THE LAST BALLAD | ナノ

#119 戦の幕が開く槌音

 舞台の幕が上がり、着々と進行するヴィリー・タイバーによる魂のこもる自らの命を賭したその演説は見事に集められた世界各国の要人たちの魂を震わせた。
 忌むべきはあの島に平和を願う145代目カール・フリッツ王から長きに渡り受け継がれて築かれてきた平和を願う系譜。
 忌むべきその矛先は王が望む安寧その全てを奪った簒奪者・エレン・イェーガーとその悪魔の末裔が暮らすパラディ島へ向けられた。

 エレン・イェーガーが「始祖の巨人」の力を手に入れた事で「地鳴らし」の発動とその危険は無視できないものとなった。
 その言葉通りならば、大地はその名の通り、全てが平らになり、あらゆる生き物の存在全てが幾千万の巨人の群れに踏み抜かれ、まさに全てが無に帰すのだ。それを何としても阻止しなければならない。
 始祖の巨人を宿すエレンから巨人を奪い返すのは、マーレの悲願でもある。
 そうなる前に、あの島を全世界で叩き潰すのだ。共に力を合わせてあの島を。
 ヴィリー・タイバーの演説がクライマックスに差し掛かった時、エレンが巨人化したのは同時だった。
 最期の命懸けの演説、そして出現したエレンが巨人化したことにより既に自らの死を悟っていたヴィリー・タイバーはその生涯に幕を下ろした。

 胴体からその肉体をまっ二つに手刀で叩き割り、彼の肉体はエレン・イェーガーの口の中へと吸い込まれるように重力に従い、パクン、と丸呑みされた。
 喉を鳴らして噛み締めるも、エレンの身体に変化は起こらない、彼はどうやら「戦槌の巨人」の能力者では無い。
 それならば誰が「戦槌の巨人」の本体だと言うのだ。

 先ほどまで舞台の上で演説していたタイバー家当主があっという間に出現した島の悪魔により殺害され、その肉体さえも残さずに死んだ。
 騒然とする観客たちはこれもヴィリー・タイバーが用意した劇の演出の類か何かだろうか、そんなことをぼんやりと思っただろう。

 突如ライナーの前に現れ、再会を果たすエレン。それはまるで、――自分たちが壁を破壊してエレンの故郷のシガンシナ区を破壊した時と、全く同じように。
 今度は自分達がその報復を受ける時が来たのだと、ライナーはファルコを守るように飛びつきながら瓦礫の中に押しつぶされ、エレンの怒りを悟った。

 かつては「巨人を駆逐してやる」と唇を噛み締めていた幼きエレン。しかし、時を経て彼は自ら巨人となり、そして人を食べ、レベリオの地を襲撃し、めちゃくちゃに破壊したのだ。
 あの日自分が受けた屈辱を自ら晴らした、何という皮肉か。それほどまでにエレンがこれまでに受けた憎しみは深く計り知れないものだった。

 舞台のフィナーレに待っていた相応しい感動に沸き立っていた観客の歓声は一気に阿鼻叫喚渦巻く悲劇の舞台へとその姿を変えたのだった。

「きゃああああああああああ!!!!」

 ゆらりと立ち上がり、振り向き、鋭い眼光に無造作に伸びた長い髪を垂らし鋭い牙を剥き出しにする姿がライトアップされ浮かび上がる逆光はまさに、世界中が恐れる島の悪魔そのものだった。
 巨人化したエレン・イェーガーは次の狙いを呆然と腰かけたまま動けずにいるカルヴィ元帥の鎮座する特等席へ、その矛先を向けそのまま駆けだすと全身で、まるで非力な蟻を捻り潰すかのように拳を叩きつけたのだった。
 マーレ軍上層部を狙い定め、その目論見通りにマーレの幹部たちはエレンに押しつぶされ、その肉体たちが一斉に上空へ舞い上がった。

