THE LAST BALLAD | ナノ

#24 愛の花

――「この悪の民族に情が移っちまったからか!?違うってんなら今ここで証明してみせろよ!!お前と!お前の帰りを待つ親父が!穢れた民族と違うって言うんなら!」
「うわあああああ!! やめろおおおお!! アニ!? やめてくれよ!? 何で!? 何で!? 何で!? 何でだよっ……! アニ!?」
「オイ……何で……マルコが……喰われてる……」

 ハッ、と目を覚ました一人の少女。あの日見た同期が巨人に無残に喰われる光景を思い出し夢でうなされていた。
 なんとも、目覚めの悪い夢だ。冷や汗を流しながら金髪の少女、アニは窓から射し込む朝日を見つめ、二段ベッドの下から這い出ると小さく「ハァ」と溜息をつきながら起き上がった。部屋は共同なのか、かなり散らかっていて床にはごちゃごちゃした小物で散乱している。アニは共用の手洗い場で顔を洗い、先ほどの悪夢を振り切るように強い瞳が鏡を見ている。

――「(なさなければいけないことは何があろうとなさなければならない。その為には、多くの血が流されなければならない。わかってるよ、そんなこと。それは……明日も同じ。使命の為には誰かの血で…この手を染めなきゃならない)」

 アニは目の前の鏡に自身の顔が映り、ゆっくりと眺めた。果たして今の自分は父親に誇れる自分であるだろうか、自分は今もこの壁の兵士ではなくマーレの戦士で在るだろうか。
 ……マルコを殺したのは自分達だ。1か月前、トロスト区攻防戦で見た街の情景を思い出していた。多くの仲間が死んだ、そして、エレンが巨人化したことによって作戦は変わった。また明日多くの悲鳴と犠牲が出る、しかし、そうだとしても自分には帰りを待つ家族が居る――……。

「(明日の任務。調査兵団・第57回壁外調査中にて、エレン・イェーガーの捕獲)」

 ライナーからの手紙を受け取り、開いてみるとそこには真新しい情報がひとつあった。ウォール・マリアの天使は実在していた。
 あの時助けてくれたのはウミだったと。そして、そして第57回壁外調査に向けて訓練漬けの日々だと。
 現在エレンは別の班で行動しているので現在は全く会っていないこと、ウミもエレンと同じ班に所属しているという事。その手紙を読み終えて1人、同期のヒッチに頼まれ、明日の事を考えると気が滅入る今日の非番、ならば少しだけ兵士ごっこに興じてみるのもいいのかもしれない。
 ヒッチの代わりに頼まれた非番の代わりの人捜しに出かけようと憲兵団の一角獣を模した制服を纏ったアニの元に訪れたのは……。

「ようようよう、久しぶりだな、アニ」
「お久しぶりです、クライスさん、」
「相変わらずクールだな、せっかくミカサみたいに美人なんだからクリスタみたいに笑えばかわいいのによ。まぁいい、どうだ憲兵団は?元気か?まぁ死ぬ兵団じゃねぇから元気だろ、」
「はい、特に変わりはありません」
「クソ憲兵共はのんきでいいよなぁ〜上の奴らムカつくだろうが、まぁ、セクハラに気をつけろよ?」

 そうして姿を見せたのはかつて訓練兵団時代に自分達の試験を担当したクライスの姿だった。彼は何かと周りと関わらないようにしていた自分にやたらと絡んできて正直うんざりしていた。黙っていれば美人なのにえげつない下ネタで男子達と盛り上がったり、試験中に平気で煙草を口にしたり。と、

「(クライス・アルフォード……調査兵団の幹部に近い彼も要注意人物だ。骨折をしていても十分巨人を相手取って戦うには申し分のない男だ。でもその腹の内は読めない)どうしてストヘス区に?」
「いや、今日はたまたま非番でな、俺の実家ストヘス区にあるから里帰りだよ。まぁ親父もババアも死んでんだけどな、」
「そうなんですね、」
「そんでついでに元教え子が憲兵団のストヘス支部に所属になったって聞いたから顔でも出すかなとな、くれぐれも見回り頼むぞ?」
「はい……」
「あ、そうだ、これが本当の用事だ、ウミから手紙預かったんだよ。通行許可証が無きゃここにはこれねぇからよ。代わりに渡してくれって頼まれたからさ、まぁ、たいしたことねぇ内容だろうけど。じゃあな、」

