TIME | ナノ
─03─

 彼女から貰った全国でも有名な海の地元の日本酒。それは未だに飲めずに自室の玄関に置きっぱなしのままでいる。突然小さな身体ではじめてのおつかいみたいに大きな瓶を抱えて仕事場に持ってきたのを思い出す。
 「リヴァイ主任。この間はご馳走様でした。これ、私の地元のお酒です。この前美味しいって言ってたので……」
 自分のために健気に尽くしてくれる彼女が嫁だったらどんなに最高だっただろう。恋愛に関してはほぼ未経験。どう相手に気持ちを伝えるかなんて、照れくさくてどうしても言えなかった。自分の甘さが招いたこと。自分を責めてもどうしようもない、悲しむ資格など自分にはない、仕事を辞めるほどまでに優しい海を追い詰めたのは……海を失うと知る未来を知った過去の自分に伝えられるのなら、何でも出来るのに。
 今も無邪気な甘くない声が自分を呼ぶ空耳さえ聞こえて、海の部屋に飾ってあった地元の友人達との写真を思い出した。
 そして、スマホのフォルダの中、いつかの飲み会の時に写っていた男と海の二人が並んだ写メをどうしても消せなくて。
 無愛想な自分とは違い、海はどんなときも笑顔で色素の薄いくりくりした大きな瞳を垂れさせ、そのはにかんだような笑顔を抱き締めたくなるほど、どうしようもなく愛おしいと思う男は間違いなく恋の病にのめり込んだ重傷者だった。
 海の部屋に飾ってあったその切り取られた写真の中に何故か親戚のミカサの姿があったことに男は驚きながらもそう言えば海の地元は本家の自分とは遠い親戚の実家でもあったのだと、知るのだった。
 人がどこで繋がっているか本当に誰にもわからない。だからこそ、人付き合いは大切にしなければいけないのに。
「なぁ〜頼むぜリヴァイ〜! クールダンディな叔父の頼みだからよぉ」
「自分で言うな。ったく……仕方ねぇな。ミカサ1人の葬儀だと大変だから俺も手伝えってことだろ?」
「んな訳でよろしく頼むぜ。そうだ!お前がいねぇ間は未来の嫁さんのペトラちゃんに代わりにメシ作ってもらおうかな〜ァ?近いうちにそっちに帰るから呼んでおいてくれ」
「ペトラ?」
 海外出張であちこち飛び回り、たまに日本に帰ってきては自分のマンションに居候している叔父のケニーに頼まれ海と同郷の親戚。ミカサ・アッカーマンの唯一の肉親である父親が亡くなったと知るのだった。
 こんな真冬の年の瀬に、唯一の父親の死にきっと昔から科目で何を考えているかわからない陰気なあの少女でもきっと、ショックで衰弱しているに違いないだろう。しかし、彼女の両親はほぼ駆け落ちで家を飛び出し、そして頼る家族も捨てて田舎に逃げ、ひっそり暮らしていたそうで。まだ親を亡くしたショックで落ち込む年若いミカサの頼れる家族も親族も誰も居ない。そんな失意の彼女に喪主は荷が重すぎるだろうからと、ケニーの代わりに男が葬式に関する一切の面倒を見てくれとの事だった。
 しかし、叔父は勘違いしている。自分はペトラと付き合った覚えなどない。ペトラは母親が入院して、その代わりに仕事で多忙の男のために頼んでもいないが、心配して甲斐甲斐しくご飯を作りに来てくれたりしてくれただけだ。そのお礼に食事やドライブに連れて行ったりしたが、そんな恋や愛おしさの感情など微塵も感じない。年の差もあった。かわいい妹みたいな存在だったから。
