こんなことがあるなんて




ごめん、おじさん。
バイト辞めるの早めてもらって。

うん。そう。部活がさ。急に後輩んち泊まり込むことになって。

それより、もともともうすぐ辞める予定だったとはいえ、早めて貰っちゃって…本当に大丈夫?

うん。ごめんなさい。
ありがとう。



宮地さんに事故で告白してしまった次の日はバイトは休みだった。
それをいいことに、俺はおじさんに連絡して、元々来週あたりに辞めることになっていたバイトを辞めることにした。大学入学からも大分日がたち、バイト生も取り戻したことで、おじさんは俺が辞めることを快く許してくれた。

普通のバイトならばこうはいかない。身内であることに感謝だ。

次の日からはバイトはない。
いつものように朝練、学校、部活、居残り。その繰り返し。

普通に暮らしていれば宮地さんに会うことなんてそうそうないのだから、きっと宮地さんも忘れてくれる。
忘れた頃に、会うことができる。

俺はきっと、なかったことにはできないけど、宮地さんは。

そう思いながら毎日を過ごした。

その、1週間後のことだった。



「え」
「あ、あれ?」
「なんであの人が」

部活中、さわりと部員たちが浮き足立つ。初め、俺はそんな声も耳に入ってこないくらいに集中していた。
もう少し、もう少し。
ボールがネットを潜る。

バイトを辞めて以来、俺はあの事を忘れようとひたすらにバスケに没頭した。

たまに、忘れるための道具のようにバスケを扱っていることにも自分を嫌悪しながら、でも、他に忘れるあてなんかない。

もっと。
もっと上手くなる。

それだけを考える。

「き」

もっと。
もっと。
何も考えられない位に。

「い、き」

もっと、集中しろ。

「伊月!」
「!?」

ぐら、と視界が揺れた。
目の前には見慣れた男の顔。
日向、と息がこぼれた。

「お前…集中するのはいいけど周り見てなくちゃ意味ないだろが。そんなんじゃ練習にもなんねぇぞ」

日向が掴んだ肩を軽く揺すぶる。
ごめん、と言葉は声にならない。
そんな俺を見て、日向ははぁ、と大きな溜め息をつく。俺だって言われた所で直せるかどうかなんて自信はない。悪い、日向と謝るしかない。

「伊月。お客さん」
「え」

さて、本題。とでも言うように、投げ槍に日向が右手で体育館の方を示す。
お客さん?とその示した指を辿ると、それこそ見慣れた、出来れば今は見たくない金髪が揺れた。

「よぉ、伊月」

清々しい位の笑顔と、それが変に迫力を増長させるような低い声音と。
会いたいようで会いたくなかったその人が、そこにいた。

「ちょっと話あんだけど」

逃げたい。
それが素直な感想だ。



悪い、ちょっとこいつ借りるな。そう日向と相田に言い捨てた宮地さんは俺の手首を掴んだまま放さず、引っ張って体育館の影へと向かう。
そろそろ春も終わろうかとしているころの日陰になっているそこは、うっすらとじめっていて、雑草が少し荒く生えている。

逃げたい。けど、逃げようがない。
捕まれた右手の手首はそれほど強く握られているわけではないにも関わらず、俺の力は逃げれるほど出てくれない。
下手に力を入れると痛めてしまいそうな。

「わっ」

壁際に放られて、肩に衝撃。
そんなに強い力ではなかったからか、俺の受け身がきれいに入ったからか。恐らく両方だろう。身体を痛めることはなかったが、顔を上げると、宮地さんの綺麗な顔が冷ややかに俺を見下ろしていた。
たん、と顔の横に大きな手がつかれて、逃げ場がなくなる。

「……っ」

どうすればいい。なんでこんなところに宮地さんが。部活は。この間のことはどう説明すれば。

「伊月」

名前を呼ばれてびくりと体が震えた。

「急に辞めるとはどういうことだ」

聞いてねぇぞ、と続けられて、思わず自分を拘束する背の高いその人を見上げた。
え、と間抜けな声が漏れる。

「バイトだよ。てめぇ、俺に無断でやめやがって」
「…だって、それは、宮地さんには関係ないことでしょう?」

予想外の責められ方に思わず本音が出た。
実際に、俺がいつバイトを辞めようが、宮地さんには関係なんてないはずだし、バイト生である俺と宮地さんの間にはあくまで、店員と客の間柄しかなかった筈だ。
そりゃあ、俺はその客に恋慕を持ってしまった訳だけれども。

「関係あんだよ。轢くぞてめぇ」
「え、なんで、え。」

なんでそんなことでキレられるのかがわからない。そんなに非常識なことをしただろうか。コンビニの店員なんて定期で入れ替わるものだし、そんなに言われる必要なんて。

「あの」
「勝手なこと言って逃げて勝手にバイトやめやがって。俺の気持ちは聞く気がないってか?ああ?」

なにそれどういうこと。
俺今からここでフラれるの。
ここまで追いかけてきてまで、フルの。
宮地さんのこういう律儀な所、好きだけど、こればっかりは。

「…っ、ごめんなさい!」
「あ?」

思わず、口を開いた宮地さんの声をかきけした。聞きたくない。
否定しないで。

「すいません、ごめんなさい。好きになってしまって。こんな、男になんか告白されて、気持ち悪いと思いましたよね。当然ですよね!」

嫌いになって欲しくない一心だった。あの告白をなかったものにしてほしい。
今までと変わらない関係でふざけあったりしていたい。
だから、宮地さんに次の言葉を言わせないようにただただ、言葉を遮る。
ちっ、と舌を打つ音が聞こえた。

