THE LAST BALLAD | ナノ

#21 星のない夜に

 調査兵団本部では襲撃された箇所の補修工事が急ピッチで進められていた。その中心にある調査兵団・団長室。エルヴィンは次に控えた壁外調査に向け、かつて分隊長時代に自らが考案した壁外調査でいかに巨人と遭遇しないかを考慮し編み出した長距離索敵陣形の配置を練っていた。そんな彼の元を尋ねてきたのは、ミケだった。

「30日後に兵站拠点作りの壁外遠征か……それも今期卒業の新兵を交える。と、」
「入団する新兵が居ればな」
「いずれにしろ俺には些か早急に過ぎると思えるが、」
「エレンの現在の処遇はあくまでも一時的なものだ、火急的速やかに彼が人類に利する存在だと中央に示す必要がある。でなければ、いつまた憲兵団辺りが横やりを入れてくるか「俺にも建前を使うのか? エルヴィン」
「相変わらず鼻が利くなミケ、」
「だが……お前ほどには利かない」
「時期が来れば話す」

 鼻を鳴らし、エルヴィンにこの作戦の真意を訪ねようとするミケ。だがエルヴィンは静かに微笑みその真意を未だ明らかにする時期ではないからと告げる。男は静かに今ではなくもっとその先を見ていた。内部に潜む敵、そしてエレンが現れたことでエルヴィンは気が付いてしまったのだ。巨人に変身できる人間の存在を。
 ――……その人物はこの壁の中に必ずいると。
 まるで内側からの傾国を狙うトロイの木馬のようにこの中に潜んでいるに違いない。しかし必ず正体を炙り出す。エレンという餌にきっと導かれて奴らは壁の外から必ずやってくる。と。エルヴィンはそのためならどんな犠牲も払う覚悟を、強い意志を持っていた。

 今回捕獲された2体の巨人をハンジは4メートル級を「ソニー」、7メートル級を「ビーン」と名付けまるで子供のように。かわいがっていた。しかしその名前の由来は決して可愛いものではなく、昔実在した25年にわたって人肉を食し500人以上を惨殺した人喰い一族を率いた男と同じだからだ。その由来を聞いた時は思わずこみ上げてきた。
 1年前の壁外調査で発見したイルゼ・ラングナーの戦記から得た情報を元に巨人はその後リヴァイなどの協力を得て5回ほど捕獲され、実験の末に弱点であるうなじを削ぎその中身を観察しようとしたが、誤って巨人が死んでしまうような悲しい事故もあり、今回は細心の注意を払い、まずは巨人を殺してしまわないよう、過去5回行われた過去の実験を繰り返す事から始まった。
 この2体の巨人は人類には重要な被験者として厳重に保護されていた。警備も調査兵団や駐屯兵団の人員をフルに使って24時間万全の状態だった。
 巨人を憎むたった一人の少年だったエレンが知らぬ間に巨人に変身できる人間として世界の脅威となってしまって。
 そんな彼を守るべく、ウミが再び足を踏み入れた調査兵団。だが5年間現場から離れていた事もあり、すれ違う人達はみんな知らない顔ぶればかり。見知った人も何人かいて久方ぶりの再会を喜んだりもしたが、ほとんど生き残ってる人は両手で数えるくらいしかいなくて。向こうもきっと自分が元調査兵団の分隊長だったことを知らない者がほとんどの中で、かつて調査兵団で過ごした懐かしい日々はもう違う、自分が歳を重ねエレン達があっという間に大きくなり自分の背丈を追い越したように、5年という歳月が自分を忘れさせるにはあまりにも大きすぎた。昔と今では、もう何もかも違うのだとウミはひしひしと感じていた。

「ねぇねぇ、ウミ!」
「きゃっ!」

 今日の実験も終わり、あの時リヴァイに借りたままだったマントを大切そうに胸に抱き私服姿で敷地内をうろついていたところ、連日実験をしていた寝不足のハンジが徹夜明けだというのに生き生きとした表情でウミに抱き付いてきた。その拍子に持っていた洗濯済みのマントを落としてしまいウミは慌ててそれを拾って汚れが付着していないか確認した。