「ケニー。期待させて悪いが、ペトラは二度と呼ばない。それに、今後もペトラはただの幼馴染みで妹みてぇな存在でしかない」
「ん? お前もしかしてようやくマトモな恋愛する気になったのか? オイオイオイ、どんな子だ!? 今すぐこの叔父に教えろ!」
「ふざけんじゃねぇ、死んでもお前にだけは、絶対に教えねぇ」
 ケニーと呼ばれたダンディな声の主は男の母親の兄に当たり、今はカメラマンとして海外を飛び回っている多忙な男。渡り歩く空港の数だけ女がいるらしい(胡散臭い)タバコを片手に男は叔父の食えない台詞にボロを出さないようにと電話を切ろうとした時、思いもよらぬ単語が飛びだした。
「海・ちゃん?」
「は?」
「この前の寝言、どんな子なんだろうなァ? リヴァイ〜?」
 まさか、この前帰ってきた時にしこたまウォッカを飲まされ寝た時にうわ言のように海の名前でも呼んだのだろうか。しかも、よりにもよってこの男に聞かれるなんて。リヴァイは元々良くない顔色がさらに悪くなったような気がした。他に余計なことを口走ってなきゃいいが。純粋な海をこの食えない飄々とした男にだけは接触させたくない。
「違う、そいつは出向先の部下だ」
「お前ってやつは……おい! 社内での恋愛は止めろってあんなに教えたのについに仕事の、しかも!! 県外からはるばる来た女の子にまで手を出したのか!?」
 仕事の部下に手を出した。その単語に一気に自分の罪を思い知った男は電子タバコを手に叔父に声を張り上げた。
「ケニー! てめぇな、違うって言ってんだろ! 同意の上だ、無理やりヤルわけねぇだろ!」
「おおぅ? 怒った怒った! チビが怒ったか! やぁ〜い! なぁ、お前ぇ今月誕生日じゃねぇか! 身なりはちびっこいくせに歳はもうアラサーでなくなるのか、下半身老ける前にさっさとその子孕ませてとっとと自分のモンにしてクシェルを安心させてやれよ」
「バカ野郎。まぁ、下半身もそのうちお前みてぇに使いモンにならなくなりそうだな」
「はっ、何だぁ? 言うじゃねぇかリヴァイ……聞けよ、俺の下半身はまだまだ現……――ピッ!!
 男は言われたくないことを次々と指摘され、頭にきてついに会話の途中で電話を切ってやった。仕方ない。冬季休暇をぶつけて仕事は早めに正月休みを取る事にしようと決め、電話を切る。
「寒いのは苦手なんだが、あの根暗野郎の為に、仕方ねぇな」
 新幹線で行くか飛行機で行くか。ほぼ東と西。距離もある日本海側の豪雪地帯に向かうからにはそれなりの準備も必要だ。まさか自分が海の同郷に行くとは、思いもしなかった。
 神様がくれた一足早めの誕生日だろうか。これは自分にとって二度とないチャンスではないかとさえ思った。
 もし、今、海に会ったとして……。いや、今更すぎる。それにここは大人の男とし、冷静に何食わぬ態度で振る舞わなければいけない。会いたくてたまらないのに、いざ会うかもしれないとなれば、海かどんな風な反応をするのか怖くて。自分がペトラと付き合っていると誤解したまま居なくなった小さな背中をどうしてもっと早く。最低だと思い切り罵られて、殴られればまだマシだったのに。そしたら自分も言えたのに。ペトラとは付き合っていない、男が好きなのは……。



