心の墓場



Side笠松


その猫は雨の日に拾った。

猫とは比喩だ。
まるで、刷り込みのように妄信的に俺を好きだと言う。でも、気まぐれに帰ってきては気紛れに出ていく。
そんな恋人を、俺は猫のようだと思った。

「あ、笠松さん。おかえりなさい」

合鍵は持たせてあった。
おかえりなさい、と、何事もなかったかのように伊月は俺を出迎える。

誠凛高校バスケ部2年のレギュラーであり、俺と同じPGだった。3年前は。
誠凛高校がWCで優勝したその次の春、俺は大学に入学し、その次の春にはこいつも大学生になったらしい。

誰かと同居しているのだと聞いた。
その誰かが誰だとは聞いていない。

拾ったその日、伊月は帰れないと言った。どうしてだかは聞けなかった。
伊月の表情が聞くなと言っている気がした。

暫くして、同棲を始めた。
………要するに、お互いに気持ちを伝えあった上での、同居だ。
妄信的に、伊月は俺が好きだと言った。

俺も伊月が好きだった。

唇を重ねて、身体も重ねた。

心が繋がっている、そんな気がした時もあった。

伊月、と名前を呼ぶと涙を溜めた瞳が笠松を見る。
頬を手のひらで撫でてやると、それに刷りよった。
汗ばんだ手で、伊月の同じように汗ばんだ手に触れると、爪痕がつくくらいに握り返された。
肩を抱いてやると、同じように、苦しい位に抱き締め返された。

息ができないくらいに。

伊月が好きだ。

同じように流れる日々に、ある雨の日、猫が紛れ込んだ。

気紛れに近づいて来ては、離れていく。

そうして、猫は俺の側に、俺の住みかに住み着いた。

猫はここに帰ってくるようになった。

伊月、愛してると何度も囁く。
笠松さん、愛してますと何度も聞いた。

猫はやっぱり気紛れで、伊月もやっぱり気紛れで。
たまに、恐らく、前に同居していたのだという家に戻ることもある。
それもあって、二人で部屋を買うようなことはしなかった。

俺たち二人が暮らすには、俺が借りている部屋だけでも十分だ。

伊月は俺が好きだと言う。
俺も伊月が好きだ。

お互いにお互いの生活には干渉しない。
その必要はなかった。

「笠松さん!待って!」

俺が大学にと家を出るときには一緒に伊月も出かける。
いくつかの参考書を見たことがあるし、勉強教えてと言われたこともあるから、恐らく大学に行っているのだろう。

たまに遅く帰ってくる時にはバイトをしているのだと言う。
俺も、何度か近くのコンビニでレジを打つ伊月に居合わせた。

どこか気恥ずかしそうに笑う伊月が可愛かった。

笠松さん、と、伊月が好きだと。
妄信的に言うのだ、好きだと。
俺も、伊月が好きなのだと。

そうやって、幸せな日々を送っていたある日、伊月が、姿を消した。








Side森山



小さな振動で目を覚ました。

目を開けると、そこにいた筈の情人の姿はなく、微かに擦るような足音が聞こえ、暫くして止まった。

ベッドのスプリングの音が起たないように気を付けながら、俺もまた、ベッドから起き上がると、その人が歩いたであろう場所を辿っていく。
独り暮らしの学生の部屋などたかが知れている。
伊月は寝室から出た居間の端のところで、ふるふると震える身体を抑え込むように抱き抱えるようにして俺に背を向けていた。

俯いたうなじに、さらりと髪がすべり、そこに汗を掻いているのかひとふさふたふさ、張り付いた。

また、か。

伊月はあれ以来こうやって泣く。
自分を抑え込むように、自分の愛しいと言う気持ちを隠すように。

また、あいつのためか…

自分でこうなるように仕組んだけれど、正直、面白くない。もっと俺に溺れればいいのに。そうしたら、こうやって泣くこともなくなるというのに。

「…伊月」

名前を呼べば、蹲っていた伊月がびくりと揺れた。
そろりとこちらを伺う様子は、本当に弱った小動物のようだ。

その肩に腕を回して、抱き締めてやればその身体が強ばる。

「…もり、やま…さ…」

「うん。………伊月、ベッドに戻ろう?」

「………………はい」

ふたりベッドに一緒に入り、俺を見上げる伊月の目元には涙の筋が未だに残る。
それを、親指で拭ってやると、瞼が微かに細く黒曜石の瞳を隠した。

ごそごそと探るように居心地のいいところを探す伊月の髪が素肌に擽ったい。
同じように布を纏っていない伊月の背中に腕を回して、まるでひとつになるかのようになにもせずに眠る。

