THE LAST BALLAD | ナノ

#66 死へのカウントダウン

 この革命の最終目的、そして終着点。その足掛かりとしてヒストリアの実父であるロッド・レイス卿の元に辿り着くまでこの作戦は何としても失敗するわけにいかないのだ。同じ人間同士が血で血を洗う戦いの全ては奪われた地平を取り戻す為。その為ならば、それならばどんな手段を使っても必ずや成し遂げる。
 リーブス商会と結託してエレンとヒストリアを中央憲兵に引き渡したまでは良かったが、調査兵団と結託したリーブス商会を見抜いた人物が居た、その名はケニー・アッカーマン。
 そして会長ディモは切り開かれた凶刃の前に殺されてしまった。敵は何倍も上手で、そして確実に調査兵団を追い詰めつつあった。
 この壁の世界に逃げ場はない。最後の一人になるまで追い詰められそして一人残らず殺されるまで。今この壁内で厄介者扱いを受ける調査兵団は有無を言わさずディモ殺しの濡れ衣を着せられることになった。
 残念ながら税金の無駄遣いと蔑まれ忌み嫌われている調査兵団を庇う者は誰もいない。
 この壁内の番人の中央憲兵、彼らが犯人だと言えば自分達がまんまと犯人に仕立てあげられても真相は闇の中に封じられる。いつの間にか巨人殺しから人間殺しの汚名を着せられた危険な集団に早変わり。ディモの死体はトロスト区へと運ばれた。その責任を取るために団長であるエルヴィンは逮捕され、調査兵団はその活動を停止する事を余儀なくされた。そして、あっという間に手配書が出回れば街中の人間はすぐにそれを信じ込まされた。
 無知な自分達は何も知らない、この壁の秘密も、歴史も、何もかも中央政府によって隠蔽されてきたのだ。そうして憲兵達による残りの調査兵団狩りが始まった。

「これでお偉い方も満足するんじゃないか? リーブスの旦那も最後に役に立って本望だろう」
「残りはリヴァイと、さっき逃げたあの女だけですが」
「言ったろ、奴は追って来るって……そん時潰しゃあいい」

 その光景を高みの見物と言わんばかりに見つめるの中で帽子を深く被りディモの死体を秘密裏に運んだ男は待ち焦がれていた。かつての都の地下で自分が施した処世術で今も尚生き長らえている餓死寸前の膝を抱き、変わり果てた姿となった母の死を見つめていたあの時まだ幼かった彼との対面を。
 もう無力で幼い彼ではない、仕組まれた再会は自ずと、そして幕開けの舞台は整えられた。確実に迫る落日。それは銃声と共に。
 リーブス商会・会長ディモ・リーブス殺害事件のニュースはすぐに壁内人類に知れ渡る事になる。女型の巨人捕獲作戦において今回多大な被害を受けたウォール・シーナ領ストヘス区はその経緯を記事に認めた手配書が出回っていた。
 貴族の中でも権力があったアルフォード家の末裔であるクライスを喪った影響は次第に調査兵団を追い詰めていた。大きなスポンサーだった彼亡き今、この壁内に調査兵団を支持してくれる者や味方してくれる者は居ない。彼が支援するならと指示していた住民達も居たが、もう彼亡き今こうして出回った手配書が濡れ衣などと言う人間はいない、無駄な税金を支払う事はもうしなくていい、調査兵団へ深い憎しみをより一層募らせる。それが中央憲兵の情報操作で捻じ曲げられた事実だとも知らず、民間人たちは調査兵団の解体を切望した。そして、追い詰められた調査兵団は完全に明日をも知れぬ身となった。

「調査兵団が民間人を殺した! 一部の団員は逮捕を逃れ未だ逃亡中、それらしき人物を見かけたら至急情報提供を願う!」

 しかし、配られている手配書をよく見るとそこに描かれた人物は果たして本当にリヴァイなのか?と、にわかに信じ難い彼の特徴だけを描いた肖像画。綺麗に切り揃えられた刈り上げの黒髪、鋭い目つき、その特徴をかろうじて掴んだ下手糞な似顔絵がそこにはあった。

「俺が言った通りだろ?奴らはここで巨人同士を戦わせてめちゃくちゃにした連中だ!」
「エレンって怪物を使って人類を滅ぼすつもりなんだ!」
「や――ね……危なっかしくて外も出歩けないじゃない」
「しかし、調査兵団って言ってもリヴァイ兵長ぐらいしか顔が割れてねぇからな。その辺にいても気付かねぇよ」
「やだ……怖いわ……憲兵さんに頑張ってもらわないと……」

