THE LAST BALLAD | ナノ

いつもここに、最後の願いの傍にある

 ヒストリア女王による壁内の秘匿である歴史が明らかとなり住民たちに動揺が走る中また数日が過ぎた。ウォール・マリアの中の巨人は今もハンジ達が開発した「地獄の処刑人」により終わることなくトロスト区にその轟音を響かせている。
 この壁の先に故郷が待っている、早く故郷へ戻りたいと思いを馳せる住人達の思いと同じく、ウミも同じ気持ちで早く母親の亡骸を父親と同じ墓へと、そう思いを馳せ、そして今は一人になったこの小さな空間で暮らしながら考えていた。
 幸いにも貯えはそれなりにある。着の身着のまま逃げお金がない中困窮する生活でエレン、ミカサ、アルミンの三人をどうにか食べさせながら仕事を探していた頃に比べれば今はあの日々が懐かしくなるほどに穏やかだ。

「みんな、元気かな」

 一緒に過ごし、訓練兵団の時代から見守って来た今はもう残り少ない104期兵達の存在を思う。ハンジは結局最後まで自分と口をロクにきくことなく別れたから、その未練もあるが、自分が焼け焦げ見る影も無くなったアルミンの姿に激しく動揺し、そして行動に出た。あの時の行いを思えばハンジが許さないのも、自分と口を永遠にきくわけもないと自負している。

 黙って兵団を去ったこと、きっと怒っているだろうか。だが、子供を死産したと思い調査兵団を離れリヴァイからも離れたあの五年前とはもう違う、お互いに納得した上でその手を離した。

 愛した人との別れ、しかし、後悔はないと言える。極限状態の中でもそれでも彼との永遠を感じられた日々は本当に自分の人生において最良の出来事だったと、そう言えるから。
 もう二度と戻る事のない人生を日々、生きている。残された余生は自分の故郷で送ろう。そして、1人孤独に誰にも看取られる事無くこの世界から永遠に消えるのだ。自分の望んだ人生の末路とは思ったよりも違っていたが、巨人に食われて死ぬと思っていた自分の末路がまさか病気で死ぬとは、あの頃必死にタヴァサを走らせ壁外調査で駆けずり回りブレードを振り回していた頃は、思いもしなかった。

 季節は冬に向かっているようにどんどん寒さを増して。兵団支給のロングコートがちょうど温かい季節。夏から秋へ移ろう季節に肌寒さも感じる。これから王都で行われるのはウォール・マリア奪還戦から凱旋した9名の兵士へ女王陛下から直接、自由を取り戻した壁の英雄達へ勲章が授与されるのだ。
 また、それと共に今回の作戦で犠牲になったエルヴィンを始めとする新兵達やベテラン兵士たちの死を悼む厳かに執り行なわれる追悼でもある。

「ウミ!」

 お互いが離れる事を選んだ。ストヘス区でアニへ別れの挨拶済ませ、街の喧騒へとそっと姿を消した彼女の行く先はきっと誰も知らない。と言うのに、そんな彼女に届いた手紙は彼女を再び戴冠式が行われたあの壁の中心へと呼ぶのだった。あの時、着ていた兵団支給のロングコートではなく、少し正装を意識したコルセットで華奢な肢体をホールドした上質なワンピース姿のウミ。その姿はとても元調査兵団の人間には見えない、完全に一般人のどこにでもいる女性だ。
 結婚式を挙げるならここを使っていいと言ったヒストリアの優しさ、皆に結婚するのだと微笑んで喜びに歓喜した永遠の幸せを信じたあの頃が今は遠い昔のようだ。

「ヒストリア、女王陛下」
「ああっ、もう、ウミまで! エレンとミカサ達もそうだったの。今は公の場じゃないし、私が勝手に呼び出したんだからっ。今更かしこまらなくて気にしなくても、いいからねっ」
「ご、ごめんなさい。でもさすがにこの壁の世界の王様に対して今までみたいに話すなんてやっぱり駄目だよ」
「いいの! 私がいいって言ったの!」
「うっ、ヒストリア……強い」
「当然でしょ? 私はこの壁の女王様なんだから!」
「ふふっ、そうだよね、人類最強を殴った女王様だ!」
「ウミったら、もしかして私の事ちょーっと馬鹿にしてる!?」
「い、いいえ! 滅相も御座いません! 女王陛下」
「もうっ、」

 壁の女王となり、彼女は訓練兵団時代のどこかあどけなくみすぼらしかった時に比べて元々あった女王としての風格が芽生えたようにも見える。背も少し伸びたのだろうか、元々上品で愛らしい顔立ちは女王としての公務を経ていろいろ学びながらも彼女は数年後には今以上にこの壁の誰もから慕われるようなきっと美しい女王となっているだろう。外交としての役割もこれから担う彼女はきっとこの壁の世界に相応しい顔となる。

「それで、今回は急に呼び出したりしてごめんなさい……! あれからトロスト区で暮らして居たのは知っていたんだけど、なかなか直接は会いに行けなくて」
「そんな! いいのよ。それにあなたは王族の人間だし、そんな王族のあなたが中央から離れてトロスト区まで来る事こそ駄目よ。あそこはリーブス商会のお陰で立ち直りつつはあるけど、まだ無法地帯に変わりはないんだし」
「でも、あの場所は思い出の場所だから。ウミ1もそうでしょう? 色んなことがあったから、久しぶりにどうしても行きたかったんだ」
「ヒストリア」
「ごめんね」

