THE LAST BALLAD | ナノ

#108 不穏の足音は止まない

 アリシアの言葉はジーク・イェーガーが提示した選択を迷うウミの背中を良くも悪くも押した。
 それはまるで呪いのように、妊娠初期の症状で苦しんでいるウミへ精神的にも追い込み、容赦なく苦しめた。
 ただ若いだけの、経験も未熟で自分が一番だと言う根拠のない自信に満ち溢れているような存在がいざ自分の夫に迫ると思うといずれ彼の元を去らなければならない立場の自分からすれば悔しさで唇を歪めるしかなかった。

「えっ、リヴァイ、しばらく戻らないの……?」
「俺もまだお前たちの傍に居てぇがそうもいかねぇ。お前も話したキヨミ・アズマビトの護衛やら今回の会議の件も、まだ何も片付いていねぇ。色々話し合う必要がある、この島の今後に関わる重要な案件だ。そう簡単にはいかねぇ難しい話になりそうだ」
「そ、そうなんだね……ちなみに……どうして?」

 ――あなたの副官とはずっと、一緒なの?
 昨晩だけの逢瀬だけを重ねてまた彼は数カ月戻らない。子供たちはどんどん成長する。一日一日、目まぐるしく。その変化さえも見過ごして彼は瞬く間に離れてしまう。ほとんど家族の時間などあってないようなもので、店に来る客には女手一つ、男に逃げられて子供を育てていると勘違いしている人間もいる。
 しかし、彼が兵団の上層部の人間である限り、家族よりも兵団、この島の未来の事に専念しなければならない事は理解している。自分はそんな彼を精神的に支えているつもりでいる。

 彼としばらく会えないくらい、今までどれだけの時間彼と離れていたと思う?それくらいまだ耐えられる。それなのに、今は、自分が兵団を退いた身であるからこそ割り込めない部分の隙を狙い今リヴァイに誠心誠意尽くす新しい副官でもあるアリシアの存在がただでさえ彼女を不安定にさせ余計な不安を与える。
 もう長年恋仲だった彼と、こうして結ばれ愛し合って家族となった。愛の形は次第に変化し、強固な絆で死線とくぐり抜けてきた彼と自分の間を引き裂けるものなど存在しない。
 結婚もして披露宴までした。一般市民も関係なく多くの人たちに囲まれ盛大な結婚式を挙げた。子供もいるそんな自分達に関係なく割り込んでくるなど、よほど彼を妄信的なまでに好いているようだ。
 自分を彼の隣から追い出すその為なら何でもやりかねない本気の目をしているそんな彼女の存在が気がかりでしかないが、今はそれ以上の悩ましい問題を抱えているリヴァイにそんなくだらない事で悩んでいるのかと呆れられてしまうのではないかと危惧した。

「元調査兵団の人間だろうと、お前は退いた一般人だろうが。上層部と兵団関係者のみの機密事項だ。教えられる訳ねぇだろ。お前仮にも元兵団の人間なんだからそれくらい理解してんだろ」
「っ、ご、ごめんなさい……」
「ったく、お前は余計な心配しないでさっさと食あたりでも治せ(お前には言えねぇ、決して、お前をマーレにやるくらいなら)お前はこれからもここで、死ぬまで平穏に俺の帰りを待って暮らしていけばいい……」
「リヴァイ?」

 ウミが体調を崩したのを気遣い、触れたくても触れるのを強靭な理性で抑え込んだのに。惚れた弱みなのか、結局彼女に求められると自分は――。
 あのダンスパーティ以来、久方ぶりの行為の名残。余韻に痛む喉をリヴァイが入れた紅茶で潤しながら、未だ喉に突っかかる得体の知れない不快感が気になる。
 しかし、今までの妊娠の時とは違う明らかに体調の不調、悪化を感じていた。とにかく寝起きが辛い、起きればまだマシになるが日中の反動が夕方にやってきて何も出来なくなるのだ。それにより次第にウミの身体が蝕まれていくことになる事も知らない。

