THE LAST BALLAD | ナノ

#26 疾走、追憶の森

 今回の壁外調査は意味がまるで違う。本来の目的を知るエルヴィンの謎の答えを知る精鋭の中に居るクライスに置いてきぼりにされて。その場に取り残された3人は馬が1頭しか居ない中で移動も出来ずに立ち往生していた。ジャンが訓練兵時代に修得した指笛で愛馬のブッフバルトを呼ぶ中、その背後ではライナーがアルミンの怪我の状態を見ていたが、クライスが身を挺して庇ってくれたお陰で怪我はなさそうだ。

「どうだアルミン 立体起動装置は?」
「大丈夫……クライス教官が守ってくれたから怪我もないし、壊れてはいないみたい」
「そうか……それはよかった。だがどうする?クライス教官の言う通り煙弾を撃ってみたが馬が一頭しかいないぞ……ジャンの馬が戻って来れば3人とも移動できるんだが……」

 ピイイィ――と、大きく息を吸い込み再び指笛を吹き鳴らすジャン。しかし、いくら呼びかけても馬は一向に帰ってくる気配もなければ見渡す限りどこまでも広がる平原には兵士も巨人の姿も見つからない。

「(……クソ……何でだ……ライナーの馬は戻ってきたのに……どうして俺の馬は戻ってこねぇんだよ……これ以上、ここに留まるわけにはいかねぇのに……最悪1人をここに置いていかんとならねぇぞ!)」

 ネッチョオォと口から離した指からは涎がダランと垂れるほど指笛を吹き続けているのに全く帰ってくる気配のない愛馬をこのままいつまでも待ち続けていてもまた巨人の脅威に遭遇するだけだ。ジャンは思案しながらまたも指笛を吹き続ける。

「(その場合の一人をどうやって決める。アルミンか? デカイから二人乗りのキツそうなライナーか? それとも…俺が走って自分の馬を探すべきか?)…クソッ!! そんなことに頭を悩ませんのはクソだ! せっかく3人で死線をくぐったのにずいぶんな仕打ちじゃあねぇか!! (せめてクライスさんが俺達の誰か乗せてくれても良かったんじゃねぇのかよ…)」

 ピイイ―――――。再び平原に虚しく響く指笛を聞きながらアルミンは先程の女型の巨人と交戦した時のことを思い返していた。地面に倒れ込んだアルミンとクライス側に跪いた女型の巨人を見上げたアルミンは風にあおられ、揺れる金色に靡いた髪の毛の間から見えた女型の巨人の顔、そしてその冷たい瞳、鷲のような鼻筋どこかで見たことのある面影。その面影はまるで――……自分はその面影を知っている。

「オイ! アルミン!」
「やはり……まだ意識はしっかりしないのか?」
「うん……まだちょっとボーっとするよ」
「そうか……でも……もう決めねぇとな。辛い選択だが、一人ここに残る必要があるようだ……」

 判断を仰ぎアルミンに振り向くジャンとライナー。先ほどクライスの指示通りに撃った紫の煙弾に気が付き、引き返してくれた者は果たして居るのだろうか・・・。

「あと3分だけ待つ。それまでにここに残る者を決め「僕が残る。でも、その代わりに僕に代わって報告してほしいことがある。できればエルヴィン団長にだけ……」
「いや、アルミンそれはお前が自分で報告しろ。誰か来たみたいだ……しかも! 馬を2頭連れて!!」

 何度も指笛を吹いたがいい加減もういつまでも誰が残るか決めようとしたその時、ジャンは遠くの方からこちらに向かって駆けてくる馬に跨ったまばゆい金髪を揺らした人物を見つけたのだった。

「……あれは……クリスタ!」
「みんなっ! 大丈夫!?」

 先ほど自分達を襲っていた金色よりも濃い金色の髪を後ろでひとつにゆるく結わえた愛らしい瞳をした少女がこちらに向かって馬を2頭連れだって駆け寄ってきた。しかもその馬はジャンが何度も何度も呼んでいた愛馬・ブッフバルトだった。

「あぁ!? 俺の馬じゃねぇか! どうどう。落ち着けよ、ブッフバルト」
「その子、ひどく怯えてこっちに逃げてきて…巨人と戦ったの!? 大丈夫なの?」
「うん。なんとか、クライス教官が助けてくれたんだ。もう目が他を追いかけて行ってしまったんだけどね」
「クライスさんが? そうなんだね。よかった、本当に」
「よくあの煙弾でこっちに来る気になったな」
「ちょうど近くにいたし、ジャンの馬がいたから」
「お前は馬にも好かれるし不思議な人徳があるようだな。命拾いした、」
「でもよかった……みんな、最悪なことにならなくて……本当によかった」