 このたった1日で調査兵団を取り巻いていた現状は一気に悪い方向へ転換した。あっという間に犯罪者にされた自分達に対しての噂話をする住民たちのやり取りを耳にしながら深く帽子をかぶり雨具を着た長身の少年─…ジャンは自分達の正体が知れぬように、怪しまれないようにとその配布されているリヴァイに似ても似つかない手配書を憲兵から受け取ると静かに街を離れて現在の潜伏先である人里離れた山へと向かった。

「兵長、買い出し行ってきました」
「それで……街で憲兵がこんなものを配っていました」

 ジャンの後をアルミンとミカサが続く。街をこんな大勢でうろついていては見つかるのも時間の問題だ。顔の割れていない3人が帰還するとリヴァイは手配書を受け取りその内容を確かめていた。
 サネスとラルフを拷問していたあの冷たい地下室がある隠れ家をも捨て、リヴァイ達はさらわれてしまったエレンとヒストリアの行方を追い掛けてストヘス区へと極秘に移動した。レイス卿の領地に向かうのなら必ずこのストヘス区を経由すると睨んだリヴァイの指示でそのままストヘス区の山へと潜伏を決めたのだ。
 古びた紙に刷られた手配書を見れば、そこには自分自身似ても似つかないただ目つきも顔つきも悪い男の似顔絵と、リーブス会長殺害の偽りの内容が書かれている。
 誰もがリヴァイのその似顔絵のクオリティについて考える事は同じはずだ。「似ていない」と、しかし、その話題に触れる人間は今ここには誰も居ない。ディモ殺害後から依然として行方不明のままのウミ。彼女が今ここに居ないから尚の事、今彼らとリヴァイの間に出来た大きな溝は完全に隔たれ、そして今も修復不能のまま。
 サシャは思った。今は亡きクライスがもしここに居れば煙草を吸いながらのんきに手配書のリヴァイの似顔絵の部分だけ拡大印刷して皆に配り歩いていただろう。と、根拠もなく
「あーはいはい、大丈夫、大丈夫」と、みんなを安心させてくれたかもしれないと。
 いや、もしかしたらこの現状ではもう調査兵団には付き合いきれないと単身逃げ出したかもしれないが。今この全体的に張りつめている雰囲気よりは彼が居れば幾らでもマシだったのかもしれないと思った。
 かつて新兵達だけで何とか切り抜けようとしたトロスト区奪還作戦時の前に起きた本部奪還作戦の際、新兵しかいない絶望的な状況の中、たまたま居合わせたあの鮮やかなワインレッドの髪をした男の事を何故か無性に思い出す。
 クライスの存在。それは調査兵団としてもとても大きかったと亡くして気付く。もし、自分達がリーブス商会の会長を殺害したと言う事実を知っても彼は中央憲兵を敵に回しても味方に付いてくれた、そして傘下の貴族を味方につけてこの事実解明をきっと行ってくれただろう。
 いつも人を食ったような態度、陰でエルヴィンや前団長のキースの髪型を馬鹿に出来るのは彼くらいだろう。そんな彼がどんな気まぐれかは知らないが貴族の身でありながら金を持て余して暇だと自らスポンサーとして調査兵団に所属し、味方してくれていたから調査兵団は資金繰りをせずとも資金を何とか確保でき、そして守られている部分が大きかった。
 しかし、もう彼は居ない、死んだ人間を頼ることはもう出来ない、そして彼の家は原因不明の火災により財産もろとも焼失したのだ。壁内人類の為に誰よりも戦っている筈なのにどうして追われる身となってしまったのか、自分達のせいで自分達の帰りを待つ家族にまで危害が及んだら…。そのやるせなさに支配されながらも、それでもウォール・マリア最終奪還作戦の為に革命を起こすと決めたのだ。例えエルヴィンが自分達のために表向きで逮捕されようとも。自分達は尚の事この人数でもなんとかやり遂げるしかない。
 そもそもこの壁の中を変えなければ自分達の明日など無い。どうにか活路を見出そうとリヴァイはかつて与えられた処世術で得た知恵を振り絞り模索していた。
 その表情は暗く、周囲には重苦しい空気が流れていた。ついこの前まで潜伏していた山小屋でのまだ明るかった雰囲気から今取り巻く空気はかなり大きく変わってしまった。アルミンはもう打つ手なしと頭を抱え力なく俯いた。

