THE LAST BALLAD | ナノ

#57 ADMIRE ME

――王都・ミットラス

 巨人に覆われたこの世界。遥か昔の事、生き残り達は巨人の脅威から逃れるように築き上げた三重の壁でこの世界に楽園を築こうとした。
 しかし、その楽園は王による偽りの楽園、いつか終わる世界、その中央に位置する王の加護を受けた世界、王都からの招集命令を受けたエルヴィンはこの内地があるミットラスまでかつての同期である親友のナイルを同行者として、共に馬車で揺られてここまでやってきた。
 壁が破壊されたかもしれない……。南西での騒動とその混乱は内地にまで広まっていた。
 更に「女型の巨人」捕獲作戦によって安全だと言われていた移住を希望する者達で絶えない内地に存在するストヘス区にまでその被害は及び、今もその混乱した状況が尾を引いている。
 しかし、何処にも壁が壊された形跡はなく、その為に今駐屯兵団はあちこちへ駆り出されている。監視する者がいない中で壁内は無法地帯にも近い状態になっており、孤児たちは生きるために誰もが必死だった。
 せっかくの華やかな内地、ここまで来たのだからまだ病み上がりで悪魔に捧げた自身の右腕を切り落として救ってくれた、今もその罪悪感に落ち込んでいるウミが喜びそうな服の一つでも買ってやるべきかと思ったが、今は残念ながらそういう状況ではない。

「少年窃盗団か? 王都までこんな状態とは……」
「どこも同じだ。取り締まるにしても収容施設は既に溢れ返ってる。そんな状況で憲兵である俺を連れ出してどういうつもりだ?一人じゃ王政召集もまともに務まらないか?俺は訓練兵時代の思い出話なんかに付き合う気は無いぞ」
「つれないな……ナイル」

 エルヴィンが見つめる先では兵団の監視の目が無いのをいいことに男性のバッグを盗んで急いで逃げ出したみすぼらしい孤児の少年たちの姿が馬車の窓から見えた。
 その少年たちの背中にかつて地下街で暮らしたリヴァイが重なる。
 誘拐されたウミはもう地下街の中で死んでしまったと誰もが諦めていた。
 しかし、そんな状況で立体機動装置を巧みに操る窃盗団のリーダーだったゴロツキのリヴァイの傍で、絶望的な状況下の中で、ウミは生きていてくれた。
 そして、そんな絶望的な状況だったウミを守り救いだしたのは自分を睨みるつける鋭い刃のような眼差しだった。
 今はもうあの頃より落ち着いたのもあり、その鋭さは成りを潜め手はいるが、人類最強の男が唯一愛した女。
 守るものを手にした男は本当の意味での強さを手に入れ、巨人を駆逐するその刃はより一層の強固さを増して、今では調査兵団には欠かせない重要な存在だ。
 エルヴィン自身は地下街のような劣悪な日々とは無縁の人生だったが、リヴァイは劣悪な環境の中でその日暮らしの日々を生き抜き命を繋いできたのだ。
 そして、そんな中でウミと出会い、恋に落ちたのだろう…。
 治安の悪い暗い世界で生きてきた男は両親に愛されて育った、純粋無垢で可憐な少女をあっという間に自分の前より連れ去っていった。
 自分の周りをいつもちょこまか走り回っていた無邪気に微笑む少女のウミがいつまでも子供のままで微笑んでいる筈もないのに。
 もう無邪気な少女はどこにも居ない、愛する男を知り、そして自分の前からもう居なくなってしまった。
 いつ死ぬか、明日をも知れぬ身で家族を持つことはエルヴィンにとっては大きな賭けであり、そして誰も愛さないと決めていた。そしてウミも離れた、これでいい。そう、言い聞かせたのは自分なのに。
 ウミはもう自分だけに見せる表情以上の顔を男に見せている、その事実に酷い喪失感を抱いていた。
 ウミも離れて気が付いた。彼女に癒されていた心を、年月を重ねて成長するウミに自分は――……いや、それはもう過ぎ去りし過去の事だ。
 他人に抱いていた淡い感情など、自身の「夢」の為にもうとっくに捨てたはずなのに。
 馬車の中で、エルヴィンはかつての同期であるナイルと共に王都の景色を見つめていた。華やかな世界、しかし、二度の巨人の襲来でこの壁世界は今危機を迎え、その余波はここまで来ていたようだった。
 ナイルは憲兵団を束ねる多忙な身でありながらなぜこんな時に呼び出したのかと不満を露わにしている。
 懐かしい同期との語らいとなるには今の置かれた状況はあまりにも悪い。