 シンプルだが上質な布で織られたドレスを着た彼女がまだあどけない少女の顔をすると、壁の女王とした凛とした佇まいで今まで気を張っていたのだろう、ユミルの死を乗り越えようとそれでも壁の民の為に奔走するその姿を横目にしつつ、ウミは未だ彼女は幼い少女のままで中身は変わらないことを知る。
 トロスト区の襲撃事件で多くの同期達を無くしたトロスト区は今もヒストリアにとって忘れられない場所の一つなのだろう。それに、新兵として調査兵団として束の間だが過ごした場所でもあり、ユミルとの思い出もたくさん詰まっている。しかし、傍で支えてくれたユミルはもういない。だからこそ、自分はあの時の約束を果たさねばならない。いつか楽園へ行くとき、彼女が笑顔で自分を褒めてくれる日まで。
 ユミルの事を思うと涙が溢れて止まらないのだ。ウミは何も言わずにヒストリアを受け止めていた。愛する人との辛い別れを経験したヒストリアに自分も何も言わずに寄り添う。

「ウミといるとなんだか、甘えたくなっちゃうなぁ……。私に優しくしてくれたお姉ちゃんを思い出すのかもしれない。ウミも本調子じゃないのに、無理矢理呼び出したりしてごめんなさい」
「いいの。女王陛下。いいえ、ヒストリア。大事な親友のヒストリアからのお願いだもの。ヒストリアの為なら喜んでいつでも駆けつけるよ」
「ウミ……」
「でも、私みたいな今はもう何でもないただの一般人がお城に入るなんて。いいの? 捕まったりしない?」
「大丈夫! 絶対、それはないから!!それは絶対絶対にさせない。私の大切な友人にそんなひどいこと、絶対させないから」
 
 ヒストリアの言葉は、孤独に寄り添うような優しい太陽の光のようだった。自分はもう一般人で、兵士ではない。こうして対等な目線で公務外のプライベートの彼女の私室で最高権威の女王陛下と対等に向かい合って話をするなど一般人には許されざる行為。
 何ならこの人生の中で壁の王である彼女の姿を遠目で見る事しか出来ない住民たちが殆どだろう。フルフルと首を横に振るヒストリアはそんなこと関係ないと、退団し今は兵団の人間ではなく一般人として穏やかに暮らすウミを受け入れた。そして、彼女はとんでもないことを告げたのだ。

「それで……今日呼び出したのは、ウミにも、勲章を渡したくて。ウォール・マリア奪還作戦に貢献した者として、これは私個人から、お願い、どうしても受け取ってほしいの!」
「えっ!! そんな……!! それは、だ、だめ、そんなの、駄目よ!! 私、もう兵士じゃないのに、一般人なのに!!」

 ヒストリアが私室で用意していたもの。それはエルヴィンが身に着けていたループタイと同じようなエメラルドグリーンの鉱石の埋め込まれた紋章入りのループタイ、それはたった一つだけ、唯一無二の証、そして贈り物である。
 そんな価値のある者を今はもう兵士は引退した自分が受け取るなど前代未聞である。素っ頓狂な声を上げ、思わず立ち上がり戸惑うウミだが、ヒストリアはウミを決して逃がそうとしない。
 調査兵団として、もう価値のない、民間人となった自分にはもうそんな勲章など無意味なものである。それでもヒストリアは食い下がらなかった。

「ヒストリアは知らないかもしれないけれど、私は、本来助けるべき団長であるエルヴィンを見殺しにしてアルミンを、選んだのよ。そう、あんなにすきだったリヴァイにまで剣を向けた。その責任を負うために私は自分の意志で裁きを受けたの。本来なら死刑でもいい位よ。それなのに、除団処分で許された人間が受け取る資格、あっていい筈が無い」
「いいえ。貴方には正当にこれを受け取る権利があります。それを判断したのは女王である私です。これは調査兵団としてこれまで活躍したウミ・アッカーマン様の功績をたたえ、私、ヒストリア・レイスが贈るものです」

 アッカーマンという名前に否定しかけたが、どちらにせよジオラルドとも名乗れない自分はやはりこれからも、リヴァイとの婚姻関係が破綻してもアッカーマンであることに変わりはないのだ。
 しかし、彼女はもしかして女王と言う立場を利用して自分に無理やり強制していないか?とまで前のウミなら言い掛けたが、現女王様を前にそんな失礼な発言が許されるはずがない。

「じゃあ、こう考えて欲しいの。私、これからみんなに勲章を授与するの。初めての事だからどうしたらいいのか戸惑ってて。緊張して変な行動しちゃうその前にウミが練習相手になってもらえたら嬉しいんだけど」
「そ、それは」

 上手い例えに思わず黙り込むウミ。ウミは知らないだろうが、彼女へも勲章を。それを裏で進言したのは紛れもなくリヴァイだった。リヴァイがヒストリアへ直々に、頼んだのだ。地下街のゴロツキとして生きてきた彼がロクな礼儀も知らないまま地上へ上がってきて、相変わらず目上に対してもケニーに教わった礼儀作法のままで変わらぬ態度だった彼が、今は自分より年下の女王様に殴られたのもあってか彼女に弱いのか頭を下げるまでに変わったのも、エルヴィンや調査兵団の仲間達にみっちり教え込まれたり、そして、ウミに出会ってから彼は大きく変化したのだ。

 そんな事実を知るはずもなく、ヒストリアもリヴァイの為にウミに伝えたくてたまらないが、事実をグッと堪えた。本当は今すぐ伝えたい、ウミに、今も変わらずにリヴァイはエルヴィンとの誓いの為に、その険しい道を歩むにはこれから待つは壁の外との戦争。常に死と隣り合わせの戦場の中で戦う。自分は家庭を持つことは出来ない、だからウミには平穏な家庭の世界で、この壁の中で安全に年を取るまでとはいかなくても寿命が尽きるその日まで生きていて欲しい。
 自分が戦う事で彼女を壁内で留めて守れるのなら。