 彼と行ったユトピア区で過ごした新婚旅行から帰ってきてからだ。ずっと寝不足のような、常に微熱のようなだるさで立ち上がるのも座るのもおっくうでずっと横になって居たい、が、しかし店を開かねばシガンシナ区で唯一の酒場であり、あの忌まわしき惨劇から生き残った住民達との大事な交流の場でもあるのだ。それは許されない。
 今この島を取り巻く現状で彼に妊娠のことを話して果たしていつにも増して厳しい顔をして外交に頭を悩ませているのが本当は分かるくらい。心ここにあらずの彼に手放しに喜んでもらえるのか、自分や子供たちの存在が彼の「誓い」負担になっているんじゃないかと、本当は子供が生まれた事を伝えなければよかったんじゃないか、自信がなかったのだ。それに万が一という事もある。
 もし淘汰されてしまったら。彼の悲しむ顔は見たくない、エゴだとしても。そして、本当にこれからもっと彼に悲しい顔をさせる事になるのに。

「とにかく無理だけはするな、子供たちを頼む」
「うん、大丈夫だよ。アヴェリアも居るし、」
「なら安心だな。あいつはお前より頼りになる」
「そ、そうだね……」
「俺達が起こしたクーデターで兵団関係者を恨んでいる人間も壁内に居る、俺の家族という事で狙っている……かもしれねぇ、用心だけはしておけ」

 ぱぱ、ぱぱ、二人の会話の間でリヴァイに抱っこされて嬉しそうに父親を呼ぶ最愛の娘に会話を邪魔されるもそれがまた愛くるしい。娘に癒されながらそろそろ行かねばならないと父親となった男は後ろ髪を引かれる思いだ。
 執務室での執筆作業もあるだろう、書類の整理や書庫での事務作業その時も、訓練も、マーレから持ち込まれた技術を用いた新兵器の開発に実験もリヴァイに任されている。しかし、彼はそれでも旧式の立体機動装置にこだわりを持ち、新兵器にはあまり馴染みがないらしく頑なに手放さないのだが。

 しかし、ウミが不安なのは彼と離れることではない。明らかに不安そうなウミのその表情は、不安でたまらないと顔に書いてある。
 正直で嘘のつけないウミの眼差しに秘めた思いを見抜いたリヴァイはそっとウミの頬に触れ、顎を掴んで俯きがちな、その顔を上げさせた。言葉が拙い彼だからこそ、いつだって真剣な思いをくれる。
 自分たちに言葉は要らない、目を見れば分かる。歯の浮くような甘い言葉など、彼には求めない、そもそも似合わない。

「ウミ。俺達は結婚している」
「うん……それは、よく、分かっているの。私が言っているのは……あなたの副官の、アリシアの事。あの女の人があまりにも……」
「問題ねぇ。アリシアはよくやってくれている。お前はいちいち深く考えすぎだ。あいつはお前が抜けた分まで埋めようと留守を預かってくれるから俺もここに帰って来られる」
「そう、だよね(本当に自分の向けられてる殺意以外には鈍感なんだから……)」

 彼に対しては一切の不安は無い。違う。自分が不安なのは、その事ではない。彼はまるで分かって居ない。不器用だが部下思いの彼はきっと自分に向けられた副官のよからぬ思いを何も感じていない。

 ――「リヴァイを慕う人間はそりゃ多いさ、もちろん、女性からもな。ウミが思う通りだよ」
 ――「リヴァイの兄貴? そりゃあモテるよ! だって兄貴だもん!! この言葉の意味わかるよな? ウミ姉だってそうだろ!?」

 彼はモテるのだ。地下にいた時から。元々地下街でも窃盗団のリーダー的存在だったし、頼りになる兄貴分だったからこそ。見た目は粗野でぶっきらぼうに見えるが、その眼差しがよく見れば意外と綺麗なこと、言葉が拙いだけだと知れば周囲からも慕われていた。
 今は亡きペトラもきっと思慕以上の感情に気付いていたのかもしれないし。

 今こうして戦線を離れた立場だからこそ、部外者として彼に向けられる羨望の眼差しをひしひしと感じるのだ。
 彼は自分だけの彼ではない、分かっている。彼はこの島にとって絶対に必要な人間だ。
 自分の存在が彼の枷となる事なとあってはいけない。

「あのね、わた、「リヴァイ兵長!! まだですか? そろそろ行かないとみんな待ってます!またハンジ団長に怒られますよ!」
「……今行く。待たせて悪かった」
「名残惜しいかもしれませんけども。別に奥さんと永遠に別れるわけでもない。会いたいなら、またいつでも会えるんですから、ね」