 そうしてクライスは足早に去って行った。特に接点もなければ試験の時におまけしてくれたくらいの男。それよりもウミからよこされた手紙にアニは封を開く。そこには彼女らしい可愛らしい丸文字で綴られた無駄のない簡潔にまとめられた手紙だった。

――アニへ、お元気ですか?ちょうどクライス教官がそちらに里帰りするそうなので手紙を託しました。私は相変わらず元気です。他の104期生のみんなには会えたけどアニには会えなかったから…いつか休暇か時間の都合が合うときにトロスト区で会いたいと104期生の女の子たちのみんなと話していました。お休みが決まったら連絡をください。また、会えるのを楽しみにしています。
 ウミ。

 綴られた手紙に思い出すのは優しそうなウミの笑顔。しかし、自分は知っているあの明るい朗らかな人も殺さぬような笑顔の裏で彼女は3年間ずっと隠していたのだ。調査兵団に所属していた分隊長まで上り詰めた女であること、そして自分達が訓練に明け暮れる中で彼女はこの壁に覆われた世界で幾多もの巨人をあの人も殺さぬような手をして、殺して来たのだ。
そして、現在調査兵団に所属し、精鋭部隊の一員として、エレンを守っている事。

「(あんたが元調査兵団の人間で、そして今調査兵団だったなんてね…知らなかったよ、嘘つきだね、ウミ。大人しく一般人のままのんきに暮らしていればこんなことにはならなかったのに……馬鹿だよ、あんた)」

 その笑顔の裏で彼女はずっと自分が元兵士だと黙っていた。どれだけ隠しても彼女が自分に対人格闘技で挑んで来た時にその身のこなしは確かに猛者だとなんとなくだが理解していた。
 ここは壁の王が君臨する中心地に近い。きっとここ(内地)に、手がかりがある。その前に彼を連れ出さなければならない。もう、ここに降り立った時点で後戻りは出来ないのだ。ライナーから与えられた指示通りに明日自分がやらねばならない。壁の外に出た時が好機だ。

「(大丈夫。すぐに会えるよ、あんたにも)」

 静かにその手紙をくしゃりと握りしめるとアニはそれを川べりに投げ捨てた。だから彼女は嫌いなんだ。自分はいつか滅ぶこの壁の住人との交流なんかしたくないのに。
 対人格闘技訓練で自分が父に教わった技術を会得したいと弟子にしてくれと願い出た彼女、彼女の父も自分に対して護身術とか教えてくれたのが楽しかったと話していた笑顔。まさかあの時自分たちの窮地を救ったのがウミだった。
 誰にでも優しく対等に話しかける姿、のんきでお人好しなやつだと思っていた。高身長が多い女子の中で自分と同じくらいの身長だと訓練兵の中で小柄なクリスタと自分ととっくに成人しているはずなのに小柄なウミの3人でちびっこトリオだなんて。アニはそんなウミが調査兵団の元分隊長であの時窮地に舞い降りたウォール・マリアの天使だと、どうしても思えなかった。



 いよいよ明日に控えた第57回壁外調査。とは名目上でエレンを壁外に連れ出すことで兵団の中に潜む巨人化能力を持つ人間とその人物に協力している…ソニーとビーンを殺した諜報員をあぶりだす為の大作戦。その作戦を知る者は精鋭の中でもごく限りなく少数で、敵が内部にあると確信した者たちである。
 それでもこの作戦がエルヴィンの読み通りだとしても成功するとは限らない。万が一ここにいる誰かが、そう、ウミが死ぬことになっても。そもそも、壁の人類が生き残るためには人為的に壁を壊そうとしている奴らをここに引きずり出してその脅威を取り除かねば崩された100年の平和などは永劫ありえないのだ。

「リヴァイ兵長、いらっしゃいますか?」
「何だ」
「ちょっと来てください、これは命令です」
「オイ、引っ張る事ねぇだろ、」

 リヴァイ班で午前中の軽い調整を終えた後、リヴァイが自室にてこもっているとふと聞こえたのはペトラの明るい声だった。控えめなノック音が聞こえてきて、ドア越しに顔を出せば今すぐ食堂に来てほしいとのことだった。何だと訝しげに顔を歪める男の腕を引き連れ出すペトラはリヴァイに楽しそうに笑顔を浮かべている。