 しかし、それでは遠回しな彼のウミへの愛が無意味になってしまう。本当は誰よりも愛しい、だからこそ、死に一番近い場所へこれから赴く未来を選んだ自分とはどうか別の世界で生きて欲しいと願う為その呪縛から解き放ったのだ。ただ一人の存在であるウミの幸せの為に。

「これは、女王からの、命令です」
「っ……ずるい、ヒストリアっ…!」

 しかし、ずんずんと迫る女王の顔は本気だ。そして、掲げられた勲章をウミに断る権利はない。ウミは促されるまま頭を垂れ、公の場ではないから簡略的だが、今はもう違うウォール・マリア奪還作戦に貢献した英雄として彼女を称えその首に勲章を授けるのだった。

 ぎこちなくヒストリアの手の甲へと唇を落とすウミ。気恥しいがヒストリアはウミが勲章を受け取るとやっと役目を果たせたと内心ほっとしていた。それにこれから始まる公での式典のリハーサル練習にもなった。ヒストリアとしてもウミ個人に勲章を与えたかったのもあり、夜分遅くに提案してきたリヴァイとここまですっかり意気投合してここまで辿り着いたのだ。

 リヴァイにいい報告が出来そうだ。ヒストリアも胸を撫で下ろし与えられた大役を果たした。

「それじゃあ、そろそろ式典始まるよね。私がいつまでも居ると邪魔になるから。それにエレンやミカサやアルミンに兵士を辞めた事話せなず仕舞いだから、私、トロスト区へ帰るね」
「あ、ウミ……!」

 リヴァイの名前を、呼ばれてもきっとウミは彼に会おうとはしないだろう、一度会ってしまえば決心が鈍る。だからもう二度と会わないと決めた。お互いに未練が蘇るから。だから言わないのだ。

「リヴァイ兵長が今、傍で待機してるの。もしよかったら、久しぶりに顔だけでも――「ごめん。ヒストリア」

 しかし、ウミは元々意思の強い人間だ。見た目は非力で、押しに弱そうな外見をしているのに内面にはまるで真逆。強固な壁のように雷槍のように、一本の芯が通っている。クライスに何度石頭、強情で頑固な女だと嫌味を言われただろう。

「はっきり言っておくね。私はリヴァイには、もう二度と会わないよ」

 この壁の最高権力者である女王直々に壁の中央へ招かれたとなれば無視をするわけには行かない。リヴァイが根回ししてヒストリアに頼んで正解だった。
 去り際にそう告げるウミにヒストリアは会いたくても会いたい人はもう二度と会えない遠くの場所に行ってしまったのに、ウミはお互いに生きてまた会おう事が出来るのに、投げかけた疑問符にウミは一瞬だけ、瞠目した。そして、ヒストリアの問いかけに答える。

「今も彼を好きだよ。彼を、誰よりも愛しているから会わないと決めたの。会ったら、また傷つけてしまう。それがたまらなく怖い。それに、私はどう頑張っても、あの人の刃や槍にはなれない。私は兵士として、弱い。私はどうあがいてもミカサにはなれないし、ハンジにもなれないの。だからと言って、兵士じゃなくなったただの私はもう女としては欠落している身体なの。私の身体はもうずいぶん前から女としての機能を果たしていないし、これからも、あの人によく似た子供を産んであげることも出来ない。あの人の欲しいものを何も私はあげられないの。それを分かってて何も言わずにリヴァイに傍に居るのも、居て欲しいと求められるのも。すごく……辛い」

 ドレスの裾を握り締め、唇を噛み締め震えるウミは泣いているように見えた。責めるつもりはなかったのだ、だけど、自分の言葉が彼女を追い込んでしまった。本当は、誰よりも望んでいる筈なのに、ただ、好きな人の傍に居たい、その願いさえもこの現実は叶えてはくれないのだ。

「ウミ……ごめん、なさい、私」
「ヒストリアはいいの。だからヒストリアはどうか私のようにならないでね。女性としての身体を大切にして、いつかきっと素敵な恋をして。そして、健康な子供をあなたはちゃんと産んであげて大切に育てて欲しい。そして、いつか許されるのならあなたの子供をぜひ、見せてほしい」
「ウミ! っ……それなら、お願いがあるの」
「いいよ」
「私がいつかウミみたいに子供を産むとき、どうか私の、傍に居て欲しいの」

 きっと、自分が叶えられなかった景色をヒストリアは見せてくれるのだろう。ウミはヒストリアからの突然の申し出に驚きながらも彼女が直々に頼み込んでくれたことが、友人でもある彼女が誰でもない自分を頼ってくれたことがとても嬉しかった。しかし、ヒストリアが子供を作るその本当の意味を未だウミは知らない。それが今後どのような意味を持つのか、彼女はまるで昔の彼女のようだ。

「ヒストリア……あのね、私は医師でもないし、助産婦の資格もないから王族の神聖なお産に一般人の私が立ち入る事は、申し訳ないけど例え女王様でも絶対無理だと思う。だけど、私はヒストリアが望むなら、ヒストリアの為に出来る事をしたい、そう思っているよ」
「ウミ……」
「ねぇ、ヒストリアは王女様だから、もしかしたら自分の望むような自由な恋愛は難しいかもって諦めてるよね? でも、生まれてくる子供に罪はない。授かった命を産み育てたいってきっと思う事はとても自然なことだから、きっと授かったと分った時の気持ちを大切にしてね」
「うん。いつも傍に居て、結婚してくれって、冗談なのか本当なのか、いつも言ってくれてたユミルももう居ない。私、この先誰かと結婚したいって思える人に出会う未来なんて、あるのかなって。正直不安な部分もあるよ。それに、これからこの壁の国は外交をする為にいろんな国の人と話す機会がもしかしたら、あるかもしれなくて、もしかしたらこの壁の世界を守る為に私が犠牲になればと思う事も考えてる」
「ううん、それは駄目。この世界の未来の為に、まだこれからの未来あるヒストリアが犠牲になる結婚は、兵団が許しても私は、貴方が奴隷になる未来が来るのならそんなの私が絶対絶対許さないんだから」
「そ、それなら、私だって、ウミがこの先辛かったり悲しい思いする未来が来るなんて絶対許さないっ」

