THE LAST BALLAD | ナノ

#16 帰れない背中

 例え、この世界がどれだけ恐ろしくても、残酷だとしても、どうか一つだけ交わした小さな約束だけは、あの日から決して動かないままでいて。と、願わずにはいられない。どうして人はそれでも交わした小さな願いを果たせぬままなのだろう。
この世界は、どれだけの絶望を抱き、日々を巡るのだろう。
 その後、急遽駆け付けた調査兵団と駐屯兵団工兵部の活躍によりウォール・ローゼは再び巨人の進入を阻んだ。トロスト区に閉じ込めた巨人の掃討戦には丸一日が費やされ、その間壁上固定砲は火を噴き続けた。壁に残った巨人のほとんどが榴弾によって死滅し僅かに残った巨人も主に調査兵団によって掃討されたのだった。
 その際4m級1体と7m級1体の巨人の生け捕りに成功し、ハンジの念願がようやく叶ったのだった。だが、死者・行方不明者207名、ウミを含む負傷者897名。人類が初めて巨人の侵攻を阻止した快挙であったが、それに歓喜するには失った人々の数があまりにも多すぎた。その代償によって多くの仲間が巨人に食われてしまった。
 トロスト区奪還作戦成功から1日が過ぎ、トロスト区内は巨人の全滅が確認されるとすぐさま伝染病を防ぐために遺体の回収が行われていた。横一列に並んだかつて寝食を共にした仲間、偉そうな先輩も駐屯兵団のベテラン、様々な人生を背負っていた者たちはもう何も語らない無残な肉片と化していた。

「オイ、お前……マルコか?」

 そこでジャンが目にしたのはー…同じ目的で憲兵団を目指した親友の変わり果てた姿だった。身体の半分を巨人に食いちぎられ、その姿はかろうじて彼だということが認識出来る。その衝撃的な姿にただ、ただ、ジャンは死臭漂う空間で吐き気をこらえながらあたりを見渡し彼がなぜこうなってしまったのかを訪ねまわる。

「訓練兵、彼の名前がわかるか?」
「見ねぇと思ったら……でも、こいつに限って、ありえねぇ……マルコ、何があった?」

 作戦で一緒に戦い、そして運が悪いことに立体機動装置が壊れた時も果敢に囮となり助けてくれた親友がまさかこんなところで死体になっているとは思わなかった。まさか、いったいいつの間に、離れている間に親友の身に何が起きたのか? ジャンは動揺しながら周囲を見渡し、誰か彼の最期を知る者はいないかと問いかけた。

「だ、誰か………誰か、こいつの最期を見たヤツは………」
「彼の名前は? 知ってたら早く答えろ。わかるか、訓練兵。岩で穴を塞いでからもう二日が経っている。それなのにまだ遺体の回収が済んでいない、このままでは伝染病が蔓延する恐れがある。二次災害は阻止しなくてはならない。仲間の死を嘆く時間はまだ無いんだよ。わかったか?」

 鉄仮面のように冷徹な眼差しをした衛生兵に促され蠅が飛び回る音を聞きながらジャンは静かに変わり果てた友の名を呟いた。

「第104期訓練兵団所属、19班……班長、マルコ・ボット」
「マルコか……名前がわかってよかった。作業を続けよう」

 死亡者リストにマルコの名前が書き連なり、ジャンは呆然としたまま誰に知られることもなく死んだマルコの最期をただ、ただ、受け入れられずに立ち尽くしていた。なぜ彼が死ななければならなかったのか、その理由があまりにも理不尽かつ不本意な理由だということを彼は知らない。

