THE LAST BALLAD | ナノ

#130 さまよう憂(くら)い森

 そして、ニコロはマーレからこの島に来てから最初は悪魔の末裔達と忌み嫌っていたが、その概念を大きく変えたのは嬉しそうに自分の料理を食べてくれたサシャの存在。そのサシャをニコロから奪った元凶が今同じ空間に居ること、それがガビであることなど誰も知るはずもなく招待されたブラウス家。レストランでの豪華な食事にいつもよりもいい服を着て。
 リヴァイが今ジークを監視している中、ブラウス家に預けられたウミとリヴァイの間から生まれた可愛い子供達もしっかり自分達の面倒を面倒くさがらず嫌がらずに見てくれるブラウス家へ感謝し、エヴァも愛らしい顔立ちに相応しいワンピースを着ていた。
 カヤの先ほどのニコロとサシャの関係の話には大変驚かされたが、この島で一か月暮らして来たファルコとガビは、マーレ人がエルディア人を差別することなく、またパラディ島の住人達もマーレ人だからと言ってひどい扱いもせずにこうしてレストランのシェフとして働ける環境まで整えられていることに神速驚きつつ、そして何よりも久しぶりのマーレ料理、懐かしさとレベリオでもこんなにご馳走にありつけられたことは無いと涙を流して食べている。

「美味い!!! こんな美味い料理は初めてだ」

 隣で食べているガビも戸惑っていたが、フォークとナイフでテーブルマナーまでは戦士候補生では習わなかったが細かいマナーは気にせず食べればあまりのうまさに感激して次から次へと懐かしむようにマーレ料理をふんだんに用意したフルコースに歓喜している。サシャの両親や孤児の子供たちも余りの美味しさに感動してい泣きながら食べている。

 どんどん食べ続ける彼らの間には会話など不要だ。早く次から次へと急ぎ造らねば、とニコロは裏でじゃんじゃんフライパンを振りながら料理を作っていくのだった。かつて淡い思いを寄せた少女。その両親が来てくれているのだ、張り切らないわけがない。自分がこれまで身に着けてきた経験をフルで生かし、ありったけの食料を集めいそしむニコロを優しく見守る目があった。

「張り切っているのね、ニコロ、」
「あぁ、お前も手伝ってくれよ、リヴァイ兵長の娘さんたちも来てるぞ」
「あら! という事は、アヴェリアも来てるのかしら??」

 リヴァイのファンで彼を本当に男性として慕っていたかつてウミの店で働いていたあの男性も今はニコロの片腕シェフとして楽しそうに働いている。リヴァイに完全に振られてからは今度は彼はリヴァイによく似た彼の息子に狙いを定めているようだ。もちろん相手にされるはずなど無いのだが。
 その時、もう1人の二頃と同じ捕虜だったマーレ人の男がフライパンを振りメインの肉を焼く料理中のニコロに声をかけてきた。

「ニコロ。お前に客だぞ」
「えぇ? こんな時に誰が!?」
「調査兵団だ」

 それはこの島に来てからは交流が盛んで今では良き友人、義勇兵たちとはまた違う絆で結んだサシャも所属していた調査兵団のみ知った顔ぶれの来店だった。
 こんな忙しい時に次から次へと何なんだ。ニコロは明らかに迷惑そうに残りの料理を彼に任せて店の前に来た彼らに顔を出した。行ってみるとそこにはコニー、ハンジ、そしてオニャンコポンまで。アルミン、ミカサ、ジャンとサシャとリヴァイ以外の調査兵団の面々がお見えだった。

「お前らか……どうしてこんな時間に? 休養か? 俺は今大事なお客さんの相手で忙しいんだ」
「あぁ……もちろん仕事に戻ってもらって構わないよ。ただ……、後で話でもさせてもらいたいだけなんだ」
「……話ですか? 一体何の?」
「……なんかほら……あるだろ? 悩みとかさ……「義勇兵が拘束された件だ。聞き取り調査に協力してくれ」
「あぁ……わかった」