「準備が整いました。エレンが巨人化し、ヴィリー・タイバーを殺害しました」

 そして、エレン・イェーガーが巨人化したのを合図に、夜の闇に今にも溶けて消えてしまいそうな全身黒装束に身を包んだ謎の集団たちが次々と自らの戒めを解き放つ。
 その背中に背負われたボンベのような奇妙な装置、それがどんな意味を持つか。
 その声を聞いた先陣に居た小柄な男は闇夜に染まる鋭い眼光を光らせ、惨禍に染まる街を眺めていた。

「準備完了です、いつでも行けます」

 部下の合図を受け、闇の中に染まる黒い艶髪が揺れた。合図を受けると、即座に低い声で同じ黒装束の仲間へ告げる。

「総員、配置に着け。目的は果たすが、死ぬことだけは許さん。誰一人犠牲にすることなく残された時間までに目的を果たせ。ただし、無関係の民間人への被害は最小限に抑えろ……」
「「了解!!」」

 それを合図に一世に地を蹴り飛び立っていく黒装束の人間たちは、まるで翼でも生えているかのように、縦横無尽に夜闇を抜け、惨禍渦巻くレベリオ地区を飛び立って行ったのだった。
 男は見渡す限りの暗闇の中で明りを頼りに飛び立つ。

「いいか、それと――……奴は、俺が仕留める」

 そう、揺るぎない決意を自ら手にした刃と胸に秘めて。男の目は静かにレベリオを見つめていた。レベリオのどこかに居る筈の、唯一無二の家族の存在を。



 アヴェリアは混乱していた。
 このたった一瞬で何が起きたと言うのだ。思考が追い付かず、身体だけが勝手に動いたようだった。
 先ほどまで観客たちは涙を浮かべ救世主の末裔の思いに胸を打たれて歓声を上げていたと言うのに、今聞こえるこの声は歓声と言うよりも悲鳴だ。
 これではまるで戦場そのものだ。ここは戦場から遠く離れた、大国マーレ内にある平和なレベリオだと言うのに。
 慌てふためく中でそれでも戦いに生きる本能が警鐘を鳴らせば自ら迫る危機に瀕し、心だけを残したままでも身体だけが自由自在に動いた。
 瓦礫がこっちに向かって吹っ飛んできたよりも早くアヴェリアは行動していた。

 姿形も、島に居た時のあの面影は消え失せ、虚ろな目に気だるげな声、マーレに潜伏していたエレン・イェーガーが自らその正体を敵国の権力者を殺害し、全世界が注目を集める舞台で解き放ったと知るのだった。
 あの島で何度も見かけた巨人化したエレンとの姿、しかし、この国で見る彼はまるで「島の悪魔」そのものに違いなかった。
 アヴェリアは飛び交う瓦礫の破片の雨を掻い潜り、地を蹴り母が居た筈の崩落した舞台へと駆け付けていた。

「母さん! どこだ!! 母さん!!」

 アヴェリアが急ぎ駆けつけた舞台はこの前見かけたあの原型を留めておらず、酷い有様だった。
 さっきまで舞台袖で出番を終えた役者、これから出番を待ちわびていた役者、タイバー家御用達の屈強な守護者たちは皆等しくエレンが巨人化した事による建物の崩落、舞台を破壊した瓦礫に押し潰され、全員、圧死したのかほぼ即死状態でところどころから苦しむような声がした。

「嘘だろ……」

 いくら戦場を駆け抜けてきたとはいえ、兵士の遺体ならこれまでごまんと見てきたアヴェリアでも、レべリオで暮らす何の罪もない民間人の痛ましい死体に胸を痛めた。
 エレンがライナーと再会を果たした建物はエレンが巨人化したことで上階まで突き破られ、崩壊した建物に巻き込まれた子供たちを守ろうとした親に抱きかかえられ、どちらも血を流して死んでいた。