 強く手を握り返してきたヒストリアのその非力な肢体からは信じがたい力にウミは思わず声を漏らす。その言葉は迷うことなくウミの胸に染み入る様だった。孤独の道をゆくリヴァイを自分の手で幸せにする、そんな未来はもう二度と来なくても、もう二度と子供を宿すことは出来なくても。

「きっと、世界中からこの島は、恨まれているんでしょう? だけど、大丈夫、この壁には、自由の為に戦う調査兵団がいる。きっとどうにかしてくれるって、信じてる。貴方はこの壁の国を守る為にどうか自分が犠牲になればいい。なんて昔のクリスタみたいなこと、考えないで。あなたはもう、クリスタじゃないのよ。誰よりもあなたの事を分かってくれたユミルがきっと喜んでくれるような人と結婚して、結ばれてね」

 ヒストリアに向けて彼女の問いかけに答えたウミ。口にはしないが、愛する人との子供を死産したと思い知らされた時に感じた絶望はどれほどのものだったのだろうか。
 ただ、愛する人との子供が欲しい、兵士として生きてきたウミが見つけた初めての恋、それは彼女の生きがいとなるには十分で。それまで巨人を駆り続けてきた分隊長がリヴァイへの思いを彼女がもう吐露することは無いが、この壁の世界の未来を憂いそして、リヴァイがこれから向かう過酷な道を案じそして彼がエルヴィンとの誓いの為にウミのいきざm愛を知った者の持つ優しさ、その手に込められた温もりに触れて、ヒストリアはコクリと頷いていた。

「うん、ありがとう、ウミ、私もウミやリヴァイ兵長みたいにお互いを信じあえるような、そんな出会いが出来ると良いな」
「わ。私たちの事はもういいの。そ、それじゃあね。ヒストリアも忙しいし私もそろそろ戻らないとお邪魔になっちゃうから……」

 ヒストリアから久方ぶりに聞いた最愛の彼の名前が出た瞬間、ウミは反射的にその場から離れようとした。その表情は驚き激しく動揺していた。まるでそそくさとその場から、彼の名前から逃げるように。
 しかし、ふいと背中を見せその場から離れようとしたウミをヒストリアは逃がさないように進行方向を遮っていた。

「ウミ……待って」
「っ、も、もう行かないと。あ、リヴァイとなら今回はちゃんとお互い話し合って別れたから大丈夫。お互い納得の上で選んだ別れなの。特に未練とかそういうものはない、ただ、懐かしい古くからの恩人に戻った。ただそれだけ」
「違うの! 勿論、二人の決めた事、だから。私が口に出すことじゃないのは分かってる。ただ、ウミには、私の傍にこれからも居て欲しいって。思ったの」

 ユミルを失った彼女は今一人着慣れないドレスに身を包み、そして毎晩来る日も来る日も女王陛下といろんな貴族たちが彼女に取り入ろうと擦り寄る。そんな日々の中で孤独を感じていたのだろう。彼女の付き人として調査兵団も時に彼女の護衛として傍に居たが、ウォール・マリア奪還作戦により兵士の数が激減したことでそれは難しくなり、彼女の付き人となる兵士は皆見知らぬ顔ばかりの憲兵団の兵士達となり彼女も心許せる同期達との交流が減りこの大きなお城で一人。
 その顔にはまだ幼さの残る身体の平たさの方が目立つ年頃の少女なのだとウミはその目に隠しきれない寂しさを見つけたのだった。

「ヒストリア……ごめんね。規則に背いて兵団を去った私にその役割は正直、出来ないよ」
「そうだよね。孤児院の運営や子供たちとの時間の兼ね合いも最近執務もあるからなかなか厳しくて、子供たちにもなかなか会いに行けなくて寂しい思いをさせているから、もし、ウミが私の付き人として居てくれたらすごくいいなって思ったんだけど、ごめんなさい、わがままばかり言って困らせて」
「いいの。こちらこそ、せっかくそう言ってくれたのに、ごめんね」
「生活は大丈夫そうなの?」
「あ、うん、一応兵士としての貯えとか、手続きもシガンシナ区に戻れるようになれば出来るだろうから。ほら、あの時は一銭も持たずに逃げるしかなかったし。大丈夫、もう危ない仕事はしないから」
「それは……約束だよ。そうじゃないと私がリヴァイ兵長に怒られちゃうから」
「ふふ、リヴァイはそう簡単に怒ったりしないよ、大丈夫。それにヒストリアに殴られた人類最強はもう人類最強でも何でもない、ただのおじさんだよ」
「そ、それは!」
「それに、かえって公務の場で同期がいたらヒストリアの毅然とした女王様の顔が崩れちゃうかもよ? 女王様としての顔つきになって来たのに。それに、兵団を離れてもヒストリアの付き人として一緒に居たら結局また兵団の人たちと顔を合わせる事になる。同じことの繰り返しになる。それに、あなたの孤児院には、私は足を踏み入れる資格はないの。どんな理由があれど、私はあの子を捨てたも同然なんだよ……」
「ウミ、アヴェリアに、会いたい?」
「それは――……」

