THE LAST BALLAD | ナノ

#110 good-bye aurora borealis

 いつか、こうなる日が来ることは分かっていた。全て理解していた。自分の意志でこの島を離れることは無い、と。
「エルディア人安楽死計画」聞くにあの恐ろしい計画など忘れてしまいたかった。何も知らぬふりをして、愛する人と、愛する家族と共にこの島で生涯を終えるのだと、信じていた。だが――。
 これからする自分の選択はきっと彼を深く傷つけてしまう。離れたくはない、傍に居たい、貴方の望むままの未来を。だが自分の叶えたい願いを自分は捨てられない。きっと、この先もこの気持ちを誤魔化し続ける事は自分には出来なくて。
 巨人科学によりこの身体に造られた姿を変えずとも巨人の力を自分の自由に引き出せる血の本能が流れる限り永劫「戦い」からは逃れられない。母のように逃れたくても、本能が許さないのだ。
 かつて亡き母が嘆いたこの血がいつか途絶えるのなら、「彼」もまた戦いとかけ離れた「普通の人間」としての平穏な人生を、歩めるのだろうか。
 巨人の力が全てエルディア人の身体から消えたとすれば、そんな魔法のような話があれば、安楽死など望まなくてもこの先の未来も生きていけるのに。




「いい加減認めなさい!! あなたが差し向けた男達でしょう!!」
「ひっ、ちっ、違います!! 許してください!! ごめんなさい!!」
「嘘をつくな!!!」
「きゃああああっ!! 誰かぁあっ、助けて!!」

 信じ難い光景に普段めったに感情を乱さない、乱してもあまり多きな声で激高することは無いリヴァイもただならぬ状況だと理解するのだった。正直に認めろとほぼ脅し同然の姿でリヴァイの副官で在るアリシアが全ての元凶と証拠もなく頭に血が上った状態で迫っていたウミの傍らには血まみれの男達が横たわっていた。
 
 漂う彼女の殺気はすさまじいものがある。母親になった彼女はますますその地合いを含んだ眼差しに優しさや守るものへ眼を向ける一途な美しさを感じられていたのに。今は真逆で、調査兵団・最年少分隊長として孤独に戦い続けて来た時に戻ってしまったような、そんな孤独で命知らずだった面影を感じた。

 そして、そんな彼女をどうにか宥めようとする部下たちにリヴァイが静かに歩み寄る。滅多に見せない温厚な彼女の恐ろしく変わり果てた姿に大の男も平気でしなやかな体躯で取り押さえられるミカサもすっかりすくみ上ってしまい手出しができない。
 下手に近づけは足元でこと切れた男たちの仲間になる気がして。
 その通りにウミは死角から迫る兵士に向かって叫んだ。

「ウミ、もうやめて、これ以上は暴れないで」
「全員!! 近づくな!! 来るな!! いいか、少しでも近づいてみなさい!! この女を削ぐから……!!」

 彼女が引退した元兵士ではなく、今も現役であることは誰もが知っている。アリシアはすっかり普段の陽気さはどこへやら真っ青な顔で本気の刃を向けたウミに脅えている。一体何が起きたのか。駆けつけたリヴァイに誰もが安堵した。
 こんな夜に突然の襲撃。本部に乗り込んできたのは最愛の妻。そして事切れた男たち。
 返り血に染まりキチンと朝着ていた衣服の乱れた彼女に果たして何が起きたのか。そんなの言わなくても聞かなくても分かり切っている事だ。
 優しくて、どんな時も慈愛の込められた穏やかな眼差しで周囲を温かく見守り包んでいた彼女がこんな風に殺気を全開にして兵団本部まで乗り込んで来たのなら何かある筈だ。