 リヴァイにも怖いものはあるのか。ハンジの名前を出した途端にすぐ切り替えた。それをわかって今、絶対にタイミングを見計らって姿を見せたな。と、内心、ウミは思った。
 馴れ馴れしく彼の名前を呼び、そして当たり前のように腕を回したのだ。

「ウミさん、この前のパーティー以来ですね。お久しぶりです」
「えぇ……どうも、」

 本当に彼女は兵士なのかと疑わしくなるほどに男性の扱いが慣れている。触れ方が決してわざとらしくない、さりげない仕草で自分の夫の懐に溶け込んでくるのだ。

「(いやだ……そんな手で、私の夫に触らないで……)」

 急に腕を掴まれ引き寄せられたリヴァイも自分の力加減が分からず困惑しているのか言葉に詰まる。

「それでは、リヴァイ兵長は調査兵団がお預かりしますので。あ、シガンシナ区は復興したとはいえ夜は何かと危ないのでちゃんと戸締りしてくださいね」
「……う、うん、大丈夫だよ、ありがとう。それではリヴァイを、夫をよろしくお願いしますね」
「もちろんです! 机の上に奥様とお子さんの写真を飾るほどリヴァイ兵長の大事な奥さんだから。と言っても、お子さんと三人だけでは何かあってから大変ですから、ね」

 リヴァイの腕を引きながら、アリシアがリヴァイを自分から引き離していく。触れたかった彼の意志ではなく、強制的に遮断された会話、いつも去り際に口づけをくれる彼の温もりさえ許さないと言わんばかりに。
 彼女の思惑通りにしょんぼりと落ち込むウミを知ってかアリシアが去り際に自分の方に振り向く。そして、ざまぁみろと言わんばかりに彼女は口元を歪めて、舌を出して自分へ挑発してきたのだった。

 一気にかああああっ!! とウミの顔に火が付きそうな勢いで苛立ちが爆発しそうになる。もし今お腹に彼の子供がいなければ。兵団の人間じゃなければ暴行罪でこのまま憲兵団に突き出されても構わないから、思いきり背後から蹴り飛ばしてやるのに。私の夫だ、気安く触るな、手を出すな。と。
 あの腕から思いきり彼を奪って大人げなく口づけて、彼は私の最愛なのだと堂々と愛を示してやる、胸を張れたのに。

 しかし、今の自分はマーレ側の人間の提示した計画を受け入れるべきか迷っている「始祖ユミル」の呪いに囚われた巨人。両親を奪い、あんなにも忌み嫌っていた巨人に今自分は自らの意思でなったのだ。
 いずれ、リヴァイの元から先にこの世からも居なくなることは確実の未来が約束された自分。
 そんな自分よりもあの子の方が彼の傍にいるのがふさわしいのではないかと。そんな気持ちにさえなるのは妊娠初期である不安定な感情から、彼ともう二度と離れないと決めたのに身勝手な気持ちだとわかっている。

「(許されないのよ……このまま呑気にここで暮らしても彼はいつかマーレに攻め滅ぼされたら……家族や島を守ること、それが本望だって、真っ先に死ぬ……)」

 いずれ去る自分が彼に相応しくない事、しかし、あの見るからに自分から彼を奪おうとあの手この手を使ってリヴァイに迫るアリシアにだけは渡したくないと心からそう、思った。
 自分がいつか居なくなった時、彼や愛しい彼との間に生まれた愛しい子供たちのそばに居てもいい存在はあの子ではない。と、

「リヴァイ兵長、そういえば……昨晩は奥様とお楽しみでしたか?」

 なんで不躾な質問だ。仮にも上官でもある男に向かって。この島を救う英雄に対して。アリシアはなんの悪びれもなくニヤニヤと口元を歪めてほくそ笑んでいる。
 目鼻立ちが整って兵団内でも評判の美人である筈なのに、その口元は歪み、隠しきれない性根の悪さが露になっている。
 わざと腕を絡めてスレンダーなのに柔らかな膨らみのある胸を逞しい腕に押し付けられ、リヴァイはやたらと過剰なスキンシップを撮ってくるが兵士として優秀な彼女の抜けないクセなのだと振り払うようにすり抜ける。
 上手く交して知らないフリをする。何故なら自分はどんな風に迫られてたとしても確固たる揺るぎない愛を既に彼女へ誓っているから。いちいち事を荒立てる必要は無いのだ。