 敢えて口にしなかった、名前。彼とここでみんなに結婚の報告をした。あの日々はもう二度と帰らない。彼と迎えに行こうと、交わした、そして描いていたその与えた名前を耳にした瞬間、一気に蘇る思いがあった。その瞬間を待ちわびて十月十日を過ごそうとしていたのに。
 彼と彼の間に確かに宿っていた命の名前を聞いた瞬間、リヴァイにはもう会う資格はないと思ってあきらめていたウミが堪え切れずに激しい痛みと共に突然始まったあの痛みを思い返していた。まるで上半身と下半身が引きちぎられるような耐えがたい想像を絶する痛み、引き裂かれそうな激痛の中で懸命に歯を食いしばった。しかし、そのまま流れるように自然の摂理に突然として消えてしまった命。
 空っぽになった胎の中で、悔やんでも悔やみきれずにリヴァイにはもう会えないと姿を消した5年前。
 彼の悲しみがどれほどか、ただ自分だけが苦しいのだと悩んで傷ついた。
 リヴァイにはもう二度と会うことは無い。だけど、自分の半身のような、お腹を痛めて産んだ我が子をどうして諦めることが出来るのだろうか。
 本当は作戦が終わって生き伸びたら、真っ先に確かめたかったその言葉を聞き、ウミは戸惑いに揺れた。ヒストリアから伝えられた事実、自分が幽閉されていた間にリヴァイは知ったのだろう。
 ウォール・マリア奪還作戦で死の特攻に赴く自分に最後リヴァイが酸欠になりそうな激しいキスの後に告げたあの時の言葉が鮮明に蘇る。

――「ウミ……俺達の、ガキが、生きてると言ったらどうする」

「ヒストリアの孤児院に集められた孤児だ……俺と同じ道を辿り、そして地上に行きついた。確実化はどうかは検査して見ないことには分からねぇが…ウミ……生きてたんだ。俺達のガキが……お前の母親は、俺達の目を欺きながらも、本当は、初めての孫、で、そのガキなんぞ殺したくはなかったらしい、俺達のガキ…男なら…」

「ガキには……親が必要だ、俺が、得られなかったものを…束の間与えられたものを俺達が一生を賭けて注ぎ続けよう……俺はまだお前に話していないことがある……だから、死ぬな……! ウミ!!」

 ウミとリヴァイは知らないが、アッカーマンの血が彼を生かしたのだ。きっと。彼にもアッカーマンの血に宿る生存本能がある。仮死状態から生き長らえ地下に捨てられた後、残飯あさりから地上へ来てヒストリアの孤児院で孤児として拾われて今も生きている。

「アヴェリアに、会いたい」

 在りもしない幻想を見ていた。もし、いつか宿る子供の名前、もし最初が男の子なら、ウミの答えを聞くまでも無かった。胎を傷つけ、痛めて産んだ最愛の人との間に授かった小さな命が生きていると知ってそれを拒む親などいない。
 子供を産み落とす痛みなど忘れてしまう。そうしなければ人はきっとこうして栄える事は出来なかったのだろう。生まれてすぐに我が子を抱くことも出来ず引き離されたあの苦しみに比べたら。

「おいで、アヴェリア」

 そして、ヒストリアの寝室に続く部屋の扉の開く音がした。優しい牛飼いの女神さまに招かれたのは。まだあどけなさの残る少年だった。間違いなく生きていればその月齢の背格好でこちらに向かって歩いてきた少年。その面差しは幼い頃の彼の顔がわかればきっと一目瞭然だろう。

「(あぁ……きっと、彼の幼い頃を知ることが出来るのなら、きっとこんな姿をしていたのかもしれない)」

 たまらず駆け寄り小さな身体を強く抱き締めていた。あの時抱くことも叶わないまま引き離された苦しみ。痛み、一生癒えることは無い傷が、満たされていく。
 他人との縁が切れ、関係が終わるものよりも。自分の腹で十月十日も育てられなかった命と引き離されるほど苦しい痛みはない。今こうして色んな縁を経て自分の元に戻ってきてくれた命をしっかりと抱き締めていた。

「なっ、いきなり」

 そう感じられた。跪いて抱き締める腕の中で突然見知らぬ女に抱き締められ動揺が隠せず照れ隠しのように俯きながらも、ウミの色彩を見つめるその姿は彼に、よく似ていた。
 目の色や顔つきは彼の幼い頃をそのまま生き映したようで、髪質や髪色は柔らかな色彩。顔だけ見れば今の疲れ切ったリヴァイの面影を拭えばに本当に酷似している。開かれたドアの向こう、少年は何処か気恥しいのか、それとも捨てられていたと思って憎んでいた両親が本当は自分を疎んで捨てたわけではないこと、しかもその両親はウォール・マリア奪還作戦を成功させこの壁に自由を取り戻した今時の人となっている調査兵団の優秀な兵士だという事を知る。

 今彼が心を開いたのは献身的に自分を見てくれた牛飼いの女神さまと崇められていたこの壁の王でもあるヒストリアから。その事実を知らされ、そしてこれまで疎まれ捨てられのだと、暗い暗い感情を抱いていた彼はようやく対面を決意し、自ら赴いたのだ。

 ヒストリアはもうあの時エレン奪還作戦で命懸けでトロスト区へ帰還し、一緒に戦った時の仲間ではない、彼女はもう死に一番近い兵士ではないのだ。彼女は戦いそして勝ち取ったのだ。この壁を統治する女王として覚醒し、ユミルや実父との悲しい別れを経て、今は青く輝く瞳はまるでブルーサファイヤのように涼し気に輝いている。綺麗で、とても凛とした強さを手に入れた彼女の姿を横目にウミは最愛の命を抱き締めていた。

