TIME | ナノ
─11─

「お待たせしました」
 祝日の月曜日。突然の思いがけず海の父親によって用意された海とのデート。しかも、自分から誘ったわけでもなく自然な成り行きで。こんな風に自然に事が運ぶなど、今日はなんという日だ。それともこれは不吉な出来事の前触れか?
 男は着替えに向かった海をリビングで昼間のクリスマス特集を眺めながら待っていると何度かドアを開け閉めした音の後、数時間待たされた気もしたが、漸く身支度を終えた海が現れた。
 しかし、あっちにいた時と季節も環境も違うのに、全く変わらない海の服装を見て男は思わず頭を抱えそうになった。
「(オイオイオイ。なんで毎度ワンピースなんだよ……ワンピースしか着れねぇ病なのかよお前は)」
 海が着替えたのは相変わらず背中のチャックを下げればストンと足元に落ちそうな、つまり脱がせやすそうな服。ただ、海自身が元々ワンピースが好きなのか、海の雪国育ちの肌に映える柔らかなピンク色のニットのワンピースだった。
 自分との為によそ行きの格好をしたのか。それとも高級なホテルのブュッフェの為かは分からないが、心無しか裾が短い気もしたし、物を落として屈んだら下着が見えそうだ。しかし、そういう所にはかなり無防備で鈍感な海はきっとそんなよからぬ事を考える男共の視線が自分に集まっているかなど、気にも留めずに無防備に振る舞うのだろう。
 本当に心配ばかりの手のかかる女だと男はうんざりしたが、せっかくのあの時以来のもう二度と味わうことの出来ないデートだと思うと誕生日前夜のクリスマス・イヴという事もあり幼い頃、美しく強い母に祝ってもらった楽しかった頃を思い出しては大人気なく内心、心も踊るようだった。
「じゃあ、行きましょう」
「ああ、よろしく頼む」
 昼間になり太陽がようやく真上に登り、朝よりは雪も溶けたようだ。雪国らしくヒールの高いブーツではなくそこは安定感のある踵の低いブーツをチョイスして。
 清楚なワンピースには些か不釣り合いの雪に映えた真っ白なセダンに乗り込み2人は海の田舎より1時間ほど車を走らせた所にある男が新幹線から降りた市の中心へと向かう。今から行けばちょうど夕方のイルミネーションの点灯の時間。街並みを彩る美しいロマンチックなイルミネーションを見て、それからホテルでブュッフェを堪能してそのまま家に帰って来るパターンか。
 いや、それとも。なんて、そんな淡い期待。
 その可能性は全くないだろう。それに、無理矢理昨日みたいに触れてしまった事で海はより一層警戒したのか、相変わらず自分は斜め後ろの席に座りって黙って海の車から流れる音楽を聴いている。自分には海の助手席に乗る権利は無いようだ。
「着くまで寝ててもいいですよ?」
「もう充分お前の家で休ませてもらっている。大丈夫だ。お前こそ悪ぃな、雪もまだ解け切ってねぇのに足に使わせて」
「いいんです。運転も雪道も、慣れっこですから」
 しかし、ここに来て久しぶりに再会を果たした時よりも幾らか海の声音が優しくなったような、そんな気がした。これならまだ海への思いを捨てずに済むチャンスは自分にもあるかもしれない。
 触れたくて、焦がれて仕方なかった存在が目の前にいる。そして今は二人きり。どうにかして、彼女を繋ぎ止めたいと男は心から望む。望んでいたそれがもう手遅れだとしても。