「こんなにまだ小さい子供まで……エレン、一体どうしたんだ」

 亡骸がうつろでこちらを見つめくるから。アヴェリアは胃から込みあげるものを堪えて、そっとその子供の遺体の目を閉ざしてやるのだった。

「エレン……(オイ、これが……エレンの目的なのか? この国に復讐することが、……調査兵団がそれをエレンに命じた? エレンの単独行動なのか? 調査兵団は……パラディ島はマーレや各国との和平を……望んでいるんじゃ、なかったのか??)何で、こんなことを……これじゃあ、シガンシナ区が襲撃された時と全く同じやり方じゃねぇか。一体、誰が思いついたんだ? こんなむごいことを、」

 アヴェリアは分からなかった。自ら離れたあの島のその後に起きた出来事もエレンが何故消えたのかも、知らない。
 自ら捨てたあの島、父親に勘当されたも当然の自分に便りなんか来るはずもない、この国でいつかいる筈の母でさえも知らないだろう。そして知らないままにこの崩落に巻き込まれたはずだ。
 血眼で母親を必死に探してアヴェリアは叫んだ。アッカーマンを捨てジオラルド家の末裔として、要人となった母親。
 そして母親はあの豚男と偽りの婚姻関係を結んでいた。
 母親の目的を薄々と感じていた。優しい母はきっと、あの島を守るために自らを犠牲にする事を望んだのだ。自らをこの国の人身御供に捧げて。
 それを理解し、だからこそ決してお互いの存在や親子関係に関連するものを口にしないように接していたのに。
 しかし、今はもうその親子関係を隠す必要もなくなった。

「母さんが親父と別れてまでどうにかしてあの島を守ろうとしてたのに。それをエレンはぶち壊した。宣戦布告も無しにこの国を相手取り奇襲をかけたんだから……報復を受けてもおかしくねぇよ。俺達は……母さん……!!」

 ふらふらとした足取りで駆け寄るアヴェリア。声なき声が震えとなり、呼びかけるように母親へ呼びかけるが、どんな戦場でも平静を崩さなかったアヴェリアが今は年相応の子供に見えた。
 しかし、探せども探せども母の姿は何処にも無い。
 既に瓦礫に押しつぶされてしまったのかもしれない。姿が見えない父親よりも小さな身体を探すも見つからない。

「う……」

 その時、アヴェリアは確かに瓦礫の片隅でその声を聞いた。苦しむようなうめき声がして、顔を上げればそこに居たのは紛れもなく変わり果てた姿で横たわる自分の母親が、そこに居たのであった。
 みるみるうちにアヴェリアの顔つきが悲痛に変わる。夥しい血だまりを踏みしめ、その血だまりが母親の小さな身体から流れているものだと知るよりもふらついた足取りで駆け寄る。

「母さんっ!!!」

 はじけ飛んだように、ふらついた事で足を滑らせ、転びながら動けずにいるウミにアヴェリアは言葉を無くしていた。

「ごめん……ね、アヴェリア……」
「オイ、喋んじゃねぇよ!!! 待ってろ、母さん、今引っ張り出してやるから。一緒に逃げんだよ……もう、ここで母さんがあの豚野郎相手に愛想振りまいて犠牲になる必要もねぇ。どうせ今までやって来たことは無駄なんだ。俺達の島はエレンがこの国に来た時点で、この国の軍幹部を皆殺しにしたのも、全部、あの島の復讐だ、そうだろ?」
「エ……レン…が…そ、う……」