「ごめん、ごめん、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫!」

 一応洗濯はしたが果たして綺麗好きでなんでも自分で洗濯しなければ済まない男が他人に借した服をそのまま大人しく受け取るだろうか?しかし、借りたままのマントをいつまでも借りたままでは彼も困るだろう、早く返さなければならない。
 しかし、リヴァイ率いる精鋭班がエレンの実験に選んだ場所はエレンが誤って巨人化して暴走した場合、被害が及ばないような人里離れた僻地ですぐ囲えるような場所ということでここからかなり離れた旧調査兵団本部に居城を構えている。そこに行くまでに馬を走らせなければならないような辺鄙な場所にあるそうだ。

「ねぇねぇ、ウミ!お願いがあるんだけどちょっと付き合ってくれない?」
「どうしたの? こんな夜遅くに」
「ほら、明日早速エレンの巨人化実験を行おうと思ってね、今エレンを管理しているのはリヴァイだろ? ぜひとも班長に許可を取りに行きたくてさ」
「ええっ、今から行くの? こんな夜遅くに危ないよ!変態に遭遇したらどうするの?」
「その時はウミがまたギタギタにやっつけてくれるんでしょう?」
「そんなことしないよ! もう! また捕まっちゃうじゃない! モブリットに頼んだら?」
「ねぇ〜お願いだよ〜、私が心配ならついてきてよ、モブリットは最近あの子たちのお世話に追われてお疲れみたいだし、休ませてあげたいからさ。ウミもエレンとクライスに会いたくない?」

 確かにそう尋ねられればそうでもあるが、まだリヴァイとは気軽に昔のように話せるようになるにはもう少し時間が欲しい。悪いのは全部自分なのにリヴァイは決して自分を責めたりしない、その彼の優しさがあるから余計につらいのに。
 しかし、昨日別れたきりエレンは果たしてリヴァイの選出したメンバーとうまくやれているのか。
 何かとリヴァイと衝突したがるクライスは喧嘩せずに過ごせているのか。色んな不安がウミの脳内を駆け巡る。それにこんな夜遅くに今や上司のハンジを一人で出歩かせるのは危険だ。タヴァサにも久々に乗りたいし、ウミはこくりと頷くとハンジは嬉しそうにウミの肩を抱いた。

「それじゃあ決まり!どうせならリヴァイ班の皆さんにもご挨拶しに行こうか!そうと決まったら出発だよ!」

 分隊長が行くと言えば行かなければならない。ウミが一緒に行くと微笑めばルンルン気分で嬉しそうなハンジに連れられ二人はそれぞれの愛馬に跨り本部を出発した。タヴァサは五年ぶりの主人の乗馬を嬉しそうに彼女によく似た瞳を細めていた。
 ウミ達が出発した頃。旧調査兵団本部の食堂にはクライス以外のリヴァイ班の一同が集まり、ようやく昼間の大掃除が終わり、食後の紅茶を飲み談笑していた。エレンももちろんその輪の中に入れてもらい、ありがたいことに調査兵団はエレンを酷い目に合わせるつもりはなかったらしくエレンもリラックスして先輩方の会話に耳を傾けていた。ずっと審議所の地下室で彼の自由を拘束していた枷はもうそこにはない。

「我々への待機命令はあと数日は続くだろうが30日後には大規模な壁外遠征を考えてると聞いた。それも……今期卒業の新兵を早々に混じえると」
「それ本当かエルド? ずいぶん急な話じゃないか。ただでさえ、今回の巨人の襲撃は新兵には堪えただろうによ」
「ガキ共はすっかり腰を抜かしただろうな」
「本当ですか兵長」
「作戦立案は俺の担当じゃない、だが、エルヴィンのことだ…俺達よりずっと多くの事を考えているだろう」
「確かに……これまでとは状況が異なりますからね……多大な犠牲を払って進めてきたマリア奪還ルートが一瞬で白紙になったかと思えば、突然全く別の希望が降って湧いた……未だに信じられないんだが……「巨人になる」ってのはどういうことなんだ。エレン?」
「その時の記憶は定かではないんですが……とにかく無我夢中で……。でも、きっかけになるのは自傷行為です。こうやって手を……(あれ? そういえばオレは何でこれだけは知っているんだっけ?”)」
「お前らも知ってんだろ……報告書以上のことは聞き出せねぇよ……まぁ、あいつは黙っていないだろうがな。ヘタにいじくり回されて死ぬかもなお前……エレンよ」
「え……? あいつとは……?」