 ニコロは何かを悟ったかのように、真意を離さず遠回しに話をしようとしたハンジを遮って正直に事実を述べるオニャンコポンの目を見て、ひとまずハンジ達を別の部屋に案内することにした。

「とりあえずここで待っててくれ」
「へぇ……こんな部屋があったんだ」

 案内した部屋は普段憲兵団がここで食事をする時用に別で用意した部屋だった。そこは他の部屋よりも整頓がなされ、棚には所せましと美味そうなワインの瓶が並んでいる。まさに憲兵御用達の為の部屋である。

「どうせ憲兵様御用達だろ?」
「まぁ……な」

 部屋の中を進んでると、ふとジャンが棚に置いてあるワインに気付いた。見るからにこちらで作られたワインとは違う本場のマーレのワイン、ラベルの文字にジャンは兵団内で密かに美味しいと評判であるそのワインだとすぐにピンときた。

「ん? これは……兵団内で噂のワインか!! 何でも上官達しか飲めねぇって話らしいけど…」
「何だと? 俺達も調査兵団じゃ上官だろ?」
「あぁ俺達だってオイシイ思いしたっていいだろぉ? ちょっとぐらい」

 ジャンがそのワインをコニーと飲もうかと若干嫌な今の現実を振り払う理由づけに悪そうな顔をしたその時、慌ててニコロがジャンとコニーの間に割り込んでそのワインをひったくるように奪ったのだ。

「勝手に触るな!!」
「うぉっ!?」

 あまりにも一瞬で、何かまずことでもあるのだろうか。ニコロがジャンの手から勢いよくワインを取り上げる姿に少し遠くにいたであろうミカサ、アルミン、オニャンコポン、ハンジもニコロの方を振り向いた。

「な、何だよ……ニコロ。ちょっとふざげたぐらいで大ゲサだなぁ……」
「これは……エルディア人にはもったいない代物なんだよ……!!」
「……あ? ニコロお前……まだそんなこと言ってんのか。何人だとかどうとか関係ねぇだろ、酒に!!」

 ニコロの明らかに以前とは違うまた最初から戻ったかのような態度にジャンが顔を歪めニコロに詰め寄る。しかし、ニコロはそのワインをジャン達にどうしても飲ませたくない恐ろしい事実に気付いてしまっているようだった。そんなことを、ここではとても口には出来ない秘密がそのワインには隠されていた。

「触んなエルディア人。馴れ馴れしいんだよ、ちょっと親しくしたぐらいで……」
「そういうテメェは何様なんだよ……お前の立場は…「捕虜の分際」で。ってか? これでおあいこだな「エルディア人」」

 ニコロはニヤリと不気味な笑みを浮かべたまま、自分の胸ぐらを掴んできたジャンの手を握り引き離すと、彼から取り上げたワインを持ってハンジ達のいる部屋を出て行ってしまうのだった。まるでわざと遠ざけるような態度で。誰もが突然の二頃の異変にただ戸惑い追いかける事も出来なかった。

「どうしたんだアイツ……」
「クソッ……! わけわかんねぇよ……」

 そんな、どこか疲れている様子のニコロがワインを持って廊下を向かって歩いていくのをガビ、ファルコ、カヤが見つけた。
 今が接触のチャンスだと三人で目配せすると、カヤは純粋にガビとファルコがニコロと接触して祖国のマーレに帰れるようにと腹痛で誤魔化し抜け出した二人を見送る。
 このまま上手くいくと良いねと、純粋に二人を応援していたのだが、そのガビがまさか自分の憧れだった少女を殺したそんな残酷な現実など知らないままで居られれば良かったのに。