 瞳から浮かんだ涙を指先で拭いながらクリスタは大きな瞳を輝かせて微笑んだのだった。その笑顔はまさに青空から射しこむ陽光にきらめいて、まるで後光が射しこんでいるような清らかな笑みに3人は思わず言葉を止めた。

「(神様……)」
「(女神……)」
「(結婚したい……)」

 104期生男子とクライスで間でアイドルだと絶大な人気を誇った104期生の女神・クリスタの先ほど交戦した女型の巨人との戦いの恐怖すら癒して忘れさせてくれるその笑顔に思わず見入る男3人であった。ここにクライスが居たら彼も同じことを考えただろう。「(抱き締めたい……!)」と。

「さ、急いで陣形に戻らないと、」
「……そうだ、撤退の指令が出るハズだ! しかし、壁を出て一時間足らずでとんぼ返りとは、見通しは想像以上に暗いぞ! ヤツはなぜか先頭の指令班とは逆の方向に行っちまったしな」
「ヤツ?」

 馬を走らせながら先ほどの状況を説明して、このまま撤退かと思った矢先の出来事だった。馬を駆ける4人の左手遠方で作戦通り進行方向を知らせる緑色の信煙弾が撃たれていたのだ。右翼側は大打撃だというのに再び作戦続行ということになる。

「な……!? 緑の煙弾だと!?」
「陣形の進路だけを変えて作戦続行するみたいだね?」
「そんな!? 撤退命令じゃないの!?」
「エルヴィン団長はいったい何考えてるんだ!?」
「作戦続行不可能の判断をする選択権は全兵士にあるはずだが……まさか指令班まで煙弾が届いていないのか?」
「わからなくても、今の状況じゃ、やることは決まってる」

 静かにセットした緑の信煙弾を同じように上空に向けて撃つアルミン。自分たちが放った煙弾は確かに届いている。しかし、判断をするのは調査兵団を率いる団長であり、彼がこのまま続けることを決めたのなら一般兵のしかも新兵の自分達は疑うことなくそれに従うまでである。

「判断に従おう」

 前方では何本もの緑色の煙が左手に向かって伸びていくようだった。そしてアルミンが撃ちあげた緑の煙弾も同じように突き進むリヴァイ班の元にも届いたのだった。

「煙弾……緑だ。オルオ、お前が撃て」
「了解です!」

 それは右手側で発生して大きく弧を描いて伸びていくようだった。一番巨人の脅威が少ない陣地である中央は不気味なほど本作戦の真の目的を知るリヴァイとウミが先頭を走りながら目的地へと順調に進んでいた。ふわりと揺れる色素の薄いブラウンのギブソンタックにまとめた髪のサイドのおくれ毛を揺らしてウミは青空に映える緑の煙弾の美しさにただ、ただ、見惚れていた。久しぶりの壁外調査、どうかこのまま誰一人欠けることなく無事に終えて帰ってこられればいいのだが。それだけが今は願うばかりだった。

「(今の所は順調に進んでるように感じる……でも、実際のところはどうだろう…初列の方じゃ既に死人が出ているんじゃ……)」
 
 しかし、ウミのそんな願いもむなしく順調に進んでいたリヴァイ班をよそに右側から1騎の兵が駆け寄ってきた。

「報告します! 口頭伝達です!! 右翼索敵壊滅的打撃!! 右翼索敵一部機能せず!! 以上の伝達を左に回して下さい!!」
「えっ!!」
「……聞いたかぺトラ、行け」
「ハイ!」

 リヴァイの副官を務めるペトラは普段の優しい先輩の表情からキリッと凛々しい兵士の顔つきになっていた。上官でもありあこがれの上司であるリヴァイからの指名を受け、はっきりとした声が返事をすると左手へ馬を走らせていく。そうして役割を終えた伝令兵はそのまま右手へと。それぞれが馬を走らせる中でウミは不安そうに右翼側に位置するアルミンたちや右翼索敵にいたクライスが死んでしまったのかと懸念した。

「(右翼側!? 確か、アルミンはそっちだ……でも、アルミンも他のヤツらも、まだ中央の近くが持ち場なはずだ。そこまでは巨人は侵行してないだろう)」

 しかし、どんどん状況は悪くなるばかりだ。今度はエレンの右手後方で黒色の信煙弾が撃ちあがったのだ!