森山さん、と伊月が俺を呼んだ。

疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてきて、さらさらと滑る伊月の髪を撫でてやると、落ち着いたらしい。

伊月は俺の名前を呼んだりしない。
伊月は俺の気持ちを求めたりしない。
伊月の気持ちは今も、寝言で呼ぶ俺の親友のものだ。

あの日の俺はどうかしていた。
でも、あの日の俺がいたから、伊月は今、俺の腕のなかにいるんだ。
俺の伊月。
なぁ。

唇も合わせはしないけれど。

今日も今日とて伊月のその唇は、笠松の名前を呼ぶ。

この唇が自分を呼んでくれる日は果たして。










Side小堀


伊月が消えてから、約1ヶ月が経とうとしていた。

笠松の憔悴は誰の目にも明らかで、もはや見つからないのではと、すべての関係者が諦めかけたそれに、笠松は唯一の希望である元同居人であった日向に詰め寄る日々が続く。

日向と伊月の部屋には伊月の代わりに木吉が頻繁に入り浸っているらしい。

何かを知っている素振りが気になると。

ただ、とうの日向は、果ては木吉までも、あいつが自分でいなくなったのなら何か考えがあるのだろうと。

「あいつ、昔からなに考えてんのかわかんねぇとこあるんで…」

幼馴染みと言われる日向にまで、そんなことを言わせる。


対して、森山の様子も変わっていた。

森山が昔から伊月を気に入っていたことは知っている。
それを恋愛感情なのか、ただの後輩への愛なのか。そんなものは本人が悟らせないようにとしていたから誰にも分からなかった。

伊月が消えてからの森山はというと、どこか、ぼぅとした様子でいることが多くなった。
虚ろに伊月の行方を探す笠松を眺めては手に持った携帯に視線を落とす。

この頃小堀は初めて、森山が伊月のことを好きだったのだと聞いた。

さてはて。
海常スタメンOBのこの腑抜け具合はなんだとかつての仲間を見やり、自分の無力さを知る。

笠松や森山からその人の人となりは聞いてはいたが、なかなかどうして。
正直そんなほどに傾倒するほどの人物だったのだろうかとも思う。

突然いなくなってからというもの、その気持ちは強くなるばかりだ。

ある日の夕方のこと。

目を離すと無理をしでかす笠松の様子を見に笠松の家へと向かっていた。
笠松が借りている部屋の最寄り駅には猫が住み着いている。その猫を一通り可愛がって笠松の部屋へと向かうのは既に日常と化していて、今日もその猫がいる自転車置場をふらふらしていた。

なー、と可愛くない太い声が聞こえて、あの猫だ、とそちらを向けば、あはは、と軽い笑い声と共に、さらさらと靡く黒髪。

試合で顔を合わせたことはあっても、その顔は覚えてなどいない。そんなに意識するような相手でもなかった。
それなのに、どうしてだか小堀は、それが伊月だと思った。

あ、と、その人が振り返る。

この子にご用です?とその人は柔らかい髪を揺らして首を捻った。

その様子にあ、はい、と空返事。
なるほどと納得はできないが、その人が伊月だと言う確証もないのに確かに綺麗で可愛らしい、猫のようだ、という印象を持つ。

「珍しい。なついたんですねーこの子」

ころころと伊月は転がる猫をあやす。

そうなのか、と、怪訝な顔をすれば、伊月は黒曜石の瞳を細めた。

「優しい人なんですね」

ふわり、その人がほほえむ。
その笑顔に当てられて、気づいた時には伊月はいなくなっていた。

あっ。

足元に猫がすりより、なーと野太い声で鳴く。

「……………名前聞き損ねた」

結局、あの人は伊月だったのだろうか。
伊月だとしたら、笠松に教えてやらなければならなかったのに。
失敗した。

「…まぁ、そのうちまた会うだろう」

猫のことも詳しいようだったし、と。
足元を彷徨く不細工な猫の背中を撫でた。




あとがき

さて。
思ったよりも長くなりましたね。
こんな出来になりました、と。
なんで私小堀絡めたし、という感覚凄いんですが、まぁ、一応仕様ですのでwww

こちらは、尊敬する作家さまのお誕生日にお贈りさせていただきます。
遅くなって申し訳ありません。
お誕生日おめでとうございます。
あなたに、あなたの文章に出会えたことを光栄に思うと共に、幸せだと思います。





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