「お前はきっと早く逝っちまうもんだと思ってたんだがな……今は右腕をあの世に突っ込んだあたりか。それもガキの頃言ってた妄想を今も信じてるせいか?」
「あぁ……その妄想は真実に変わりつつある」
「……それはよかったな」

 エルヴィンは先ほどまでの和やかな雰囲気から一転して突然本題に入る。今朝方起きた深刻な事件を確かめる為に。

「ところでナイル。ニック司祭が中央第一憲兵に拷問を受けた後に殺されたんだが…知っていたか?」
「……イヤ?」

 エルヴィンは重々しい口調でナイルにそう問いかける。
 クリスタ・レンズがヒストリア・レイスであり、そして彼女が壁の秘密を知る大事な証人であると教えてくれた重要な情報を持つニック司祭が今朝、拷問の果てに殺害された――……。と。
 それはセンセーショナルな事件だった。
 その現場を急ぎ駆け付けたハンジの見解によって彼はただ殺されたのではない、壮絶な拷問を受けて口封じの為に殺されたのだと言うことが判明した。
 内地を守る筈の王の快刀がはるばるトロスト区までやってくるなどありえない、奴等は中央第一憲兵のサネスとラルフ……彼らの手によって拷問された。
 その証拠にニックの爪は全て剥がされ、そして嬲り殺されて居たのだから。

「俺達が新兵の頃からの付き合いであるウミもニック司祭と同じ目に遭い掛けたんだが知っていたか…?」
「何だと?」

 突然、エルヴィンが口にした言葉にナイルの顔色は一気に青ざめた。
 ニックが今朝方兵舎にて遺体で発見された事を口にし、ウミも危うく同じ末路を歩んだことを告げたのだ。
 黙り込むナイルをエルヴィンはただ、黙って見つめていた。
 果たして、憲兵団師団長の彼はこれまでの一連の事件に全てに関与しているのだろうか。
 どうか違うと、そうであってくれ、カマをかけるように様子を窺うエルヴィンの青い瞳がナイルを射るように見つめる。

「ヤツらはエレンの居場所を知りたかったようなんだが、お前達憲兵はなぜそんなにエレンが欲しいんだ? 人殺しに手を染めてまで」
「我々は……上の御達しに従ったまでだ。理由(ワケ)など知らん。そして、我々が憲兵団の表の顔なら中央憲兵はその逆。指揮系統も違えば接点も無い……我々から見ても何を考えてるのかわからん連中だ。ヤツらを公に取り締まる者など存在しないからな。何をやってもお咎め無しだ。長年兵団に居て今更そんなわかりきったことを聞きたかったのか? 俺を絞っても何も出んぞ?」
「どう思う?」
「……は……?」

 エルヴィンは疑っているわけではない、かつての同期に同じ志を目指した仲間にただ、確認がしたかったのだ。

「ウミの父親……あの男は壁外から来た人間だと言うことが判明した、それによって壁内の迫害されてきた母親とその間に生まれたウミの存在を消すことで、王政は秩序を保とうとしている。そんな彼らにエレンを委ねることで、果たしてこの壁の危機が救われると思うか? お前はどう思う?」
「それは俺が考えることではない。俺は俺に与えられた仕事をこなすまでだ」