 ガビとファルコは正直お世辞にも上手とは言えない芝居を駆使しどうにか部屋を抜け出し、ニコロの後を追いかけていた。
 二人はニコロを追ってワインセラーのある地下へとたどり着いた。そこに居たニコロは台の上に両腕を着いて何やら疲れている様子だった。一人ワインセラーで考え込むニコロの背後で感じた視線。
 振り返ればそこに居たのは傍から見れば何ら変わりない幼い少年と少女の姿。突然気配もなく姿を見せた二人にニコロは一体なんだと驚きを隠せない。
 ニコロは堆く積まれた同じボトルの自分達の船に乗ってこの島にやってくるまでに大量に積まれているこのワインがどういう意味を持つか、そしてそのワインを憲兵団の高官たちに振舞い続けてもう取り返しのつかない段階まで来ていることを嘆いていた。だからこのパラディ島に来てから人種関係なく友人となったジャンとコニーに呑ませないために敢えてああいう冷たいふるまいをしたのだった。

「はぁ……何だ!? ……トイレはこっちじゃないよ?」
「トイレに用はありません、ニコロさん」
「私たちはマーレから来ました! 名誉マーレ人である戦士候補生です!」
「……は?」
「この島にはもう直世界中の軍隊からなる大攻勢が仕掛けられると思われます」
「それまでどうか耐えてください。そしてこのことを仲間のマーレ人に伝えてください!」
「ちょっと……待ってくれ……! どうして……戦士候補生がここにいるんだ?」

 突然現れた島の外から来たマーレの戦士候補生の登場に動揺の色を隠せないニコロ。そんなニコロへガビがそっと告げた。
 自分達はマーレの人間だ、この島から、抜け出す為に。

「1か月ほど前にマーレのレベリオ区が島の悪魔共に奇襲を受けたんです! 信じられないかもしれませんが……私達は退却する敵の飛行船に飛び乗ったままこの島に上陸しました!」

 自らこの島に訪れた経緯を説明し、ここまで自分達の身分を潜めて生活してきたガビがさも当たり前のようにそう申し出ると、ニコロはサシャを殺した人間の話を教えてくれた、サシャの墓前で話してくれたミカサの言葉を思い出していた。
 サシャを殺した人間は訓練された少女だった。突如乗り込んできて、そして撃ち放った弾丸が迷わずサシャの柔らかな肌を――。

 ――「……飛行船に乗り込んできた少女に撃たれたって……? は……そんなバカな話があるかよ」
 ――「ただの女の子じゃない。訓練されていた」
 ――「……戦士候補生か」

 確認のために、ニコロは得意げに話すガビの自身たっぷりな口調が今は逆効果で、恐ろしい事になる事を知らない。青ざめていく二頃の表情の異変に気付いていたのはファルコだけだ。
 ニコロはとっさに後ろ手にさっきジャン達から取り上げたワインに手を伸ばす。

「誰か……殺したか? 女の兵士を……」
「……ッ!!」

 ファルコは明らかに自分達へ向けるニコロの目が変わったことに気付く。だがガビは気が付かないまま最愛の少女を殺された憎しみの対象が目の目に居る事でその憎しみをより深いものとさせるニコロの殺気に気付かない。自分は正しい事をしたのだと、何も恥じることは無いと。

「はい!! 仕留めました!!」
「ガビ……おい、」
「ですがまだ数匹駆除した程度、私達の故郷を蹂躙した報復はこれからです!! 私達は卑怯な悪魔共には負けません!」
「オイ……ガビ!!」

 ニコロの顔つきが明らかに憎悪へと変わる、嫌な予感に気付いたファルコは慌ててガビを止めるが、自分が正しいと言う強い正義感の持ち主であるガビは何のことか全く気が付かない。まして、ファルコが自分に向ける淡い好意にも気づかない恋愛に関してはまるで無頓着な少女が他人の恋愛感情にまで察せる筈が無い。
 先程カヤが話していたサシャとニコロが種族を越えて愛し合って想い合っていたのなら、もしガビが撃ち抜いて殺したサシャが、ニコロが好きだったサシャと同一人物なら。