「何ですかこれは……?」

 遺体回収も立派な兵士の仕事である。しかし、それはまだ青春真っただ中のうら若い彼らにとってはあまりにもショッキングな光景だった。昨日まで訓練兵団でどこの配属兵科にするか語り合っていた仲間たちが巨人に食いつくされ悲鳴もまだ耳にこびりついて離れてくれないくらいにトラウマとして刻まれているというのに。サシャが壁の隅に見かけたのは粘液に包まれてめちゃくちゃになった元は人間の一部だと僅かに認識できるほど無残な人肉の塊だった。一部が白骨化している遺体もごちゃ混ぜになり、それは日を増すごとに悪臭を放ち、死肉に蛆が沸き上がっている。

「巨人が吐いた後だよ、やつらには消化器官がねぇんだろうから人喰って腹いっぱいになったらああやって吐いちまうんだと、」
「そんな」
「クソっ、これじゃあ誰が誰だか見分けつかねぇぞ」

 巨人から命懸けで奪還したはずのこの街は巨人に支配され、そして作戦により犠牲となった多くの兵士達の死体が積み重なりその激臭で蔓延していた。
 別の場所ではアニが呆然と真っ青な顔をして目の前の訓練兵の遺体を見つめ、しきりにごめんさないという謝罪の言葉を繰り返していた。そんなアニの小さな姿にライナーがそっと励ますように肩を叩いて励ましてやるもアニは呆然としたまま動かずしきりにその言葉を呟いていた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝っても仕方ないぞ、早く弔ってやるんだ」

 もくもくと死体を回収してゆくライナー。真っ青な顔でぼんやりと佇むアニを心配そうに見つめるベルトルト。三人は多くの物言わぬ躯と化したかつての仲間やこの壁の世界で暮らす人の、今回の作戦で犠牲となった死体を眺めただ、ただ、言葉を詰まらせていた。次々と広場に集められた物言わぬ遺体は伝染病を防ぐためにごうごうと燃え盛る炎の中で灰になるまで焼かれ、無念の感情だけがいつまでも昇華されないまま魂は彷徨っていた。

――「私にはもう帰る場所がわからない、ここからどうやって来たのかもわからない…もう、帰り道も分からないの……どこに行けばいいのか、わからない…」
「わからねぇままでいい、」
「え…?」
「これからここがお前の帰る場所だ、ウミ」
「…ありがとう、……」

 力尽きる間際に微かに見た懐かしい面影、毎晩彼が先に眠るのを眺めていた夜もあった。いつも先を行くその背中に追いつきたくて必死だった。あの頃の自分はまだ幼くて、ただ、ただ、彼に夢中で恋をしていた。彼は何も言わずに甘えさせてくれた。心はこんなにもあなたを求めていたこと。
今は百人分の涙を流した夜さえも、風になって消えた。今もあなたを今も思い出せないくらいに覚えているから。
 痛み無くして人は愛せないのなら深く傷ついてもいい。朧げな思い出の中、懐かしい夢を見ていた。あなたに救われたこの命であなたの為に生きようと思った。一緒に過ごした何でもないささやかな日々。
 帰る場所のない自分に帰る場所を与えてくれたあなたを今もこんなにも思っている。いつも力強い腕の中にいた。鋭い瞳、あまり感情を表にはしなかった。甘い言葉もそんなになかった。
 けれど、それでも彼はいつも自分を守ってくれて、そして優しい愛をくれた。人を愛することはみんな彼が教えてくれた。出口を求めてさまよっていた自分にとって、彼はあまりにも眩しすぎる強い暗闇の中で放ち続ける唯一無二の光だった。
 繰り返し繰り返し、何度も恋焦がれた彼の夢を見ては泣きそうになった。でも、忘れなければならないと、人類最強として調査兵団の未来を担う彼の未来に私は重荷になるからと。
 もう二度と、せめてもう一度。そして、願いは成就された。死に際に見た白昼夢だとしても、彼の幸せを願うからこそ、離れたのに。結局自分は彼を忘れることも思い出にすることも、到底できやしないままだった。
 二度と呼ぶことはないと思っていたその名は自分の最期の時だと。