「(!? 黒の煙弾!? 奇行種が!?)」
「エレン、お前が撃て」
「ハイ!」
「何てザマだ……やけに陣形の深くまで侵入させちまったな…」

 隣を走るウミに聞こえるように低く呟いたリヴァイの声にウミは先ほどからずっと黙ったまま愛馬を走らせながら、その横顔はとても不安そうだった。

「(……確か右翼側はアルミンやクライスが…大丈夫かな…)」
「オイ、あの変態セクハラノッポがそう簡単にくたばりはしねぇのはお前が一番理解してんだろ」
「……うん、あ、はい、リヴァイ兵長」
「久々の壁外にビビってんじゃねぇのか?」
「……そう、かもしれない。でも、大丈夫、すぐにカンなら取り戻せるはず」
「ヘマすんじゃねぇぞ」
「任せて」

 すぐ顔に出る素直なウミの不安などお見通しだ。しかし、ウミのかつての部下はゴキブリ並みにしぶといから簡単には死なないし、大丈夫だと、それはリヴァイなりのウミへの愛情表現だった。彼は育ての親の影響か元々の口が悪く刃のように鋭い眼光のせいでエレンを含む彼をよく知らない新兵達からはよく怖い人なのだと誤解されがちなのだが、口の悪さで除けば誰よりも真面目で仲間思いのとてもいい人間なのだ。
 そして壁の中の人類がまたウォール・マリア陥落の時のように巨人の脅威に晒されることに誰よりも危機感を抱いている。巨人を絶滅させると多くの血を流し死んだ仲間たちの力を背に強い誓いの果てに壁の中の脅威を打ち消すためならどんなことでもやる、と。
 彼の乱暴な口調に隠された本心を知るからこの班の者たちは彼に憧れを持ち、そして持ちうる命の限り役割を果たす為に信じてついていく。ドオオォォンと言う音と共にとまたエレンの背後では黒の信煙弾が撃ち上がった。

「(すぐそこまで……巨人が……あの煙弾の下で誰かが……戦っているのか……)」

 その煙弾の下では恐ろしいことが起きていた。
 その様子を伺いつつ女型の巨人の前方を走るダリウス。同時に3人の兵士が一斉に女型の巨人に襲い掛かるが、女型の巨人は3人に同時に襲われているというのに不気味なほど冷静で、そして冷酷に兵士の一人が頭を踏み潰し、弾け飛んだように血が噴き出したのだ。
 もう一人の兵士は付近の建物にワイヤーを刺し、急いで回避行動に出るも女型の巨人の足の裏と建物の壁の間に見るも無残な姿に潰されてしまう。そして、3人目の兵士は、女型の巨人にワイヤーを掴まれくるくる回しながらダリウスに近づいていく。その手に捕まれたワイヤーの先では容赦なく回転するその遠心力によって身体があらぬ方向に折れ曲がり血まみれの兵士の姿が見えたのだった。
 誰か……この巨人はただの奇行種ではない。知性がある。早くこの危機を知らせねばと急いで走らせたダリウスの姿を横目に掴んでいたワイヤーを手から放し、振り回されて即死した兵士の亡骸はそのまま明後日の方に飛んでいくのだった。

「報告が先だ! こんな奴がいるなんて……!? 俺が知らせなければ!!」

 しかし、その背後から女型の巨人は容赦なくダリウスをまるでボールを蹴って遊ぶ幼子のように馬もろとも上空に蹴り飛ばしていくのだった。
 上空に撃ちあがった仲間の無残なその光景を目撃する手を出してはいけないと見つからないように適切な距離を保ちつつ後を追いかけていたクライスは蹂躙されていく仲間たちの無残な姿にただ悔し気にその光景を眺め、自身の膝に拳を打ち付けると唇をギリリと噛み締めるしかない。

「クソ……覚えてろよ。女の扱いなら任せろ、早く追いついて暴いてやるよ……」

 無残に女型の巨人に次々立ち向かい、そして殺されていく誰が誰かもわからないほどに原形を失った亡骸を踏みしめ、追跡を続けるのだった……。
 しかし、その背後から女型の巨人は容赦なくダリウスをまるでボールを蹴って遊ぶ幼子のように馬もろとも上空に蹴り飛ばしていくのだった。
 上空に撃ちあがった仲間の無残なその光景を目撃する手を出してはいけないと見つからないように適切な距離を保ちつつ後を追いかけていたクライスは蹂躙されていく仲間たちの無残な姿にただ悔し気にその光景を眺め、自身の膝に拳を打ち付けると唇をギリリと噛み締めるしかない。
 無残に女型の巨人に次々立ち向かい、そして殺されていく誰が誰かもわからないほどに原形を失った亡骸を踏みしめ、追跡を続けるのだった…。

「このままじゃ陣形はあそことぶつかるな」
「あぁ……見えてきたぜ。巨大樹の森が……」

 クライスより先で馬を走らせていた初列五・索敵班は次第に見えてきた巨大な樹木が天まで伸びた巨木群の森を見つけた。
 壁外遠征において平地では発揮することが出来ない立体機動装置の真の力を大いに活かせる場所でもある。

 ―――次列中央・指揮
「巨人の往来があったようだ……路地に草木が生えていない。荷馬車も進めそうだ」
「後方に伝達してくれ。これより中列荷馬車護衛班のみ森に侵入せよ、と」