「俺は帰る。お前らもさっさと帰れ。じゃあな」
「えっ!? リヴァイ主任!?」
 海の居ないオフィス。仕事は充実してはいるし、周りはペトラを始め優秀な部下達なのにどこか満たされない。
「長居するだけ、つまんねぇんだよ」
 今夜もつまらない退屈な仕事を終えて、残業もせずスタスタとベストに上着とコートを羽織り、上品なマフラーを巻いて革靴を鳴らしさっさと帰る。死んだ目つきのまま男は博多の街を彷徨っていた。気晴らしにもならないが酒とタバコと、海との思い出だけが今の男の失意で崩れ落ちそうな心をつなぎ止めていた。
「あれ〜? リヴァイじゃん?」
「お前……ハンジか?」
 久しぶりに繁華街で飲み歩こうとしていた男に声をかけてきたのは眼鏡を掛けたパンツスーツのポニーテールに髪をまとめたハンジだった。彼女、いや、彼、とにかくハンジはリヴァイと同じ大学であり、今は大学付属の病院の看護師として働いているそうだ。
「リヴァイ〜! 久しぶりじゃないか! 元気だった?」
「相変わらずうるせぇな。クソメガネ」
「あれ? なんか前よりも痩せた? 眼の下のクマすごいよ? 何かあったの?」
「放っとけよ」
「オペ看だと手術続きでなかなか休みがなくてね〜。リヴァイともこうして飲むの久しぶりじゃない?」
「そうだな」
 たまたま出くわした二人だが、たまには飲もうととりあえず個室の居酒屋に入るとハンジは瞳を輝かせリヴァイの話に耳を傾けた。
「そう言えば、何かあったんでしょう? そのクマの原因」
「お前には隠し事出来ねぇな」
「当たり前でしょう? 私と君の仲だよ?」
「あぁ、確かに、そうだな」
 何もかも見透かしたようなハンジの言葉にリヴァイは観念したように手にしていた生ビールのジョッキを飲み干した。
「女に振られたんだよ。そんで、情けねぇことに酒に逃げてる」
「へぇ、大学の時はよく女の子を泣かしてたリヴァイが逆にここまでなるなんて……珍しいね。リヴァイの事をここまで溺れさせるとは、余程の女の子なんだろうから」
 テーブルに突っ伏したままのリヴァイ。スマホに残していた海との写メを無言でハンジに見せた。海は決して誰もが振り向くセクシーでもグラマラスな美人でもないが、愛くるしい笑顔に今自分は虜だ。
「あれ、年下? だよね……、かなり、もしかして十代の新卒社会人に手出したの!?」
「いや、こいつは幼く見えるだけで、年はそんなに差はねぇよ」
「へぇ……リヴァイには今までにない子だね。珍しいタイプ。振られちゃったんだね」
「そうだ。情けねぇ話だが」
「ねぇ、今もその子の事……好き?」
 海は覚えていないだろうが、海と出会ったのは初めてでは無い。
「好きだ。ああ、叶うなら、もう一度会いてぇ」
「ええぇ!! ほんと!? あの、言い寄ってくる女片っ端から食ってきたリヴァイ自らそんなこと言うなんて! それじゃあ今すぐ追いかけなくちゃ! その前にもっとこの子のこと知りたい! 色々教えてよ! 今日はお祝いだな!!」
「てめぇ……変な言いがかりは止せ、それに女ならだれでもいいわけじゃねぇ、俺の愛情表現だ」
 素直に認められる今、ならば何故もっと早く行動しなかったのか。繋ぎかけた糸なんてとっくに解けかけていたのに、つなぎ止めようともしなかった。
「でも付き合ってないのにキスやセックスはしたの?」
「した」
「やっぱりね。ちなみに何回くらい!?」
「うるせぇな……片手くらいだ。しかも俺の家にまで呼んで……」
「ヤッちゃったの!? へええ〜潔癖のリヴァイが家に人を、しかも女の子を呼ぶとは。その子の事、本当に好きなんだ! 面白いねぇ、こんな清楚で大人しそうな子にリヴァイったら……! そりゃあこれまで女を喰ってきたリヴァイと身体の相性が良ければ離れられないよね、その子もリヴァイの毒牙に掛けられて……それで? もっと詳しく聞かせてよ! どんな感じの子!?」
 こんなリヴァイ滅多にお目にかかれないと捲し立てるように早く早くと詳細を知りたがるハンジ。リヴァイの脳裏に蘇る記憶。それは約10年前の事だ。当時の彼女の髪は、瞳は、確かにあの時は黒かった。
 
To be continue…

2018.09.06
2020.08.12
2020.01.08加筆修正


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