「これが事実なら……調査兵団は解散状態です。もうじき憲兵団による山狩りが行われると言うし、加えて主要な街道には検問が張られ、通行証が無いと通り抜けは不可能です……! 兵長、どうしたら…」
「早くしないとエレンが!それに、ウミもまだ戻ってきてません……まさか……!?」

 エレンを守り、そして誰よりも思うミカサは護衛としてリーブス達について行ったきり未だにここに戻らないウミを案じ、そして彼女が護衛していた会長ディモが死んだことでウミも同じく始末されたかもしれない、その生存が絶望的だとしてもそれでも見た目とは裏腹にしぶとい彼女の事だから絶対にどこかに隠れながら生きていると信じ、その安否を気にしていた。ウミが生きているという希望なら1番にこの目の前の男が信じているだろう。その証拠にリヴァイは静かに皆を落ち着かせるように宥めた。

「全員落ち着け。奴等は馬車を使っている。ウォール・シーナレイス卿領地までストへス区を経由するまであと1日はかかる筈だ。その時に必ずここを通る、お前らは三つに分かれてエレンとヒストリアを隠した怪しい馬車が無いかを探れ。いいか、その足取りさえつかめれば余計な追跡は不要だ、いいな」

 自身と同等の力をめきめき発揮しつつある男顔負けの戦闘力、そして、自身と同じ冷静な判断能力や持つミカサ。おそらく彼女は今こそ精鋭の命が次々と奪われ、散っていく調査兵団の中で貴重な戦力だ。

「了解、」
「待ってください、兵長は……」

 三手に別れろと言いつつリヴァイは別の方向へ向かおうとしている。訝しげに顔を歪め、新兵たちはリヴァイは一体何処に行くのかと疑問符を抱いた。リヴァイは新兵達の目が口にしなくても自分に対して何を訴えているのか理解していた。
 仕方あるまい、ここ数日で自分が行ったこと、そしてそれはこれからも続くだろう。替え玉作戦で傷つけられたウミを犯そうとした男を死ぬよりも惨い方法で暴行したり、中央憲兵が事実を吐くまで徹底的に拷問した。とどめにか弱いヒストリアを力尽くで女王に即位させるべく無理やり従わせた姿を目の当たりにし、最後にそのやり場のない不安、そのはけ口をウミにぶつけた。
 そんな自分の姿を見て、猜疑心を露わにしているのは理解していた。しかし、それでも兵士として、たとえ横暴な上官だと蔑まれようが自身はそれでもそれしか手段がないのなら幾らでも悪役に徹するのだ。男は顔色ひとつ変えずに静かに呟いた。

「憲兵共の山狩りが始まる前に俺はウミを探しに行く。そもそもあいつが居ながらディモ・リーブスが殺されその遺体を遺棄された。それをあいつが黙って見ている筈がねぇ、今も生きてるのならその真相を聞く必要がある。それに、あいつと息子のフレーゲルの死体がまだ見つかってねぇ……何か知ってるはずだ」
「兵長! 足音です、こっちに向かってきます!」
「いいな。もう完全にこの壁に俺たちを匿う場所はねぇ。逃げ回りながら策を講じる必要がある、」
「兵長!」

 短く用件だけを告げ、リヴァイは一人ウミを探しに山の中へと立体機動装置で飛んでいってしまった。その場に取り残された新兵達はそれぞれ神妙そうに顔を歪めながらその背中が見えなくなるとついにその今の今まで我慢して蓄積していた不満が爆発した。こんな緊迫した状況下で上官に対しての不平不満を言うべきではない、兵士たるもの上官の言う事に何故と問うなかれ、しかし、もう我慢ならなかった。ジャンは大きなため息をつきその苛立ちをあらわにした。

「何なんだよあの人は……結局自分で嫁さん助けに行くから俺たちは危険を承知で馬車の張り込みしてろって言うのか?」
「いきなり危険な任務ばかり押し付けられても……私たち、まだ入団して1カ月と少しなんですよ? それなのに……まだ新兵なのに戦えだなんてあんまりですよねぇ。それに、私たちだってウミが心配なのは同じなのに…」
「そのウミだって俺達よりも兵長、兵長じゃねぇか…それに、人類最強と呼ばれてたリヴァイ兵長って完全無欠の英雄だと思ってたのに蓋を返せば暴力で人間を従わせてる最低野郎じゃねぇか……」
「全くそうですよ!それに、ウミが今も忘れられないって言ってた恋の相手がまさかあのリヴァイ兵長だなんて……正直、残念だと思いました」
「つまり……あいつは男にいたぶられるのが好きな悪趣味女だって事だ」