「何よ?」
「お前が……殺したのか……」
「……え?」
「お前がサシャを!!! 殺したんだなぁあああっ!?」

 その瞬間すべて繋がった。マーレから来た少女、飛行船に乗り込み少女を撃ち殺した間違いないこの少女にサシャは――。ニコロは怒りに身を任せ復讐の鬼と化し、怒りの形相でガビをそのワインボトルの瓶で勢いよく殴りかかって来たのだ!!とっさにそれをファルコが庇い、ファルコはそのままニコロの強烈な一振りを頭に受け、その衝撃によりワインボトルは割れて中身と血が勢いよく飛び散った。

「な!?」
「あぁ……!? ファルコ!?」

 殴られ四散した破片、顔面にワインを浴びたまま気を失ったファルコ。起き上がったガビがファルコの様子をうかがうが、ファルコは意識を失っており、半開きの口の中へ溢れたワインが流れていく。

「はっ!!」

 握り締めたワインボルトを怒りのままに振りかざし殴りつけてしまった。戦士候補生であるなら彼らは名誉マーレ人を目指すエルディア人。つまり、ファルコの顔に着いたワインが口の中に入ってしまったのを見てしまったニコロはそれを見て正気に戻るも、目の前の少女を庇い殴られた少年、少女の呆然とし何が起きたのかわからない顔をしていることに再び怒りに火が付く。

「クッ…!!」
「ねぇ!? ファルコ!?」
「クソ……ッ!!!!」

 我に返るもニコロのサシャを奪われた怒りは収まらない。目の前のこの少女が殺した、許せないと、ニコロは勢いよくガビの顔面を正面から拳を突き出し少女の顔を殴り飛ばしたのだ。怒りが自分の思考を埋め尽くす。割れたワインボトルをぶん投げ、ワインにまみれたまま気を失ったファルコを腕に担ぎ、その勢いのままガビとファルコの二人をブラウス家が食事をしていた場所まで引きずるように連れ去った。

「は!?」

 和やかな空気で食事を楽しんでいたブラウス家、しかし、その中心に居た最愛の娘のサシャはもう楽園から帰ってくることは無い。そして、そんな両親にとってもガビは最愛の娘を殺した元凶だ。ニコロはガビをサシャの両親や子供たちの前に蹴り飛ばしたのだ。
 突然の出来事に戸惑う彼らを置き去りに、ニコロは料理人の居の位置でもある包丁を持ち左手腕にはファルコを抱えてその形相は誰が見ても明らかに憎悪で満ちているようだった。

「な!? ニコロ君!? ベンとミアに何を……!?」
「サシャを殺したのはこいつです。あなた方の大切な娘さんの命を奪いました。見た目はまだガキですが、厳しく訓練されたマーレの兵士です。あなた達の家に潜入していたようです。名前を偽って……。気をつけてください、人を殺す術に長けています。調査兵団が退却する飛行船の中で……こいつがサシャを撃ったんです」

 ガビはその場に座ったまま、鼻を折られたか夥しい量の血を流している。

「娘……?」

 床に滴るほどの鼻血を流し、夥しい量の血と突然人体急所の花を殴られた事で意識がもうろうとしているガビはニコロの言葉を聞いたこれまで自分によくしてくれた二人を見上げれば、二人はそれはもう先ほどまでの優しい顔は消え、それはひどくショックを受けているような青ざめた顔つきへと変化していた。最愛の娘を殺した人間を自分達はこの一か月面倒を見ていた事実を突然突き付けられ、驚愕を隠せない顔で。
 その顔にガビはようやく気が付く、自分が世話になっているこの二人は、自分が報復で撃ち殺したあの女の家族であり、そして殴ってきた相手はカヤが話していた通りならサシャと恋人だと言う事を。

「ブラウスさん……どうぞ」

 サシャの父へニコロは手にしていた刃渡りのあるナイフを渡すニコロの顔つきに子供達は震え上がっていた。

「あなた方が殺さないなら、俺が殺しますが……構いませんね?」

 聞こえたレストランらしからぬ物音に気付いたアルミンが何事かとド伺うようにドアを少しだけ開けて隙間から見えた壮絶な修羅場を目に、アルミンは慌てて待機していた調査兵団の仲間を呼んだ。