「えっ、オルオって大家族なの?」
「そうなんすよ、休暇はいつだ、帰って来いってうるさくて」
「いいなぁ、大家族、……賑やかでいいでしょ?」
「うるさくてのんびりできやしないっすよ…」
「そういえば一番下の弟もそろそろでっかくなったんじゃないのか?」

 リヴァイを呼びに行ったペトラを待ちながらウミ達は食堂で楽しそうに語り合っていた。明日の壁外調査の事を考えると憂鬱になる気持ちを紛らわすように一同は束の間の休息を楽しんでいた。

「そうだな。まぁ、仕方ねぇからこの壁外調査が終わったらそろそろ弟達とも遊んでやらねぇといけねえな……」
「うん、そうだよ、お兄ちゃん。そういうエルドは? そういえばエルドって結婚してるの?」
「エルドは髪の綺麗な美人の婚約者が待ってるもんな、」
「へぇ!! そうなんだ! 知らなかったよ、それならなおさら早く帰ってあげないとね」
「いっつも帰るときに花屋で花束買っていくんだよな、エルド」
「おい、グンタ、俺の事よりお前こそ爺さんと母親が大事な一人息子を待ってるだろう、」

 そうだ、自分達と違い、皆には自分と違いきちんと帰る家があって、その帰りを待っている愛しい人達が居る。もうじき結婚する予定だと微笑むエルドの嬉しそうな笑顔。ああ、自分もそんなことがあった、結婚に憧れない人間はほとんど少数で在ろう。もしかなうのならば兵士としてではなく一般人としての幸せがあったのかもしれない。

「そういうウミさんこそ大事な指輪の贈り主の相手は誰なんですか?」
「婚約指輪ってよりは結婚指輪みたいでしたもんね」
「ウミさん、誰っすか?差支えない程度に教えてくださいよ」
「それは内緒だよ、でももう終わった恋なの。でも、今も忘れられない大切な人。最初で最後の恋、自分が全てを捧げてもいいと思った人は後にも先にもあの人だけなの

 きっぱりと言い切ったウミの眼差しはいつになく真剣だ。そう、笑い合える家族。それが羨ましくもある中で自分たちは明日行われる大作戦の為に犠牲を覚悟で突き進まなければいけない。きっと明日はこうやって皆で楽しく笑い合えることはないだろう。願わくば無事にこの作戦が成功することを願うばかりである。

「みんな! リヴァイ兵長連れてきたよ!」
「一体何なんだお前ら」
「リヴァイ兵長!」

 そうして一同はリヴァイ、今日の主役を座らせるとそれぞれがこの1か月間自分達を選んでくれた彼への明日の壁外調査に向けた慰労会を始めたのだった。

「お前らな、まだ明日があるんだぞ、まだ気が早ぇだろうが」
「まぁまぁ、いいじゃないですか、兵長。明日が終わればいったんこの班の活動は終わりですし、今後どうなるかはまだ分からないんですから」
「そうですよ、それにリヴァイ兵長にはこのか1月間訓練してもらったりとお世話になりましたから、お礼の一つくらいさせてください」

 自分を信じてついてきてくれた。自分が過去の戦歴から選出した班のメンバーから次々と渡されるプレゼントはこの1か月と彼らが調査兵団に入ったころからの彼をよく知るからこその素晴らしいセンスの物ばかりだった。貴重な価値の高級ブレンドの紅茶に、ぞうきんに、白いハンカチーフにそれに壁外調査から帰ると真っ先にシャワーを2時間浴びる男に石鹸を用意したり、次々と渡されるプレゼントにリヴァイは表情を変えずとも嬉しそうに瞳を細めた。
 自分の為に住民たちからの税金で生活している自分たちはそんなに活動に見合った賃金がもらえるわけではないがその中から捻出して感謝の品を用意してくれるなんて…。改めてこの班でよかったとリヴァイは感じていた。そしてその輪の中心で優しく微笑むウミがくれたものは初任給が未だのエレンと一緒に選んだワイシャツだった。

「上官だから王都に召集されることもあるでしょう?勝負着の1枚くらいはおろしたてを使ってね」
「お前ら……ありがとうな、」

 いつも死んだような三白眼の瞳をした彼が穏やかな表情を浮かべることは最近は皆無だった。しかし、久方ぶりに見せた男の表情に班の全員が見入るほどにそれはあまりにも映えた。とても綺麗に笑うのだと、改めて彼を信じて明日は成果を出そうと全員が誓いを新たにするのだった。
 その夕刻、明日の壁外調査はカラネス区からの出発になる為それに備えて、早めに就寝することになったのだが、リヴァイは1人古城の屋上から沈みゆく夕日を眺めていた時だった。今晩は早めに寝ろと言ったのにいつも自分の言う事も聞かずに勝手に駆けだしてゆく自分よりも小さな背中を見た。
 しかし、彼女が行く場所など、どこか安易に理解できるし分かっている。男は静かにその背を追いかけるように屋上を後にした。