 口々にこんな緊迫した状況下でそれぞれ不満を口にする中アルミンとミカサは黙って3人の不平不満を聞いていたが次第にその不満はウミの話題になった。男の趣味が悪いとまで。5年間共にし、小さな頼りない体で守ってくれたウミの事をリヴァイが深く想い、いつもその身を案じていることを知るからこそ何も言えずにいた。しかし、いつまでもここで文句を言っていても何も始まらない、ミカサは静かに促す。

「皆、もういいでしょう。今は逃げるのが先。私たちだけではどうすることも出来ないのなら兵士長の判断に従うしかない」
「そうだよ! みんなも今ここで兵長やウミの文句を言ってる場合じゃないよ!それにこんな大勢でウミを助けに行く方が見つかりやすくなる、リヴァイ兵長に任せようよ、それに、……僕は、兵長はそんなに悪い人じゃないと思う、」
「あ? 何だよアルミン、ミカサ、お前らはウミと兵長の肩持つのかよ」
「そうじゃない、あのチビが異常なのは前から分かっている。私はいつもしかるべき報いの事は考えている。だけど、兵長はウミをちゃんと思ってることも私は知っている。正直ウミの男の趣味は悪いと思う。だけど、それでも兵長とウミがどれだけお互いの事を思っていたのかこの5年間、私は見て来たから私は何も言わない」

 その言葉にもう3人は何も言わなかった。エレンの事でいつも頭の中がいっぱいだと思っていた彼女の口から零れた言葉には何と言えない説得力があった。それに、いつまでもここで言い争いをしても意味が無い。ミカサとアルミンに宥められながら残された五人は再び街中へと歩き出した。
 いつまでもいつまでも、このままこの壁の中を逃げ続けるだけじゃ現状は変わらない、エルヴィンは憲兵に捕らえられ、残りの調査兵団達が捕まるのも時間の問題である。



「……っ、は……(行ったかな……?)」

 命からがら逃げきったウミは今も山中をタヴァサに跨り木の間を縫う様に山の中を奔走していた。あれからどれだけの時間が流れたのだろう。今も宛てのない荒れた道をただ孤独に逃げ回っていた。

「居たか??」
「居ねぇな、さっき確かに声が聞こえたし確実に身体のどこかに弾当たったと思ったんだがな……」
「どうせそろそろ憲兵総動員での山狩りが始まるんだ。まして撃った弾が身体に当たってんだったらそのうち死ぬだろ」
「この雨じゃあよく見えねぇな……」

 もう街には戻れない。自分は逃げ場がない、山中を駆けまわるウミを追い詰めるのは忌み嫌っていた一角獣のエンブレム。奴等はもう敵だ。今度こそ自分は殺される。それならこっちから仕掛ける番だ。しかし、幼少の頃から対巨人用に今まで鍛えて生きてきた自身はこの手を血に染める事に対し激しい抵抗感を拭えずにいた。
 自身の持つ技術なら憲兵の命の芽を摘むなど容易いはずだ、しかし、相手は同じ壁内に生きる理性のある人間。自分が殺されそうだからと殺す。
 それは正当防衛という名の殺人だ。たとえ巨人の正体が人間だとしても、元人間と今現在も人間を殺すのとでは訳が違う。
 地下街に居たのに忘れたのか、壁の外で巨人と戦い続けて自身はすっかり麻痺してしまっているのだろうか。

「(くそ……ごめんね、タヴァサ)」

 跨る自分の馬に罪は無い、例えこの身が危険に及ぶことはあってもこの壁内で貴重な存在である白馬の彼女が例え今この壁内を混乱に陥れている調査兵団所属の馬であったとしても殺されることは無いだろう…。
 いざとなれば彼女を捨てて立体機動装置で逃げるしかない。
 しかし、ガスを補充できるかどうかわからない状況下でガスを酷使するのもよろしくない。こんな時どうすればいいのだろうか。