 リヴァイが親しみを込めて彼なりの優しい声音でエレンを呼んだその時、食堂の扉に何かがぶつかる音とぶつかった者の声が響いた。

「おわっ!!」
「大丈夫? ハンジ?」
「あいつだ」

 食堂のドアに閂をしていたのでどうやらその扉を開けようとした人物がそのまま引っかかってしまったようだ。リヴァイがペトラに目で促せばペトラは頷き、扉をまたがる閂を外して明るい声が暗い場内に響いた。

「こんばんはー! リヴァイ班の皆さん、お城の住み心地はどうかな?」
「早かったな」
「居ても立っても居られないよ!」
「ハンジ分隊長」

 姿を見せたハンジに驚くエレン、そして元からハンジが来ることに気づいていたのかリヴァイは紅茶をカップの持ち手ではなく縁を持ち啜った。しかし、その後ろからちょこんと顔を出した人物が来ることまでは想定していなかったのか、その姿が視界に入った瞬間、ガクリ、とその椅子に置いていた肘が落ちる。

「もう一人スペシャルゲストもいるよっ!」
「リヴァイ班の皆さん初めまして、エレンがお世話になっております。今回調査兵団に所属することになりました…ウミで…あ!」

 そして、ハンジの後ろから顔を出した人物に驚いたのはもう一人いた。キャラメル色の瞳と髪色を持つペトラが姿を見せたウミに目を見開いている。

「何だペトラ、知り合いか?」
「知り合いも何も……ウミさんですよね? どうして、調査兵団に」
「どうして? だと、何だペトラ、この人のこと知ってるのか、ん?もしかしてウミさん、って、やたら親し気に」
「ウミさんは私たちが入団する前に調査兵団を引退したのよ。当時は分隊長まで上り詰めた実力者で、引退した今はトロスト区に住んでいた。そしてたまたま今回のトロスト区襲撃に巻き込まれて……多くの巨人を討伐して、新兵や駐屯兵団の兵士たちの命を救った英雄よ」
「そう、なのか……?」

 しかし、調査兵団きっての猛者たちはウミがとてもそんな風には見えないと上から下まで彼女を流し見た。小柄で華奢で、立体機動装置の邪魔になりそうな長い髪を腰まで垂らして、団服を着ていなければ幼い顔立ちも手伝ってただの儚げな少女にしか見えない。

「ペトラちゃん! えっと……これにはいろんな理由があって、」
「ウミ、どうしてこんなところに」
「エレン、よかった、元気そう「調査兵団ってなんだよ! 何でまた戻ってきたんだよ?あぶねぇし、もう二度と戻らないって言ってたじゃねぇか…」

 詰め寄るエレンは心配そうに彼女にそう尋ねる。ウミは困ったように笑いながら自分が憲兵団に逮捕された事、釈放の為の条件が調査兵団に身柄を委ねた事。エレンを見守る為だけだとは一切告げず、今回のトロスト区襲撃の際に自分はやはり調査兵団で職務を全うすべきだと思ったのだと告げたのだった。そう、エレンの為ではあるがこれは自分の為でもあるのだ。
 ハンジの後ろから現れたウミの姿にペトラが驚いたようにウミの元に駆け寄る。あれ以来の再会であの時は普段着だった彼女が今は立派に調査兵団の服を着ている。まさかその後調査兵団に戻ってくるなんて。しかし、調査兵団の一員として戻ってきたウミを快く歓迎してくれた。