 その先で待つもの。鬱蒼と巨木が生い茂る巨大樹の森内部へ入り込んでいくエルヴィンは他の部下に伝令を託してさらに奥深くへと馬を走らせ突き進んでいくのだった。見上げた木々の間からは青空が見える。エルヴィン率いる中列の兵士達がその後巨大樹の森へ次々進入していく中で入口付近に近づいたのは先ほど危機一髪のところを乗り切った3人の姿だった。

「オイオイ、何でこんな観光名所に来るんだぁ? 本来の目的力も帰還地点からもえらい外れようだぜ」
「わからない……分からないけど、エルヴィン団長の判断ならなにか意図があっての事だと思うけど」
「どんな意図だそりゃあ……観光名所で俺ら新兵の歓迎式でもやるつもりかぁ?」
「いや、それは無ないと思うよ」
「冗談だよ。どっちにしろ、あのデカ女が追ってきてるんだ。どんな意図があるにしろ、こんなところで立ち止まるわけにはいかねぇ、ここを通過してどこか他の場所へ向かうとしか考えられんが」
「総員、止まれ!!」

 ジャンの皮肉めいた発言も真面目に受け答えするアルミン。このままこの森を通過するのかと思っていたジャンの思いは裏切られたかのように突然班長から待機命令が下されここに留まることになるのだった。

「いいか新兵どもよく聞け! 我々はこれから迎撃態勢に入る! 抜剣して樹上待機せよ! 森に入る巨人が居れば全力で阻止するのだ!」
「あっ、あの班長。それはどういった「黙って指示に従え!」
「マジかよ……何がどうなってんだよ」

 女型の巨人の脅威を知らぬ者達もそのまま森へと無事にたどり着いた。先ほど四つん這い歩行で進む奇行種に危うく襲われかけたサシャも班長に従い森の樹上にやってきたところだった。一方で馬を走らせるコニー、ミカサも巨大樹の森に辿り着き、次々と中列が森の中に足を踏み入れていくのを見届けながらこの森を選んだその意図がわからないコニーは不思議そうにミカサに尋ねていた。

「なっ……なぁ。中列だけ森の中に入って行ったみたいだけど陣形ってどうなってるんだ?」
「陣形はもう無い。私達左右の陣形は森に阻まれてその周りを回るしかない。索敵能力は失われた」
「……なんで進路を変えてこの森を避けなかったんだ?エルヴィン団長は地図、読み間違えちゃったのか?」
「……わからない。右翼側の脅威を避けようとするあまり、ここまで追いこまれてしまったのかも……しれない」

 樹上のジャンとアルミンも詳しい説明もないまま言われた通り剣を抜いて身構えていたのだが…ジャンは納得いかないと言わんばかりの様子で向こうの樹の方に待機する班長に向かって聞こえるか聞こえないかの声量で文句を言っていた。

「とても正気とは思えない。当初の兵站拠点作りの作戦を放棄…その時点で尻尾巻いてずらかるべき所を大胆にも観光名所に寄り道…そのあげくただつっ立って…森に入る巨人をくい止めろと……あいつ……ふざけた命令しやがって……」
「聞こえるよ……」
「それに、ろくな説明も無いってのが斬新だ。最もヤツの心中も穏やかじゃないハズだが」
「と、言うと?」
「極限の状況で部下に無能と判断されちまった指揮官は、よく背後からの謎の負傷で死ぬって話があるが……別に珍しい話でもねぇってこったよ」
「ジャン……それじゃあ、どうするの?」
「マジになんなよ。少しこの状況にイラついただけだ。どうするってそりゃあ…、命令に従う……巨人を森に入れない。お前もそうするべきだと思うんだろ?アルミン」
「え?」
「何やらワケ知り顔だが?」
「えーと……」
「5m級接近!!」
「(何故、人員をこんな所に来させたんだ? エルヴィン団長は一体何を考えている? いや……違う、考えるのは、そこじゃない。女型の巨人はエレンを追っている。そして団長もその事を知っている。そう仮定する。そこから考える。女型がエレンを追っている。もしその仮定が成り立つなら。ここに来た理由は、ひとつしかない。エルヴィン団長は、ここで女型を……)」
「アルミン。命令は森の中に巨人を入れるな、だったよな。つまり……交戦する理由なんかない……ハズだよな……!?」

 よく見れば巨大樹の森周辺には自分達に引き寄せられて巨人達がわんさと集まって来ているではないか。ぼんやり佇む巨人、巨木にしがみついて樹上で待機する自分達を見つけて嬉しそうに見上げて手を伸ばす巨人達。
 個性色々の巨人たちが見上げてくるのを見つめていずれにしろ森の内部に入り込もうとはせず自分達を見ている。
 そしてその森の右手にはクリスタとナナバとライナーが待機しており、森の左手には、ミカサ、サシャ、コニー、ベルトルト、ユミルも無事にここまでたどり着き待機する中で真意を知らない者たちはただ言われたとおりに従うのだった。