「久しぶり……」

 色とりどりの花に囲まれた大きな木が変わらずにその葉を茂らせる。ウミがやってきたのは1か月前トロスト区が「超大型巨人」に襲撃されたあの日の墓標だった。トロスト区の整備が終わってようやくここに来ることが出来たことに安堵しながら墓地は大丈夫なのか、ずっと気にしていたが集団墓地は不思議なことにその原型をとどめていた。巨人は生きている人間にしか興味ないという事か。

「来るのが遅くなって本当に、ごめんね、不安だったよね、巨人に荒らされて怖かったよね、」

 優しく墓石を撫でて。そうして、花屋が未だ再開していなかったので古城に咲いていた花を摘んで持ってきたウミはその目の前の墓石に腰を下ろし水で優しく墓石を洗うとそっと花を手向けた。

「あのね、明日からまた壁の外にお出かけしなきゃいけないんだ。少し出かけてくるけど必ず帰るから、待っててくれる?」

 どうして大事な墓をトロスト区に構えたのか。自分の故郷はシガンシナ区にある、それならシガンシナ区に墓を置くべきだったのかもしれない。自分の母も5年前のままそこに眠っているシガンシナ区に。それでもトロスト区に置いたのは…いつか偶然、彼に会えたらなんて少しでも期待する心。ざあ…と柔らかな風が吹き抜ければ兵士に戻り勘を取り戻したのかまた人の気配に敏感になったウミは背後に感じた人の気配に振り向くと、一気にその時間は凍り付いた。長く、腰まで伸びた柔らかに波打つ髪が揺れてその視界に映るありえない存在が立っていることに驚いていた。

「どうして……ここに?」
「……ガキの墓参りに親が来なくてどうする」

 そうして、男が口にした言葉にウミは激しく感情を揺さぶられた。

「うそ……だって、だって……わ、私……っ、そんなこと、一言も、言ってない」

 男は何も答えない、沈黙は肯定と言わんばかりに。親、ガキ、それはウミが愛しいと感じたただ一人の彼の、

「全部、知ってたの?」
「馬鹿野郎。お前はいちいち顔に出やすいんだよ。惚れた女の変化にも気付かねぇわけねぇだろうが」
「っ、来ないで……!」

 慌てて逃げ出そうとするウミをもう今度こそ逃がさない。あの日全てを無くした雨の日になると嫌でも思い出す。泣き崩れる彼女を抱き締めてやることしか出来なかった自分を何度も責め続ける日々を超えて。男の屈強な腕がウミを引き寄せて優しくその小さな頭を抱くと男が手にしていた、同じ古城に咲いていたかわいらしい薄桃色の花が地面に落ちた。

「ガキが死んだのはお前のせいじゃねぇ、もともと生きていけなくて自然に淘汰されちまう命だってある。それに、あの日お前の親父を死なせたのは……俺だ。イザベル、ファーラン、……俺に力がなかったから、巨人に抗う力が足りなかったから」
「違う……っ、違うよ……お父さんもイザベルもファーランも、みんな死んだのは……リヴァイのせいじゃない……からっ、分隊長の私がちゃんとしてれば、みんな死ななかった、それに……っ、赤ちゃんも、今ここにいたのかもしれないのに……っ!」
「俺に申し訳なくて、責任感じて、黙って居なくなったんだろ。どうして、だろうな、慰めの言葉なんて考えずにさっさと迎えに行けばよかった、顔を見て、会えばそれだけで十分なのに」
「もう、終わったことだから、いいの、だから……ちゃんと別れ話をしようと思って…さよならをしよう、私たちは、もう……んんっ、」

 さよならを言うならその唇を塞ぐまでだ。巨人に奪われた5年間の空白をここで埋める。男は己の腕の中に収まる華奢な肢体が自身の胸板を押し返そうとする腕を絡めとって、そのまま彼女の両手首を掴むと沈黙した墓石の前でそっと、唇を重ねていた。