「……何も見えない…でも進むのは危険……でもこのままじゃ」

 殺すのか?地下街に居た時のように。自分が生き残るために?終わりなき自問自答。服にじわじわと浮かぶそれはまるで赤い花のようだ。自分の首に刻まれた。それを見て、ウミは忌々しげに顔を歪め悪態突いた。首元まで覆われている真白な上着の腹部がじわじわと赤い血で染められていく…。逃げ回るうちにどんどん追い詰められ、ウミは今逃げ場のない危機を迎えていた。
 憲兵とは名ばかり、所詮は新人に雑用ばかり押し付ける奴らの事だ、幼少より調査兵団で巨人との死闘を繰り広げてきた自分とは相手が違う。普段使う事もなくお飾りの彼らの銃の腕などたかが知れている。
 何故か知らないが自分は肌を伝う危機を機敏に感じることが出来た。ギリギリの所で急所への直撃は免れたが、その弾丸はウミの横腹を浅く埋めたままの状態だ。そして流れる血の量は少ないが自分の居場所を追っ手に知らせていた。
 人体急所は免れたが身体に弾丸が埋まったまま逃げ続けるのは得策ではない。痛みに耐える訓練ならいつでもしてきたから耐えられる。しかしこの冷たい雨に打たれて寒さは止まらない。せめて応急処置をしないと。
 ここに至るまでの経緯を思い出す。リヴァイからの指示を受けたウミはリーブス商会と共にエレンとヒストリアを中央憲兵に差し出すはずがその作戦もすべて見抜かれていた。
 エレンとヒストリアを乗せた馬車を尾行どころか、完全に敵に尾行していたのはリーブス商会と結託した調査兵団だと知られてしまった。まして、その敵がかつての母の恩人であるそして母が口にした男「ケニー・アッカーマン」だった。
 あの男のあの眼差し……鋭いナイフのようでそれはピタリと自分の肌に触れていて恐怖した。
 自分達の目的など等に把握してお見通しだったのだろう。エレンとヒストリアを差し出したこと等既に気付いているに違いない。
 エレンとヒストリアを乗せた霊柩馬車の尾行計画は破綻し追跡よりも逃走に馬を使った自分。
 今回の自分たちを追い詰める真の敵の顔を見た唯一の自分とフレーゲルだけがこの真相を知る存在。自分が居ながら…あの場で戦っていれば…ディモ・リーブスは死なずに済んだかもしれないのに。調査兵団を危機におとしいれたのは私。この落とし前、どうつければいいのだろうか。

「(お父さん……わ、たしは、どうしたらいいの……? やっぱり、人を殺すしかないの…?)」

 ケニーは母のかつての恩人、だと信じたい。夫が亡くなり人恋しさにあの男と夜にこっそり逢瀬していたなんて想像すらしたくない。自身の親の不貞など…。
 ケニーとは1度対話する必要がある。母とのその真相はあの男が知っている。しかし、もう面と向かって彼と話をすることは許されないだろう。今更引き返す事はもう出来ない。
 今は亡き偉大な父ならばこの危機的状況をどう切り抜けただろう。もうこの手はとっくに汚れきっているのに。
 今更父親に許しを請うとは。。父親はこうなることも全て見越していたのだろうか。
父親の教えがなければきっと自分はあの地下街でとうの昔に野垂れ死んでいた筈だ。心身に刻み込まれた処世術だけが今の自分を生かしてくれている。
 最悪を嘆くより今できる最善を。ディモが殺された事をとにかくエルヴィンとリヴァイに伝えなければ。そして、エルヴィンは無事だろうか。
 険しい山道の悪路、馬での逃走は困難を極め、更にタイミングの悪いことに冷たい通り雨が視界を奪う。タヴァサも走る勢いを弱め不安そうに嘶きウミに擦り寄る。

「ごめん、タヴァサ……あなたまで無理やり連れてこなければよかった」

 先程雨具のマントをケニーにぶつけてしまったために降りしきる雨は勢いを増すばかりだ。容赦なく失態を犯したウミに降りつけ、服を濡らしていく…。追っ手を撒けたかどうかもわからない中、周囲を見渡すも雨により山の中は濃霧が立ち込め足場はぬかるみ焦燥感を募らせる。
 ひとまずこのまま彷徨っても道に迷うだけだ。やはり地図を貰っておくべきだったと悔やむももう遅い、合図をしようにもこの雨天では信煙弾の意味もない。
 ため息をつき、ひとまずタヴァサだけでも雨宿りさせようと近くの大きな木に降り立ったその時だった。