 ――巨大樹の森入口

 中央指揮の方から「中列のみ森に侵入せよ」との口頭伝達を受けて中列部隊はそのまま森を突き進み、リヴァイ班もとうとう巨大樹の森の中に足を踏み入れた。

「兵長!! リヴァイ兵長!!」
「なんだ、」
「何だって……ここ森ですよ!? 中列だけこんなに森の中に入ってたら巨人の接近に気付けません! 右から何か来てるみたいですし……どうやって巨人を回避したり、荷馬車班を守ったりするんですか?」
「わかりきったことをピーピー喚くな。もうそんなこと、出来るわけねぇだろうが……」
「え!? な!? ……なぜそんな……」
「周りをよく見ろエレン。この無駄にクソデカイ木を……立体起動装置の機能を生かすには絶好の環境だ。そして、考えろ。お前のその大したことない頭で。死にたくなきゃあ必死に頭回せ」
「……はい!(そうか……オレが新兵だから今の状況を呑み込めてないだけで簡単に答えを教えてもらえないのも、自分で学ぶ必要があるからか…きっと、先輩達もそうやって戦いを学んできたんだ……)」
「大丈夫だよ、エレン、だからとりあえず今は走ろう。ね?」
「ウミ……(そう、だよな、ウミもオレより後に入ったんだから知らされてねぇんだよな、それなのに先頭を走る兵長と並んで走ってる、やっぱりブランクがあるにしてもウミは調査兵団なんだよな……)」

 中列後方を走る特別作戦班。今日は兵站拠点の為の試運転が目的の筈なのに何の説明もなく他の配列の兵士の連絡も信煙弾も見えない薄暗い森を孤独に突き進む事に不安を募らせ、何故ここを走り続けるのか、黙って走り続ける一同に不安になり、たまらず班長のリヴァイに疑問をぶつけるたエレン。
 しかし、まともな返答は帰ってこず、ただ言われたとおりに走るのみ。そもそも本来の目的を知るのはリヴァイとウミだけであり他のメンバーも知らされていないのだ、それにこのまま誘導できるか、本当に姿を現すのか、出たとこ勝負である。
 しかし、この奥に待つエルヴィンたちへ右翼側を壊滅させた間違いなく脅威であるその巨人に化けた人物を誘導すべく今、こうしてかすかに残るかつての観光地を走り続けているのだ。簡単にそれだけを言い残してエレンにとにかく今は理由なんか考えずに前を向いて走れと促したリヴァイ。
 こちらを少し振り向いてウミがエレンをこの空気に似つかわしくない表情で宥めて、そうして自分のような新兵と違ってウミや先輩たちはみんなここを走ることを理解して走っているのだと隣のオルオを見やるエレン、だったが…。

「なんだよこれ……ふっざけんなよ。ほんと、なにこれ……どうなってんだい全く」

 一人青ざめた様な表情で冷汗を垂らしたオルオが無意識に本来の口調に戻っているのも気が付かずにブツブツと呟いている。そうしてバッと背後を振り向くと…不安げな表情で馬を駆ける口をつぐんだまま険しい表情のぺトラ、青ざめ脂汗を浮かべるエルド、不安げに様子を窺うグンタの3人が居て、思わず息をのむ。まさかー…エレンの不安は確信に変わる。

「(!?……まさか! まさか……誰も……この状況を理解できていないのか……? もしかしたら……ウミも、リヴァイ兵長でさえも……)」

 ただ前を見据えて走っているのはウミとリヴァイだけだ。限られた人間しかこの作戦の意図は知らされていない。しかしそれでも皆、自分たちの上官を信じて走り続けている。兵士にとって上官の言葉は絶対なのである。今は説明している場合ではない。

「(でも、これではあまりにも……もし、これでみんなが死んでしまったら……)」

 裏切り者が兵団内に潜んでいる以上、それに巨人化できる人間の諜報員もいる中で全員に話をするわけにはいかないのは理解しているがしかし、ウミは皆に黙ったまま走り続けていることに対して罪悪感が芽生えつつあった。
 せめてこの班にだけは知らせてもよかったのではないか。今は呑気に理由を説明している場合ではないし、もし裏切り者が5年前現れた敵がこの中にいたら。しかし、自分達だけが教えられて他の精鋭班が何も知らされてないなんて…未だ若い彼らが、何も知らずに死んでいった者たちが後から知ったらきっと、ショックを受けるに違いない。
 しかし、エルヴィンの線引きに当てはまらなかった彼らに本作戦を打ち明けることは許されはしない。リヴァイにも例え、どんな状況になってもたとえ多くの人間がその脅威の犠牲になることが起きたとしても……内なる敵が誰かわからない以上は余計なことをしゃべるなと何度も言い聞かせられたように。
 しかし、目的も知らずただ信じて言う通りに従う中では今のこの現状が理解できず不満を抱くものも少なからずいる。本作戦の目的も知らされないままに果敢にもその脅威に挑んで無残に殺され死んでいった多くの犠牲、きっとあの世で恨んでいることだろう。