「大変だ!! 来てくれみんな!!!!」
「ええぇ……何?」

 アルミンの呼びかけに一体何事かとハンジ達も駆け付けると、ブラウス家とニコロ達のいる部屋は騒然としていた。そして、その中心に居たのはサシャを殺した少女・ガビとサシャの両親と孤児たち、リヴァイとの娘、そしてワインボトルで殴られワインに染まったまま気を失っているファルコ。

「な……!? ッ……!! あん時の、サシャを撃ったガキ……!?」
「どういう……ことだニコロ!? この二人は逃亡していると聞いたが……」
「お前……!! 何をしようとしてんだよ!?」

 ニコロがちらりとジャン達の方を見るが、ジャンとのワインで揉め、そのワインの中身がもう取り返しのつかないことになること、そしてサシャを殺した根源が今自分の目の前に折り、抑えきれない憎悪に支配されとても冷静になれない。完全に復習に取りつかれる悪魔と化していた。

「オイ!?」
「寄るな!! 退がれ!! そこから動くな!! 俺は――ただサシャの仇を討つだけだ!! 邪魔すんじゃねぇ!!!!」

 そう、叫びながらニコロは恐ろしい顔つきで右手に持ったそのナイフをファルコの首元に近づけ全員を遠ざけ自分はこの手を血に染めても復讐を果たすべく怒りを剥き出しにした。人質を取るかのように近づけばファルコの頸動脈を切りつけ殺そうとしている殺気に満ちたニコロの圧倒的な殺意にジャン達はうかつに近づくことが出来ない。殴られた箇所から血を流し、ぐったり動かないファルコ、ガビが震える声で床に這いつくばったまま青ざめた顔でようやく自分がしでかした事の代償を知る。

「……やめて、ファルコは違うの!!」
「聞くが、このボウズはお前の何だ!? お前を庇ってこうなったよな!? お前の大事な人か!? 俺にもお前と同じ大事な人がいた!! たしかにエルディア人だ!! 悪魔の末裔だ!! だが……彼女は誰よりも俺の料理を美味そうに食った……!!! このクソみてぇな戦争から俺を救ってくれたんだ……人を喜ばせる料理を作るのが本当の俺なんだと教えてくれた……!! あの子は俺に本当の生きる意味を喜びを、教えてくれた……俺は、あの子を、サシャといつか結婚して種族も関係なく暮らすのが夢だったよ……あの子はどんな料理も嬉しそうに笑いながら食べてくれたんだ。それがサシャ・ブラウス――お前に奪われた彼女の名前だ……!!!!」
「……わ、私だって……!! 大事な人を人達を殺された!! そのサシャ・ブラウスに撃ち殺された!! だから報復してやった!! 先に殺したのはそっちだ!!!」

 自分が奪った命、その命への憎しみを抑えきれず悲しみに叫ぶニコロにガビも必死に自分の思いの丈をぶつける。やらたからやり返したのだと。その報復だと、彼女も殺した、だから殺してやったと。憎しみの連鎖が悲劇を読んだ、そして今また新たな憎しみの連鎖が生まれようとしている。なぜ人は殺しまた殺されそれを繰り返す生き物なのか、これではいつまでも終わらない、戦争がある限り、子供達もその犠牲者だ。

「知るかよ……どっちが先とか!!!」
「ッ……目を覚まして!! あなたはマーレの兵士でしょぉ!? あなたはきっとその悪魔の女に惑わされてる!! 悪魔なんかに負けないで!!」

 ナイフをファルコに突きつけたまま叫ぶニコロ、彼はすっかり島の悪魔に魅入られて精神的に操られているだけだと恋愛感情の何たるかも知らないガビはそう告げるが、そんな二人の間に立つように口を開いたのは一連の流れを黙って見ていたサシャの両親だった。サシャの父がそっとニコロへ手を伸ばす。
 誰も間に入れずに居た所にサシャの父親は何を思うか。