 ナイルはすぐに師団長の顔に戻り、そしてそのままいつまでもキリのない会話にきっぱりと言い放ち、そして終止符を打とうとした。

「それで……マリーは元気か? 今度3人目が生まれるらしいな。ウミもリヴァイと今は未だ待たせている状態だが、この状況が落ち着き次第入籍することが決まった。戸籍が無いのなら新たに作るだけだが、そのウミを迎え入れようとしているリヴァイ自身も地下街で生まれ育ったのならその戸籍が今現在どうなっているのか、問題は山積みだが、巨人に比べれば大したことはない。おそらく近いうちにお前にもいい報告が出来そうだ……今この状況で明るい話題はひとつでも多い方がいいな」
「ウミはすっかり憲兵の俺を敵視しているのに祝いの言葉でも掛けてやれってか? 殴られるのは勘弁だぞ。なぁ、そんなことの為にわざわざ俺を呼び出したのか? いい加減お前は質問を絞ったらどうだ?」
「思えばお前とは一緒に調査兵団を志した仲だった。しかしお前は行きつけの酒場の女に恋をし、一人の女性を守る道を選んだ……」
「……あぁそうだ。俺はお前らを裏切り今日までぬけぬけと生き延びた…だが後悔はしてない。家族を作ったことが俺の誇りだ」
「……お前を尊敬してるよナイル。先に逝った同期も同じだ、俺達にはできない生き方をお前はやったんだ。だが……組織に従い地位を守ることが必ずしも家族を守ることに繋がるわけではない。今、この小さな世界が変わろうとしている。希望か、 絶望か、
選ぶのは誰だ? 誰が選ぶ? お前は誰を信じる?」

 風に揺れるコートの右腕はもう無い。また更にこの男は悪魔に捧げると言うのか。
 今度こそ本当に心臓を失う事になるとしても…。ナイルは読めない同期の問いかけにただ、ただ、これから何が始まるのか、それだけが気がかりだった。
 また新たなことを始めようと言うのか。この王の快刀の影での暗躍で平和を守られていた壁の中の楽園を引っ掻き回すようなことを。

「エルヴィン……お前、何をやるつもりだ?」
「毎度お馴染みの博打だ。俺はこれしか能が無い。お前はお前の仕事をしろ…ただ忠告したかっただけだ」

 お前はこのまま師団長としての務めを果たせと、ナイルの肩を叩いたエルヴィンは優美に微笑むとそのまま馬車の外へ降りていく。

「ここまででいい……それと……もう一つ。俺もマリーに惚れていた」
「……はっ! そんなことは知ってたよ! だがお前が選んだのは巨人じゃねぇか!? マリーより巨人の方がいいなんてお前はどうかしてるよ! ウミも結局お前よりリヴァイを選んだ、それが答えた」

 そんなことは理解している。 ウミに自分は不相応、彼女を巻き込むつもりはない、彼女はこれまで多くの屈辱と苦しみをその身に受けてきた、これ以上の苦痛を与えない、誰にも奪わせない、調査兵団の団長として部下は全員守る。
 エルヴィンは一人強い決意を込めた表情で王都のこの壁の世界の全てが集まる中心である総統局への門をくぐり抜けるのだった。
 その表情は並々ならぬ決意に満ちていた。其処で待ち構える真実、エルヴィンは覚悟を決めた。
 調査兵団の上に立つ人間として全員の命を背中に背負い、悪魔に右腕を捧げた男にもう恐れる者は何もないのだ。



 巨人化の能力を使い果たし、ウミを危うく押し潰しかける程、理性を失った化け物と化して倒れたエレンが目覚めてそれから、トロスト区よりエルヴィンの指示を受けたニファ達が戻って来た。
 笑顔で迎え入れようとしたウミだが、その表情は決して明るくはない。重苦しい雰囲気の中でハンジが全員を居間に集めて欲しいと頼んだ。
 料理の準備をしていたコニーやアルミン達、そして見張り当番だったサシャとジャン達も、集まり椅子に腰かけるとハンジは静かに話し始めた。
 しかし、どうしたことか、分隊長ハンジが率いる調査兵団の優秀な精鋭班はいつもの明るさは無い。モブリットも複雑そうな面持ちで、ハンジ班全員がこの世の終わりのような浮かない顔をしている。
 その事に誰よりも状況の変化に敏感なリヴァイが気付かない筈もない、リヴァイはウミに差し出された紅茶に手を付け相変わらずやや濃度の濃い液体を流し込み独特の持ち方をしたティーカップを置いた。

