うたかた綴り
***
「しっかり腕を伸ばさないと、怪我をするの自分だ。ほら、こうして」
農民の男のへっぴり腰と、持つ弓の手を支えて正しているのはシチロージ。もう太陽は頭上を通り過ぎ、傾き始めていた。
(キュウゾウ殿、それにしても遅い)
此処はシチロージの持ち場では無い。では何故広場で弓を農民に教えているのか。こうなってしまった原因を問えば、今朝にまで遡る。
シチロージはキララに出逢い、彼女からユメカの体調が悪いことについて聞かされた。そこですぐ理由を思い立った。カンナ村へ向かう途中の野宿で、彼女は体が芯から冷えるまで、キュウゾウの側に付いていたからだろう、と。その時偶然にもキュウゾウが居る広場を通りかかったのだった。
「キュウゾウ殿、ユメカが風邪をひいたそうさね」
話しかければ、弓を引くを農民を見ていた紅い瞳は、シチロージへと向けられた。
「……悪いのか」
「さあ、アタシもキララ殿に聞いただけなんで。なんなら確かめて来ると良い。アタシが此処を引き受けますんで」
見た所農民に一通り弓の使い方は教えた後なのだろう。これならば時折助言する程度で済むから、自分の役割と両立することは可能だ。そうシチロージは思ったが、キュウゾウは再び農民へと視線を戻し、この場を動こうとはしなかった。課せられた役目を全うすることを優先しているのだろう。今は戦の最中だからそうするのは分かるが、キュウゾウだからこそユメカの元へ行かなければならないのだ。彼女もそれが一番嬉しいことだろう。方眉を上げてシチロージは笑みを浮かべた。
「ユメカが風邪をひいたのは何故だったか。傍に付いてくれたのだから、傍についてやるのが道理ってもんでさあね」
おどけた調子で言えば、再びじろりと睨まれ、シチロージはにっこりと笑みを返した。キュウゾウは背を向けて歩き出す。
「一時、任せる」
「承知」
***
あれから何刻経っただろうか。キュウゾウに限って間違いは起きていないだろうが、流石に心配になってきたシチロージは、近くにいたコマチとオカラに少しだけこの場を預けることにし、ユメカが居る水分りの社へと向かった。
社に着き、戸を開けようとしたところ、勝手に戸が開いたため目を丸くした。
「おや、おサムライさん。アンタもお見舞いかい?」
下から声がかかり目を向けると、キララの祖母であるセツであることが分かり愛想良く微笑んだ。
「ええ、まあ」
「それは残念だったね、先手を取られちゃってるよ」
悪戯っぽくセツがウインクする。その瞬間シチロージが固まったため、頬を染めながら「ほっほっ」と笑い、手招きして家の中へと招き入れた。すると少し空いた戸の隙間を指差す。
「見てご覧なさいな」
促されてシチロージが隙間を覗き込むと、目の前に広がったあまりの光景に、目を大きく見開いた。
そこには、布団に眠るユメカに寄り添うように眠るキュウゾウの無防備な姿。いつも気ばかり張り、いつ眠っているのだろうと思えてならなかったキュウゾウが今、こちらに気付く様子も無く横になって眠っている。思わず微笑んでしまう、そんな光景がそこにあった。
「これじゃ、アタシの出る幕はありませんね。さて、キュウゾウに貸しを作っておくとしますか」
たまにはこういうのも良いだろう。
セツに笑いかけて、家を後にする。セツは笑顔でそれを見送り、再び隙間へ視線を向けた。
「恋って良いもんじゃの。ほほほ」
***
暫く経ち、ユメカが目を覚ました。すると目を開けた先にまだキュウゾウが居たため「ひっ」と思わず声を上げた。驚きで心臓がばくばくと鳴るが、キュウゾウといえば変わらぬ静かな表情で正座していた。おずおずとユメカが口を開く。
「えっと……眠るまで傍にいてくれる約束じゃ?」
「……手を」
「手?」
瞬間、自分の手を見て青ざめた。キュウゾウの服の裾をがっしと掴んでいたのだ。これでは離れるに離れられなかっただろう。慌てて手を放したが、更に青ざめることになってしまった。どれだけ自分は力を込めて掴んでいたのか。しわしわになった裾は暫く伸びてくれることは無いだろう。
「ごめんなさい!!」
盛大に謝ったユメカの声は、陳守の森にまで響き渡った。
持ち場に戻ったキュウゾウの姿を見てシチロージがからかうのは、また別のお話。
空色キャンディ様から素晴らしいイラストをいただきましたお礼にリクエストをいただき、書かせていただきました!大変遅くなってしまい、本当に申し訳ありません…orz
連載番外編だったのですが、時間軸は15話と16話の間になります。キュウゾウとヒロインが完全にくっつく前になります(笑)
内容としましては、キュウゾウだって安らかに眠ればいいじゃない!というものです(キャラ崩壊すみません)
キュウゾウの看病と、愛の握り飯と、シチさんが微笑ましくその光景を見る、というのが大前提でしたが、活かしきれていませんね…!すみませんー!
10.06.30 tokika