「ウミ!! 止めてくれもう!! これ以上罪を重ねないでくれ」

 悲痛に叫ぶのはシガンシナ区決戦の際にエルヴィンとアルミンを生かすか同課の判断に迫られ長く共に戦ったエルヴィンではなくアルミンを選んだウミを裏切ったと許せずにいたが、長い年月を経て団長となった今リヴァイとウミの選択を許したハンジがまるで唯一の存在でもあるウミへアリシアを離すように呼び掛けるもその声はもう届かない。
 我が子を傷つけられ、正気で居られる母親などこの世のどこにも存在しないだろう。例えどんな理由があれ我が子を傷つけたその相手を許せることなど、出来やしない。
 その時、姿を現したのは。取り囲まれた彼女の元に相変わらず表情一つ乱さずにやって来たのは、彼女の最愛である唯一無二の存在だ。
 迫る相手を認識しないまま振り上げたウミのブレードをすかさず受け止めれば。

「こんな夜に、何かと思えばお前か」
「リ、ヴァイ……」

 悔しげに歪められた唇に並々ならぬ無念や怒りを感じる。理不尽なものに対してのウミの怒り。ひとまず落ち着けと、リヴァイはそのままウミのアリシアへ宛がっていたブレードの刃を思い切り掴んだのだ。

「兵長!!」

 新兵器開発の実験だったり、膨大に積もっている資料を纏めたり、何かと必要な手が血に染まるのも構わずにリヴァイは呻き声ひとつあげずに妻の突き立てたその刃を部下の肌から引き剥がした。
 例えウミの力でもリヴァイの持つ力にはかなわないのかブレードがカランと床に落ちると、その好機を逃さずウミからアリシアは這いつくばるように逃げ出し、そして、リヴァイの目の前でいっせいにウミを武装した憲兵団たちが駆けつけ取り囲んだ。
 血まみれの服は彼女の血ではない、ウミは観念したようにその両手をあげるしかなかった。

「ウミ!! いったいどうしたんだ、何があってこんなことに……!!」

 誰もが信じられないと言った目でウミを見る。取り囲まれ、マーレから運ばれてきた新しい銃を突き付けらたままのウミ。
 どんな理由にせよ、彼女は恐らく襲ってきたこの男たちを返り討ちにしたのだろう。我が子を守るためにと、この手を汚してまで。リヴァイは悲嘆に暮れた。もう二度と、戦いとは無縁の世界で子供を育てて店を切り盛りして生きていて欲しい、その願いは儚くも崩れ落ちた。あの新婚旅行からまだ日も浅い中で転がり落ちるのは一瞬、元兵士だ、過剰防衛となりウミは犯罪者の仲間入りとなったのだ。

「リヴァイ兵長!! 怖かったです〜!!!」
「下がってろ、」
「はいいいっ!」

 リヴァイに助けられたのを嬉しそうに。さっきまでま青白い顔をしていたのにあまりにも露骨な態度の変わりようは舞台役者顔負けだ。リヴァイに抱きついて離れないアリシアの姿にウミの頭に血が上る。
 初めから、仕組んでいたかのように……この女は――……。

「(リヴァイに、触らないで……!!)」

 しかし、取り囲まれたウミにリヴァイがとどめの一言を告げたのだ。

「お前……一体、何があった……。最近様子がおかしいぞ? それに、もし事実だとして……証拠もねぇのにいきなりアリシアを襲う権利はお前にはねぇ筈だ、何故こんな事になった、お前が手を汚さなくても「アヴェリアが、私を庇って切られたの」

 リヴァイはこの状況を即座に理解し、したからこそこんな暴挙に出たウミに対し動揺を隠せずについ、責めるような言い方になってしまったのだ。ブレードを握りしめた事で滲む手のひらの血が点々と床に垂れている。不覚にも抱き留めたアリシアのブラウスにもその血は滲んでおり、リヴァイのその灰色の瞳には色濃く不安が残った。

「あの子が切られた瞬間、頭が真っ白になって、気が付いたら、男たちが血まみれになって死んでいた。私の手も、顔も。そして、気付いたらトロスト区に馬車を走らせていた。どうかしてしまったのは……あなたの方だよ。リヴァイ……どうして、どうして、その女を庇うの??」