「リヴァイ……」
「……え」

 ふ、と無意識に口をついた言葉は決して弱さなんかじゃない。緩やかに意識が浮上した。随分長く眠っていた気がする。睫毛を揺らし一番にウミの視界に飛び込んで来たのは何度も焦がれた愛しい黒髪…ではなく、不安そうにこちらを覗き込む大きな優しい色彩の垂れた瞳だった。

「目が覚めたんですね、大丈夫ですか?えっと…ウミさん、」

 そして目を覚ましたウミに話しかけてきたのはまだ若い…10代後半くらいの年頃だろうか。栗色の肩上で切りそろえられた髪、くりくりした愛らしい瞳をした美少女だった。しかし、そのかわいらしい外見とは裏腹に兵団に所属する人間らしくはきはきした物言い。とても変人が多い調査兵団に所属しているとは思えない。目が覚めて一番に飛び込んで見知らぬ来た若い快活な美少女に面食らってウミは少し口ごもりながら答えた。

「はい、大丈、夫。です……」
「あっ、駄目ですよ、急に起き上がったら……!」

 部屋を見渡せばそこは清潔に整理の行き届いた部屋、ほのかに香った紅茶の香りが鼻腔いっぱいに広がり彼女を包み込む。だんだんクリアになる思考の中で彼女は懐かしさを覚えた。五感いっぱいに刻み付けた愛しい彼の香り。兵士長に昇格して個室を与えられたのだろうか。胸元に目を見れば変わらず鈍色の曲線を描くアクアマリンのはめ込まれた指輪が輝きを放っていた。ずっと寝たきりだったのもあり急に起き上がろうとしたウミは眩暈に襲われ倒れかけたところを美少女、ペトラがそっと支えてくれた。

「そうだ、エレンは、ミカサ、アルミン……あの、今年卒業したばかりの新兵104期生のみんなは……? あと、私……どのくらい寝てましたか?」
「3日、です、それで」
「3日間も…うそ、もう、そんなに?」

 あのトロスト区奪還作戦から丸3日も経過しているとは驚いた。ウミはショックでまたベッドに伏したまま呆然とした。その間に目まぐるしく状況は大きく変化している。突如として巨人化の能力から目覚め人類の救世主となったエレンはあの後どうなったのだろう。それが一番の気がかりだった。

「あなたは……?」
「失礼しました。私は調査兵団所属、ペトラ・ラルと申します。リヴァイ兵長の下で任務にあたっています」

 ビシッと敬礼をし、微笑む姿をウミは純粋にかわいいと好感を抱いた。かわいらしい外見をしているがきっと彼女も自分と同じ過酷な壁外調査で何度も生き残っている若き精鋭のひとりなのだろう。
 傷だらけのその手は、彼女が歴代の猛者の中でもひときわずば抜けた女性兵士だということがウミにはわかった。

「そう……、(若くて可愛い女の子、そしてとても賢そう……。リヴァイの副官ね)よろしくね。ペトラ……ちゃん。私はウミ。聞いたと思うけど、あなたが調査調査兵団に入る前に昔調査兵団に所属していたの。それで、あなたの上官のリヴァイ兵士長とは顔見知りなのよ」
「そうだったんですね。リヴァイ兵長は今外出していまして……代わりにここを守るようにと。頼まれて……でも無事に目が覚めてよかったです。気分はいかがですか?長い間ずっと目が覚めなくて……兵長、随分心配していたので……」
「(うそ、ばっかり……私の事なんて探しにも来ないと思っていたら本当に、来なかったじゃない。五年間も)」

 “顔見知り”だと強調し、微笑んだウミの表情に安心したように微笑むペトラ。嘘はついていない。自分はリヴァイとはただの知り合いだと知ると和らぐ表情。ウミは思った。ああ、この子はきっと彼が好きなのだと。彼のために仕える事を至上の喜びとしているのだと、彼に抱く気持ちが自分も同じだからこそわかるものがある、通じるものがある。