 腹を痛めて産み落としたアヴェリアへ向かって伸ばしてきた自分と大差ない母親の小さくてまだ温もりを感じられたその手を握り締める。
 母親が自らの死を偽装してこの大陸に姿を消してたったの数年間。しかし、こうして会わない間にアヴェリアの手は目の前で息絶えそうな母親の手を今にも越えそうなくらい大きく成長していたのだと感じる程に彼女はその身体であの島を救おうとしていたのだ。
 ウミは落ちてきた瓦礫に下半身を押しつぶされ、そして太い柱は彼女の腹部を串刺しにするように貫通し、そこから夥しい量の血が海のように広がり流れていた。
 これではもうどんな力を持ってしても、退かしたところでこの出血量だ。まず助からないのは見てわかる。
 しかし、だからと言って母親を見捨てて逃げる事が出来る筈が無い、今まで離れ離れでやっと母親とうこうして再会できたのに。エレンがいるのなら、間違いなく自分を案じていたあの不器用な父親もきっと自分達を探しに来ている筈なのに。

「アヴェリア……にげ……て」
「嫌だ!! どこに逃げろってんだよ、帰れねぇのは俺も同じだ、もう逃げたりしねぇよ」
「ば……か……」

 ここに居てはこれから始まる激戦に彼が巻き込まれる事になる。自分には構わなくていいのだ、もう、どのみち自分はもうあの島には未来永劫戻れないのだから。
 しかし、最後にこれだけは伝えなければいけない。

「私の……子供達を……お願い……」
「子供……???」
「この場所へ……ごめんね、だめな……母親で……」

 一体自分の母親は何のことを言っているのだろうか、アヴェリアにはわからなかった。何故なら自分はここに居るし、それにもう一人の自分にとっての妹もあの島に居る筈で、安全は確保されていると言うのに。
 母親はこの国で人知れず子供を?? それならば、その相手は誰だと言うのだ。

「ごめんね、……」

 しきりにごめんねと繰り返すウミはやがて、その言葉を最後に、力尽きるようにその場で瞳を伏せ、動かなくなったのだった。

「嘘、だろ……かあ、さ……ん」

 夥しい量の血を流し、瓦礫に半身を潰された母は、この地で朽ちる事を望んでなどいない筈なのに。
 あの島に帰る事も、もう一度、あんなにも愛しあっていた父親と再会することも、痛みの最中、誰の手も借りずに産み落とした娘と会う事もなくこの地で散ると言うのか。

「クソ、……嘘だ、こんなの、悪い夢だ、そうだ……そうじゃなきゃ、こんなのただの地獄だ……」

 動けなくなった母親を残して逃げなければならないと言うのか。母親の突然の死に涙すら浮かばない。呆然と立ち尽くすアヴェリアへ逃げろと促した母。
 報復を恐れてか、軍上層部に狙い定めたエレンが何度も何度も拳を叩きつけて暴れまわる姿を見てアヴェリアはエレンや母達もかつて巨人たちの襲撃を受け同じように悲惨な地獄を味わされてきたのではないかと、やられたからやり返す為にこの島にずっと潜んでいたのかと、言いたくもなった。
 だが彼はそれでも自ら選んだのだ。この手で自分達がかつて奪われた故郷・シガンシナ区に復讐することを。

「兄さん……タイバーの務め……大……変……ご立派でした」

 その時、瓦礫の山の背後からか細い女性の声が聞こえたのだ。
 背後から聞こえたか細い声に振り向き、アヴェリアが耳を澄ませれば、そこに居たのはいつもヴィリー・タイバーの傍で仕えている上品な黒髪を束ねた女性だった。彼女は瓦礫から這い出てきたのか、額から血を流し、今にもその場に倒れそうになりながらも立ちすくんでいた。

「兄、さん、だと……?」

 確かにその女は今目の前でエレンに捕食され、見るも無残な最期で散っていったヴィリー・タイバーへ向けて、そう告げたのだ。聞き間違いでなければ「兄さん」と。確かにタイバー家に仕えていた給仕はそう告げた。
 彼女は正式に公表されていないがヴィリー・タイバーの実妹だというのか?ならどうしてその正体を隠して給仕に成りすましていたのか。
 驚きの連続に泣く暇さえ与えられないアヴェリアの言葉に耳を貸すことなく、痛む腕を押さえ、その言葉を封切りに血まみれの女の肉体が突然、雷光に包まれた。