 憲兵団に取り囲まれ、どんな理由があれど彼女は人を殺した……殺してしまったのだ。民間人となったが、元兵団の人間として連行される。しかし、どんなに訴えてもウソ泣きをするアリシアがこの男達と関与していた証拠はもう無い。彼女が違うと言えば、違うのだ。許されるのだ。だって、罪を重ねたのは暴挙に及んだのは。

 自分を見る皆の目が痛い。エルヴィンと共にウミの幼い頃から面識のあるナイルもこんな形でウミを失うなど、信じたくなかっただろう、ミカサが涙を浮かべてその場に座り込んでしまった。アルミンがそんな彼女を支え、サシャが青白い顔をして首を横に振る、コニーが悲し気に自分を見つめ、ジャンは信じたくないと、目を背け、フロックは無言でその光景を見つめている。ハンジは呆然と立ち尽くしていた。

「もし殺さなかったら、私は一番女が嫌な方法で殺されてた。そして子供たちも、どうして、こんな惨いことをするの? 私は、逃げも隠れもしない。だけど、償うべき罪はこれから――。ここで捕まる訳には、いかない……!」

 その声なき声は、彼女の口の動きで理解したリヴァイだけが知っていた。大粒の涙を流してウミはいとも簡単に憲兵団の包囲からするりと抜け出すと、その場からそのまま走り去ってしまった。
 愛する人に信じてもらえない事はどうしてこんなにも辛いのだろう。
 自分の選んだ副官は、彼女が不在の間自分の役に大いに立ってくれたのだろう。支えになったのだろう、かつてのペトラのように。だけど、彼女はペトラとは違う、外堀を囲んで確実に自分を追い詰めて、そして。
 自分は気が付けば逃れられない袋小路に追いやられていたのだ。確実に彼女は自分の手は汚さずに自分をこの島から強制的に追い出すことに成功した。まんまと策に溺れた自分、部下思いの彼の優しさが今はとても恨めしかった。



「リヴァイ兵長、追いかけなくてもいいんですか?」
「……」
「元兵団の人間が人殺しはダメですよねえぇ? リヴァイ兵長の立場が汚れるじゃないですか、あんな虫も殺さないような顔して、さすが……」
「少し、黙ってろ」
「え?」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ……」

 リヴァイにウミを追いかける資格など無い。リヴァイの剣幕にアリシアはあまりの迫力に彼が何故「人類最強」と呼ばれるのか、上官であるが肌にひしひしと感じていた。
 黙り込んだまま一人静かに別の方向へ姿を消したリヴァイ。
 自分が家に居ればこんな悲劇は起きなかった。今日ここに来ないでずっと、シガンシナ区に居れば……。
 兵団組織を憎んでいる貴族たちは今も大勢いる。旧体制が崩れた事を恨む人間たちの怒りの矛先が「人類最強」の自分ではなく、彼女とまだ幼い子供たちに向けられる未来も想像して、だけど、彼女はシガンシナ区が好きだから故郷を取り戻せた。
 だから、自分は……彼女を中央のアッカーマン家の居住区にはやらなかった。自分がシガンシナ区に通うと、彼女に話してしまったのだった。

 いつかこんな悲劇が起きるのではないか、その不安が具現化してリヴァイは自分の本当の過ちに動けない。ウミの手を汚させたのは自分でもある事。彼女だけが背負う罪ではない。

 アリシアは歩き出すリヴァイの手を無言で握った。これからは私があなたを支えますとまんまとうまくいった望み通りの展開に今すぐ踊り出したい気持ちを抑えて。

 ああ嬉しい。彼女の仕組んだ罠にウミはハマってくれた。犯罪者じゃ兵団組織の幹部でもあるリヴァイの名に汚名が付く、そうすれば市民の支持も下がるし、調査兵団にとっても何のメリットもない。
 彼女はこのままどこにも行けずに元兵団の人間として子供を守った筈なのに、民間人でもある彼らを、自分の手で会辞めてしまった事実は消えない。
 情状酌量の余地もなく、殺されるのだ。

