ザ――…*
ザ――…*
ザ――…*
(……へ?)
気付けば冷たい水に濡れる自分がいた。
次から次へと身体にかかる水は、頭上の空から降る雨だ。
しかし、さっきまで古本屋にいたのではなかったか。
……うん、確かに古本屋にいた。
何故か持っていたはずの人魚姫の絵本は無いが、自分は本を開いたような体勢で固まっていた。
(意味がわかんない……)
雨に濡れたまま、呆ける。
今いるのは、緑豊かな丘という感じだろうか。
とにかく、知らない景色だ。
徐々に古本屋での記憶が怪しくなってくる。
白昼夢でも見ながら、ここまで知らないうちに来たのかな?と、嫌な考えが浮かんだ。
その考えを否定するように頭を横に振る。
(……帰ろ)
考えていてもらちがあかない。今はとりあえず人に道を尋ねながら家に帰るのが1番だ。
きっと私は疲れてるんだ。そう結論をつけた時、急に雨が体に当たらなくなる。
背後にうっすらと気配を感じ、驚いて振り向いた。
すると、私に蒼い番傘を差し出し驚きの表情を浮かべた、見知らぬ男がいた。
「…………」
思わず固まる。目の前の男の人は着物姿なうえに髪型が……髷[まげ]だったからだ。
この人は舞台役者か何かなのだろうか。物珍しくて興味を持つが、初対面の人にはどうしても警戒してしまう。
それが相手にも伝わったのか、苦笑いされた。
「ああ、別に怪しい者じゃないですよ。
雨に濡れているのが気になってしまいまして……」
『あ、それは……ありがとうございます』
そんな言葉を紡ごうとしたが、自分の喉からはひゅうっと空気だけが抜ける。
思わずぎょっとして咳き込み、改めて自分の声を確かめようと今度は絞り出すように喉に力を入れる。
『あ!あ゙ーー!!』
「―――――ッ!」
――うそ。声が出ない
目の前の男の人も私の只ならぬ様子に気づき、目を見開いた。
「もしかして……声が出ないのですか?」
仕方なくその言葉に頷く。
何で声が出なくなったのか……こんな風に声が出なくなるのは始めてだ。
特に喉に違和感は感じないのに、声どころか、音という音が出てこない。
「そうですか……それは」
「……?」
「大変ですね」
つい先程から声が出ないのだけど、これまでずっと声が出ない人生を送ってきたと思われたのか……同情されたようだ。
でも私の意志を伝えるすべが無いため、こちらも困り顔を返す。
「とりあえず、ここにいては風邪をひいてしまいますよ。あなた酷く濡れていますし」
「…………」
「この丘を下りればすぐ江戸につきます。そちらで雨宿りできる場所を用意しましょう」
…………。この人は今何て言った?
江戸!?
現代で江戸なんて地名の場所があっただろうか。
まさか江戸時代じゃあるまいし、聞き間違いをした?
私は混乱しながら男の人を見上げる。
すると人の良さそうな笑顔を向けられた。
「とりあえず、話は江戸についてから。
会話するにも筆談でないと」
「…………」
江戸……。聞き間違いではないようだ。
とりあえず、今自分がどこにいるのか分からず
声まで出ないため、この人に頼ることにする。
こくりと頷き、歩き出す男の人に合わせて私も歩を進めた。