「そう……私が眠っていた間にそんなことがあったんだね。でも、104期生の子たちはみんな無事で本当に良かった。ただ、連れて行かれたエレンが憲兵団に……ひどい目にあっていなければいいけど」
「残念ながら……私も信じられないんですけどね。けど、エルヴィン団長が何とか面会許可を憲兵団に交渉していますのできっと大丈夫だと思います」
「そう、エルヴィン分……団長が、ね」

 キース団長の後を継ぎ分隊長から大出世したエルヴィンが交渉中ならきっと間違いなくエレンをウォール・マリア奪還に向けてあの能力を生かすため調査兵団に引き入れるつもりなのだろう。人よりも先を行く思考力で分隊長の時から視野が広くそして人類の為ならば平気で非情な決断も出来る男だ。まして最初は彼を殺そうと命を狙っていたあの誰にも支配されなかったリヴァイを逆に言葉で従わせるかのように調査兵団に引き込んで味方につけただけはある。しかし、安心でもあるがそんな何を考えているのかわからない男にエレンを任せて大丈夫だろうか。自分は彼が怖いとさえ感じていたから。彼の考えはいつも難解で先が読めないから。

 エレンはきっと突然自分が巨人になれること、身体を酷使したことによるダメージや疲労も重なって色んなことに情報処理が追い付けずに突然幽閉されて戸惑っているだろう。そんな心細い中で憲兵団に突然身柄を拘束される彼はまだ15歳だというのに…自分もかつて憲兵団に身柄を拘束された経験があるからその心細さは痛いくらいにわかる。特に謎に包まれた内地の中央憲兵にエレンの身柄が拘束されてしまっていたら。憲兵団の中でも中央憲兵だけは本当に裏で何をしているのかわからない…考えるだけでゾッとした。

「ウミ分隊長の話はよくいろんな方から耳にしていたので、ご本人にこうして会うことが出来てうれしいです」
「色んな人?」
「ウミ分隊長の時からの調査兵団にいらっしゃる方々です」
「ペトラちゃん、もう私は調査兵団から退団した身だし、分隊長じゃなくていいよ。少なくともあなたの方が所属年数も上なんだし……。あの人が認めて傍に置いているという事はよっぽどの実力だって事よ、すごいね」
「あ、ありがとうございます。はい、こんな私を部下として選んでくださり、光栄ですし、親にも自慢できますし。兵長にはとても感謝しています」

 ふわりと、ああ、きれいに微笑む子だなと、ウミよりも若く肌の張りもあり艶やかで桜色に染まる頬をじっと見つめていた。こんなに若くてかわいい子を部下にするなんて、リヴァイはもしかしたら彼女に好意を持っているのかもしれない。いつ過酷な壁外調査で命を落とすかわからない中で不出来な自分と違い若い彼女なら人類最強の遺伝子をたくさん残せるだろう。それに自分とリヴァイが離れてもう5年という年月が過ぎているのだ。まして彼は調査兵団の中でも兵士長という立場であり彼の存在を知らない者はいない。彼を羨望の眼差しで見つめる女はいくらでもいるはずだ。彼とあわよくばお近づきになりたい、彼の子供を産みたいを思う人間はごまんといる。
 変ではない。彼はれっきとした健全な男だ。そう思うとウミの胸にぐるぐるとどす黒い感情が渦を巻いた。

「(ああ…嫉妬、しているんだ、まだ若くて未来あるこの子に)」

 純粋に嫌だと、思った。死に際、一瞬でもリヴァイに会えたことを神にすら感謝したのに目の前で彼の話を嬉しそうに、生き生きと語るペトラが妬ましく思えてくる……。
 こんな風に誰かを妬み、うらやむような日が来るとは思わなかった。ウミは嫉妬という感情に苛まれ、ドロドロした内面を覗かせる自分を心底恨めしく思った。