「あ!! リヴァイ兵長、息子さんですよ!」
「見てりゃ分かる」

 すると、普段は孤児院と家を行き来しているウミとリヴァイの息子であるアヴェリアがいつものように馬車から降りてこちらに向かって歩いてきた。

「(またあの女……親父にベタベタと……母さんにぶん殴られればいいのに)」

 色素は母譲りだが、その目つきはリヴァイに瓜二つの、粗野な眼差しが自分の父親に明らかに馴れ馴れしく触るその女を睨みつけるように見つめた。

「アヴェリア! おはよう! おはよう!」
「……(知るか、)」
「あらら、まーた無視、されちゃった……」
「アヴェリア、無視してんじゃねぇ。オイ」

 無視をされるなど、そんなのいつもの日常だ。明るく朗らかな声で「おはよう」と言われてもそんな彼女の本性などとっくに見抜いている彼からすれば警戒されるだけ。何度も無視されるのにめげないアリシアは連呼してアヴェリアの気を引こうとするが、アヴェリアは彼女の美人だが、外堀を囲んで自分の産みの母親をどうにか追い出そうとして父親の隣に居座るその性根の腐った根性を見抜いてるからこそ思いきり睨みつけると、敢えて無視を続けようと決めた。
 見た目だけにこだわりその内面の醜さに気付きもしない、そんな彼女が#bk_name_2
 #は本当に許せなかったのだ。
 そして父親によく似たその目はまた父親に注がれていたのだった。アヴェリアは部下に腕を引かれて馬車に乗り込む再び母親を独りきりにするその背中を睨みながら内心思った。

「(親父はなんであんな女を部下にすんだよ。母さんには勝てねぇし、明らかに親父に取り入って外堀囲んで母さんをどうにか追い出そうとしてるのが見え見えの顔、してんだろが。部下思いの親父だからか? まさか気付かねぇのかよ?)――人類最強なんだろ、アンタは」

 長い長い期間を経て親なしだと思っていた孤児の自分を突然迎えに来たのはこの壁の王と名乗るまだ幼い少女と、そして。自身の本当に血のつながった実父でもあるリヴァイだった。
 そして、そんな男との間に自分を腹に宿すも色んな経緯で引き離された事、そして自分がてっきり死んでしまったのだと思い嘆き悲しんでいたのは母親のウミの存在だったのだ。
 そして、自分は二人が自分を捨てたくて捨てたわけではないこと、その誤解が解けてからは自然とこれまで過ごした孤児院の子供達の面倒を見ながらも母親がこうして一人の時は何も言わずに傍に居て拙いながらも言葉を覚えてきた可愛い盛りの妹の面倒を見ていた。
 父親であるリヴァイが大変な状況だからと何かとつらい事や金銭的な不安を父親に隠す自分の母親であるウミ。夫婦だから、家族なのだから何も隠す必要など無いのに、甘えればいいのに、不安だから傍に居てくれと。それでもウミは頑なにリヴァイに頼る事を拒んでいた。

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「ねぇ、本当に大丈夫なのウミ? 無理しないでね」
「うん、ありがとう」
「無理しちゃだめだよ、」
「仕事している間は気が紛れるから平気なの。それにリヴァイが居ない間はアヴェリアが居てくれるから大丈夫」
「そう?」
「そうだ。だからお前に用はないんだよ。さっさと帰れ、オカマ野郎」
「酷い!! リヴァイ兵長に似てるから許すけどその生意気な目がまたいいのよね……」
「ひっ、」

 日増しに体調は悪化の意図を辿る。毎日吐かない日はない。相変わらず顔色の冴えないウミ。まるで死人のような彼女の姿に心配そうな彼女の店の唯一の従業員で生物学的にも男性である彼だが、実は幼少の頃より女性ではなく男性が好きで。そんな彼、彼女はウミの夫でもあるリヴァイが好きで仕方ないらしい。
 告白された時のリヴァイの心底驚いてどうしたいいかわからない複雑な表情をする彼の態度には腹を抱えて盛大に笑わせられたものだが。
 シガンシナ区唯一の酒場での営業を終えて、彼はすぐ近くの家に帰って行った。