「ウミ……許してくれ。俺が、馬鹿かった、お前一人に全てを背負わせた俺を、」
「リヴァイ……」

 どうしてこんなに簡単で分かりやすい言葉をもっと早くウミに伝えなかったのだろうか。男はウミの身体を強く強く抱き締めて心底悔やんだ。

「もう一度。今度こそ、お前を守ると誓う。だから、俺の傍に、戻ってきてくれ……」

 不眠の瞳に映る愛しい彼女へもう一度。指輪の片割れ同士がようやく空白の五年間を経て再び重なった。送られる彼からの深いキスをもうウミは拒まなかった。その瞳の端から流れる涙。男の武骨で繊細な手が静かに1人で全てを抱えて今にも壊れそうだったあの日のウミをまるごと抱きしめた。そして、ウミが首から下げていた指輪を引きずり出すとそれを翳してウミに誓いを立てた。

「こんな安モンの指輪、ずっと、持ってくれてたのにな、」
「リヴァイ……っ、リヴァイ!」
「お前には、エルドの女みてぇに俺の帰りをお前によく似たガキと一緒に家で待つ、そんな普通の女としての人生を歩ませてやりたかった……それなのに、俺の勝手でお前をまた戦いに引き込んだ。そんな俺を、許してくれるか」
「うん……っ、うん……っ、」
「ウミ……もう、離さねぇ」
「っ……いて……傍に、っ、」
「お前が居ねぇと、俺は腑抜けになっちまう」

 5年間空白の期間調査兵団で戦い続けてきた筋肉の鎧を纏ったリヴァイの背中にウミが腕を回したその時だった。ウミの脳裏に過ぎったのは――。
 明るく、そして未来ある若い肉体を持つペトラの愛くるしい笑顔、だった。

「オイ、何してやがる……」
「ダメ……やっぱり」

 どうしたことか、突然収まっていた彼の厚い胸板を押し返してウミはようやく捕まえたその腕から抜け出してしまったのだ。そこにはこの一か月で出会って知り合い大好きになった友人の顔があった。そう、彼を誰よりも慕い健気に尽くしている少女の存在を。彼女の手前で彼への愛をまた誓うなんて、彼女の気持ちを踏みにじってまで自分が幸せになるなんて。

「あなたのことを大好きな人が、居るの……」
「あ? いきなり何言いやがる、」
「っ、私は、その子の事が、好きだから、その子が私のせいで泣く子が、傷つく人がいる……だから、」
「何だ? 俺がそいつとどうなっても構わねぇって言うのか…?」
「っ、」
「だから……! 泣きながら言ってんじゃねぇ。相変わらずお前の言葉は説得力ねぇんだよ、馬鹿野郎が」
「っ……だって、どうしたら、いいの、わかんない、わかんないだよリヴァイ・・・っ、もう5年前とは違うの、人類最強と呼ばれるあなたに私は相応しくない、あなたは、もっと私みたいな凡人なんかじゃなく、きちんと、選べる人が居るでしょう?人類最強の遺伝子を残せる若くて私と違ってお腹の中できちんと赤ちゃんを育ててあげられる子が……言いに決まってる、」

 我が子を失った悲しみに暮れてきた彼女はもう人生この先の女としての人生をあきらめてしまったというのか、まだ子をなすには遅くはない年代なのに。こんな時までそんなに自分の幸せや仲間の気持ちを考えて自分の感情を無視してどうするつもりなんだ。リヴァイは怒りすら覚える。もう自分にはウミしか見えないというのに5年間も離れてようやくこの空白を埋められるというのに。今さら他の女を愛せと言うのか。

「黙れ、」
「私は、もう過去の人間、私にはわかるの。あなたは未来を生きてる、あなたには巨人を絶滅させた英雄という輝かしい未来が待ってるの!」
「ごちゃごちゃうるせぇのがわからねぇのか」
「っ……でも、」
「黙れ、黙れ、って言ってんのがわかんねぇのか……オイ!」

 どんなに願っても、神様なんかいない。現実は容赦なくて、地下の狭い世界から壁の外で巨人共に食いむさぼられる現実を嫌になる程見てきたではないか。もう5年前には、ふたりの出会った頃には戻れない。
 イザベルもファーランも父親も居ない、もう楽しかっただけの若い頃には戻れない。戻るには2人はもう立場も境遇もすっかり変わってしまっていた。それでも、頑なに自分を拒む彼女の凍てついた心を激高したリヴァイが溶かした。普段感情をあらわにしない人類最強の激高した声に思わず大きな瞳を見開いて黙り込むウミ。