 血のつながった家族を持っても、島の行く末に頭を悩ませ、その悩みを自分は兵士ではないから共有できない自分は彼と結ばれるべきではなかったのだ。
 自分が罪を犯したそのせいで、訓練兵団志望するアヴェリアとまだ物心つかない娘にも、迷惑と一生消えない傷が残る事になる。母親が人殺しの烙印を押されて二人はこれから育つ、その心的影響はどれだけマイナスに傾くか。
 悔しくてたまらない。あの女の前で泣いて堪るか。そう、思うのに、追い込まれて追い込まれて、体調の悪さもピークの中でただ、涙を堪えてその姿を見つめながらウミは立ち去るしかなかったのだ。自分は妻の身でありながら負けたのだ。敗者は黙って去るしかない。

「さようなら、元奥様。……もう二度と帰ってくんなよ」

 アリシアは歪んだ笑みを乗せてめっきり細くなったその背中を、ただ見送るのだった。



 ひたすら走り続けて、ウミは涙を我慢していく場所も帰る場所も見失い、ひたすら逃げ惑う。皆は自分が兵団本部を出て行ったと思い、急ぎこの街を封鎖し逃がさないつもりだ。しかし、自分は未だに兵団内部に居た。自分を探す人間たちが誰も居ない場所を探して。彷徨う虚ろな目を残したまま。

 慣れ親しんだ兵団本部だ。隠れ場所や穴場なら知っている。リヴァイと密かに愛を交わした場所も覚えている。周囲を見渡しながら逃げ回り、ふと気付けば自分は兵団本部の屋上に来ていた。

「綺麗、あの日と同じ、何も変わっていないのね……」

 皮肉にも、空だけは美しい星の輝きを纏い自分を照らしていた……。
 地下から地上に出られたのはリヴァイ達のお陰だ。そして、リヴァイとイザベルとファーランと、ウミ、四人で、地上に上がり、初めて星を見た。あの日を思い出す。今も鮮明に覚えている。あの日、地上での居住権を得るためにロヴォフの書類をエルヴィンから手に入れるべく一人で突き進むリヴァイを皆で説得したんだ。
 何時だって自分達を導いてくれたのは美しい星達だった。

――「同じだ……月も星もないと、夜の暗さは地下も地上も変わりない――」
「でも違うよ! 天井がないのが分かるもん! 全然違うよ!」
「そうだな、空が抜けてるもんな、同じ暗さでも、地下とは違う!」
「ほら……! 月だ、こんなに明るい! な、違うだろ」

 あの日それがみんなで見上げた最後の。忘れがたい永遠の後悔を今も彼は一生消える事無く胸に抱き続けている。地下から一緒だった二人が、死んでしまった深い悲しみを引きずり生きている。喪う痛みを誰よりも知るリヴァイが味わった苦しみを自分は。また彼に与えると言うのか。

――「リヴァイを頼んだぞ」

 誰よりも不器用な彼を愛していたのに、今度こそ、自分は二度と彼から離れないで家庭を守り彼を支えて帰る場所になろうとしたのに。こんな形で彼と離れる事になるとは想像すらできなかった。

「ごめんなさい……許して、イザベル、ファーラン……ペトラちゃん、ケニーおじさん、エルヴィン……。約束したのに、彼をもう二度と悲しませないと、どんな時も離れないで支えになるって決めたのに」

 自分はもう、彼の元に本当に帰れなくなった。だが、これでこの島に居られなくなったのなら、本当に頼る人は。もう、あの人しかいない。
 だが、悲しむことは無いのだ。彼と自分、この先どちらが先だったとしても彼と自分との間に残された確かな絆、子供たちがきっと彼の孤独を、癒してくれる。
 無償の愛をくれる無垢な存在が居るから、