「今、駐屯兵団は総動員で壁を哨戒している。そりゃとてつもない労力と人員が要るわけだ……。城壁都市の警備が手薄になるばかりか治安の維持すらままならない。街は今この状況に輪をかけて荒れている。だから、ウォール・マリアを奪還しなければならない……以前よりも強くそう思うよ、皆を早く安心させてあげたい……人同士で争わなくても生きていける世界にしたい。だから……一刻も早く実験を再開させたい。今度は恐れずに試そう、硬化の能力はもちろんもっと巨人化の詳細な情報を。ライナー達からエレンを奪い返すとき、巨人を操ったかもしれないって聞いて、もし、そんなことが可能ならこの人類の置かれている状況が引っくり返りかねない話だよ! だから! グズグズしていられない! 早く行動しないと……いけない! ……だけど。エレンにはしばらく身を潜めておいてほしい……」
「え?」
「それは……なぜですか?」
「それが……我々が思ってた以上に状況は複雑なんだ」

 ハンジは実験の再開をいつにするのか考えあぐねいていた。普段のハンジならなりふり構わず今からでも実験したいと言い出しそうな程なのに。
 その状況の中で起きた衝撃的な出来事により、すっかり普段のハンジらしくもない発言をした事に対してリヴァイがすかさず突っ込みを入れた。
 ウミは全員に紅茶を振舞おうとしていた手を止め、ハンジのらしくもない弱気な発言の真相を訪ねる。

「何だ……俺はてっきりお前らがここに来た時から全員がクソが漏れそうなのを我慢してるのかと思っていた。今もそういった顔をしている……。一体なぜお前らにクソを我慢する必要があるのか、理由を言え、ハンジ」
――「ニック司祭が死んだ」

 その言葉に今度はウミが硬直する番だった。
 まだ記憶に新しいこの前の中央憲兵の男とのやり取りを忘れたわけではない。
 思わず手にしていたカップを滑らせテーブルの上に紅茶をぶちまけてしまったのだ。

「ウミ?」
「……っ、ニック司祭が……?」

 配っていた熱い紅茶が身に着けていた真白なシャツに跳ねて汚れるのも構わず、ウミは青ざめた表情を浮かべて急ぎハンジに詰め寄る。いったいどうして、なぜ突然彼は死んだのか。

「あ? 何だと?」
「殺されたんだ。今朝、トロスト区の兵舎の敷地内で……」

――それは今朝の出来事だった。
 連日の隠れ家と兵舎の追っ手を撒きながらの移動。
 エレンの巨人化実験の後処理や経過をまとめるための事務処理に追われて殆ど寝ていないハンジは、モブリットの言葉で強制的に目覚める事になる。
 急ぎ、着ていた寝間着姿に髪も無造作なまま、慌てて兵団ジャケットを羽織りながら急ぎ足でモブリットと現場に急行する。
 辿り着いた兵舎は不気味なほど薄暗く静寂に包まれていた。
 ハンジはニック司祭に用意したその部屋の中央で仰向けに倒れて動かないニック司祭の変わり果てた姿を見つけた。
 その姿はあまりにも痛々しく、激しい暴行の末に嬲り殺されたのだと言うことが一瞬で理解出来た。

「ニック!!」
「オイ!」

 ニックの遺体を目撃したハンジが慌ててニックに駆け寄ろうとしたが、突如として現場検証を行っていた入口の憲兵に散弾銃で制止されてしまう…。

「オイ! 現場を荒らす気か調査兵!」
「勝手に近付くな!」

 他の憲兵に比べて老けているベテランだろうか、憲兵2人が実況見分にあたっているようだった。ニック司祭の物言わぬ抜け殻に駆け寄ろうとするハンジを銃で制止する。

「入れてくれ! 彼は友達なんだ!」
「これは我々の仕事だ」

 まるでハンジからニック司祭を隠して遠ざけるようにも見える。
 突如として長身の2人が立ちはだかり、ニックが死亡していた部屋の扉を閉められてしまう。

「最近頻発している強盗殺人事件だからなぁ……」
「な? そんなわけ無いだろう! 爪がはがされていたぞ!!」
「……何だと?」

 他の兵団に比べて少数精鋭の調査兵団、まして人間ではなく予測不可能な巨人を相手にしているのだ。わずかな時間の中でニック司祭の身体に受けたダメージを余すことなく視界に収め、一瞬にして見抜いたハンジが銃を組んで部屋への立ち入りを拒む憲兵2人に詰め寄る番だった。