「(ねっ、ねっ、褒めてよリヴァイ、ちゃんと連れてきてあげたよ?)」
「(うるせぇ、クソメガネ)」
「(またまた照れちゃって、)」

 こそこそリヴァイに耳打ちしながらハンジはからかい半分意地悪そうにメガネを光らせて微笑んだ。姿を現したリブ生地のハイウエストトップスに調査兵団のシンボルである自由の翼の刻まれたジャケットを纏った彼女の姿。まさかこんな夜更けにウミまで連れてくるなんて…。
 戸惑ったように敬礼をするウミの姿、そして思わぬ展開にリヴァイは普段無表情なその顔つきを少し穏やかなものにした。

「初めましてウミさん、エルド・ジンです。よろしくお願いします」
「グンタ・シュルツです、よろしくウミさん、」

 エルドが、グンタが、先に先輩としてウミに敬礼をし、自ら握手を求める。そしてその様子を見ていたオルオも立ち上がるとウミへ手を伸ばした。

「初めましてウミさん、オルオ・ボザぐぉっ……!」
「え、ええっ!!大丈夫!?」

 オルオは立ち上がりながらいきなり口を開いたためさっき治ったばかりの舌をまた噛んでしまったのだった。オルオはペトラの同期だそうで、二人は同期の中でも唯一調査兵団に入団した二人らしい。
 オルオはリヴァイを崇拝しており彼の服装から髪形、何より喋り口調まで似せているのには驚いた。確かによーく見ればリヴァイに寄せてなくもない。そんな彼を崇拝、憧れているだけあって若手ながらその討伐数は先輩たちをも凌ぐ実力を持っている。

「ウミさん、お元気そうでよかったです」
「あの時はごめんね……結局あの後色々あって調査兵団に戻ってくることになったの」

 いつの間にか打ち解けたウミにペトラが明るくはきはきとした口調でそう答える。二人は手を取り合い再会を喜んでいるようだった。

「お待たせエレン。私は今、街で捕らえた2体の巨人の生態調査を担当しているんだけど、明日の実験にはエレンにも協力してもらいたい。その許可をもらいにきた」
「実験…ですか? オレが何を……?」
「それはもう……最ッ高に滾るヤツをだよ……」

 脳内の妄想が膨らみ、興奮したように顔を赤らめるハンジにウミはエレンに迫るハンジを不安そうに見ていた。ハンジに尋ねられ少しその迫力に押され気味のエレンは困ったかのように目線を泳がせていた。

「あ、あの……許可については自分では下せません。自分の権限を持っているのは自分ではないので」
「リヴァイ、明日のエレンの予定は?」
「……庭の掃除だ」
「ならよかった、決定!! エレン! 明日はよろしく!」

 つまり何も予定がないということだ、思いついたように予定を告げたリヴァイにハンジは力強くエレンの手を握り締め子供みたいに無邪気に瞳を輝かせていた。

「あ……はい……しかし巨人の実験とはどういうものですか?」
「(オイ! やめろ……聞くな!)」

 エレンの肘をドンとつつきオルオが小声で囁くがもう手遅れだった。

「あぁ……やっぱり? 聞きたそうな顔してると思った」

 ハンジがメガネを光らせ怪しく微笑む中、エレンを除く一同はリヴァイを筆頭に次々にガタッガタッと椅子を鳴らして席を立ち、部屋から出て行ってしまう。

「そんなに聞きたかったのか……しょうがないなぁ、それじゃあ、聞かせてあげないとね。今回捕まえたあの子たちについて」

 何も知らないウミとエレンだけが椅子に腰かけたままハンジの話に耳を傾けると、ハンジは嬉しそうに今回捕まえたソニーとビーンの捕獲するにあたっての最初の実験「意思の疎通」の話から始めた。その後、「日光の遮断」の実験や以前の実験体であったこれも連続殺人鬼の名前を模した「チカチローニ」と「アルベルト」は首を斬り落とす実験で誤って項まで削いで死なせてしまった切ない別れの話や「痛覚の確認」等この数日で行った実験の概要を一通り話した後、人類のすべての憎しみの根源である巨人について生き生きとした瞳をするハンジにエレンは神妙そうな顔つきで問いかけた。