「ここに居たのか」

 聞こえた声にすかさず反応し、見つかったのなら仕方ないとまた罪を重ねるために、立体機動装置の硬質ブレードを振りかざそうとしたその時だった。雲が流れて月を隠せば逆光でよく見えないが、間違いなく、

「どうして、ここを……」
「ここなら、見えるだろうが」

 すっ、と綺麗な指先が真っすぐ指したのは空。雲が流れまた顔を出した美しい月。その逆光に照らされた愛しい人だった。

「リヴァイ、」

 彼もきっと自分を捕まえに来たのだ。待っているから罪を償ってまた戻って来いと、違う。それでは意味が無い。
 永遠にこの島に囚われたらこの島はマーレに滅ぼされてしまう。
 シガンシナ区が「超大型巨人」に襲われたのは、あれはまだほんの序章で、本当の悪夢のシナリオはこれから、マーレが保持する知性巨人と最新兵器の前にこの島は取り囲まれてしまう。
 そうなれば兵団組織で民間人やこの島を守護する最前線に立つであろうこの人が死んでしまう。島が、滅んでしまう。
 美しかった星の思い出に浸る暇など無い、捨てるのだ、自分のすべきことを成す為に。これがきっかけとなり島に居られなくなるのは不本意だが犯した罪の重さは消えない。例え命が危ぶまれていたとしても、正当防衛はきっと認められない。

「どうして、追いかけて来たの? 私に、構わないでよ……さっさとあの子の所に行けばいいじゃない、あの子はリヴァイが好きなのよ、若くてスタイルもいいし、仕事も出来るんでしょう? それにきっとあなたによく似たあの子たちの事を……「俺はお前が好きだ」

 相変わらず、不器用な彼は突然普段言わないような言葉を投げかけて来るから自分はいつも翻弄されっぱなしなのだ。だが、彼は自分を振り回しているそんな自覚はなくて。無いからこそ。タチが悪いのだが。
その自覚さえない、実直な彼が好きだった、本当は誰にも渡したくはない、自分が居なくなった後も彼には自分を思ってそう、生きててほしいと願うけれど、きっと彼は悲しむことは無い。彼にはいろんな人から頼りにされ愛されているから、彼は自分が居なくなった後の未来も生きていけるだろう。

「来ないで!! いや、いやよ、リヴァイだって私が人殺しだと思ってるんでしょう? 奥さんが人殺しじゃ兵団を引っ張っていくのに支障が出るわ、もう、私に構わないで、大丈夫、あなたに迷惑はかけないようにするから、もう、私の事は忘れてよ」
「兵団の立場なんかいらねぇ、忘れられる訳なんか、ねぇだろうが……!! どれだけ、俺が……お前を……っ。いつも、勝手なことばかり抜かしてんじゃねぇよ!! 一人で泣くな、お前が罪なら俺も同じだ……!! 無理やりにでもお前たちを内地の安全な場所に囲えばよかったんだ、お前の夢を奪いこの壁に縛り付けることになっても、お前を失ってから後悔するのはもう、嫌だ」

 振り向いたウミの目には大粒の涙が浮かんでいた。彼のその優しさが今は辛いのだ、絆されてしまいそうになる。本当にズルい人だ、とっさに出てこない言葉を今更こうして二人きりの空間で投げつけてくる。

「やっぱり泣いていたんだな……悪かった……」

 自分にしか言わない声調で囁かないで、その目で見ないで。決心が鈍ってしまう、忌まわしい巨人の力など投げ打って彼の傍で彼に守られ安心して寿命尽きるまで暮らしていきたい願いを、残された寿命を静かに朽ちるまで全うしたいと望んでしまうじゃないか。