「彼の指を見たか!? 何で爪が剥がされているんだ!? 何度も殴られたような顔をしてたぞ!! 侵入経路は!? 死因と凶器は何だ!?」

 口々に捲し立てるように言葉を並べるハンジ。しかし、憲兵は突然乱暴にハンジの胸ぐらを掴んだのだ。そのままハンジの胸ぐらを掴み、見えた内襟からハンジの所属を確認しようとしている。

「お前の所属はどこだ……第四分隊――「第四分隊長ハンジ・ゾエと副隊長モブリット・バーナーです」

 上官の胸ぐらを掴む乱暴なその腕を思いきりそれ以上の力で引き離すモブリットが大きな声でそう告げた。

「組織がちっぽけだと大層な階級も虚しく響くもんだな。いいか、調査兵団お前らの仕事はどうした?」
「は?」
「壁の外へ人数を減らしに行ってない間は壁の中で次に人数を減らす作戦を立てるのがお前らの仕事だろ? いっそ壁の外に住んでみたらどうだ?お前らに食われる税が省かれて助かる」
「ぷッ……」
「いいか? これは巨人が人を殺したんじゃない。人が人を殺したんだ。お前らの出る幕じゃない、」

 盛大に調査兵団への皮肉を浴びせる男たちにハンジはぽつりと呟いた。

「中央第一憲兵団……?」
「あ?」
「なぜ……王都の憲兵がこんな最南端のトロスト区に?」
「……そんなに不思議か? 治安が悪化して兵士が足りてないこの状況が? 端側のこの街には特に必要なんだよ、お前らのような出涸らしと違って使える兵士は今忙しい」
「あぁ…そういう事ですか! 自分が使えない兵士をやってるせいかな……偉いとこの兵士さんにビビっちゃいました。握手させて下さい!!」

 突然先ほどまでの態度を一変し、いきなりサネスの右手を握るハンジは確かめるようにサネスの手を包み込むように握り締めている。

「ふん……」
「そうか……強盗に遭ったのか……ニック……怖かったろう。かわいそうに……でも、彼は盗まれるようなものなんて持ってたかな…?」
「……当然だ。ウォール教の神具に使われているような鉄は高価なものだと知られている」
「え!? ニックは……ウォール教の司祭だったのですか?」
「……何を言っている」

 ハンジはニックがウォール教の司祭だったなんて、そんなこと知らないとでも言わんばかりの、今知りましたと言わんばかりの表情でそう答えた。

「彼とは個人的な友人でして……。でも、私が知る限り彼の職業は椅子職人だったはずです。この部屋の申請書類には私がそう記しました。兵舎の私的な利用はよくないことですが、今回の騒動で家を無くしてしまったそうで、だから、次に住む当てが見つかるまではこの部屋を使えるように私が手配しました」
「貴様……!」
「でも、私はニックの全てを知ってるわけではなかった、と言うべきなのでしょう」
「……ッ! オイ……放せ……」
「あぁすいません。つい。では……捜査の方をよろしくお願いします……そして、強盗を捕らえた際は その卑劣な悪党共にこうお伝えください。「このやり方には、それなりの正義と大義があったのかもしれない……。が、そんなことは私にとってどうでもいいことだ!! 悪党共は、必ず私の友人が受けた以上の苦痛をその身で生きながら体験することになるでしょう! あぁ! 可哀相に!!!!!」そうお伝えください!! 失礼します!!」

 元気よくそう告げ、潔くその場を去るハンジとモブリット。ハンジはサネスと会話しながらもしっかりその謎を探り、情報を掴んでいた。

「分隊長……ヤツらは本当に?」
「あぁ……。中央憲兵団ジェル・サネス。奴の拳の皮が捲れていた。ニックは中央憲兵に拷問を受け――……殺されたんだ…!!」

「ウォール教は調査兵団に助力したニックを放っとかないだろうとは思っていた……、だから正体を隠して兵舎にいてもらっていたんだけど……まさか……兵士を使って殺しに来るなんて……。ウミの事もあったのに、私が甘かった……、ニックが殺されたのは私の責任だ……」