「兵長ならもうすぐ本部から戻ると思いますのでお待ちくださいね…あ、近くにハンジ分隊長やモブリットさんやミケ分隊長やナナバさんもいますので、」

 ああ、みんな、みんな、懐かしい名前だ。そして耳を疑ったが何とハンジも分隊長として出世し、今はこうして巨人確保に向け活躍しているのか。それは知らなかった。5年という長い年月が過ぎたのだ、ほとんど知らない兵士たちの中で聞き慣れた名前を聞けてまだ生き残っているメンバーは精鋭となり、多く生き残っていることに安心した。目が覚めるまで代わる代わる様子を見に来てくれたそうでウミは安堵し、嬉しく思った。

「あの……待ってくださいっ」
「どうかしましたか?」
「あの……誰も、呼ばなくて……結構、です」
「え? ええっ、でも兵長はあなたが目覚めるのを…」
「お願いします……どうか、このまま黙って行かせてもらえませんか……? 襲撃後の街の様子も気になりますし、職場の掃除も残ってますし……戻らないと心配させていると思うので」

 駄目だ、こんなどす黒い気持ちのまま彼に会ったとしてどうする?自分から離れたくせに…いまさらどの面下げて彼に会うというのだ。彼からしたらふざけんなと言われるに違いない。女に手をあげるような男ではないが、何でも見透かすあの瞳の前にしたら自分は彼から逃げることなんてできない。恋した故の弱み、いざ目の前にすると逃げ腰になる弱気な自分が恨めしい。必死に懇願するウミにペトラは困ったように眉を下げるが、誰も呼ばないでほしいと頼んでいるのにそれを強行することも出来ず、ただ部屋を出て行ってしまった彼女を見送ることしか出来なかった。

「リヴァイ兵長に、助けていただいてありがとうございました、そして、ごめんなさいと、伝えてください」
「あ、あのっ、ウミさん!」

 未だ目覚めたばかりなのに。振り返ることなくまだ傷も完治していない中で部屋を出ると、あたりはまだ日没前だった。ウミの長い髪を冷たい風が頬を掠め西の空には明るい空に輝く月が微かに見えた。彼と向き合う勇気もなく、彼から今も逃げているのだ。しかし、不思議なことに涙すら落ちなかった。彼の前じゃないともう泣けない、そして彼以外愛せない自分が居て。

「(私だけは、ずっと、あなたを好きでいる。きっと。けれど、あなたの輝かしい未来に、私は邪魔ものになる。あなたは人類の希望、私は、死をもたらす死神なのよ――……)」

――「ねぇ、エレン」
「何だよ」

 エレンは夢を見ていた。それは最近の出来事なのにこの数日で目まぐるしく変わった環境で酷く遠く懐かしい記憶に感じられた。訓練兵として鍛錬を積み、過酷だった訓練所での生活も、もう間もなく終わりを迎える。そうなれば自分はずっと憧れていた調査兵団としての第一歩を踏み出すのだ。空を見上げ一緒に星を眺めてエレンは隣でニコニコ微笑むウミの流れる緩やかな髪を見つめていた。

「エレンはもうすぐなりたかった自分になるための夢を叶えるのね。嬉しいけれど、寂しい気持ちなの」
「なんでウミが……そんなに寂しがることねぇじゃねぇか、会おうと思えば同じトロスト区だし、休暇もとればフツーに会えるだろ、」
「うーん……そうなんだけどね」

 エレンの言葉にウミは小さく頷くも今までとは全く違う生活が始まるのだ。その横顔は今まで五年間共に過ごし苦楽を共にしてきた彼女だからこそ今まで一緒だっだった可愛がっている年下の幼馴染と離れることへの寂しさも感じるのだ。何故ならばこの五年間あの日に全てを失い安らぎから離れ、すべてを失ったと思って生きてきた何も持たない自分に生きる意味をくれたエレンとミカサとアルミンの三人の成長を亡くした者に重ねて彼らの親を守り切れなかった罪滅ぼしよりも強い決意が彼らを何が何でも生かすという生きる目的にすり替え必死に自分は生きる意味を見出せた。
 あの人を束の間だけでも忘れさせてくれた。しかし、もう彼らは自分の元から今度こそ巣立つ。もう彼らは自分が居なくても立派な兵士としてやっていけるのだ。