「ウミ……信じてやれなくて悪かった。さっきはどうかしていた、お前の行動を疑ってしまった」

 背中を向けたまま、決意の為に拒絶の意思を表すように己を抱き締めるように体を丸めると、後ろからリヴァイが足音もなく素早く近づき、背後から抱き締めてきた。

「嫌っ……止めて!! 止めてよ!!」

 ウミが普段めったに荒げない声で叫ぶと、背後のリヴァイがびっくりしたように腕の力を緩めた。

「私なんか放っておいてあの女のところに行けばいいじゃない!!」

 本当は。彼に、自分の傍にいて欲しいの。他の人に奪われるくらいならいっそ、しかし、それは許されない。
 もう自分は二度と堅気の人間には戻れない。寿命が決められた自分では彼と永遠の誓い果たされないのだから。その言葉は彼女を絶望させた。
 心とは裏腹の台詞が飛び出し、知性巨人となった自分では彼をこの手で幸せに出来はしない。つき離そうとするが、それでも離そうとしない腕に勢いよく振り返って睨み付ければリヴァイが、ハッとしたかのように目を見開く。感情を露見しない男が揺らぐ瞬間、それはますますウミに未練を残す。

「ウミ、それだけじゃねぇのか? てめぇ、俺にこれ以上何を隠してやがる……」
「っ、知らない、っ……!!」

 そして、ウミがまた背を向けようとすると、今度こそ離さない、ぐいと身体が引かれて。そして――。

 ウミはリヴァイに唇を奪われていた。否定の言葉をさっきからぶつけてくるウミに対ししびれを切らしたのか、言葉では彼女を黙らせられないのなら。

「あっ……!! いや、っ、嫌っ……んっ……いや、っ……」

 しかし、リヴァイは実力で彼女を黙らせることにした。幾度も、肌を重ねてきた少女を、息も吐かせない程、何度も唇を奪いその腕に引き入れた。

「やっ! ……んっ……」

 リヴァイの胸に手をついて身体を離そうとすると、後頭部を引き寄せられ、息苦しくて、顔をようやく逸らせばリヴァイが低い声で呟いた。

「ウミ、愛してる……」

 それは、滅多に言わない彼から贈られた愛の言葉、そんな歯の浮くような言葉を彼は絶対言わない、なのに、彼は自分へ不器用なのに、言葉がいつも拙いのに自分を繋ぎ止めようと迷わず告げる。
 そんな彼から贈られた愛の言葉はまるで麻薬のようにウミの足元から立つ力を奪う。
 愛を告げたリヴァイにまた、何度も何度も深く唇を重ねられる。憔悴しきっていたウミには抵抗する力も残っていなくて。
 されるがままに、くったりと身体から力を抜くと、ようやく抵抗がなくなったことを確かめウミの口唇を解放し、優しくその華奢な肩を抱き締めながら長い髪を梳きながら囁いた。

「こんなに大切なのに、お前が犯した罪の前に酷いことを……。アリシアを庇ったわけじゃねぇ、酒も入っていた、お前の突然の行動にビビっちまったんだ。そして理由を知って後悔した。俺が悪い、悪かった、俺がどうかしていた。お前達家族を何よりも思っていたのに、島を守る事はお前たちを守る事だと、それにつながる道だと……だが、それでお前たちを、お前の手がまた汚された。俺はお前の犯した罪がたとえ許されなくても、それでも、俺はお前をずっと、永遠に忘れない。ずっと、最期まで想い続ける」

