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どこまでも高く感じる程に澄み渡った青空を見上げ、ユメカは歩きながらうーんと体を伸ばした。
慣れない疲労感を感じるが、昨日まで落ち込んでいたことが嘘だったみたいに、気持ちは穏やかに安定している。そんな自分の単純さに呆れた時、不意に目をやった方向に、ヘイハチがロープや工具などを大量に抱え歩いていくのが見えた。
「ヘイさん!今から何するの?」
「ああ、ユメカ。野伏せりを攻撃するための仕掛けを増やすんですよ。数が多いに越したことはありませんからね」
なるほど、とユメカはヘイハチの手元をまじまじと見る。ヘイハチはふと笑顔を潜めてその顔を眺めた。昨日のように無理に感情を押し殺している様子はユメカに無い。
きっとキュウゾウが支えになったのだろう、そう思い再び笑顔を浮かべた。
「もしよろしければ、手伝ってくれませんか」
「もちろん!」
「かたじけない。じゃあ手始めに、今にも落ちそうなこのロープ、持ってもらっても良いですか」
あっとユメカが気付き、ロープを手に取った。そのまま一緒に向かったのは滝の付近。
此処を野伏せりが登って攻め込んでくるには一見困難のようにも思えるのだが、滝は近付く音を消し身を隠すこともできるため、攻めるにはうってつけの場所だった。
激しい水しぶきで視界が悪くなるため仕掛けを増やすのは確かに必要だろう。
見張り中の村人とも挨拶を交わし、早速ヘイハチは作業に取り掛かった。
「ユメカ、ここを押さえていて下さい」
「うん」
用意されてあった太い木の幹の束を押さえ、ヘイハチがロープで括りやすいように手伝う。どうやらロープを切った時に、束ねられた木の幹が崩れ一気に柵の外に落ちる仕掛けらしい。
素早く慣れた調子で括りつけていくさまをユメカは関心しながら眺めた。
ここにいるサムライ達は、皆それぞれの得意分野と役割がある。誰が欠けても勝てる戦では無い。そしてこれからずっと先の未来も、欠けてはいけないのだ。
「ヘイさん、生きてね」
唐突に掛けられた言葉に、ヘイハチはピタリと手を止めた。
「……それは、私がこの先死ぬ運命にあるということですか」
困ったように笑顔を浮かべたヘイハチ。ユメカは否定するように首を横に振った。
「未来は今からの行動で変わるって分かったから“運命”なんて言わないよ」
「では、何故そのようなことを言うのです」
「生きてほしいから。本当の意味で。ヘイさん自身が生きたいって思って欲しいんだ、私」
「…………」
ヘイハチが小さく溜息を吐き、まるで冗談めかすように言葉を返した。
「ならば……約束できますか?私を死なせないって」
「勿論!」
迷うこと無く返って来た言葉に、ヘイハチが眉を上げた。
「その自信はどこから来るんです?」
「だってもう決めてるから。私の中で皆を生きさせるのは絶対事項だよ」
そう言ってユメカが向ける笑顔に偽りは無く、ヘイハチには眩しく思えた。
「……素敵な、笑顔だ」
「そんな、ヘイさんの笑顔の方が素敵です」
ヘイハチが苦笑し、ユメカの真っ直ぐ向けられた視線から逃げるように目線を逸らした。
「私の笑顔なんて殆どニセモノですよ。素敵なんて程遠い」
ユメカは驚き目を見開いた。ヘイハチは笑みを湛えたまま、そんなユメカの顔を見ず、また作業の手を進めだした。
「私はゴロベエ殿の、辛い時こそ笑う、に賛成です。ゴロベエ殿は本当に笑い飛ばす。しかし残念ながら私はそれができないんですよ。とても心から笑顔になんてなりきれない。
私の笑顔なんて信用しない方が良い」
「でも!ヘイさんは素敵な笑顔だよ。ヘイさんが笑顔になると場が和むし。周りに明かりを灯してるんだよ、ヘイさんは」