「あの……ハンジさん、何で……巨人を目の前にしてそんなに陽気でいられるんですか?」
「え?」
「その……巨人はオレら人類を絶滅寸前まで追い込んだ天敵で……ハンジさんだってその脅威を数多く体験してるはずなのに……」
「そうだよ。私は巨人に仲間を何度も何度も目の前で殺された。調査兵団に入った当初は憎しみを頼りにして巨人と戦ってた。そんなある日私は気付いた。切断した3m級の生首を蹴っ飛ばした時だった。軽かったんだ異常に。巨人の体が」
「え?」
「そもそも本来ならあの巨体が2本足で立って歩くなんてことはできないハズなんだ。どの巨人もそう……切断した腕はその質量にあるべき重量には到底達していなかった。エレンが巨人になった時も何も無かった所から巨人の体が現れたと聞く。私は思うんだ。私達に見えている物と、実在する物の本質は……全然違うんじゃないかってね」

 夢中で話し込む二人を見守りつつウミは二人に紅茶のお代わりを差し出した。

「二人とも、お茶をどうぞ」
「ありがとう、ウミ。明日もあるのに待たせてしまってごめんね」
「ううん、いいのよ、大丈夫だから続けて。ね、」
「助かるよ。それで……憎しみを糧にして攻勢に出る試みはもう何十年も試された。私は既存の見方と違う視点から巨人を見てみたいんだ。空回りに終わるかもしれないけど……でも……私はやる」

 強い決意を持ちハンジはそうエレンに告げるのだった。椅子に腰かけ向かい合う二人の様子を見つめるウミだが、次第に彼女を急激な眠気が襲ってきた。今は何時だろうか。懐中時計を見ればもう寝る時間はとっくに通り越している。そういえば今朝も早起きしてソニーとビーンの実験に付き合っていたことを思い出す。

「(調査兵団に入ってから驚かされてばかりだ。ハンジさんだけじゃない。変わり者だらけ……これじゃまるで変人の巣窟。でも、変革を求める人間の集団……それこそが調査兵団なんだ)ハンジさん、」
「ん?」
「よかったら実験の話をもっと聞かせていただけませんか?」
「え、いいの?」
「明日の実験の為にも詳しく知っておいた方がいいかと思いますし…」
「そ、そうだね。うん。今の話じゃ省略した部分も多かったし、もっと詳細に話すとしよう。あ、ちょっと長くなるけど、」
「はい」
「そうだね。まずは、イルゼ・ラングナーの話から始めようか」

 それから数時間後がまた過ぎて、さらに話し込むハンジにエレンも次第に眠気が襲って来るように次第に俯き舟をこぎ始めていたが、ハンジは未だに喋る口を止めないでいる。ウミはもうすっかりテーブルに顔を伏せって寝てしまっているではないか。すやすやと穏やかに寝息を立てて眠るウミの睫毛が影を作る姿を横目に二人は話し込んでいた。

「それでね、」
「おい、いつまで話してやがる、さっさと寝ろ」
「あ、リヴァイ。もう少しだけだから……それよりさ、ウミが寝ちゃったんだよね、」
「だからどうした、お前が連れてきたんだろうが。担いで連れて帰れよ」

 いつまでも寝ないで夜通し話し込む二人の会話を遮るように扉を開けて姿を現したのは相変わらず無表情のリヴァイだった。仕事に追われ慢性的な睡眠不足の果てにショートスリーパーとなった彼もまだ起きていたらしく、聞こえた声に文句の一つでも言いに来たのだろう。

「あれっ、そういえばクライスは? 確かリヴァイ班だったよね?」
「あいつはもう班から外す。掃除もしなけりゃいつまでたっても女の家に居るのか知らねぇが入り浸りで朝まで帰って来やしねぇ。何より煙草くせぇしそれぞれ個室だからってそのうち女としけこんでちゃ兵団内の風紀も乱れる。金に任せてやりたい放題。エルヴィンに文句の一つでも言わなきゃ気が済まねぇ、」
「(もう班から外すなんて……クライスさんってそんなに不真面目なのか……クライスさん居なくなって大丈夫かな)」
「それならウミをクライスの部屋で休ませてあげてよ」
「チッ、」
「あっ、兵長、それならオレが運び「お前はハンジと喋ってろ。こいつを寝かしつけてる間に勝手に巨人化されちゃあ部屋がいくつあっても足りねぇよ」