 柔らかくて冷たい、彼の形のいい薄い唇が頬に、瞼に一つ一つ落ちていく。そのキスを落としながら、リヴァイが甘い声で囁く。焦がれていた温もりに再び包まれ、ウミの頬を幾億の涙が零れた。
 一層強くウミを抱き締めると、四人で見上げた星空、あの時にはもう二度と戻れない悲しみを分かち合いながら今を生きる命を噛み締め深く唇を重ねた。
 ウミは泣き崩れ落ちた身体をリヴァイに引っ張り上げられ、そして二人は焦がれたように何度も互いを求めた。
 ウミが泣き叫び、疲れきって眠りに落ちるまで、だが決して乱暴ではない優しい眼差しで、リヴァイはもう何百回以上も自分と肌を重ねてきたのに、お互い、「もしかしたらこれが最後かもしれない」が、常については離れず付きまとう日々だったから。一度も飽きることなく、いつも抱いて、抱きあった。
 お互いに明日から離れ離れとなったとしても、願わくばこの瞬間が永遠に続きますようにと。いつか誓った星空に思いを捧げるのだった。



 彼と、離れなければ。彼の傍から消えると決めた、本当は離れたくなどない、この寝顔を見つめるのは自分だけだと、彼が本来の彼の姿に戻れるのは自分との時間だけ、そう誓い合ったかつての自分はまた彼の元を去らねばならないのだ。自ら歩むと決めた。彼を救うための未来を叶える為に。
それに、いずれ去る自分は彼の生きる未来を見届ける事は出来ない。だとしても、行かなければならないんだ。

「さようなら、リヴァイ……どうか、私を許さないで、あなたの元を去った私の事は、すべて忘れてどうか幸せに、そして、子供達を、お願いします」

 アヴェリアはきっと自分を捨てたウミを、また恨むだろう。もしこのことが原因で彼が本当に心を閉ざしてしまったら。だが、自分が彼らと親子関係でいる限りあの子たちは「人類最強」の子供たちではなく、人殺しの女の子供たちというレッテルを永遠に貼られてしまうのだ。
 まだ物心つかない幼子のエヴァにもきっと悪い影響が及ぶ。人格形成に余計な影響はいらない、自分はいない者として育てて欲しい、そう望んだ。
 悲しむことなど無い、自分の残り僅かな命、全てこの島を救う事に捧げよう。

 意を決して旅立ちの時、遅かれ早かれ離れなければならなかった、自分にはその未練があった。家族としての未練、だが、今この手を汚した自分にはもう未練を抱く暇さえない、このまま突き進むだけだ。深い、底なしの沼へと。
 せめて最低限の身だしなみだけは整えようと彼が起きる前に洗面台で身なりを整えようとしたその時だった。

「え?」

 昨晩から溜めっぱなしの揺らめく湯船に映り込んだのは、自分が「始祖の巨人」となったユミル・フリッツがなったとされる「原始の巨人」を受け入れたその際に垣間見た金髪の少女だった。
 一瞬ヒストリアかと見間違えたその少女は、虚ろな目で自分を見つめている。すぐに理解した、彼女が、かつては奴隷で、そして巨人化できる遺伝子を作り上げた我々のエルディア人の「始祖」でもある少女ユミル・フリッツ。ただ一人の存在。

「え、何……!? 何なの!?」
 
 気付けばウミはその少女に腕を掴まれた。白く不気味なほど白いその指先、そして掌は奴隷であり続け働かされていた名残なのか、豆だらけで硬い。そして、少女は何も言葉を発しない、何故なら、彼女は奴隷だから、そもそも喋る為の舌が無いのだ。驚いたままのウミは必死に、反射的にその腕から逃れようとした、浴槽に捕まり踏ん張るもただでさえ体調の悪い自分の力などたかが知れている。そして気が付けばそのまま少女にしては尋常ではない力でウミの身体は浴槽の中へと引きずり込まれてしまったのだ!!

「(リヴァイ……!!!)」

 叫んだウミの声は届かない。何処にも行かせないと言わんばかりに少女の腕の力は強い。
 始祖ユミル・フリッツがどうしてこのタイミングで自分の目の前にまた現れたのかは知らないが、引きずり込まれた肉体が浴槽の中だと言うのに、まるで本当の底なし沼のように。どんどん、どんどん、深い青の底へと沈んでいく。堕ちたその先は見えない。

2021.09.03
2022.01.30加筆修正
prevnext
[back to top]