「とても、あなたに会いたかった――」

 その声を聞き、満足したように離れる一つの影。その影は嬉しさや言葉にならない喜びに涙を流して打ち震えるその姿を見て安堵したようだった。ブーツを鳴らし、少年と同じ黒髪を持つ男はその場を離れていく。もう二度と戻らないその腕の中に最愛の少年を抱き、歓喜するその姿をもう一度見れたこと、それだけでもう十分であったからだ。



 式典が始まるまでまだ時間があるようで、待機していたウォール・マリア奪還作戦で生き残った104期生達は兵団のロングコートを纏い、周囲を窺っていた。
 見つめる目線を受け聞こえる内緒話は恐らくは自分達の事である。そんな彼らの元に、式典前に語らう他の兵団の兵士たちの間から見慣れた顔ぶれに歩み寄る一人の少女。憲兵団のヒッチ・ドリスは104期生の前に現れると、仰々しく彼らを迎えるのだった。

「やぁ、壁の英雄達よ」
「……ヒッチ。来てたのか」
「あんた達が勲章もらうの見に来たんだよ。一応、私も政変の立役者の一人なんだからね」
「そうか……」

 ヒッチの同期でもあり、気の知れた仲間だったマルロ。今はもう彼はここにはいない。彼はクーデーターの際に調査兵団の生き方に感化され、調査兵団がウォール・マリア奪還作戦の際に兵団の補強の為に三兵団へ一斉に募集をかけた際に迷うことなく調査兵団の扉を叩いた。
 しかし、その勇敢な生き様のままに彼は果敢にも無謀な特攻作戦により命を散らした。彼は調査兵団に入らなければきっと今も憲兵団で生きていたのだろう。気まずい雰囲気を漂わせるウォール・マリア奪還作戦の生き残りであるエレン、ミカサ、アルミン、ジャン、フロックたち。サシャはまだ完治とはいかず歩行までは可能になったが椅子に腰かけその様子を見つめていた。リヴァイも待機しているのか柱の陰でその様子を見つめている。重い沈黙を裂くように、ジャンはマルロの最期を知らないが、それでも彼は最後まで己の正義を貫くために安定の憲兵団から異例の転属を希望し、調査兵団として自由の翼を背に最後まで果敢に役割を果たしたのだと、ヒッチに伝えた。

「マルロは、最期まで勇敢だったよ」
「……うん」
「そうだろフロック。話してやれ」
「あぁ……マルロ・フロイデンベルクは俺と同じ急募入団の新兵で…その中でも俺達をよくまとめてくれた。奪還作戦当日……現場は絶望的で調査兵団は「獣の巨人」の投石攻撃で全滅寸前まで追い詰められた。みんな怖気づいて、どうにもならなかった時も。あいつだけは仲間を鼓舞し続けた」
「……へぇ」

 マルロの最期を目の当たりにしたフロックが淡々と。しかし、鮮明にマルロが最後まで勇敢な兵士であったのだと、果敢に飛んでくる投石をものともせずに走っていったとそう告げるも、友を無くしたヒッチの眼はうつろで。どこか遠くを見つめている様だった。

「あいつはすごい奴だったよ。最後までひるむことなく勇敢に挑んでいったんだから」
「知ってる……。だから私の言うことなんて聞かないんだろうね」
「でも、最後は……。あそこに行ったことを後悔しただろう」

 最後、投石攻撃を受け顔面から崩れていくマルロの壮絶な最後が生々しくフロックに映る、たまらずそう口にしたフロックにヒッチがハッとしたように、顔を青ざめさらに大きく眼を見開くとその場に硬直した。
 後悔していた。マルロでさえ、その言葉を聞きヒッチも自身がもっとあの時自分がマルロを引き留めていれば、そう後悔した感情が一気に蘇り顔面が蒼白していた。

「ありがとう……! 式でヘマしたら笑ってやるから」

 フロックの言葉を耳にして激しく動揺した彼女は目を伏せながらその場を逃げるようにさっさといなくなってしまった。どうして余計な事まで口にしたんだと思わず声を荒げてフロックへ問いかけるジャンに対しフロックも思うことがあるのか、これまで抱え込んでいた唯一の思いを吐露していた。

「オイ! 何でそんなことを」
「……でも、誰かが本当のことを言うべきだろ」

 エレンとミカサの間で、アルミンはそっと長い睫毛を揺らめかせながらフロックの目線が自分を見ていることに気付くとそっと歩み寄る。

「君が……エルヴィン団長を生き返らせようと必死だったことは知ってる」
「そうだ……。お前じゃなく団長が相応しいと思った。でもそれは俺だけじゃない。みんなだ。報告書を読んだ誰もがそう思った筈だ。何でエルヴィン団長じゃないんだって」

 自分達の輪から少し離れた場所で話し合いをしている憲兵たちを見やるアルミンの眼には自分を非難するような視線を感じられた。そんなアルミンを庇うかのようにエレンがフロックとアルミンの間に立つ。

「お前がアルミンの何を知ってるって言うんだ? 言ってみろよ」
「さぁ、知らないな。俺は幼なじみじゃないし、ウミみたいに誰にでも愛想笑顔でお人好しでもない。仲良しグループでも何でもないからな……でも、何でアルミンが選ばれたかはわかる。お前ら二人と、アルミンが危篤だと知った瞬間俺にエルヴィン団長を頼んだくせに突然アルミンの姿見て手のひらかえしたウミ。そしてリヴァイ兵長が私情に流され注射器を私物化し、合理性に欠ける判断を下したからだ……! 要は大事なものを捨てる事ができなかったからだろ? 結局はお前にとって大切なものを失いたくなかったからだろ?」