 ▼

「あっ、もうすごい人混みですね」
「そうだな」

 自分が暮らす五大都市のひとつに比べれば地方の都市だが、しかしそれでもイルミネーション点灯の瞬間を今か今かと待ち構える人々でごった返していた。
 12月の日没は早い。17時になった瞬間にパッと灯る光に誰もが足を止めその光に魅入るのだと海は頬を綻ばせて大きな瞳を男へ向けた。髪の長さは変わっても、髪を切ったことであどけなさや幼さが強調され、相変わらずちっとも変わらない海のあどけない微笑みに男も普段の三白眼でカタギは見えなそうな人相の悪い顔つきが少し緩んだ気がした。
「キャッ!」
 周りの歓声と共についに光が灯る。その瞬間、人が一気にその光に群がるもので非力な海はその拍子に人だかりに押され、小さな悲鳴とともに男にぶつかってしまった。しかし、男は難なく海を片腕で引き寄せ支えると無言でその手を掴んだ。
「す、すみません……」
「いちいち気にすんじゃねぇよ。ホテルはこのイルミネーションの通りだろ?歩きながらでも見れるだろうが」
 自然な流れで海と繋いだ手。人よりも筋肉質な体躯のため平均男子よりも伸び悩み小柄な体躯だが、手や骨格は紛れもなく成人した男の物であり、その力強さに海は簡単に引き寄せられ、拒む隙すら与えられぬまま海は男と並んでキラキラ輝くイルミネーションの下を歩いた。
 金色の光と冷え切った空気が心を研ぎ澄ませてゆく。自分の手を握り返す海の小さな温もり。自分とは違う柔らかくてしなやかな身体、男の冷えた心も癒す子供体温の優しい温もり。
 このまま帰りたくない。許されるのならもう一度だけでいい、最後に思い出を残してその思い出を一緒に手土産として持って帰りたい。そうすれば、その思い出を糧に男は独りで生きて行ける。そう、こんな男が最初に最後で抱いたのは、愛しい女への拙い恋情だった。
「わぁ〜……すごいですね、あれもこれもみんな食べ放題だなんて……!」
 ホテルに着き早速案内されたのは夜景が見渡せるブュッフェのレストラン。確かによそ行きの服装で正解だった。周りもデートかカップルが多く、楽しそうにどれを食べようかと選んでいる。クリスマスらしく、赤と緑のインテリアに流れる音楽もとても心地よく響き、二人はそれぞれの好みの料理を選ぶ為にトレイと皿を持ち並んだ。
「リヴァイさんは遠慮しないで飲んでくださいね」
 しかし、男の好みそうな酒はあまり見つからなそうだ。それにしこたま旨い日本酒を海の家で飲んできたからあまり洋酒を飲む気もしなかった。しかし、最初は冷たかったのに、まるで雪が解けるようにこの雰囲気に魅入られてそのムードにあの夏の時と同じ、ニコニコ微笑む海を見ると断る訳にもいかないと男はとりあえずワインを飲むことにした。久しぶりに見れた海の笑顔。それがたまらず嬉しく、愛おしくあった。
「はい、リヴァイさん」
「何だ?」
「メリークリスマス」
 再会した時は目もろくに合わせてくれなかった海から差し出されてたグラス。思い浮かぶのは博多の夜に二人で飲んだ時のこと。髪型が変わっても海の微笑みは何一つ変わらない。ワインの入ったグラスと海のオレンジジュースの入ったグラスをかち合わせ二人は普段なかなか食べられないような食材がふんだんに使われた高級なディナー達にありつく。
「美味いか?」
「はいっ!美味しいです」
「けど、お前が本当に好きなのは居酒屋のメシかもつ鍋だろ」
「シーっ、それは言っちゃダメですよ。こんなおしゃれなホテルで」
 日本酒ともつ鍋があれば幸せ。そう微笑んでいた海と過ごした夏を思い出した。季節は冬になり、二人はあの時と環境も立場も変わったが、いつにも増して食欲旺盛な海の食べっぷりを大食らいでもなく、元々酒のつまみ程度だった食にあまり興味のない男は静かに見つめていた。
 てんこ盛りに盛られたチキンやパンを海の小さな口が開きあっという間に彼女の腹の中に収まっていく食べ物たち。よそ行きのワンピースでお上品に振る舞いながらもぐもぐと頬を動かす姿はまるで小動物のように愛らしくあった。
「リヴァイさん、」
 ふと、ぼんやり海を眺めていると海が不思議そうに首を傾げている。
「よく食うな」
「えっ!?」
 夏は暑さで食欲がないとランチでも残していたのに。今は美味しそうに山盛りの皿に乗った料理を平らげる姿に男は安堵した。自分が与えた痛手の為に海から食欲を奪ってしまっていたのなら、曖昧な態度のまま海に接して、そしてペトラとの関係をずっと海は誤解していたのに、それさえも気付こうとしてやらず、海を悲しませ、泣かせてそれは本当に自分は重大な過失を犯したのだと。
 しかし、誤解を解いたからといって、二人の関係が今後どうなるのか。この歳にもなって淡い期待は、持ち合わせちゃいない。
 男はこの短い期間の間に海が自分に抱いていた誤解を解こうと不器用ながらに出来る限りの手を尽くしたと思う。しかし、この先の未来が、お互いの気持ちを確かめ合う事も上手くできなかった不器用な二人がどうなるかなど、海も知らない。
 何故ならば、海はきっと自分とはこれきりで、自分がいなくなればあの若い元カレとヨリを戻すのだと男は昨夜のやり取りを見てそうだと思っていた。
「あの、リヴァイさん……」