 今日も相変わらず滅多にここに帰らない筈の人類最強を求めて人がごった返していた。マーレを離反したイェレナ達から持ち込まれたマーレ文化により海鮮をふんだんに使った料理たちが海に近いこのシガンシナ区では魚介類を一番美味しい生で提供できるのだ。負債を抱えるウミにはちょうどいい稼ぎ時なのだがいかんせん体調が思わしくないとどうもならない。いい加減病院に行って確認すべきなのはわかる。だが。なかなか病院に行く暇も無いままその喉元に突っかかる違和感だけがお腹に宿った彼との間に芽吹いた命の証だった。

「母さん、無理しないで休めよ」
「大丈夫よ、アヴェリア。さ、食べて、大丈夫。母さんさすがにお料理には吐いてないから」
「それでも喰うよ、」
「アヴェリア……」
「母さんとの飯が、今の楽しみなんだ。訓練兵団に入ったら気軽に帰れなくなるんだろ?」
「そう、だね。ジャンもお母さんに送り出されてきたみたいだから、夜な夜な寂しいって寝言でべそかいてたよ」
「マザコンジャーン……」

 親子でありながら産んでから離れていた期間の方がこうして家族として一緒にいる期間よりもまだ長いのだが。
 ウミの大丈夫が大丈夫ではないことなど重々承知している。
 だからこそ心配なのだ。妊娠の事実をミカサとヒストリア達以外に未だ明かしていないから傍から見た人たちは知らないのだ。だからこそ悪い病気にかかっているのではないか、そんな不安が脳裏を過ぎるのだ。いつも不安が付いて離れない。春が来れば儚く溶けてしまう淡雪のように消えてしまいそうだ。

「最近トレーニングの相手、してあげられなくてごめんね。お父さんにお願いしたいけどお父さんも忙しいから」
「平気だよ。どうせもうすぐ訓練兵団の募集が始まるから、後は訓練兵団で元シャーディス団長に鍛えてもらう。父さんが話しを通してくれているんだろ?」
「うん。きっと。そうだよ」
「早く……俺も調査兵団に入れば、ヒストリアの傍に、居られるだろ?」
「アヴェリア、それって……」

 その言葉に込められたまだ幼いながらも自分を地下から拾い上げてくれたのは紛れもなくヒストリアの存在だった。ヒストリアが救い上げそして今こうして息子として少しずつ家族の絆を取り戻そうとしているアヴェリアのヒストリアへの一途な思いにウミは胸を打たれていた。
 きっと本当に好きな人と恋愛をして結婚をすることが出来ないかけがえのない友人の存在。だが、そんな彼女を守りたいと自分の息子がそう打ち明けた事がとても嬉しかった。
 自分が産んだ彼との子供はこんなにも優しい子に育ってくれた。どうか、戦争とは関係のない、自分達のように血を血で洗う争いに巻き込まれずに幸せなまま、この島で一生を終えて欲しい。と、そう、心の底から願うのだった。
 真剣な眼差しでウミはそっとその手を握り締めて同じ色素を持つ眼差しを見つめる。

「アヴェリア。私の分まで。どうかヒストリアを守ってあげてね。あの子には、きっと精神的な支えが必要だと思うの」
「母さん……」
「調査兵団よりもそれなら安全な内地で女王様を守護する憲兵団があなたの目指す道だね。憲兵団になるには訓練兵団で優績者である10位以内にならないと大変よ。ちなみにあなたが練習相手になっているコニーやジャン達も訓練兵団の優績者だからね」
「あぁ、それなら俺も大丈夫だな」
「もうっ」
「母さんは何位だったの?」
「私? 私、実は訓練兵団を通過しないで調査兵団に入ったの。お父さんとお母さん……あなたのおばあちゃんとお父さん。調査兵団の優秀な兵士だったでしょう? それをきっかけに、」
「なんだそれ、ズルじゃん!」
「で、でも一応お父さん……あなたのおじいさんから直々に訓練は受けていたんだよ」
「何でだよ、普通父親なら娘をいつ巨人に食われるかわからない世界に放り投げるか?
 ?」
「それを考えると私はあなたも兵団の人間にはしたくないんだけれどね」
「今はもう昔みたいに自分の意志で訓練兵団を志す人間は少ない。誰もが来たるマーレとの戦争の為にって男女関係なく兵団を目指してる。みんなあの光景が忘れられないんだよ」
「あの、光景?」
「母さんがエヴァを産む前の話、シガンシナ区決戦と呼ばれたウォール・マリア奪還作戦の時、帰還したウォール・ローゼのトロスト区で、自由の翼をはためかせて帰還した。たった10人の英雄たちの姿」