 フロックのもっともらしいその言葉を真に受けて、青ざめるアルミンは今にもその場にへたり込んでしまいそうだ、誰も口にしようとしなかったこと、もう過ぎ去った過去の話を蒸し返すことは無駄な時間であるのにフロックは一度解き放った思いをもう止める事はしなかった。
 あの時エルヴィン団長をよみがえらせようとしていたリヴァイがアルミンを選んだのはエルヴィンを再びこの地獄へよみがえらせると発言したフロックの言葉であるのに。
 あの選択を悔やんで今更どうにかできるはずも無いし、実際に団長であるエルヴィンはもう生き返ることは無いのだ。そのフロックの言葉を黙って聞いていたリヴァイの耳にも届いている筈だ。
 ごもっともなフロックからの責める様な数々の言葉を浴びせられ、沈黙は肯定だと黙ることしか出来ないアルミンにエレンがそれ以上は余計な事を言うなと、グリシャの記憶を垣間見てからは血気盛んな姿は成りを潜めていたが、今はもう違う。ここで容赦なくエレンはフロックを殴るんじゃないかと同期達もひやひやしつつも固唾を呑んで見守ることしか出来ない。当時もただ見ていることしか出来なかった自分達が今ここで間に入って止める事は出来ない。

「なぁ……もうお前そろそろ黙れよ」
「……エレン……お前って腹の底じゃ何だって自分が一番正しいって思ってんだろ? だから最後まで諦めなかった。聞き分けのねぇガキみてぇに……ここに居るべきはずのウミが何でいないのかも考えてすらいないだろ。そんなガキの尻拭いの為に兵団を去ったウミの事も」
「……な」

 フロックとの話を止めようとエレンの肩に手をやるミカサにも衝撃が走り抜けた。今フロックは何と言ったのか。口止めされていたが、何も事情を知らずにいる子供たちが駄々をこねた事であの不毛なやり取りを繰り返した。その責任の一切を背負ったのが、ウミだったと言うのだ。
 フロックの口から出てきたウミの名前に声を上げたのはミカサだった。いくら探しても問いかけても見つからなかったウミの安否、まさかもうとっくに兵団を去っていたなんて知らなかった。いや、知らなかったでは済まされない。

「どういう、こと?」
「どうして途中で懲罰が終わったか。考えたか? やっぱり知らないみたいだな。責任を感じるからって黙っていてくれと、俺たち以外に言うなと、ウミが自分で頼んだんだよ。しかも、ザックレー総統へ直々に、「今回の件は私が責任をもって兵団を辞める事で責任を取ります」どうせもうウミは余命もわずかで、兵士としてはおろか、もう普通に年を取ることも出来ない。余命幾ばくもない自分の首を差し出した事で除隊処分を受けてエレンとミカサの罰を軽くしてくれって言って調査兵団を去った。リヴァイ兵長との婚約も破談。当然だろ、婚約者でもあり上官に歯向かう恐ろしい顔をした女じゃ……もう二人は別れた。兵団内でも二人の仲は結構噂になってたからな」

 フロックはウミにも裏切られたと思っているのだろう。しかし、自分の今回の行いにより悔やみ今にも手が出そうな程の怒りにいきり立つエレンを止めようとしたミカサもウミが去っていったと、フロックが口にした事実を呆然としたまま受け止める。もうここに居ない、消えたウミの行く先、衝撃に動くことが出来ない。最後まで彼女は、本当にどこまでも自分達の為に。

「泣きわめくガキのエレンとは違って、その点ミカサはまだ大人だった。最終的には諦めたんだから」

 フロックの言葉を聞きエレンの肩からそっと、長い睫毛を伏せ、15歳の少女にしてはあまりにも大人びた表情は愁いを帯びていた。滑り落ちるように手を離すミカサにジャンが間に割り込んでこの緊迫した式典前に争うべき内容ではない内容によりすっかり淀んだこの空気をどうにか宥めようとした。これから自分達を中心に式典が行われると言うのに、周りも自分達のやり取りに何事だと白い目を向けている。

「オイ! 急に何だってんだよ! フロック…! お前もな、これから死んだ仲間を弔おうって式の場なんだぜ?」
「そうだ、何でもう終わった話を蒸し返すんだよ!?」

 ジャン、コニー、次々と向けられる敵意、非難轟轟の嵐の中でフロックは取り乱すわけでもなく、ただ淡々と私情ではなく、一般的な人間の意見として、彼らの今回起こした行動に対する真実を告げていた。

「お前らは……上官に歯向かうわけでもなく、エレンとミカサを止めるわけでもなく、ただ見てただけだったよな」

 何時の間にか、昔であればジャンが口にしていたであろうマトモな一般的な意見を今はフロックが代弁しているように感じられた。その言葉はいつも真実味を得ている。自分が雑魚だと認識している彼は一般的ではない彼らの考えに対して異を唱えその行動を非難した。だからこそ、彼の言葉に誰も言い返したり論破する者はいない。沈黙に言葉が詰まるジャン、コニー、サシャ。誰も彼に意見することも反論できるはずもないまま黙り込んだ同期達にフロックはなおも続けた。

「何の勲章だ? 誰を弔う? これから補充する調査兵団には本当の事を言えよ!? 俺みてぇな腰抜けが間違って入ってこねぇようにな!!! エルヴィン団長無しでこれからどうするつもりなんだよ!? そりゃ俺みてぇな雑魚……使い捨てるくらいしか使い道もねぇだろうが……そんな雑魚にだってなぁ……値踏みする権利くらいはあるだろ!?」