「私はもう兵士では無いけれど、あなたを守ることくらいなら出来るわ。お金も心配はしなくていい、だから安心してね。もしあなたの身に何が起きても、もし…何かが起きて世界がみんな敵になったとしても、たくさんの人があなたを責めたとしても、私があなたを守るから」
「そんな心配、いらねぇよ。今までさんざん世話になったんだ。今度はオレが調査兵団に入って、そんで巨人みんなぶっ殺して、ウミを守って見せる、」
「ふふ、頼もしいねぇ」

 本当に本当だ。ウミはオレをガキだとしか思ってねぇのは分かってる、それでも、オレが…・・・ずっと5年間そばに居てくれたウミを。絶対に守って見せる。ただ世話になったからじゃねぇ、オレは、

「エレン、どうしたの?」
「……好きだ、ウミ」

 ウミを引き寄せ、エレンはいつの間にか自分が成長したことにより小さくて華奢になった彼女の身体を抱き締めていた。それは風に消えてしまいそうな声だったが、エレンは確かにずっと温めてきた自分の気持ちを本人の前で口にした。一世一代の気持ちにウミは何も答えなかった。しかし、その腕の中にすっぽり収まる姿の彼女があまりにも泣きたくなるくらい綺麗に微笑んだのを今も覚えている。
 あの日の出来事はまるで夢のように、静かにエレンの記憶の中に刻まれてゆく。もう今は遠い過去のように感じられた。

「君が昏睡状態だった3日間に起きた事はこのくらいか……エレン、何か質問はあるか?」

 それから、永い夢から覚めたエレンの視界には現調査兵団のトップの二人が並んでいた。両手を広げたまま頑丈な鎖で拘束され、そこは巨人化して暴れてもいいようにと、太陽の光さえ届かない厳重な牢屋。傍らには銃を装備した憲兵団が見張り、自身が眠っていた間の話を受けてエレンは不安そうに二人を見つめながら問いかけた。

「あのっ、ここは……どこですか?」
「見ての通りだが、地下牢とだけ言っておく。今、君の身柄は憲兵団が受け持っている。先ほどようやく我々に接触の許可が下りた」

 そして、エルヴィンは懐からエレンが肌身離さず身に着けていた鍵を取り出した。

「あ……その鍵は」
「君の持ち物だ。後で返すよ。君の生家、シガンシナ区にあるイェーガー医師の家の地下室―……そこに巨人の謎が有る。そうだね?」
「はい……恐らく……父がそう言ってました」

 真っすぐなエレンの大きな瞳を見つめながらリヴァイは品定めするように頭からつま先まで様子を窺って壁にもたれ腕を組んでいた。

「(コイツがウミのなじみのエレンか……まだケツの青いガキじゃねぇか)お前は記憶喪失、親父は行方知れずか。随分と都合のいい話だなぁ、」
「リヴァイ。彼が嘘をつく理由は無いとの結論に至った筈だ」
「そうだ、やめろチヴァイ。エレンが怯えてるじゃねぇか」
「クライス教官……!」
「よぉ、巨人エレン」

 そしてエレンの視界に現れたのは卒業模擬戦闘試験でも松葉杖をついて歩き回っていたクライスの姿だった、治りかけの部位をまた骨折し、そして調査兵団で唯一エレンと、エレンの持つ巨人化の能力を目の当たりにした人物として一人一歩遅れてここまで来たのだった。懐かしい彼の姿にエレンの不安そうな表情が少しだけ和らぐ。