「(だけど、それでも私たちは)」

 ウミは思案する。自分達は壁の破壊をもくろむ危険因子をあぶり出す為に前を見据えて進み続けなければいけないのだ。
 しばらく馬を走らせていると、突然背後で煙弾が撃ちあがる音が響いた。

「黒の煙弾!!」
「すぐ後ろからだ!! 右から来ていたという何かだな」
「お前ら、剣を抜け。それが姿を現すとしたら――……一瞬だ、」

 それを合図にウミもスラリと剣を抜いた。そうしてリヴァイの瞳のように鋭く引き抜いた超硬質のスチールの剣。敵は近い。刃にほとばしる光が煌めき、彼の隣を並走していたウミも不安そうだった顔から近づく脅威に身構えその顔つきを険しいものに変える。その表情はいつもの優しい笑みを携えた彼女ではなく、トロスト区襲撃の際に見せた巨人を駆逐する死神と恐れられ、トロスト区に舞い降りた天使のように凛々しくも厳しい顔つきへ。そして後方へ目線を向けるとウミはエレンにも剣を抜けとその目で促した。
 うねうねと緩やかなカーブに沿い歩道を進む中で、立体機動で木々の間から兵士が飛び出してきたのをエレンが見つけたその瞬間だった。

「走れ!!」

 ドオン!!と飛び出した兵士を木に思いきり叩き潰し、そしてその返り血を浴びながらリヴァイ班の前に姿を見せた者は。 女性の身体に知恵を宿し向かい来る精鋭たちを次々と屍に変えた「女型の巨人」だった。

「(本当に……現れた――……!!)」

 普段落ち着いたリヴァイが突如として全員に号令をかけ、後ろから迫る脅威から逃れるべく馬の腹を足で叩き加速させ路地を必死に突き進むリヴァイ班。背後を振り向くエレンの頭上を女型の巨人が大木を掌で軽々振り払いその破片が襲いかかるー。不気味な笑みすら浮かべて…女型の巨人の青い瞳は真っ直ぐと目標であるエレンに注がれている。

「クッ……早い! この森の中じゃ事前に回避しようがない!」

 必死に馬を走らせるが持久力があるのか速度を増しながら大股で自分達を追いかける15m級の女型の巨人と馬のスピードではその差は歴然だ引き離すどころか徐々に距離を詰めて今にも女型の脅威がリヴァイ班へと迫りつつある。

「追いつかれるぞ!!」
「兵長!! 立体起動に移りましょう! 兵長!」

 突如として現れた脅威に叫ぶようなペトラの呼びかけに答えないままリヴァイは背後を見つつ剣を構えたまま流し目で背後から追いかけてくる女型の巨人を見つめている。と、その時、追われている自分達を守るべく2人の兵士が立体起動で女型の巨人を追いかけ果敢に立ち向かう。

「逃がすかぁあ!」
「背後より増援!」

 ペトラが発見し、知らせる。女型を食い止めるべく森の中で優位である立体機動で追いついた兵士がアンカーを射出してワイヤーを女型の巨人の首筋に刺そうと狙いを定めた瞬間、まるで背後に目があるかのように女型の巨人はひらりと顔を傾けそれを交わすと自分の顔の横をむなしく掠めたワイヤーを掴みそのまま方向転換して捕まれた増援の兵士はなす術無く、幹と女型の巨人の背中に挟まれ押しつぶされてしまったのだー…。

「(なんてことを……!)」

 さらに女型の巨人はその光景に気を取られて体勢を崩していたもう一人の兵士のワイヤーを引っ張ってその手に鷲掴みにすると、一気に掌でグッと握り締めて、グチャッとそれは不快な音を立てて精鋭を一瞬にして握り潰したのだ!
 吐き気すら催すようなあまりにも残酷なその殺し方、まるで楽しんでいるかのように女型の巨人は嬉しそうにより残虐に、人を人だと思っていないかのように蹂躙するその光景を目の当たりにするリヴァイ班、飛び散る鮮血がバッと雨のように森に降り注ぐ地獄絵図を見てペトラが真っ青な顔で叫んだ。

「兵長おお!! 指示を!!」
「やりましょう! あいつは危険です!! 俺達がやるべきです!」
「ズタボロにしてやる……」
「(馬鹿め! 自分から地獄に来やがった……! お前が追っかけてんのは巨人殺しの達人集団だ!)」