「ニコロ君、包丁を渡しなさい。さぁ……」

 ニコロへその包丁をよこせと、手を伸ばしてきたのだ。本当に自らの手で娘を殺した元凶へ自ら手を下すのか、しかし、それは自分の手を汚し、子供たちの前でその手を血に染める行為だと言う事である。ナイフを二頃から受け取ったサシャの父はそれを自分の顔の前まで持って行くと、しげしげとそのナイフを無言で眺めている。
 サシャの父が見せるこれから成すべきことを果たすのだと向けられた表情に表情にますます凍り付く一同。
 見かねたハンジが一般人の殺害を兵団の人間が見過ごせるはずもなく声をかけた。復讐を止めるべく。

「……そこまでです。ブラウスさん。刃物を……、置いてください」
「サシャは狩人やった」
「……はい?」
「こめぇ頃から弓教えて森ん獣をいて殺して食ってきた。それがおれらの生き方やったからや……けど同じ生き方が続けられん時代が来ることはわかっとったからサシャを森から外に行かした……んで……世界は繋がり兵士んなったサシャは……よそん土地に攻め入り、人を撃ち、人に撃たれた」

 と、言いながら持っていたナイフをサシャ母に渡します。サシャ父は続けます。

「結局…森を出たつもりが世界は命ん奪い合いを続ける巨大な森ん中やったんや……サシャが殺されたんは……森をさまよったからやと思っとる。せめて子供達はこの森から出してやらんといかん。そうやないと……また同じところをぐるぐる回るだけやろう……だから過去の罪や憎しみを背負うのは……我々大人の責任や」

 サシャの母がそっと、サシャの父親から受け取ったナイフをテーブルに置き、背筋をまっすぐに正して毅然とした態度で、自分達の子供を殺した少女だろうと、子供たちが戦争に巻き込まれた事で起きた悲劇の連鎖をここで断つのだと強い意を持ち、凛と澄んだ声が静止の言葉を投げかけるのだった。

「ニコロさん、ベンを離しなさい」

 誰よりも憎い筈だ。娘の命を奪った憎き仇の存在が、今目の前に居るのに、だが、自分が思いを寄せていた恋していた女の子の両親は復讐を生まなかったのだ。
 ニコロはその場にガクリと膝をつくと、ジャン、コニー、アルミンに取り押さえられ、そして気絶したままのファルコをそっと頭部を損傷している場合も考えゆっくり寝かせると、二人はファルコの怪我の具合を見ており、ミカサがそっとガビの花から流れる血の具合を見ている。

「ケガを見せて」
「ミア……大丈夫か?」

 自分が大事な娘の命を直接奪った元凶だと言うのに、構わずそう尋ねてくるサシャの父と目が合い、ガビは自分が娘の命を奪った元凶であるはずなのに、その元凶がこれまで自分達と偽りの一か月間を過ごしたのに、仇を討つ機会を与えられながらもその刃を決して人に向けなかった殺した女の両親に対し、不思議でたまらないと言った様子で問いかける。

「本当に………私が憎くないの?」

 その瞬間、背後から走り寄って来た恐ろしい子供らしからぬあらゆる憎悪に取りつかれたカヤが突然、ガビに駆け寄ろうとしていたエヴァを突き飛ばし、手にしたテーブルナイフでガビの急所目掛けてナイフを振り上げ、刺そうとしてきたのだ!!
 それはすぐに背後から気付いたミカサが手首を掴んだことによって間一髪で受け止められ、ガビのギリギリで停止した。しかし、カヤは怒りに興奮しているのか肩で息をしながら目からは大粒の涙を流し、子供らしからぬ恐ろしい顔つきでガビへあらゆる憎悪を詰め込んだ凄みのある顔で睨みつけていた。