 悔しげにテーブルに拳を打ち付けながらそう呟くハンジに一同も黙り込むしかなかった。そんな光景を眺めながらリヴァイは再びティーカップを武骨な手で持ち上げ、紅茶を啜る。

「憲兵はニック司祭を拷問して……どこまで我々に喋ったか聞こうとしたのですか?」
「だろうな……しかも、中央憲兵を動かせるとなると裏に居るのは相当の何かだ。レイス家とウォール教の繋がりを外部に漏らしてないかってことと……エレンとヒストリアの居場所を聞こうとしたんだろ」
「……そんな」
「もちろん今朝の段階からエルヴィン団長、ピクシス司令、全調査兵団に至るまで状況は共有されています。中央憲兵は逆に我々から監視されるハメになってますから……。そう下手なマネはできないはずです……。とは言っても形を変えてこちらを探る方法はいくらでもあるでしょう……今は何が敵かわからない状況です」
「今日ここに来る時も二手に分かれたり二重尾行をして来ました。まだここはバレてないと思いますが……」
「それで……エレンの実験をよそうって考えてるのか……? ハンジよ、」
「あぁ……。エレンの巨人の力が明るみになった時から中央の「何か」がエレンを手中にいれようと必死に動いてきた。しかし……今回の騒動以降はその切迫度が明らかに変わってきている。それまで踏み込めなかった領域に土足で入って来て兵団組織が二分しかねないようなマネをしでかした。それも壁の中のすべてが不安定なこの時期にだ。この状況を普通に考えれば ライナー達のような「外から来た敵」の仲間がずっと中央にはいたってことになる。つまり……我々が危惧すべきことは壁の外を睨んでいる間に背後から刺されて致命傷を負うことだ」
「それで? 俺達は大人しくお茶会でもやってろって言い出す気か?」
「室内でできることはまだ色々あるよ……編み物とか……今だけ頼むよ」

 ニック司祭が殺され、そしてウミまでもが危うく誘拐され、殺されかけたのだ。普段破天荒なことを思いつき巨人に対して異常な執着を見せるハンジでも自分が引き込んだことでニックが殺された事に対しての罪悪感で押しつぶされ、弱気になるほど、今大胆な行動は出来ないと、ただ、慎重にならざるを得ないと言う状況下で落ち込む彼女にリヴァイはそれは違うと答えた。

「「今だけ」だと? いや、それは違う。逆だ。時間が経てば奴らが諦めるとでも思ってんのか? ここはいずれ見つかる。逃げてるだけじゃ時間が経つほど追い詰められる。ハンジ……お前は普段なら頭の切れる奴だ。だがニックが殺されたことに責任を感じて逃げ腰になっちまってる。ニックの爪は何枚剥がされていた?」
「…え?」
「見たんだろ? 何枚だ」

 リヴァイの言葉にウミはごくりと生唾を呑む。もしかしたら次に消されるのは自分かもしれない、そう思うと今度は自分が壮絶な拷問を受けるのかもしれない、……痛みに耐える訓練を父親から受けたのはまさかこうなる事をあの父は見越していたのだろうか。

「(お父さん……どうして……?)」
「一瞬しか見れなかったんだ……でも、見えた限りの爪は全部」
「喋る奴は1枚で喋るが……、喋らねぇ奴は何枚剥がしたって同じだ。ニック司祭……あいつはバカだったとは思うが、自分の信じるものを最後まで曲げることはなかったらしい」
――「か…み…さま」
 ストヘス区の壁の上で、沈黙を貫く彼をそのまま脅しで引きずり落とそうとしたニックの絞り出すような苦し気な声がハンジの脳裏に反響した。

「つまり、中央の「何か」は俺達がレイス家を嗅ぎつけた事は明確になっていない。ただ、その中央の何者かに目をつけられたのは確かだろうな……。こいつを連れ去ろうとしたように」
「え??」
「リヴァイ?」