「……まったく。敵いませんね」
困ったように眉尻を下げたヘイハチは、ユメカを見つめた。
「それはユメカだ。しかし、事実私が、少しでも皆の明かりとなっているならば……生きていけるかもしれません」
生きていける、嬉しい返事のようで脆くも思える意見にユメカは困惑した表情を浮かべた。気付いたヘイハチが言葉を付け足す。
「私はね、この戦で死ぬならば、それでいいと考えていました。最後に仲間の役に立てて死ねるならば本望だと」
「…………」
「過去に私は大きな罪を犯しています。裏切りで、多くの仲間が死にました。本来ならばその時、私も死ぬべきだったんです。しかし自分で死ぬことはできなかった。臆病者なんです」
過去を思い出し、ヘイハチの表情が辛く歪む。
「何があっても私が幸せに笑う日が来てはいけないんですよ。
しかし、ある方と約束もしました。笑顔でいる、と。そして私が笑顔でいることで本当に周りに明かりを灯すことができているのであれば……生きたいと願ってしまいます」
自嘲気味に笑い、ヘイハチは溜息を吐いた。
「我ながら自分勝手な意見ですね、軽蔑してくれて良いですよ」
「軽蔑なんてしないよ!」
ユメカが大きな声をあげたため、ヘイハチは目を開いた。
「ヘイさんは臆病者じゃない。死んで楽になることを選ばずに、その重い過去を背負って今生きているんだから」
「…………」
「それに、ヘイさんだって幸せに笑っていいんだよ」
「しかし、私は罪を……」
「二度と繰り返さない、それで良いんじゃないかな」
今の環境で、人間が罪を犯さずに生きていくのは難しいだろう。当たり前のように戦もあれば、貧困、身分問題もある。
本当ならば、この環境自体を改善していく必要があるのだろう。戦が無くなれば殺人は減る。貧困や身分問題がなくなれば争いが無くなる。
大雑把で単純な考えかもしれないが、皆が幸せになるには必要な条件だ。そしてその環境に大きく関わるのは都、そして天主の存在……。
「ユメカ、ありがとうございます」
はっ、とユメカは思考を止め、ヘイハチを大きな瞳で見返した。ヘイハチが柔らかい笑顔を浮かべる。
「これまで私はどこか諦めのようなものを感じていました。人を殺してしまった自分は堕ちるだけ、サムライとして死ぬしか道は無いのだと。
しかし今ユメカと話をして、何故か素直に望むことが見えてきたんです。今の仲間と共に生きて戦を終わらせたい、とね」
ヘイハチは自身に戒めを科して、心までも偽っていた。笑顔になるのは過去交わした約束を守るため。サムライを続けるのは罪を忘れないため。次の戦があれば、そこで仲間の犠牲になって死ぬ。
それで過去を許してもらおうとは思わないが、唯一自分ができる償いだ。果たさなければならない。それが胸の内に秘めた思いだった。
しかしその考えは結局、自分を正当化し、逃げ道を探していたのだと気付かされた。ユメカと話をしたことで、初めて自分以外の意見が入り、固く複雑に絡まっていた紐が解かれるように、ヘイハチは気付いた。解いてみれば単純な一本の線だった。生きたい、その一心だったのだと。
あまりに単純で気が抜けてしまった。素直に自分の思いを受け入れるのに何年かかっただろう。
犯した罪は決して忘れない。そしてもう二度と繰り返さない。
澄んだ秋空を見上げ「それに……」と、言葉を続ける。
「全てが終わった時、みんなで揃って美味しい米をたらふく食べたいものです」
そう言ってお腹を押さえたヘイハチ。
「ちょっとヘイさん、今お腹すいてる?」
「バレましたか」
「ちょっと!もう!」
ユメカがぷっと吹き出し、笑い声を上げた。ヘイハチも笑い出す。
そんな時、背後から声が掛かった。
「楽しそうでげすねぇ、アタシ達もまぜてくれませんか」