「まさか……」

 理解するよりも早く。雷光に包まれ金色に光り輝く肉体はみるみるうちに巨大化し、その光景を戦場で幾度も見てきたアヴェリアはすぐに悟った。
 骨格が浮かび上がると、瞬く間に足元から形成されていくその肉体。
「戦槌の巨人」を宿すタイバー家の正体、「戦槌の巨人」を宿していたのは、救世主の末裔の当主であり、先ほどエレンの手により殺害されたヴィリー・タイバーではなく、この目の前の、ラーラ・タイバーだと。

「母さん……」

 巨人化能力者が巨人化するときに見せるあの黄金色に輝く光、その衝撃に巻き込まれないようにアヴェリアは母親から仕方なく離れざるを得なくなり、巨人化能力を持たない自分がここに居ても死ぬだけだと悟り、無力な少年は言われるがまま母親が最後に言い残した言葉のままにある場所を目指すのだった。

 兄が一族の長として果たすべき目的、役割。これまで「戦槌の巨人」を隠していた。包まれるように筋組織が巨大な肉体を覆い尽くし、「戦槌の巨人」がその実体を見せる前に、上層部の席を破壊したエレンが振り向きざま、即座に高質化した強烈な連続パンチを繰り出し筋組織のままの「戦槌の巨人」を吹っ飛ばし、そのまま馬乗りになって殴りかかり、悲劇の舞台は巨人対巨人の壮絶な戦場へと化したのだった。

「マガト隊長!!」
「「戦槌の巨人」がやられてしまいます!!」
「カルヴィ元帥ら軍幹部は全滅したようです!!」
「隊長!! 戦士隊が見つかりません!!」
「とにかく要人の避難を!!!」
「我々もここに居ては危険です!!」
「指示してください!!」
「隊長!!」

 ステージを照らすライトが一方的にエレンに殴られる「戦槌の巨人」を映していた。この国の切り札がこのままでは、その光景を屋上で見守るしかない兵士たちは自分達の上官氏がもう軍の上層部は機能していないことを知る。
 しかし、こんな状況下だと言うのに巨人化能力を持つマーレの誇る優秀な戦士隊のメンバーが見つからない。
 頼りの巨人化能力者を持つ人間までも不在となり舞台は混乱を極めている。口々にマガトを呼ぶと、突然銃声がマガトの銃口から火を吹いた。

「……隊長……?」
「豆鉄砲だが……マーレ軍反撃の口火は今を持って切られた。まさか……ここまで派手に登場するとはな……。それも。あの特徴からして「始祖の巨人」の簒奪者(さんだつしゃ)「進撃の巨人」エレン・イェーガーご本人が御越しだ」
「ッ!?」
「島まで行く手間が省けた、総員持ち場へ、戦闘用意!!」
「了解!!」

 激しい殴り合いの中、馬乗りになったエレンに一方的に殴られ続ける「戦槌の巨人」その顔面は肉体を形成する前から既に醜悪な姿で変形し、目玉は飛び出し舌があらぬ方向へ捻じ曲げられた醜い顔を晒す中、突如としてその右目が光った瞬間、エレンの腹を一本の槍が貫通し、そのままエレンは宙へ持ち上げられたのだ。

「……全員、覚えておけよ。一番槍を入れたのはこの私だと」



「起きろ!!! ガビ、ウド!!」
「ッ……!?」
「立つんだ!! 早く!!」

 エレンが巨人化した衝撃は舞台の観客席でもパニックを引き起こしていた。飛んできた破片や瓦礫の雨の中意識を失っていたガビがコルトの声に揺り起こされ、首根っこを掴まれて起こされると、衝撃的な光景が目の前に飛び込んで来た。