 ハンジは自然な流れでウミをリヴァイに託してにっこりとこちらの怒りを消すような表情で笑うのだった。ワザとウミを連れてきたハンジに文句の一つでも言いたいのをグッとこらえながらリヴァイはこちらの気持ちなどお構いなしで穢れを知らない赤子のようにすやすやと眠るウミの腕を引き寄せると膝裏に腕を通し、自分よりも小柄な彼女を軽々と抱きかかえた。

「(そういう自分こそくれぐれもウミを襲わないようにね? ここ、そういうことするとすごく響くから。特にリヴァイは重いんだから尚更ベッドの上であれこれするのは)」
「(うるせぇ……俺は寝込みの女襲う程そこまで飢えてねぇ。削ぐぞクソメガネ)」
「一人で発散してるって事?」
「ハンジ」

 ハンジとエレンが話し込んでるのを横目にドアを足で開けて自身の部屋がある棟にウミを連れて行く。クライスの部屋は掃除していなかったため、自身の部屋のベッドにそっと寝かせて布団をかけてやった。5年前と変わらずよく眠るウミの寝顔はまるで人形のように静か、そして穏やかで、あの頃より歳を重ねたはずなのに何も変わらない。
 伏せた睫毛も広がる長い髪も触れた肌も彼女の甘い匂いも、5年前に別れたきりだというのにまるで時の流れを感じさせないと思った。確かに離れていたはずの愛しい人は今この腕の中に確かに居る。ずっとずっと、時が過ぎるとともに後悔に苛まれていた男の中に。
 ――あの日、「超大型巨人」によってシガンシナ区が堕ちた日、そしてトロスト区が襲撃された日も居合わせ果敢に戦い抜いた彼女がこのまま目を覚まさなかったらと考えリヴァイは己の今までの過去を悔やんだ。ウミを誰よりも守りたいと誓ったはずなのに、未だ若く勢いばかりだった愚かな自分は感情に支配され彼女を失った。悲しみに涙を流すウミを言葉が拙い自分は抱き締める事しかしてやれなかった、喪失の悲しみに暮れる彼女自身が一番苦しんで傷ついていたのに。どうしてもっと自分は気付いてやれなかったのだろう。
 そんな彼女が、シガンシナ区の実家で自分が就任する以前の兵士長だった母親と暮らしていることは知っていたのに、自分は彼女の後を追いかけることもしなかった。後悔してもしきれない。なぜ彼女を手放してしまったのだ、と。あの時に戻れるのなら彼女の華奢な両足を折ってでも、小さな身体を滅茶苦茶に壊れてしまうまで抱いてでも離さなかったと今なら言えるのになぜ。初めてウミの肌の温度を感じ、そして抱いた夜の事が今でも鮮明によみがえる。
 清廉な彼女を自分が汚したのに、それでも真っ新な彼女は精一杯の優しい笑顔と地下街で汚れ切った世界に居たこんな血にまみれた自分を抱き締め返してくれた、愛してくれた。どんな時も傍に居てくれたのは後にも先にもきっとウミだけ。
 彼女は今この腕の中で静かに寝息を立てて眠っている。もう同じ過ちは繰り返さないと拙く誓い、リヴァイはそっとウミの頬を撫でてすやすや眠る彼女に顔を近づけるとそっと瞳を閉じた。
 男の不器用な言葉はすべて行動で示して。言葉数が少ないリヴァイはそっと眠るウミの小さな半開きの口唇にまるで眠り姫を目覚めさせるように、無愛想で粗野な彼には似つかわしくない優しいキスを落としたのだった――……。
 五年ぶりに交わしたキスは彼女が眠る中だったが男は改めて誓うのだった、今の自分なら、もう選択を間違えたりはしない。あの時の無力な自分ではない、再び巨人の脅威に立ち向かう彼女と共に駆ける覚悟など出来ている。巨人の脅威に晒されるこの壁内人類の中の1人である彼女ごと巨人から守ってみせる。
 今度こそ。もう二度と失わないように。一人用のベッドの中で眠る彼女を横目に男も束の間の眠りにつくのだった。