 仲間たちを無残に殺され黙っていられない、それぞれが怒りに剣を抜く中で前をひた走るリヴァイを見るエレン。そうだ、ここであの女巨人を仕留めるべきだ。この班の精鋭を怒らせたことを後悔させてやるからな。今にみてろよと微笑むエレン。だがー…。

「(リヴァイ兵長!?)」

 しかし、エレンの気持ちとは裏腹にリヴァイはその声に応えず、手元で何かを探るだけ。ただ無言で馬を走らせているだけで何の反応も示さない。

「兵長!?」
「指示をください!!」
「このままじゃ追いつかれます!」
「やつをここで仕留める! そのためにこの森に入った! そうなんでしょう! 兵長!」
「兵長! 指示を!!」

 このままじゃ全員あの巨人に殺される。全員が一斉に上官のリヴァイに迫りくる女型の巨人から逃れるべく立体機動の使用許可を求める中、いまだにウミは余計なことを口走らぬように黙ったまま。そして、リヴァイへ不安そうに目線を投げかける。本当にこのまま走り抜けられるのか?とでも言わんばかりに。

「全員、耳を塞げ」

 しかし、彼は上官としてあくまで冷静であった。そうして彼が懐から取り出したのは鈍色に光る信煙弾だった。慌てて耳を塞ぐ一同に目を配らせてそれを上空に掲げて発射すると共にキイイイイィィイイイィィィンとそれは耳障りな高音が森中に響いたのだった。リヴァイの手によって撃ちあげられたそれは、煙を放ち合図する代物ではない。

「うう……(う、うるさい……)耳が……っ!!」
「……音響弾!?」

 元から音響弾の放つ音はかなりうるさいと聞いていたが、耳を塞いでもなかなかの耳障りな音だ。
 ウミが不快感を露わにその音を撃ちあげたリヴァイへ非難の目を向けるがリヴァイは相変わらずさっきから自分を追いかけてくる女型の巨人に対しても変わらぬ表情を貫き冷静さを保ち続け馬を走らせている。
 彼はきっと、幾度も繰り返した戦闘の果てに表情筋が死んでしまったのだろうか。
 その耳障りな音はこの歩道の先に待つエルヴィンたちに向けて放たれたものである。それは女型の巨人が予告通り姿を現した合図だ。それと共に先ほどからぎゃあぎゃあとパニックに陥る精鋭達の頭を冷やす効果もあった。
 耳を塞ぎ損ねたオルオだけが鼓膜に物凄い衝撃を受け白目をむく中リヴァイは諭すように仲間を殺された怒りと今にも踏みつぶされそうな勢いで執拗に追いかけてくる脅威への恐怖に動揺する部下たちへ言葉を投げかける。

「……お前らの仕事は何だ?その時々の感情に身を任せるだけか?そうじゃなかったハズだ……この班の使命はそこのクソガキにキズ一つ付けないように尽くすことだ――……命の限り」

 その言葉を聞いたエレンを除く一同は最初にこの班に選抜された時のことを思い出していた。そう、エレンを監視するために巨人殺しの達人を集めたわけではない。巨人化できる貴重なエレンと言う存在を狙う脅威から何としても守り抜くためにー…この班は結成されたのだ。知らされなかったのはエレンだけ。ずっと自分はいつでもこの人達に殺される者なのだと、そう思っていたから。

「(!? ……オレを監視するためなんじゃ……)」
「俺達はこのまま馬で駆ける。いいな?」
「了解です!」
「え……!? 駆ける……って……一体どこまで……!? それに! ヤツがもうすぐそこまで!!!」

 抗議の声を荒げるエレンに対し、上官の命令は絶対であり、尚更尊敬する上司のリヴァイの指示を受け止め落ち着きを取り戻す一同。そこに立体起動装置を駆使して女型の巨人を襲撃する兵士がまた2人果敢に挑んでいく。

「また!! 増援です! 早く! 援護しなければまたやられます!」
「エレン! 前を向け!」
「……グンタさん!?」
「歩調を乱すな!! 最高速度を保て!」
「……!? エルドさん!? なぜ……リヴァイ班がやらなくて……誰があいつを止められるんですか!」
「(わかってる……わかってるのよ、みんな、それはわかってる。でも、それじゃぁダメなの……)」

 心の中でみんなの思いを感じ取り、仲間達が次々も女型の巨人によって木に叩き付けられ、無残に死んでいくのを黙って自分達は受け入れながらエルヴィンが待機してるその場所までエレンを餌にこの女を導かねばならないのだ。