「……カヤ」
「よくも!!!!! お姉ちゃんを!!!」
「カヤ!!」
「このっ、人殺しぃぃぃ――っ!! 友達だと思ってたのに!!!」
「うわぁあああーん、痛いよ―!! 痛いよ――っ!!」

 これまでサシャに自分が助けられた時のように、肩でぜいぜいと息をしながら大泣きするカヤを止めるサシャの両親、そして突然突き飛ばされ、まだ幼いエヴァはこの異様な空気を感じ取り、そして堪え切れずに泣き出してしまった。

「エヴァ、エヴァ……」
「うああああん、うああああん、喧嘩しないでぇ――つ、いい子に、いい子にしなきゃ、帰って来ないんだよ、お父さん、帰って来ないんだよっ! みんな仲良くして!! うわああああんっ、おとうさん、おとうさぁん!!」
「ごめん、ごめん、そんなことないよ。君は、本当にとってもいい子だ。泣かないでお父さんの帰りを待ってくれていたんだからね。必ず君のお父さんは帰ってくるから、君の元に返す、だから……泣かないでくれ……」
「そうだね、エヴァ、エヴァの言う通りだね、みんな仲良く楽しく、お食事していたものね」

 敏感に感じ取るこの部屋の空気に怯えて泣いてしまったエヴァ。何時も健気なほどに父親に迷惑をかけないように預けられている立場なのを理解し、自分がいい子にする事で成り立つことを理解し、堪えている。
 しかし、そんな時に自分を抱き留めてくれる本当の両親はいない。エヴァは小さい身体にその寂しさを本当はいつも抱え込んで、それでも負担になってはいけないからと、マーレの潜入任務からようやく帰還した彼を待ちわびていたが、また別の任務ですぐに離れればならない重い立場の父親の立場を理解し、そして我慢しているのだ。

 それを理解して父親を奪っているのは自分達、ハンジはジークを監視できる人間、唯一ジークが暴走した際に彼を押さえつけることが出来る人間がこの島でリヴァイしかいないのを承知で、今回彼に長期で家族にも誰にも会えなくなる任務を指示した。それを理解して依頼したのは自分である。
 しかし、目の前で泣いている彼の子供を見て、ハンジは自分は一体何をしているのだろうか。そう、自問自答した。目の前の小さな命たちが今必要と強いている安心を奪ってまで、彼を戦わせることが本当にこの島の幸せにつながるのか、と。

「隣の部屋に、行こう」

 サシャを奪われた家族がガビと同じ空間に居る事、それはもう許されない。お互いの正義がある、だがそれを、今喪ったものを責めても二度と奪われた命は帰らないのだ。アルミンがミカサに移動を促し、そのまま2人は呆然としたままのガビを連れ、サシャを殺した元凶とサシャの家族たちを一緒にするのはお互いの為にならないと、カヤとエヴァの興奮が落ち着くようにと隣の部屋へ静かに移動して扉を閉めこの淀んだ空気を強制的に変えた。

「……すっかり肉料理(メイン)も冷めちまったな」

 泣き崩れるカヤに対しサシャの父親も本心では堪え切れなかっただろう、ガビが部屋を去ると、緊張が解けたのか。
 ただ、ただ、涙を流していた。憎くない筈が無い、だが、こんなことで娘を殺したガビへ復讐を果たしたとして、それでいいのだろうか。
 まだ幼いガビがサシャを殺した、最愛の愛娘を殺したのは未だカヤと歳も変わらない幼い少女、こんな幼い少女にまで人殺しの手段を知っている、これが現実か。

 ガビにも、帰るべき故郷があって、そしてもう二度と娘は返ってこないし、娘ももしかしたら同じようにこうして悲しむ原因をあっちの国で作ったかもしれないから。
 復讐に復讐では、永遠に繰り返されるだけだ。巨人によって大地を奪われたからまた奪い返す、これから始まろうとしている現状に対しての彼の思いは憎しみの連鎖からは何も生まれないと言う事である。
 そっとナイフを妻に渡し、ガビにその刃を向けることなくナイフはしまわれた。だが、本当は、目の前にサシャを殺した元凶がまさかガビで、カヤともそう歳の変わらない少女だったガビがすでに人を殺す手段を持っていること、その手段を与えているマーレに対しての言葉にできない思い、涙を流す二人を見つめながらニコロはハンジへ先ほどジャンを怒らせてまでワインを奪った衝撃的な事実を告げるのだった。