 そっと手を伸ばしてウミは最愛の人との間に生まれて来てくれた少年がいつか彼女を守る偉大な父親のようになることを願いそして、まだあどけなさの残る少年でもある最愛の息子が成人になる頃には、自分は息子が成人になる姿を見届ける事は出来ないが、どうか戦争とは無縁の、どの国に攻め滅ぼされる事の無いこの国の防衛の為に存在する兵団組織で絶え間なく在り続けていて欲しい。と、そう願うのだった。

 ▼

 親子二人きりの食事を終え、アヴェリアが見ているからと先にもう夢の国に居る娘を息子に託してウミはシャワーを浴びる事にしたが、やはりまだ本調子ではないのか最近はシャワーを浴びる事で立ち込める湯気にさえ、えずくようになっていた。
 これが日中の無理した反動なのだろうか。
 蹲る様にその場にしゃがみ込むと備え付けの鏡に自分の顔が映る。久しぶりに自分の顔を見つめた気がする。見た目は何一つ変わっていない。ライナー達との戦いで燃えた髪も今はすっかり元通りで、リヴァイから贈られた櫛が置いてあり、いつもこの櫛で髪を梳くのが身体に根付いた習慣だった。

 愛する彼との子供を望み、そして産んでおきながら自分は上の階で眠る幼い二人、そして今お腹の中で心臓の鼓動をそろそろ鳴らし始める頃である我が子を置いて逝かねばならない。だが、このまま大人しく店を切り盛りして楽しく働いていてもきっと、この島に未来はない。
 悪夢のシナリオの通りなら遅かれ早かれぐずぐずしていればこの国がパラディ島と呼ばれる国であると判明したこの仮初の楽園は崩壊する。
 色んな人たちの思いは紡がれてようやく手にした筈の自由は全世界中から憎しみの目を向けられている事実。

 正直これまで自分が妊娠したと気付いたのはお腹が膨らんで来てからだった。だが今回はこんなまだ平たい腹なのに湯気で吐き気がする程の悪阻の重さに内心不安を抱くもこのまま何時までもここに居られない。ただ吐き気を促されるだけだ。風呂に入れないせめてもの代わりに清拭を終え、バスルームを後にした時だった。

「……ん?」

 確かに、感じた違和感。今は退いた身ではあるが巨人とこれまで死闘してきたのだ、身に感じる不信感はすぐに判明する。

「っ……!!」
「みいつけた」

 とっさにウミは二階に行かなければ、そう思った。

「こんばんは、奥様」

 気が付いた時にはウミは背後から何か硬いもので勢いよくぶん殴られていたのだ。しかし、地下街でリヴァイから引き離され娼館に連れ戻された時と言い前に中央憲兵と裏でつながり密告していた時と言い何かと殴られるものだ。
 ただでさえ連日の体調不良でやせ細っていた身体は力なく倒れ込んだまま背後にいた男に抱えられるようにそのままウミは気を失った。

「依頼通りに二階でおねんねしているガキどもをさっさと片付けろ」
「了解、」
「女は?」

 どうやらリーダーとその取り巻きといった感じだろうか。その外では従業員が気絶している。殴られた挙句、持っていたウミの家の合鍵を奪われ、そしてこの家に押し入ってきたらしい。

 どんな理由があって狙ったのかは分からないが、よく人類最強の妻の暮らす家を狙う輩が居るものだ。
 しかし、人類最強の妻が暮らす家だからこそ、狙ったのだろう。その理由は明確だった。

「好きにしろ」
「いいなぁ、……ゆっくり楽しめるって訳か」
「そうだな……可愛がってやろう」

 緻密に張り巡らされた罠の中で、がんじがらめのウミ。今頃そんな風景を脳裏に浮かべながら女はほくそ笑んだのだった。

「だから言ったのに。お子さんと三人だけでは何かあってから大変ですから、ね。って、今頃……ふふふ、」
「何か言ったか?」
「いーえ、なんでもないです。リヴァイ兵長」

2021.08.25
2022.01.30加筆修正
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