 皆に不安を与えないために黙っていて欲しいと懇願していたウミだったが、今はもう内緒にしているようなのんきな場合ではない。調査兵団の今の状況は切迫している。リヴァイは静かに切り出した。

「こいつは鼻の治療を終えて俺とここに戻ってくる途中、俺と離れた隙を狙って中央憲兵らしき人間に危うく連れて行かれてそのまま消されかけるところだった」

 その言葉に一同は彼女を静かに見て、いきなり全員の視線を真っ向から浴びる事になり、今までなぜ黙っていたのかという感情も含まれている気がしてウミは申し訳なさそうにリヴァイの隣に腰かけると俯いたまま今後の方針に耳を傾ける。

「少し隙を見せる余裕もない程に状況は悪い……まぁ……俺に言わせりゃ今後の方針は二つだ。
――一つ、背後から刺される前に外へ行くか、
――一つ、背後から刺す奴を駆除して外へ行くか。お前はどっちだハンジ? 刺される前に行く方か?」

 二つの選択しかもう残されていない、もう選んでいるような場合ではないのだと知る。 今調査兵団は大きな危機に直面しているのだ。エレン奪還作戦やウトガルド城での激しい戦闘により、このメンバーしか残されていない。凄絶だった変わり果てたニックの最期の無念の姿。恐らく彼の死は強盗殺人で片付けられ、その事実は隠蔽される、これまでと同じように。ハンジは覚悟を決めた。
 今現在自分達だけが調査兵団存続のカギを握っている。ここで消されれば歴代守り抜いてきたこの調査兵団は消える。ウォール・マリア奪還の悲願は潰えるだろう。
 ウミを、部下たちをニック司祭の二の舞にするわけにはいかない。

「両方だ。どっちも同時に進めよう」

 決断したハンジの言葉に一同の表情も引き締まり、そして突き進む方針を固めた。

「……まぁ。エルヴィンならそう言うだろうな……」

 リヴァイは幾度も地下街で命を落としかけた、誰よりも危機に対する察知能力は優秀。しかし、リヴァイは最初から強かったわけじゃない、彼に生きていく術としてあらゆる知識と手ほどきを与えたのは…。
 ニファはエルヴィンにより託された伝令を記したメモを手渡し、リヴァイは静かにそれを受け取った。

「リヴァイ兵長、エルヴィン団長から伝令です。ニック司祭の事を伝えに行ったのですが、団長がすぐにそれを……」

 手渡された紙切れはただの紙切れではない。その指示書を見て驚愕の表情を浮かべるリヴァイ班とハンジ班の一同はそのメモに記された指示に息を呑んだ。

「全員読んだか?」
「は、はい……」
「リヴァイ兵長……これは?」
「エルヴィンの指示だ。ウミ、燃やせ」
「はい、」

 言われるがままその紙切れをウミは暗くなり明るくともしたろうそくの火で跡形もなく燃やした。途中で燃え盛り灰になる紙で火傷をしたのは言うまでもない。

「全員撤収だ。ここは捨てる。奴を信じるバカは来い……すべての痕跡を消して出発だ」

 そうして今度は急いでせっかく買った大量の食糧も手放して潜伏していた山小屋を離れる事になり、突然の撤退作業に慌てて荷物を纏めるとそれぞれ猟銃を手に急ぎ離れる。

「ウミ、さっさとしろ、」
「うん……」
「オイ、ボケっとしてんじゃねぇ……また連れさらわれてぇのか」
「それは……嫌……」
「なら……お前は何としても俺の傍を決して離れんじゃねぇぞ……クソも食事も風呂も一緒だ」
「うん、離れない、ずっと、居る……から! でもトイレだけは勘弁して」
「それは無理だ。俺がお前と離れるのが二度と耐えられないからな」

 リヴァイと束の間の穏やかな日々を与えてくれた、寝食を共にした小屋に別れを告げ、いつものんびり移動させてもらえないなと思いながらウミは慣れない銃を手に急ぎリヴァイの背中を追いかけるように駆け出した。

