好きのちがい




「ぁ…っ、ぁあ、や…っ」

甘い声が耳に優しい。

「伊月、」

名前を呼べば愛しくて仕方ない、という風に、見慣れた、しかし、見るたびに心を持っていかれるような視線が俺を襲う。それなのに

「やっ…ま、てぇ…っ、ふ…」
「伊月」

恋人は、俺の名前を呼びはしないし、俺の背中に腕を回そうとはしない。



さらりと綺麗な髪を撫でる。横向けに眠る彼の、顔にかかった前髪をあげてやればすやすやと気持ち良さそうに寝息を起てる。

宮地がそのことに気づいたのはいつのことか。

恋人である伊月は決して情事の最中に宮地を求めようとはしない。
名前も呼ばないし、腕も回そうとはしない。宮地が伊月を求めて手を述べれば辛うじて指を絡める。
強気できたと思えば、宮地がその気になると尻込みしてしまう。
愛しい、愛していますと視線で訴えるのに、行動にそれが伴わない。

まるでそれが恐ろしいことかのように。

俺は汚くないですか、と伊月は言った。
宮地が好きだと伝えたその時に、伊月は言った。
男が好きな自分が。ゲイである自分が。
んなわけねぇだろ轢くぞと脅せば、泣きそうに顔を歪めて、宮地さん、好きですと。

ずっと好きでした、と。

もしかすると、また下らないことを考えているのかも知れない。宮地が気づかなかっただけで、ずっと考えていたのかも知れない。

そろそろと指先で造形の綺麗な輪郭をなぞり、唇に触れる。
伊月は自分からキスをしようともしない。
恋人らしいことは宮地に任せて、まるで、恋人であることを確認しているかのようだ。

確認、と、口のなかで言葉を転がした。

そう、確認だ。
まるで、宮地のことを試しているかのように、伊月はなにもしない。

俺は何かしたか?
愛してるはずだ。
好きだと言った。
溢れる想いを止められなどしていない。
自分の全部で恋人を愛している。
その自信がある。

それなら、なぜ。

「伊月……?」

さらさらと髪を掬い、頬を撫でる。

こいつの頭のなかを自分で埋めてしまえたら。
そうしたら、こいつの不安もなくなるのだろうか。

それはとてもいい考えのように思えて、しかし、難しいことなのだと。

「伊月」

名前を呼んで、キスをする。

ふわりと重なる唇。
熱く合わせていた情事のキスよりも冷たいそれに、なんとなく寂しくなる。

「…ん、みやじさ…ん…?」

ふいに、覗きこんでいた瞳に黒い光がさす。黒曜石のようなそれを、綺麗だと思った。

「伊月」

伊月、と名前を呼べば、寝起きに弱い伊月がきょとんとこちらを見返す。
そうして、ふわりと微笑んだ。

「なんですかー宮地さん」

「伊月、好きだ」

もう何回それを囁いたか。
そんなことはわからないけれど、伊月の返事がただ欲しかった。

「好きだ、伊月」
「……宮地さん、俺もです」

好き、とは続かない。
彼も付き合い始めのころは口にしてくれていたというのに。

「伊月………俺の気持ちは迷惑か?」
「へ、」

仰向けに宮地を見上げていた伊月が目を丸くする。

「俺は、お前に負担をかけてないか?他に好きなひとができたとかならそう……」
「待ってください!」

伊月が起き上がり、宮地の両肩を掴む。

「なんでそんな考えになったんですか!?俺は宮地さんが…好きだって」

言ったじゃないですか、と後半は尻窄みに小さく聞こえなくなった。
そんな、宮地らしくない。

思ったよりも伊月の存在が大きく、宮地自身すら変えてしまうように、気持ちが育ってしまった。

「じゃあなんで、なんで…名前を呼んでくれないんだ?」

他のひとを想っているんじゃないかとそう穿ってしまう。
伊月は言葉を詰まらせた。

その、と伊月の視線が泳ぐ。

「………俺に、自信がないから…」

やっと絞り出した声。
ふるふると震えていた左手を押さえるように右手で握った。

「宮地さんにとって、本当に俺は恋人なのか、…って…」

はぁ?と思わず声が漏れた。
恋人以外になにがあると。それとも昔に戻って他校の先輩後輩なのか、バスケ仲間なのか。
いずれにせよ

「お前は恋人でもない男にあんなことさせるわけ?」
「っさせませんよ!」

あんなこと、と。
伊月の瞳には涙が溜まっていたし、その肩も震えていた。
けれど、こればかりは聞かなければいけない気がした。

じゃあなんだよ、と静かに問えば、目を瞑った拍子に溜まっていた涙が一筋流れた。

「…俺、なんかが…触ってもいいのかなって…。宮地さんは……元々ゲイなんかじゃない、じゃないですか……」

だから、抱き締めることも、キスをすることも。

できないと。

付き合い始めて大分経った今でも、伊月はそう言うのか。

何度も何度も繰り返し愛を囁いてきた宮地を前に。

その気持ちすら勘違いだとでも言うように。

「伊月」

名前を呼ぶと、彼はびくりと身体を揺らした。
不安げに揺れる瞳が宮地を見上げる。
宮地は震える左手を押さえていた右手を掴んだ。

そのままそれを、自分の頬へと持っていく。
そのままその手に、自信がなさげに開かれるその右手に、頬をすりよせる。

「伊月」

呆然としたように伊月はその様子を見ていた。

「伊月、好きだ」
「宮地さ」
「好きだ」

伊月の顔をまっすぐに見つめ、後ろへと逃げようとする伊月の左手も掬い上げ、自分の肩へと回した。

伊月の身体を浮かせ、自分の膝に乗せる。突然のことと、素肌と固い生地の感触にうわ、と伊月の声が漏れた。

信じてないのか?とは聞かない。
伊月は多分自分が宮地を信じてないと、自分を嫌悪する。
信じろ、とは言わない。
伊月は多分宮地を信じてないわけではないのだ。

ただ怖いだけで。

「伊月、好きだ。お前だから好きになった。お前が好きだから、お前に触れたいと思う。触れてほしい」

だから、俺の気持ちを受け入れてくれないか。

信じるだなんて曖昧な言葉。
信じるだなんてただの呪文だ。
自分を騙すための。
相手を捕まえておくための。

宮地さん、と伊月が耳元で囁いた。

宮地さん、宮地さんと何度も。

初めて肩に回った腕は細かく震えていて、伊月が顔を埋めた襟首が微かに濡れるのを甘んじて受け入れる。

このくらいのこと許容範囲だと。

膝の上に馬乗りになっている伊月の腰を支えながら、もう一方の手で触り心地のいい髪を撫でる。

宮地さん、好きですと、
久しぶりに伊月の気持ちを聞いた。



その後、伊月は促されれば宮地の肩に腕を回すようになった。

自分からのキスもすることにはする。

けれど、

「伊月、ほらもう一回」

にやにやと笑いながらそうやってねだる宮地に、恥ずかしさと、なんだか悔しい気持ちと。

でもやっぱり好きなのだと。

あなたのことが好きです。




あとがき

宮月の日おめでとう!!
さて。
最近は上手く妄想が進みません。
なんでかなぁとか考えてみたところ、どうやらリアルが忙しいからのようで。
久しぶりに自分の精神の弱さを思い知らされることとなりました。






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