「……!? ゾフィア!?」

 暴れまわるエレンを背景にふ、とその意識を取り戻したガビの視界に飛び込んで来たのは巨大な石片に情藩士を押しつぶされ、下半身だけがかろうじて原型を留めたゾフィアの変わり果てた姿。その姿にガビの顔が一瞬にして真っ青になる。

「ゾフィア!! 大丈夫か!?」
「ダメだ、ウド!! こっちに――」
「早く、これをどかさないと!!」
「ウド!!」

 同じく気を失っていたウドが目を覚まし、さっきまで並んで話していた戦士候補生として共に戦地を駆け抜け生き延びてきたゾフィアの変わり果てた姿にコルトが掴んでいた腕を振り払い急ぎ駆け寄った。
 その時、エレンの襲撃に混乱する観客席は急ぎこの場を離れるべく一目散に出口を目指し、その人波はまるで全てを押しつぶしてしまうほどの勢いある動物の大群のようだ。誰もがなりふり構わず我先に惨劇から逃がれようとばかりに一斉に押し寄せてきたのだ。

「うあああああああああああああ……!!!」

 悲鳴と共に成す術もなく次から次へと押し寄せる人並みに押しつぶされるウドの身体はまだあどけない十代の少年。大の大人でさえこの一足にはひとたまりもない。
 コルトが人波にぶつかりその拍子に大きな岩の前で座り込みガビを守るよう彼女を抱きかかえ必死にその衝撃から耐える中でウドはまるで石ころのように転がされ、何度も何度もその身体は逃げ惑う人波の中でもみくちゃにされてしまい、そこに待ち受けていた地獄絵図を目の当たりにした普段の気の強さ勝気さも消え失せ青ざめたガビの悲痛な叫びだけが虚しく響くのだった。

「くそっ、何だ、何でいきなり戦争なんだ!?」
「コルト……ウドは!? アヴェリアも居ない……」
「アヴェリアは恐らく……ウド……とにかく、急いで病院にいかないと……」
「ウド……そんな……!!」
「クソぉ……ファルコォオォォ!! どこだぁあぁああ!!!」

 人波が去ると、その中心で血まみれのウドが横たわっており、彼は既に顔中のあちこちから血を流し、脳味噌が露出している酷い状況だった。恐らく彼はもう、揺さぶっても反応を示さない小さな身体でもみくちゃにされたウドを抱きかかえガビと急ぎ病院へ向かうコルトが悔し気に弟の名を叫ぶのだった。



「痛ってぇえなクソ、」
「藁が敷いてあるね……。おかげで骨折しただけで済んだよ」
「随分優しいじゃねぇか……何だ、これは!?」

 その一方、こうなる事を予見していたかのように兵士に騙されて拘束されていたポルコとピークは足元から落下した衝撃で両足があり得ない方向に折れ曲がっていたが、巨人化能力のお陰で重賞には至らず、しかし、どうすることも出来ずにはるか上空のぽっかり空いた床上を見上げていた。

「戦士を拘束する仕掛けだろうね。マーレはいくつか用意してあるんだこういうの。
 古典的だけどこの狭さじゃ巨大化出来ない……ましてや二人じゃ」
「あぁ……最悪圧死だ」
「色々あるよ、水と食糧と……これは……」

 そうしてピークはアヒルの姿をしたおまるを手に冷静に周囲を見渡しながらご丁寧に用意された粗品を手に自分達が巨人化されたらまずい人物がいる事を悟るのだった。

「アヒルじゃねぇか……。しかし、気が利くことは分かったがあののっぽの兵士、何が目的だ?」
「わからない……マーレ軍なのか、単独犯なのか……でもあの兵士、私はどこかで……」

 その時、二人の耳にも「始祖の巨人」をその身に宿すエレンと「戦槌の巨人」の激しい戦いが幕を開いた事を、その衝撃の激しさに気付き耳をすませばズシン、ズシン、と鈍い振動がまるで自身のように大きなうねりとなって地下のある建物を揺らしていた。