「だから忘れてください。なかったことにしてください。ただの俺の勘違いでした。本当に申し訳」

ありません。
続きは遮られた。まるで、もう喋るなというかのごとく、唇が、俺の唇を這う。
ちゅ、と空気が音をたてて、二つの唇が俺の唇を食む。熱い舌で唇をなぞられて、思わず少し隙間をあけると、そこからまた深いキスになる。
キス。そうだ、これはキスだと、宮地さんの動きを頭の中で反芻しながら思った。

「…ふ、んん…っ」

隙間から、息が漏れる。
体育館から聞こえるスキールの音と、グラウンドの野球部の声が、やけに遠く聞こえる。
宮地さんの大きな手が、俺の頭を押さえていた。

やがて、ゆっくりと唇が離される。
一気に現実に引き戻されて、周りの音が近くに帰ってきた。
脚から力が抜けて、その場にへたりこむ。なんなんだ、と膝を抱えた。

「伊月」

「もう…なんなんですか」

名前を呼ばれて、反射的に出た声は思ったよりも低い。
宮地さんの動きが止まった。

「なかったことにしたいのに、なんでこんなことするんですか」

俺は勝手だと思う。自分から想いをぶつけておいて、実際には宮地さんから伝えられる真摯な言葉を聞きたくないと思ってる。
宮地さんの言葉なんて聞きたくない。
俺が、惨めになるだけだと。
だって仕方ないじゃないか。関係を壊したくなんかないんだ。今のまま、他校のライバルでいたい。
宮地さんの行きつけのコンビニの店員なんて余計な関係なんて欲しくなかった。

こんなことなら好きになんてなるんじゃなかった。
俺が隠し通せればそれでよかっただけなのに、宮地さんにこうやって迫られて、そんな勝手なことを考える。

ぼろぼろと涙が溢れて、ああ、これ、腫れるかななんて呑気に考えた。
腫れた目で体育館に帰ったら、みんなに心配かけるな。どうしようか。

「……ざっけんな」
「え」
「なかったことになんかさせねぇぞ。させてたまるか。俺だってお前が好きなんだ」

思考が停止した。

俯けていた顔をゆっくりと上げると、思ったよりも近くに宮地さんの顔があった。
その頬は、影になっているのにも関わらず、赤くなっているのが分かる。

「好きだ。伊月」

唇が重なる。
今度は触れるだけの優しいキスで、瞼を閉じると少し不安になった。これは夢?
けれど、薄く目を開けてみると、確かにそこにいて、俺にキスをしているのは宮地さんで。

ああ、これ、現実だ。なんて緩慢に思った。
好きでいいのか、なんて、この状況が教えてくれる。
押し付けられるように触れてくる唇から逃げるのをやめて、恐る恐る、自分からもその唇を求める。

好きだ、と宮地さんが唇の上で囁いた。
お前はどうなんだよ、と問われて、思ったよりも掠れた自分の声が俺も好きですと囁く。

そうすると、宮地さんは嬉しそうに笑って、俺はまた、その笑顔の虜になった。




「お待たせしました」
「おう」

あのあと、俺は部活に戻り、宮地さんは近くのカフェで時間を潰していたらしい。
目を濡らして戻った体育館では後輩たちにも、同級生たちにも心配されたが、大丈夫だからといえば日向や相田は長い付き合いだからかわりとすんなり分かってくれた。

部活が終わって、宮地さんと合流する。

制服デート、なんて言われて思わず顔が赤くなるのを笑われる。
仕方ないじゃないか。こちとら好きな人とまともに付き合うのは初めてなんだ。
今まで告白してきた子とどうしてもと言われて付き合ったことがある。
長続きはしなかったが。

軽く町中を歩き回って、大丈夫か、なんて声をかけられたからなんのことかと思ったら、部活あとの疲れを心配しているらしい。

ずっと体力つけろのなんのと言われた後だったからなんとなく可笑しくて笑うと、気まずそうな顔でこずかれた。
今ではそんな些細なやりとりがどうしやうもなく愛しい。

ちょっとコンビニよるぞ、と言われて、まだ止まらない小さな笑い声を抑える。

いつものように見慣れた買い物。
いつものチョコレートに、いつものスポーツ飲料。いつものコーヒー。
その後、宮地さんは「お前はこれだよな?」と、俺がいつも飲んでるコーヒーのボトルを見せた。

「なんで」
「あ?この間お前、俺に押し付けて帰っただろうが」

不味くはなかったが苦かった。と顔をしかめる。どうやら宮地さんが処分してくれたらしい。
そう言えば、俺が飲んでいる方は宮地さんが飲んでいるコーヒーより少しミルクも砂糖も少な目だ。

「すいません。ありがとうございました」
「おう」

頭を撫でる手はいつもより少し乱暴で、でも少し優しく感じるのは俺たちの感情の変化か、関係の変化か。

なんにせよ、こうやっていることがしあわせだ。

「………って、宮地さん!?」
「あ?」
「それ!」

二人揃ってレジに向かう。
見慣れた買い物たちの中に、平然とそれはあった。見覚えのあるパッケージを見た瞬間、顔が熱くなった。どうしてくれる。いやどうしてくれるとか言ったら悪戯されそうだがしかし、そう言いたくて仕方なかった。

「なんですかそれぇ!」
「なんですかもなにも、コンドー」
「言わなくていいです!ああもう!馬鹿!馬鹿ぁ!!」

平気な顔をして、宮地さんは笑う。恥ずかしいのは俺だけか畜生。

「もう!俺は外で待ってますから!」

おう、と言った声はまだ笑いを含んでいる。畜生。

畜生。好きです、宮地さん。


あとがき

要望があったので。
続きですね。実は初めからフラグがはってあったことに気づいた方はいらっしゃるかしら。
このお話が始まる前から、宮地さんは伊月のことがすきだったという(笑)
ちょいちょい伏線散らばしてあったりとかしちゃうのです。






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