「なので今回の実験では新たに得られた情報は無いね。今まで話したことは訓練兵の時に教わって「あの……ハンジさん、」
「ん? どうしたの? エレン」
「その……ウミとリヴァイ兵長の事なんですが……2人って、」

 その後も延々と話し続けたハンジ。古城にはすっかり朝焼けが窓から射し込んでいるがハンジは未だにエレンに巨人についてのすべてを話し込んでいた。エレンの眼にはすっかりクマが出来ており今朝古城に来てから休ませてもらえないまま一睡もしていないのでこの一晩でまだ10代の彼もすっかりやつれきっている。
 睡眠不足の脳内の中で、先程上官でもあり自分を見てくれているリヴァイに手を煩わせないようにとエレンはウミを部屋に運ぶことを申し出たのだが、リヴァイはそれを拒むと自らの手で彼女を優しく運んだ。
 潔癖で粗野で、心から楽しいと大口を開けて笑う表情とは無縁な男がその時、一瞬だけウミに見せた穏やかな表情がエレンの瞳に焼き付いていた。そしてウミが自分たちに話す今も忘れられない思い人の人の話。
 しかし、彼女は何も語らない。ウミとリヴァイと親交のあるハンジなら何か知っているのではないかと、そう尋ねたが、ハンジが見せたのはあまりにも切なく悲しそうな表情だった。先ほどまで明るく巨人の実験や生態について楽しそうに話していたのに。ハンジまでが重く口を閉ざす理由、ますます気になって仕方なくなってしまった。

「ごめん、あの二人の当事者ではない部外者の私からは詳しくは言えない。二人の事に関してはね……あの二人が付き合っていたことも、調査兵団でも一部の人しかわからない話だから……でも、これだけは言える。あの二人はエレンの思う通り、今もお互いのこと思い合ってると思うよ。今はなんだかんだ部下からもああして慕われているし、今までいろんな貴族の名家のお嬢様とか、それこそ同じ調査兵団をはじめ駐屯兵団の美人さんや憲兵団の方でもたくさんお声がかかっていたけど全然見向きもしなくて、最近では男色家なんじゃないかって影で噂が立っているくらいずっとウミだけしか見ていないよ」

 きっと今も変わらずお互いを思い合っている二人。きっと二人を分かつモノは死以外無いのではないかとハンジは静かにそう呟くと、エレンはそれを聞くなり落ち込んだようにしゅんと肩を落としそっと紅茶に口をつけた瞬間だった。

「ハンジ分隊長はいますか!? 被験体が……巨人が……2体共殺されました!!」

 突如早馬を走らせリヴァイ班拠点地に乗り込んできたのは自身の部下のモブリット。血相変えて飛び込んで来た部下のハスキーボイスにハンジは思わず椅子を倒す勢いで立ち上がっていた。

「いつまで寝ていやがる、起きろ」
「んん……お母さん、未だ寝かせて」
「オイ、マザコン。起きろ」

 昨晩は酷く懐かしい夢を見ていた気がする。かつて一緒に寝食を共にしていた最愛の男が隣に居て、二人はいつも寄り添い合って暮らして、そして彼はいつも眠る前に自分に優しくて甘いキスをくれた事。ゆさゆさと揺さぶられる思考の中でまだ甘い夢に浸っていたかったのに。現実はそうもいかない。

「なぁに? もう……っ……!!!!」

 ふ、と目を開けた彼女の視界に飛び込んで来たのは5年前より若干老けた男の姿だった。驚き大きな目を見開き飛び上がる勢いで起き上がった彼女の額を軽く小突くとリヴァイは着たままのジャケットを正しながらウミへ衝撃の事実を告げた。