「外で……一体何が……!?」
「この地響き……巨人同士が戦ってるみたいだね、」
「そんな訳が、ここはマーレだぞ?」
「私たちがここに拘束されてされていることが答えでしょ。……さっきのも罠、だった。早くここから出ないと」
「そりゃあそうなんだが……どうやって、」
「助けが来るはずなんだけど」
「うぉ!?」
「何だっこりゃ!?」
「遅いよ!!!」
「ピークさん!!」
「ご無事ですか!?」
「早くロープを持ってきて!!」
「了解です!!」
「パンツァー隊か!? どうしてここが!?」
「さっきあの顎髭が怪しかったから手を打っておいたの」
「……あの時か!!」
 ――「あの兵士が怪しい、私達を尾行して」

 彼女はとっくにあの兵士が怪しいことに気付いていたようだ。持ち前の聡明さで既に手を打っておいたのは彼女の持つ能力。機敏に順応し、有事となれば彼女は誰よりも優秀な戦士である。彼女を慕うパンツァー隊がすぐ駆けつけると縄をすぐ降ろして引き上げを開始する。

「「ピークさん!!」」
「掴まって!!」

 彼女が縄で地下から地上へ姿を見せるなり、一斉にパンツァー隊の男達が我先に彼女を引っ張り上げようとその手を伸ばした。しかし、非常事態の中ピークは冷静に今外で何が起きているのか自分達が拘束されていたつかの間の時間で起きた出来事に対して質問した。

「状況を、」
「演説中の広場が巨人に襲われました!!」
「何だと!?」
「現在「戦槌の巨人」が応戦しているようです!!」
「「車力」の兵装車両は!?」
「本部にあります、15分で換装できます!!」
「10分でやるよ!!」
「「了解です!!」」
「先に行っとくぞ!!」
「待って、ポルコ!! すこし様子を見てから――」

 何かがおかしい、気付いたピークが先に行こうとするポルコを引き留めようとしたその瞬間、ワイヤーを巻き取る音と共に自分達の頭上を何かが駆け抜けたのだ。

「何だ!?」
「……まさか、そんなわけが……」

 聞こえた音は聞き覚えがある。あの島で幾度も耳にした、しかし、いや、そんなまさかだってあの人物たちが――信じられないと言わんばかりにピークは驚愕に目を見開いた。
「島の悪魔」たちがまさか、この国に攻めてきたと言うのか。



 エレンを貫いた高質化の槍は紛れもなく「戦槌の巨人」が放ったものだった。止めを刺そうとあっという間にその右手に形成されたのは「戦槌の巨人」の由来でもある硬質化で出来た巨大な槌だった。
 あらん限りの力で振り上げ、一気にエレンを串刺しにしていた杭を壊すと、腹に突き刺さったままの杭を残しエレンが地面に着地する、自由自在にその手から何でも高質化の武器を生み出す能力を持つ、それが「戦槌の巨人」である。
 エレンの足元をいくつもの針が足を貫通して拘束すると、屋上から一斉に向けられたマーレの新兵器「対巨人野戦砲」が火を吹いた。
 高質化した手でうなじを守るが、この集中砲火によりエレンの立場は一気に不利になる。

「装填、急げ!!」
「やはり押収したばかりの兵器では練度が足りないか」
「しっ、しかし!! このままでは本当に「始祖の巨人」を殺してしまいます!!」
「「始祖」の奪還はマーレの国是では!?」
「今後は巨人の力に頼らない。それがマーレの新たな「国是」だ。命令通りエレン・イェーガーはこの場で仕留める。丁度式のフィナーレに祝砲をお披露目するべく用意された「対巨人野戦砲」があるのだ」