「考える事が苦手な癖に……べらべら喋るな、建前だとか、変に大人になりやがって。さんざん俺に付いて回って好きだとほざいたのは、…お前だろ。お前しか見えねぇのに……いまさら、お前以外の女なんか抱けるか……ずっとお前だけだ。余計な事、考えてんじゃねぇよ。安モンの指輪をずっと肌身離さず身に着けてやがって、挙句泣きそうな顔で俺の大事な班の全員引き連れて捜索して……ガキなら幾らでも作ればいい……そうだろ」

 まだあどけない少女だったウミが5年の歳月を経て変化して、そして大人になればなるほど本能のままでは生きられないことを知って。それでも、そうだとしても。

「お前を、もう一度、抱く」

 結局、彼に抗うことまでは出来ずに彼に身を委ねた。自分は弱い人間だ、彼の幸せのために身を引いたところで、結局その彼を誰よりも不幸にするのは自分になる…。どっちに転がっても誰も傷つかない顛末はありえないのだ。



「起きたか、」

 ふ、と目が覚めると辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。先ほどまでの記憶が無い。ただ、隣には優しく何度も自分のシーツに散らばる長い髪を手櫛で梳いている男が居て。先ほどの記憶を呼び起こされて、目の前の彼に気を失うまで愛されたことを思い出して身を縮こむとそっと毛布が剥き出しの肩にかかった。

「私……」
「もう、離れるな……離れたら、今度はお前の足を折るぞ」
「やっ……そ、それは……だめっ、」
「なら、いいな」

 スッと触れた武骨な手がウミの膝を撫でる手つきに恐ろしさを覚えてウミは黙り込んだ。彼は誤解されやすいが出会った時から誰よりも強く、そして誰よりも優しい人で誰よりも仲間を失う痛みを知っている。だから人に対してそんなことはしない人間だが彼を一人にした5年分の代償を受け止めウミは黙り込んだ。触れた指先が懐かしくてこの人を一人にしてしまった自分を悔やんだ。

「身体は辛くないか」
「それ……さっきまで私の事酸欠になるまで苛めた人が言う台詞ですか?」
「仕方ねぇだろ、ああ、せっかくの声もガラガラだな、」
「ばか……っ、」
「5年分なんだから仕方ねぇだろ、それでもまだ加減してやった方だ」
「明日の作戦に支障が出てもし私が巨人に食べられたら化けて出てやるからね、」
「そうはさせねぇから安心しろ、もしお前を食う巨人が居たら腹を掻っ捌いて引きずり出してやる。そんで……作戦が無事に終わったら…改めて時間を貰う。エルヴィンと、班のヤツらにも、いや、兵団内に知らしめる。お前は俺の女だと。もうどこにも行かせねぇ、危険は伴うが絶対死なせねぇ。お前は俺の傍に居ろ。お前の親父と母親にもキチンとケジメをつけるつもりだ」
「リヴァイ……っ」
「分かったならもう寝ろ、叩き起こしてやるから」
「リヴァイは寝ないの?」
「……5年分だ。2回じゃまだ抱き足りねぇ、そうか。まだ苛められてぇのなら遠慮なく。さっき出したばかりだからな……次は長く「ひいいいいい!!おやすみなさいっっ!!」
「チッ、」

 古城の奥のウミの部屋の狭いシングルベッドに身を寄せ合って。ウミは彼の逞しい腕の中に抱かれて散々泣き疲れたのかとろけるような笑みを浮かべ静かに眠りについた。すやすやと子供の様に眠る寝顔は先ほどまで自身の腕の中で涙を流して乱れていた女とはまるで別人のようだった。
 男は愛しいウミを抱き締めてこの5年間、ずっと眠れなかった中でようやく訪れた安息に身を委ねて静かに瞳を閉じる。いつも執務室の椅子などで仮眠ばかりの不摂生で過ごしていた間ずっと消えなかった目の下の隈が薄まるようだった。この作戦が成功したら…しばらく休暇を貰おうか、そうして何時までも、5年ぶりに抱いた彼女を飽きる事はないだろうが、まだまだ愛し足りない。失って気付いた、どれだけ彼女の存在に自分が心救われていたのかを。

To be continue…

2019.08.09
2021.01.24
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