「っ!!」

 背後に確かに人の気配を感じてたまらず両方の剣を抜いてくるりと振り返り身構えた。

「っ、だれ……?」

 中央憲兵の追っ手か!?身構えながら背後の気配に静かに歩み寄る。深く立ち込める靄の向こうで確かに人影が見えた気がした。こんな人里離れた山奥に居るのなんて自分か奴等くらいだろう。
 出来るだけ戦闘は避けたい、特に、望むなら人を殺したくない、幾らこの緊迫した状況下でそれがただの自身の願望で綺麗事だとしても…。
 運よくこの山間の住人なら傷の手当てになるようなものか雨風でも凌げる場所でも提供してもらうか。
 どんどん近づく影に目を凝らし構えた剣を持ったまま近づいた。
 慌てて振り返ればいつの間にか奪われた自身の剣が自分の包帯で痛々しい痣を隠した頸動脈にピタリと宛がわれていた…。その冷たい刃が包帯で巻かれて隠された幹部に触れている。ひやりとした冷たい感覚…振り返ればそこに居たのは見知った人物の刃のように鋭い双眼だった。

「おい、これは一体どういう状況だ……」
「な、」

 ウミの前に現れたのは……。

「やだ……リ、ヴァイ……!? もぅ……びっくりした……脅かさないでよ……っ」

 見知った双眼、それは最愛の男。その安堵感からそのままへなへなと力なく崩れ落ちたウミをようやく見つけたリヴァイだった。まさか彼が助けに来てくれるとは思わず、突然の救援にウミは思わず脱力してしまった。
 しかし、リヴァイはその表情を変えないままウミに問いつめる。今まで何をしていたと。

「エレンとヒストリアの追跡はどうした」
「それが……あの、」
「居たぞ!! こっちから声がした」
「……っ!」

 聞こえた声にリヴァイは頭から爪先までずぶ濡れで、雨具もなく逃げ回るウミの姿に全てを悟った。計画は破綻した、奴らに全て先読みされていたのだ。

「相変わらず手のかかる奴だな、お前は」
「わっ! 離して、自分で歩けるから……」
「お前じゃノロマ過ぎて見つかる」

 聞こえた声にリヴァイは全てを察知し、すぐにウミを軽々と抱き抱えると立体機動装置を展開、極力息を潜めて素早く木々の間を抜けた。
 その速さに目を回しながらウミは振り落とされないように首に腕を回した。そして、ウミが逃げ遅れたそもそもの原因をリヴァイはようやく理解した。ウミはそれでも振り返るように不安げな表情で逃走を拒む。

「待って、タヴァサを置いて行けない……」
「お前の脳みそはスカスカか?今はそんな悠長な状況じゃねぇのが分からねぇのか、馬なら諦めろ、調査兵団の馬までは殺されはしねぇだろ」
「それは……ダメっ! あの子を置いていくなんて私には出来ない! あの子はお母さんとお父さんの形見だよ!?」
「いちいち声がでけぇんだよ馬鹿野郎、てめぇはなんの為のリヴァイ班の副官だ? 親父の馬を守って死ぬのが任務か? 勝手な行動で死ぬなんて許さねぇ。黙って俺に従え、」
「っ……」
「お前の親父の遺言だ、いや、それ以前に……お前をこんな得体の知れねぇようなこんな山奥でまだ死なせる訳にはいかねぇ」

 リヴァイは作戦の失敗と、そして緊急事態を察知しながら大人しく腕の中で暴れるウミを冷静に落ち着かせる。

「商会の人間が居るから大丈夫だと……地図も持たずにお前一人で商会の護衛を任せたのは……どうやら俺はお前を過信し過ぎていたようだな……死なずに逃げ出した事だけは褒めてやるが、肝心のあの二人がいねぇんじゃな」
「ごめんなさい……それは、私が悪いんです」
「いい、もう過ぎたことだ。それよりもこの天候じゃ動きようがねぇ、まぁそう簡単にうまくいくとは思っちゃいねぇが…「ディモ・リーブス会長が中央憲兵に殺されたの」
「……そういう事か。この手配書の通りだな、殺したのは俺たちにされている」
「手配書?」

 リヴァイから手渡された手配書のリヴァイの似顔絵にウミは思わず吹き出した。ウミが口にした事実を重く受け止めながらリヴァイは点と点でつながっていたパズルのピースを繋ぎ合わせ、ようやくその事実を理解したのだった。
 中央憲兵は見事にエレン引き渡しに応じずに抵抗を続ける自分たちに便乗して擦り付けたのだ。公に調査兵団の活動を停止させ機能させなくさせる為に。
 彼の名前を伏せ、ウミは静かに俯き、行き場のない小さな手が安堵を求めるようにリヴァイの頬に触れる。