 再び装填される砲弾が全てエレンに照準を定めて向けられる。

「装填完了」
「撃て――!!」

 掛け声と共に砲弾がさく裂し、これでは防戦一方だ。「戦槌の巨人」の首以外の全身を覆うのは硬質化で出来た白い外皮。その瞬間にも巨人体よりも大きな高質化で形成した槌がエレンを狙う。あの槌で一気にエレンのうなじ諸共本体を潰すつもりなのだ。

「奴の目的が何であろうとここで「始祖」が散れば敵勢力はおしまいだ。たとえ「始祖」が再び敵の手に渡ろうと時間切れだ。すでに巨人の時代は終わりつつある、そもそも、「始祖」を奪う意味などジオラルド家の末裔が現われたのだからもう意味もない。「戦槌」もそれを分かってて「始祖」を喰うつもりは毛頭ないようだ」

 その時、砲弾を受けたエレンの巨人体のうなじからエレン本人がその姿を現した。その光景はマガトたちからもよく見える。

「「戦槌」……!! なんて威力!!「進撃」をものともしない!!「戦槌」の勝利だ!!」
「……!? 本体が出た。奴が、エレン・イェーガーか……」
「本当に、仕留める気だ……」

 エレンを捕食する前に脅威そのものを葬る事した「戦槌の巨人」は巨人体でありながら言葉を発する知能を持っているらしく、上品な口ぶりで問いかける。

『簒奪者……エレン・イェーガー。最期に何か言い残すことはありますか?』

「戦槌の巨人」の隙を待っていたエレン。野戦砲に追い込まれ目の前には槌を振り上げた「戦槌の巨人」絶体絶命の状況下でエレンは酷く冷静だった。

 ――「今だ、ミカサ」
 エレンは表情一つ変えずに、ぼそりと、彼女にしか聞こえないような低い声で共に生き抜いてきた幼馴染であり家族の名を呼んだ。

 その瞬間、ワイヤーの巻き取る音と共に一瞬にして姿を見せたのは伸びていた艶髪をバッサリ切り落とし、両腕に一本3キロはゆうにある調査兵団14代目団長、ハンジ・ゾエが対巨人用に開発し、この数年でよりその威力と性能を高めた「雷槍」を八本装備したミカサが立体機動で縦横無尽に風に乗り「戦槌の巨人」の背後から姿を現したのだった。
 振り替える間もなく、ミカサの放った雷槍は見事に「戦槌の巨人」の不意を突き、見事うなじに命中させたのだ。
 決して重くはない雷槍を軽々と操って見せ、回転しながらその遠心力を利用してミカサは起爆装置のピンを一斉に引っこ抜き、うなじに突き刺さっていた爆発させ、美しい爆炎が広がると、暗闇の中で射しこんだ光がミカサの美しく整った綺麗な横顔のフェイスラインを浮かび上がらせるのだった。

「な!?」
「ッ――!?」

 突然起きた爆炎に包まれ、「戦槌の巨人」本体の居るうなじを爆破された衝撃で前のめりに倒れる「戦槌の巨人」の姿にマガトたちが何事かと思えば一瞬にして背後から一斉に黒装束に身を包んだ調査兵団達が姿を現し、一斉に雷槍がさく裂し、そして中央憲兵の対人立体機動装置からヒントを得て新たに開発された新立体機動装置と一体化して装備された銃弾が爆発から巻き込まれながらも息のあるマーレの兵士達を撃ちぬいていく。
 ファルコに託したエレンの手紙は彼らの元へと、繋がっていたのだ。

「みんな……来てくれたんだな……」

 うなじから姿を見せた状態のエレンの元にミカサが軽々と着地する。しかし、久方ぶりのエレンとの再会を前にミカサの表情は決して明るくはない。彼女もまた、エレンが起こした子の惨劇に胸を痛め悲痛な声で祈るように変わり果ててしまった大切な存在へと呼びかけるのだった。

「……エレン、お願い……。帰ってきて……」

――ゾフィア
――「進撃の巨人」襲撃の舞台崩落に巻き込まれ死亡

2021.04.05
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