「ハンジの可愛い巨人がどっかの馬鹿野郎の手によって殺された、現場の様子を見に行くぞ。お前もついてこい」
「えっ、ソニーとビーンが……!? う、嘘でしょう??? え?? あっ、あの……何で、私……確かテーブルで……!!」

 未だに寝ぼけて現状を把握しきれていないウミへの問いかけに応えないまま、ウミを置き去りに支度を終えたリヴァイの小柄ながらも鍛えているだけあって屈強で広い背中にウミはずっと返そうと思っていた借りたままだったマントを手渡した。

「あ、あの……これ……この前の時に借りたマント……」

 気まずそうに、しかしこの前の馬車の会話の時よりは慣れたのかたどたどしい口調でウミが手渡したマントは清潔な石鹸の匂いがほのかに香る。リヴァイは無言でそれを受け取りバサッと広げて手慣れた手つきで羽織るとそっとウミの方へ目配せした。昨日あいさつしたてのリヴァイ班の中に自然と混ざる形でトロスト区調査兵団本部ソニーとビーンの拘束されていた場所へ向かった。そこには多くの人だかりが集まっており、昨日掃除から逃げたきり古城に戻ってきていないクライスがちゃっかりと現場に居合わせ呆然と蒸気を立ち昇らせ、ソニーとビーンの屍骸が消滅していく様子を見つめていた。

「おっせぇなぁ! 何してんだよリヴァイ班」
「てめぇこそ何でいつの間にこっちに居やがる」
「ああ、昨日ミケ班のメンバーと飲んだ帰りに本部に泊まったんだよ、ったく、誰だこんなバカなことしやがったのは……」
「うああああああわああああああ!!! ソニー! ビーン〜〜〜〜〜〜嘘だと、嘘だと言ってくれぇ〜〜〜!!!」

 そのクライスが親指で示す方向には両手でこげ茶の髪の毛を鷲掴みにして泣き叫ぶハンジの姿があった。そのハンジの姿を見ながらエルドとグンタが冷静に見つめている。

「貴重な被験体を……」
「兵士がやったのか?」
「ああ、犯人はまだ見つかっていない。夜明け前に2体同時にやられたらしい…見張りが気付いた時には立体起動で遥か遠くだ」
「二人以上の計画的作戦ってワケか」
「見ろよ……ハンジ分隊長ご乱心だ」

 どこかふざけたような態度の同期にペトラが笑い事ではないと腹パンチを浴びせた。いったい誰が……昨日紹介してもらい危うくハンジと共に食われそうになっていたウミは消えてしまったソニーとビーンの姿に、泣き叫ぶハンジの姿にただ自分が寝ている間に何が起きたのか。呆然と立ち尽くすばかりだった。

「行くぞ……後は憲兵団の仕事だ」
「あ……ハイ」

 リヴァイに呼ばれて振り向いた姿が露見しないようにマントのフードを深くかぶったエレンの肩にスッと手が掛かると、音もなくエレンの背後から現れたのはエルヴィンだった。エルヴィンは静かにエレンの耳元で囁いた。

「君には何が見える?敵は何だと思う?」
「……はい?」

 肩越しにチラッとエルヴィンを見るリヴァイは無言でその光景を見つめていた。

「……すまない……変なことを聞いたな」

 その場を去るエルヴィンの姿を見つめるエレンから離れたエルヴィンの表情は厳しさに満ちていた。そして、エルヴィンは次にソニーとビーンが消えてしまう様子をただただ何とも言えない表情で眺めるウミの小さな背中に目をやった。

「ウミ、」
「何でしょうか」
「リヴァイと団長室に来てくれ。話したいことがある」
「リヴァイ兵長と……ですか?」

 昔は彼より上の立場であったが今は彼の方が上官である。真面目なウミが彼を敬称で呼ぶのは当たり前だが、リヴァイは自分の事を「兵長」と、そう呼んだウミがどこか自分の知らない兵士のように感じられた。
 エルヴィンの部屋に向かう途中も先程の寝ぼけていたあどけない表情から一転して凛と唇をきりりと結んだ横顔はまるで先ほどのウミとは別人の表情をしていた。

To be continue…

2019.07.30
2021.01.18加筆修正
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