「また死んだ! 助けられたかもしれないのに……!?」

 エレンの非難の声があがるも、ただひたすら前に向かって馬を駆けるリヴァイ班の者達。生き残ったもう一人の兵士が女型の巨人と戦闘しているのが見える…今ならまだ助けられると誰もが同じ気持ちで走り続けているが、エレンは一人まだ血気盛んな正義感を振りかざし黙り込む周囲に吠え続けている。

「……まだ一人戦ってます! 今なら……まだ間に合う!」
「エレン! 前を向いて走りなさい!!」
「戦いから目を背けろって言うんですか!? 仲間を見殺しにして逃げろってことですか!?」
「ええ! そうよ! 兵長の指示に従いなさい!」
「見殺しにする理由がわかりません! それを説明しない理由もわからない! なぜです!?」
「兵長が説明すべきではないと判断したからだ!! それがわからないのは、お前がまだヒヨッコだからだ! わかったら黙って従え!」
「(イヤ……一人でだって戦えるじゃないか……何でオレは人の力ばっかり頼ってんだ。自分で戦えばいいだろ)」
「(エレン!? まさか、今それを行うのは……!)」

 抜剣していた剣を突如鞘に納めて右手を口元に持っていこうとするエレン、自身の手を見て何か思案しているがそれは……ウミがまさか……と、気が付いた時には大きく口を開けて親指の付け根を噛もうとした瞬間、ペトラの厳しい声が上がった。

「何をしているの!? エレン! それが許されるのはあなたの命が危うくなった時だけ! 私達と約束したでしょ!?」

 今にも手を噛みちぎりそうなエレンを叱咤したぺトラ。しかし、エレンの脳裏には巨人を思いのままにあらゆる格闘技で破壊する巨人化した自分のあの高揚した気持ちが蘇る。
 ふつふつと迸る怒りのままに体現してあの女型を兵士の立体機動が通用しないのならば自分が巨人化してひと思いに殺してしまえばいいのではないか……と、一瞬ペトラの声に冷静さを取り戻すも、噛もうとした親指に力を込めたまま固まっている。
 そのエメラルドグリーンの瞳を躊躇いに染めこの状況をどうしようか、考えるエレンを見越したリヴァイの低い声が静かに響いた。

「お前は間違ってない。……やりたきゃやれ。俺にはわかる。コイツは本物の化け物だ「巨人の力」は無関係にな。どんなに力で押さえようとも、どんな檻に閉じ込めようとも……コイツの意識を服従させることは……誰にもできない」
 「とにかく巨人をぶっ殺したいです」
「エレン……お前と俺達の判断の相違は経験則に基づくものだ。だがな……そんなもんはアテにしなくていい。選べ……自分を信じるか、俺や、ウミや、コイツら調査兵団組織を信じるか。だ。俺にはわからない。ずっとそうだ……自分の力を信じても…信頼に足る仲間の選択を信じても……結果は誰にもわからなかった……」
 「頼むぜ! 兄貴!」
「リヴァイ、俺達を信じてくれ」
「俺の娘を、よろしくな。リヴァイ」

 リヴァイの脳裏にはこれまでの自分の歩みが蘇っていた。自分もそうだ、初めての壁外、初めて遭遇した巨人。
 まだ若く地下街という閉鎖された狭すぎる世界で生きてきた自分にはわからなかった。そうして自分が信じた選択によって自分を信じてくれた、多くの仲間が失われた。己の無力さに涙を流し、そうして思い知ったこの残酷な世界の支配者。全てが巨人によって奪われた事。
 仲間たちをくった巨人を切り刻んでも、一人外出したウミが馬車に撥ねられて怪我をしたこと。慟哭に叫んだ変わり果てた者言わぬ肉片へと化した仲間たちはもう帰ってこないのだと。

「だから……まぁせいぜい……悔いが残らない方を自分で選べ」

 エレンにかつての若かったころの自分を重ねていたのかもしれない…。投げ捨てた言葉にウミはかつての彼の過去を思い返していた。幾多のも戦いの果てに得た多くの経験が、今の彼を支えている。教訓でもある事。リヴァイがエレンに言い放った重みのある言葉をウミも反芻していた。
 手を口元に当てたままエレンは考える。今の言葉の意味を。そして振り返れば右手で弱点のうなじを狙われないように絶えずガードしながらそれでも手を伸ばしてこちらを執拗に追い続ける女型の巨人と目が合った。

「エレン……信じて」

 再度、ペトラは隣を走り続けながらそうエレンに懇願するように目で語りかけてくる。エレンはあの日の事を思い返していた。ペトラの手に、仲間たちの手にそれぞれがエレンが巨人化した際に行う自傷行為を真似て謝罪した時に一緒にその痛みを受け止めてくれたリヴァイ班たちの歯形が残るその付け根の咬み跡がエレンの視界に飛び込んで来た。

To be continue…

2019.08.15
2021.01.27加筆修正
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