「冷たい手で触んじゃねぇよ……」

 不安だったのだろう。訴えるようなウミの瞳が泣きそうに歪む。宛もなく逃げ回る心細さで今にも張り詰めた糸が切れてしまいそうな程に。他人の綺麗か汚いかどうかもわからない手で触れられるのを誰よりも嫌うリヴァイだが、それでも文句を言いながらも愛する者の温もりが変わらずにあることを確認し、その手を拒むことは無かった。しかし、雨のせいで視界が悪い。このままやみくもに突き進んでもこの山から出る事は困難。
 その時、ウミは雨で視界不良の中で木の茂みに隠れた古びた小屋を見つけるのだった。

「リヴァイ、あそこに怪しげな小屋が……見える……」
「ああ、清掃が行き届いてなくてボロそうだが雨風は凌げそうだな…直に日も暮れる、ひとまず雨が止むまであそこで休むぞ」
「でも、見つからないかな……」
「俺が見張る、」

 リヴァイのその言葉にはとてつもない安心感と説得力があった。

「鍵、かかってる」
「チッ、仕方ねぇか」

 地面に降り立ち、周囲を警戒しながらもリヴァイが南京錠を苦もなく蹴り壊すと、南京錠は粉々に吹っ飛びドアにも亀裂が走っている。
 後で弁償しなきゃ!と真っ青な顔のウミを先に小屋に入ると、見た目よりも内装は行き届いており、木のいい香りがした。簡素ながらも暖炉とイスとテーブルとシングルベッドがある、山の炭鉱夫たちの休憩場のようだ。
 調査兵団のリーブス商会・会長殺人事件の中で厳戒態勢が敷かれており今はもぬけの殻となっているので最近まで使われていたのか薪もマッチもある。

「ああ〜……あったかい……生き返る……」
「靴の泥くらい落としてから入れ、」

 すぐに火を起こすとウミは寒かったのかそのまま暖炉の前に座り込むと冷えた身体を温め始めた。ふるふると小さな身体を振りながら雨で濡れた服や髪を振り払い水滴が舞う。リヴァイは無言で雨に濡れた服等を乾かす為に雨具を脱ぎ椅子にかけた。

「お前も服を乾かすから脱げ」
「え?」
「早くしろ」

 ウミにも同じように服を乾かす為に服を脱げと促した。何年の付き合いになる、今更恥じらいなど無い。
 リヴァイは雨具から滑り込み濡れて肌に張り付いたインナーも脱ぎ捨て、筋肉の鎧に覆われた傷だらけの上半身が突然露わになり、ウミは咄嗟に目で追ってしまった。そして目線が重なり慌てて逸らしたがもう遅い。リヴァイは不信感に眉を寄せる。

「オイ、ウミ。少しでも服乾かすからさっさと脱げ。今更恥ずかしいとか抜かすなよ」
「で、でも……! これを脱いだら、私、」
 
 何度彼の身体を何度見ても慣れることは無い。ましてこの5年間離れてる間に歳を重ね、互いに成熟し体付きも大きく変わったと言うのに。
 元々細身の筋肉質だったのに今の彼の肉体は激戦を経た筋肉隆々の兵士の身体になっている。それに、愛するものに素肌を見せるのはいつだって恥ずかしいものは恥ずかしいのに、この男は女心をまるで理解していない。それとも緊迫したこの状況下、兵士として雨ですっかり冷えた身体を乾かす事ばかりを考えている。
 ウミは恥ずかしいのもあるが、腹部の撃たれた部分を隠すようにいつまでも服を脱ごうとしない。アドレナリンが出ているのかまだ痛みはないが、せめて銃弾を引っこ抜いて応急処置をしなければ。膝を抱えて焚き火を見つめるその顔は些か赤い。

「聞いてんのか。何してやがる……さっさと脱がねぇと……」

 そしてリヴァイは地面に点々と垂れている明らかに水滴とは違うそれを見て絶句した。赤黒いそれをたどる先には紛れもなく腹部を押さえて蹲るウミが居て。
 痛いのに、出血しているのに無意識に腹部を隠そうとするウミの姿にリヴァイは険しい顔つきのまま問い詰めるように歩み寄った。

「お前、いつやられた」
「……さっき、」
「あの銃声を避けたわけじゃねぇのか」
「っ、だ、大丈夫、掠っただけ。痛みは……」

 聞こえた銃声を頼りにここまで来た男はウミは紛れもなく自分よりも長く在籍している兵団の人間で、それなりの銃の扱いは心得ている。憲兵の武器を奪い逆に返り討ちにすることなど造作もないはずだが…。恐らく人を殺す事にまだ覚悟が出来ないウミの甘さが招いた負傷だと言うのなら。