「ウミ……」
「ん、なぁに? どうしたの?」
「お前をさらったヤツの顔は見たか?」
「え……ううん、」
「そうか」
「あ、でも、男の人……だったよ。そして、何故か私の母親を知っていた……」
「……お前の母親……?」
「リヴァイ?」
「いや、何でもねぇ……」

 リヴァイはそれきり言葉を閉ざしていた。ここに来てから彼はずっと何かを考えこんでいるような気がした。それは幼い頃の記憶。
 リヴァイは迫る足音にかつての過去を思い返していた。
それから数時間後、山の上空から見えた山小屋では松明を手にした何者かが山小屋を取り囲んでいるのが見えて、その光景に戦慄した。

「危ねぇ……今夜もあそこに寝てたら……俺達どうなってたんだ……?」
「どうして、エルヴィン団長がこのことを……兵長……あいつらが中央憲兵ですか?」
「中央から命令が出たらしい。調査兵団の壁外調査を全面凍結。エレンとヒストリアと…ウミを引き渡せってな。奴らが直接こんな現場に出向くとは思えんが……俺も舐められたもんだ」
「えっ! なんでウミも?」
「ウミも何かやらかしたのか!?」
「ううん、違う、何もしてないよ」

エレンとヒストリアならまだしもなぜウミまでが対象になっているのか。一同はウミの事実を知らないからこの疑問符を抱いたが、ミカサだけは過去のことを思い返しており黙っていた。

「(ウミ)」
「なんだよ、まるで犯罪者扱いじゃないか!」
「もう裏でどうこうってレベルじゃねぇな。なりふり構わずってとこだ」
「そこまでして守りたい壁の秘密って……。それに、重要な秘密を持つウミとニック司祭を消してエレンとヒストリアを手に入れたい理由は何だろう。殺すんじゃなくて、手に入れたい理由だ」
「さぁな……とにかく敵はこの二人、口封じにお前の命を狙っていることがハッキリした。こんなところでうろついているのはマズイ。トロスト区の合流地点まで急ぐぞ。エレン達を移動させる。月が出てて助かった」
「兵長、何故、敢えてニック司祭が殺されたトロスト区に?」
「中央へ向かう方がヤバいだろう。未だこの前の巨人出現の件でごたついているトロスト区の方が紛れやすい。街中の方がいざって時にコイツを使えるしな」

 リヴァイがロングコートの隙間から見せたのは立体機動装置だった。しかし、それは巨人を倒すための道具、しかし、もし万が一囲まれてもこれがあれば立体機動で建物を伝い逃げることが出来る。壁外と違い、巨人も居ない、自分達の恐れる敵ではない。少し安堵したようにまだ若い班員達は緊張を緩めた。

「それに、こいつが消されかけたように、一方的に狙われるのは不利だ。こっちも敵の顔くらいは確認する……」
「了解」

 ハンジ班たちとはここで別行動となる。それぞれが歩き出す中で、立ち去った彼らの山小屋を見つめる男女がいた。

「やつら随分と素早いですね」
「フン、そりゃあ鍛え方が違うからなぁ…あのチビは」
「知り合いなんですか?」
「古い、な。しかし、まさか……皮肉だなァ……まさか、そうか。そういう巡り合わせだったとはなぁ……あぁ、ダメじゃねぇか。あいつ、散々忠告したのによぉ
――女に心は許すなって、」

 帽子を深く被った長身痩躯の男は自身の処世術を叩き込みそしてあの劣悪な環境を生き延び立派に成長した幼かった少年のことを思い出していた。

 初めての出会い。変わり果てた姿で死んでいた妹の隅で、膝を抱えて、伸ばし放題の髪にガリガリにやせ細った生気のない青白い顔、愛想もクソもない栄養失調で死にかけの状態で。よく見ればその顔は大切な者に酷似していた。


「なぁ、リヴァイよぉ……」

 まさかこんな場所で思いがけない再会を果たす事になるとは。立体機動装置のブレードの代わりに太ももをぐるっと囲むようにセットされたのは銃身のような予備カートリッジ。不気味に鈍く光るそれに夕闇のなか反響したその男の顔をくっきり浮かび上がらせていたのだった。

To be continue…

2020.01.08
2021.02.16加筆修正
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