「てめぇ、何でここに居やがる」
「うっせーな、俺も呼ばれてんだよ。
 よ、エレン。はぁーどいつもこいつも骨折してるってのにバリアフリーもクソもねぇなぁ。あ、もう教官はいいって。あんときはシャーディス団長のお手伝いしただけだからよ」
「てめぇが絡むとうるせぇんだよ、のんきに再会噛み締めてる場合じゃねぇだろ」
「チッ、お前こそなぁ、その人相の悪さを何とかしろよ、かわいそうに。15歳のいたいけな性少年脅しやがって。だから女に逃げられんだよ、ぶぁーか」
「てめぇ……もう一本の足も折ってやろうか、」
「二人とも、仲がいいのはわかるが今はよしてくれ。まだまだ分からないことだらけだが……今すべきことは君の意思を聞く事だと思う」
「俺の意思、ですか?」
「君の生家を調べる為にシガンシナ区、ウォール・マリアの奪還が必要となる。破壊されたあの扉を塞ぐには飛躍的手段…君の「巨人の力」が必要になる。やはり我々の命運を左右するのは巨人だ。「超大型巨人」も「鎧の巨人」も恐らくは君と同じ原理だろう……君の意志が「鍵」だ。この絶望から人類を救いだす「鍵」なんだ」
「……オレが……」

――駆逐してやる!! この世から!! 一匹残らず!!
「オ……オレは……」
「オイ、さっさと答えろクズ野郎。お前がしたい事は何だ」
「だからもっと言い方考えろって、物騒だな」

 エレンの決意は揺らがなかった。全ての憎しみを込めた眼差しでエレンは真っすぐ顔を上げこれまで巨人にされてきたすべての屈辱にまみれた経緯を思い返していた。

「調査兵団に入って……とにかく巨人をぶっ殺したいです」
「ほぅ……悪くない……エルヴィン。コイツの責任は俺とクライスが持つ」
「は? 俺も?」
「上にはそう言っておけ……俺はコイツを信用したわけじゃない。コイツが裏切ったり暴れたりすれば、すぐに俺が殺す。上も文句は言えんはずだ、俺以外に適役が居ないからな。認めてやるよ。お前の調査兵団入団を」

 エレンに歩み寄り鉄格子越しにリヴァイはそう決めたのかエルヴィンにそう告げる。そう、エレンは彼女の大切な幼馴染でもあり、ミカサとアルミンの話を聞くとシガンシナ区が陥落した時から今までずっとウミが必死に親代わりになって面倒を見ていたそうだ。エレンに何か起きれば彼女が悲しむ、間接的でもウミを泣かせるようなことは避けたい。エレンは怯えながらもただ受け入れるしか出来なかった。

 しかし、エレンとの面会を無事に終え、眠り続けるウミを案じていた男は早速自分の部屋で休んでいるウミの元に向かうが、そこで待っていたのは空になったベッドと申し訳なさそうに眉を下げて謝る部下の姿だった。

「ありがとう。……ごめんなさい。兵長に伝えてください、と。すみません…兵長…ッ、私がウミさんを引き留めていれば」
「良い、ペトラ、お前のせいじゃねぇよ」
「ですが……!」
「悪かったな。巻き込んで。お前も疲れた筈だ、ゆっくり休め」
「はい……リヴァイ兵長」

 誰もいなくなった自身の部屋。沈黙だけが痛いくらいに耳に響く。先ほどまで自分の部屋ですやすやと子供みたいな寝顔を浮かべて眠る彼女が確かに存在していたのに…。男は無言で近くにあった椅子を蹴り上げていた。力加減を見失い椅子は木っ端みじんに砕け吹っ飛んだ。

「ウミ」

 言葉にならない感情だけが男を支配する。そんなにしてまで会いたくないのか。理由もなしに居なくなられた方がどれだけ辛く5年という歳月が流れた今も呪縛霊のように絡みついて離れてくれない。視界が滲む。ぶっ壊した椅子はまるで自身の心の様だった。

 
To be continue…

2019.07.18
2021.01.16加筆修正
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