 ひとつひとつの座席は離れており、二人の会話は誰かに聞かれることも周りの会話にかき消されもしない。ロマンチックなムードの中、もぐもぐ食べていた海は漸く第1回戦は満足したのか戸惑いがちにバッグの中から取り出した紙袋をテーブルの上を滑らせるように男に手渡したのだ。
 突然の海からのサプライズ。さすがにこの歳にもなって特に好きでもない花火の刺さったケーキは運ばれたりしなかったが何事にも動じなかった男が面食らうほどその瞳が揺らぐ。
「何だ?」
「あの……明日お誕生日ですよね? 急ですけどリヴァイさんがタバコを吸っている間に……。あの、お誕生日だなんて知らなくて、本当に大したものじゃないんですけれど……お世話になったので……お礼代わりに……」
 分かってて敢えて海の口から言わせたくて。不安げに手渡した包み。箱の大きさやブランド名的にネクタイだろうか?男は改めて海への愛しさを覚えていた。
「なぁ、海よ」
「はい」
 これは、どう言う意味に捉えればいい?そんなの聞けやしない。しかし、男も何も用意していない訳ではなかった。この雰囲気のまま、男はテーブルの上に置いたままの海の手に自分の手を重ねていた。拒まれるかと思ったが、海は酒も飲んでいないのに真っ赤な顔で俯き、黙ったまま男の手に触れていた。
「俺は昨日話した通りだ。本当は今日帰るつもりだったが、お前の父親のおかげでこうしてお前と過ごせる。まぁ昨日はお前の父親に邪魔されたがな」
 静かな空間でリヴァイが懐から海へ手渡したのは清楚な雰囲気を纏う海に似合うスカイブルーにホワイトのリボン。見紛うことなくそれは有名な某ブランドのアクセサリー。いつの間にそんなものを? 驚く海に男はらしくもなく少しだけその鋭い瞳を優しく弓なりに細める。
「リヴァイ……さん、」
「お前はもう俺の部下でもねぇし、俺はお前の上司でもねぇ、……お前の前ではただの男に成り下がっちまったよ。お前に心底惚れちまった」
「だって、リヴァイさんにはペトラさんが、いるじゃないですか」
「なぁ、俺がいつお前にペトラと付き合ってると、言った? お前も本当にこうだと決めたら、揺るがないくらい頑固だな。は見てくれの情報だけで決めつけたんだろ。俺は最初からお前が、好きだ……海」
「リヴァイさん……!」
「悪かった。こんな風に誰かを思うなんて考えもしなかったしよ、もっとお前の気持ちに、早く気づいてやれば……俺は、お前を悲しませて、傷つけてばかりでな」
「っ――……!」
「お前の長い髪も、だからこの先、一生を賭けて償わせてくれ」
「……っ……」
「散々傷つけて、今更許してもらおうなんて思っちゃいねぇ。けど、この気持ちに嘘はつけねぇし、お前を他の男に奪われたくもねぇ。これは俺の我儘だ。海。
 お前が好きだ。お前に苦労はかけねぇ。だから仕事も社会復帰も考えなくていい。俺と福岡に来て一緒に暮らして欲しい……」
 海の大きな両目が瞬き、大粒の涙が頬を伝った。それが喜びか、拒絶かは知らないが、この瞬間を求める女は幾らでもいる。
 しかし、こんな高価なアクセサリーなんかで海の気持ちをつなぎ止められるとは思っちゃいない。しかし、海は肩を震わせ泣いてしまった。
「……リヴァイさん、わた、しっ……」
「オイオイオイ、海、別に、泣かせてぇつもりじゃねぇんだけどな……」
「リヴァイ、さん……あっ……ごめんな、さっ……泣いてばかりで……私、ずっと、誤解したまま……仕事でも、明らかに避けたりしたのに……まさか、あの夏の時は、もう一生誰とも、恋なんてしないって……そう、思ってたのに……。でも、こんな風に過ごせるなんて、思わなくて……っ」
「俺が許せないなら、嫌いならそれでもいい。受け入れてくれるなら受け取って欲しい」
「リヴァイ、さん……っ、そんな、私がリヴァイさんを嫌いになる理由なんて・・・ある訳ないじゃないですか……」
 その箱には夢も希望も全てを詰め込んでいる。福岡を旅立つ前に男が用意した拙い贈り物。しかし、精一杯の償いと思いを込めて。
 その思いに胸を打たれ涙を流す海が男の手を握り返して優しく微笑んだ時、海の視界が真っ赤に染まった。
「きゃっ!?」
 なんと歩いていたウエイターが急にワインをぶちまけ、それの一部が海の肩にかかったのだ。驚き飛び上がる海、せっかくの甘い雰囲気も台無しだ。しかも結局海の答えも聞けない。
 不器用な男の一世一代をどうしてくれると男は優しい顔つきからいつもの鋭い目付きに戻ってしまった。その雰囲気にウエイターもすくみ上がっている。
「オイ……いい雰囲気の時に何しやがる。びっくりしたじゃねぇか」
「もっ、申し訳ありません!」
「大丈夫か、海?」
「は、はい……大丈夫です。かかったのも肩くらいですし」
「馬鹿、大丈夫な訳あるか」
「大変失礼致しました……!大至急部屋をご用意致しますのでこちらへどうぞ」
 ワインを被り驚く海と邪魔され怒りを抑えきれない男は、慌ててやってきた支配人に連れられ宛てがわれた部屋へと強制的に連行される。
 男も海も再会した時の気まずさは既に消えており、海は男の腕にすがりつくように。何かをまだ秘めた潤んだ瞳は前を見据えていた。

 Next to Going Under
 
To be continue…

2018.12.01
2021.01.08加筆修正

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