「あっ、ちょっと……な、に!?」

 リヴァイはそのまま足払いをかけると無言でウミの着てたシャツを下からまくりあげた。

「いや、止めて……っ!」

 彼は普段こんなに乱暴に自身に触れたりしない、リーブス商会の倉庫でヒストリアの替え玉になった時の組み敷かれたあの時の恐怖が蘇り、抵抗しようとしたウミの両腕をひとまとめに頭上に掲げてそのまま床に押し倒すとうっすら腹筋の筋が浮かんだくびれたウエストの横腹に生々しく皮膚を裂いて埋め込まれた弾丸、その周囲を赤く染める血を見つけた。

「お前、こんな訳も分からねぇ状況で殺されてもいいって言うのか」
「っ……あああ! 痛い!! 痛い!! ちょっと、離して!!!」

 触れた手が確かめるようにその部分を掴んだ瞬間、ウミはただならぬ激痛に悶絶し叫んだ。それは苦痛に呻きながらリヴァイへ初めて身を捧げたあの時の苦痛だけしか感じなかった悲しい交わりを彷彿とさせた。

「痛い! 痛い! 止めて! 離して!」
「暴れんじゃねぇ。我慢しろ、暴れんじゃねぇぞ」
「! やだ! 抜かないで! だめっ、だめったら! 待って!! 自分でやるから!」
「うるせぇな、処女捨てる時もあんなに泣いて散々暴れやがったお前が自分でやる根性なんかねぇだろ、こんな汚ぇ鉄の塊埋めこんだままほったらかして破傷風にでもなったらどうする……」
「そ、それは…!!! でも、」
「何だ、自分で抜けるか?」
「それは……」

 強い痛みや応急処置と言えど麻酔なしに身体に埋まった弾丸を引っこ抜く。そんなおぞましくも得体の知れない恐怖に震えるウミの肢体を引き寄せながらリヴァイは冷たい声で問いかける。
 痛みに耐え、尚も自分自身の手でその苦痛を味わうか、それとも、信頼出来る彼に全てを委ねるか。

「人間、誰しも痛みに弱いのは知ってる。だがな、このままお前の皮膚が腐って変色していく姿なんか見たくねぇ、」
「リヴァイ……」
「ドレス……着てぇんだろ、」
「ドレ、ス?」

 その時、リヴァイが呟いた言葉にウミは夜会のドレスか?と首を傾げた。しかし、リヴァイが言うドレスとはそれでは無い。首をかしげる彼女を無視してリヴァイは彼女の上に跨るのだった。

「安心しろ、一瞬で抜いてやる。俺の首に腕を回せ」

 彼の真っ直ぐな目に訴えられ、ウミは抵抗していた手を止めた。言われるがままリヴァイに向き直ると首の後ろに両腕を回してそのままむき出しの筋肉で隆起したこの離れていた5年前より鍛錬を繰り返し食事も地下街に居た時よりも栄養価の高い食生活のお陰か、筋肉がついた逞しいその上半身にしがみついた。
 冷たい雨で冷えたウミの肌をリヴァイの体温がウミに温もりを与える。
 ウミがようやく痛みを受けいれ落ち着いたのを確かめるように、リヴァイはこの小屋の者たちが残していったブランデーを消毒替わりにウミの皮膚にぶっかけるとそのまま一気に腹部に埋め込まれた弾丸を指先で探ると、ウミは痛みに顔を歪める。

「怖い……やっぱり……っあああ! お願い、無理、やっぱり、無理だよぉおっ……」
「我慢しろ……、すぐ、済む……」

 そんなに奥深くまでは刺さっていない。これならまだキツく固定すれば大丈夫な、筈。しかしグリグリと弄られ、患部が熱を持ち痛む。あまりの痛みに苦悶の声を漏らしリヴァイの肩に縋るように堪らず爪を立ててしまう。しかし、リヴァイは止めない。中途半端に止めるくらいなら一度で一思いにやった方がいい。

「お前を失う方が怖ぇんだよ……分かれ、耐えろ」
「っ……! あ、ああっ!あああっ――……!!」
 
 そして、つかんだ指先で一気に鈍色の鉛玉を引き抜いたのだ。その痛みは一瞬、意識さえ白く焼けそうな痛みにもんどり打ったウミを強く押さえつけるように抱き締め、せめてその苦痛が和らぐようにリヴァイは苦悶の叫び声をあげるウミの叫びを自身の唇で荒々しく塞いだのだった。

To be continue…

2020.02.21
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