そのゴルベーザに心酔する表情は、ディーナには戦士としての忠誠以外をも持つようにうかがえてしまった。

「あの、バルバリシア様」
「ん?」
「あなたは……その、ご主人様をお慕いしていらっしゃるのでしょうか…?」

 言いながら、ディーナは再び後悔した。そんなことを確認してどうしようというのか。二人が懸念する通りの関係だったとして、彼女には何の影響も無い。
 主人を愛する侍女などいてはならない。ただ隣に控え、真摯に仕えるだけでいなければならない。
 誰にも勘付かれてはいけない。彼女は侍女でなければいけない。
 バルバリシアは整った眉を軽く中央へ寄せて言った。

「我々の将なのだ、当然だろう?………あぁ、男女の何かしらという意味か?」

 ディーナがこくりとうなずくと、一瞬冷たく目を細めた後、一変して高く笑い声を上げる。

「ほほほほ!このバルバリシア、女である前に四天王のいち戦士!お前の考えたような下卑た感情など持ち合わせていない!」
「そ、そうですか…ご無礼な質問でした」
「お前以外が発したのなら刻んでいるところね。お前はここに来て日も浅いし、戦いに無縁…私を戦士だと認識出来ないのもまぁ理解する」
「も、申し訳ございません…!」
「怒っていないと言っているだろう。誤解されたままの方が屈辱だからな、いい機会だった」

 バルバリシアは立ち上がり、茶と菓子の礼を述べてその場から消えた。本人の言う通り、気を悪くした様子は無かった。大目に見てもらえたと言った方が正しいだろう。
 彼女の懐の深さに感謝しつつ、ディーナは深い安堵のため息を出した。そして、頭の中でそれを嫌悪し、両眉を歪める。

(下卑た感情…その通りだわ。こんな想い、本当は持ってはいけない…)

 ずきり、ずきりと胸が痛み出す。何度目だろうか。

(私はご主人様の侍女…だけど、一人の女としてあのお方を愛してしまっている。いけないことなのに、報われるはずないのに、どうやっても想いを消せない…!)

 自身を責め、涙を落とし、諦めろと言い聞かせ、その度にもう一人の彼女に拒まれた。しかし、その彼女も自らの感情や欲望が解放されることは決して無いと分かっていた。だから、彼女はディーナにそっと提案した。
 ゴルベーザへの恋心を持ったまま、侍女として生きようと。そして、ディーナはそれを承諾した。一番こうありたいと願う自分の像は、お互いとも一致していた。

(あのお方は私を必要として下さっている。あのお方の横に、私以外の女が現れたとしても、それでもきっと、私を置いて下さるわ。そうよ、それって幸せなことじゃない…侍女として、最高の名誉じゃない…!)

 涙が張っていたことに気づき、ディーナがやや乱暴に拭い取った。気分は落ち着いていた。
 ゴルベーザに従い彼を世話することは、ディーナにとって何にも勝る心からの願いだった。恋慕の想いは、その願いに付け加えられた感傷にすぎない。自身を構成する核を思い出せば、しくじることはない。

(お慕いしています、ご主人様…。だからずっと、お側にいさせて下さいませ…)

 胸の痛みも、自分で止められていた。






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