「ハンジさん……そのガキの口をゆすいでやってくれ……。さっき、殴った時にあのワインが入っちまった…」
「え…?」
「もう……手遅れだと思うけど……」
「はッ……!! あのワインには……何が……入っているの?」
「多分……ジークの脊髄液だ」

 ジークの脊髄液により壊滅したコニーの村の悲劇、それを知る仲間達はその脊髄液がまさかこのワインの中に混入していることを知り一瞬にしてレストラン内は静まり返り誰もがその事実に青ざめる。あのウォール・ローゼに巨人が出現した忘れもしないあの悲劇を誰もが思い返すのだった。

ジャンはニコロの胸ぐらを掴み壁へと詰め寄った。
 ハンジは慌てて水を手配し、急ぎ意識を失い気絶したままのファルコの口の中をゆすぐために何度も何度も口を開けたり閉じたり、意識のない彼の口の中にワインが残っているのなら水を灌ぐようコニーへ指示する中、ジャンは一体どういうことだと、状況説明を求めるが、ニコロは青白い顔をしたまま何も答えない。

「ニコロ、オイ、どういうことだ……ワインにジークの脊髄液が入っているって…!?」
「確証は無い……ただ……、このワインは第一回の調査船から大量に積まれていた。短期の調査船には不要な酒と量だった……そして……俺がここで、料理人としての立場が安定してきた頃になって、このワインを兵団組織高官らに優先して振る舞うよう言われたんだ」
「誰からだ!?」
「……イェレナだ」
「俺の知る限りじゃアイツだけがそう働きかけてきた。他の義勇兵はわからないが……」
「ぼ、僕も何のことだか……!? それは、……初耳です!!」

 イェレナと行動を共にしていたがワインの話までは知らないと、と本気で焦っているオニャンコポンは本当に何も知らされていないのだろう。慌てふためく姿を誰も責める事はしない。

「でも…おかしいだろ!! ジークの脊髄液を飲んだ時点でエルディア人は「硬直」するんだろ!? ラガコ村じゃそうだったって……」
「ジークがそう言っただけだ。誰もその現場を見たわけじゃないから私達には確かめようが無い。だけど……たった一言で済むその嘘の効果は、絶大だ。もしジークに脊髄液を盛られても「硬直」という前兆があるのなら、その前兆が見られない限り毒を盛られた発想すらしない」
「いや……でも!! それはお前がそう思っただけなんだろ!?」
「あぁ……確証は無い。でもマーレ兵なら知っている。ジークの脊髄液が今までどんな使われ方をしたのか……10年ぐらい前 マーレは敵国の首都を一晩で落とした。ある晩に何百もの巨人が町中に湧いて出たからだ。予め街中に何百もの脊髄液を服用したエルディア人を忍ばせておけばジークがただ一声叫んだだけで街は壊滅した……。そんなようなことでも企んでなきゃ、何であの怪しいワインを兵団のお偉方に飲ませなきゃいけないのか……俺にはわかんねぇけどな」

 気付いた時にはすでにもうワインのボトルは開けられていた。そして、そのワインは既に森でジークを監視するリヴァイ達にも振る舞われ、自分達が知らないところでこの島は既に掌握済みだと言う事である。
 もし、ジークが叫べば間違いなくワインを口にした憲兵団達や高官、そして森でジークをリヴァイと共に監視している兵士達も皆巨人だ。
 この島の人間たちの身体に流れる血をイェレナは理解して、そしてジークと共に万が一拘束されたとしても大丈夫なようにと、それはとんでもない保険を掛けたのだった。

2021.10.09
2022.01.25加筆修正
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