 今回の作戦で多くの死者を出し、そしてベテラン兵士だったウミの除団処分。調査兵団にはこれからまた多くの人材が必要になる。今回浮上した調査兵団補充への決断というまた新たな風が吹く中で、長い沈黙の後、力なく弱々しい声音で自らずっと抱いていた団長ではなく自分が生き残ってしまった罪悪感に苦しみ言葉を口にしたのはアルミンだった。
 そう、この先苦しみ続けるのはアルミンなのだ。エレンがアルミンに注射薬を使う様に兵長へ懇願したが、選択をして生き残ったアルミンが、これからその十字架を背負うのだ。

「フロックが正しい。エルヴィン団長が生き延びるべきだった。この状況を変えることができるのは……僕じゃない」
「何でそんなことがわかるんだよ? オレにはわからないな。正しい選択なんて、未来は誰にもわからないハズだ。だいたい……お前は見たのかよ? 壁の外を、壁の外には何があるんだ?」
「…海」
「そうだ、海がある。でもまだ見てないだろ? オレ達は、まだ何も知らないんだよ! 炎の水も、氷の台地も、砂の雪原も。可能性は、いくらでも広がっている! きっと壁の外には、自由が――……」

 と、エレンが励ますようにアルミンへ呼びかけたその瞬間。彼の脳裏に突如として電のような激しい光と共に映像が瞬時に駆け巡ったのだ。エレンの脳裏、そこにはグリシャの記憶の中のフェイ。彼女がエルディア人への迫害の犠牲となった末に無残に犬に食い殺され水面で死んでいる悲痛な亡骸が残像で現れ、言葉に詰まるエレン。

「オイ ガキ共。時間だ。並べ」

 その沈黙を裂くように、彼も自分自身で今後エルヴィンではなく注射薬を用いてアルミンを生き返らせたツケを彼も支払うつもりでウミとの別れを選んだのだ。そして誠心誠意調査兵団に心臓を最期まで捧げることを。そしてこの身体がこの先どんな過酷に晒されたとしても。最期まで、手足がもげようが首と胴が離れるその時、それは自らの刃が獣の項を切り裂くのだ。
 この肉体が尽きるその時まで。静かに彼らのやり取りを聞いていたリヴァイが姿を見せた。

 フロックもリヴァイの前で直接本人には言えないのだろう。彼の登場によりその場でのいざこざは打ち切りになる。リヴァイも式典の間で両者を地に伏せるあの蹴りを見舞う筈もなく、親指を祭壇へ向け、三ケ月で勲章を授かる事になった新兵達へ移動を促すのだった。



 いよいよ九人への勲章授与式が始まる。ヒストリアが姿を見せ、赤いマントに王冠を被り上質なドレスを着た彼女が姿を見せるとその姿に誰もが思わず時を忘れる。この壁の最高権威・女王となったヒストリアに跪くはウォール・マリア奪還作戦により生き残りウォール・マリアを取り戻しこの壁の世界に再び自由を齎した兵士たち。
 多くの犠牲の果てに凱旋したエレン・アルミン・ミカサ・ジャン・サシャ・コニー・フロック・ハンジ・リヴァイ達が壇上へ並び跪いて首を垂れる。そこへヒストリアがエメラルドグリーンの宝石が埋め込まれた先ほどウミの首へ授けたループタイを授与していく。
 そして、ヒストリアから受けとった者は女王へと手の甲に接吻を贈った。その様子を横目にエレンの脳裏では答えにならない自問自答が繰り広げられていた。

「(地下室にあったものは何だ? 希望……だったのか? それとも絶望か? 何かを変えることができるなら、自分の命ぐらい。いくらでも捧げてやるのに。俺にはヒストリアを犠牲にする、覚悟が無い……どうすればいい。こんなこと……誰にも……」

 ハンジ、そしてリヴァイへ、ヒストリアが勲章を授ける中エレンの眼前に勲章を掲げたヒストリアの姿が見える。その無垢な青の目に広がる世界の中、エレンがヒストリアの手を握ったその瞬間、その2人の手の間に再びエレンの脳内で痺れた様な電撃が迸る中でグリシャの記憶はウォール・マリアが没落したあの悪夢の日に起きた凄絶なレイス家領地の地下にあった礼拝堂での一件だった。自分の父親が巨人の力で王家の人間を皆殺しにし、そしてその力である「始祖の巨人」を奪った忌まわしき記憶が。

――「私は壁の外から来たエルディア人。あなた方と同じユミルの民です。壁の王よ!! 今すぐ壁に攻めて来た巨人を殺して下さい!! 妻や……子供達が!! 壁の民が……皆食われてしまう前に!!」
「エレン?」

 何時までも手の甲に唇を落とさないエレンに対し心配そうに小声で問いかけるヒストリア。彼女の小さなその手に触れた事で、エレンの中のレイス家の記憶とグリシャの記憶がリンクしたのか、二人の血がそうさせたのか、「始祖の巨人」「進撃の巨人」二つを継承したエレンが思いを辿るようにその真実を知る。
 驚くエレンはヒストリアに触れたことがきっかけとなり今までどうしても思い出せなかった全ての失われた記憶がまるで次々とパズルのピースのようにつなぎ合わされ一枚の絵を描き上げていく。
 そして、最後にウミが意識を閉ざす前に口にした「ごめんね、エレン」

 その意味を知る、そのもっと、遥か先の未来で。消えたウミの残像だけがやけに耳に残る様だった。その残像の中でエレンは確かに見た。知らない長髪の男に背後から抱き締められたウミが涙を流している姿を。彼女はまるで最初から当事者で、そして。すべてを見越していたかのように見えた。



 在りもしない夢を脳裏に描いても、この日々は永遠には戻らないのだろう。長い長い冬の前に、やるべきことはたくさんある、凍えそうな空の下でウミは咳き込みながら日に日に衰えていく体力にもう自分は長くはないのだと悟る。
 王政の医者に診てもらった時とは今は違う、トロスト区の町医者で彼女の身体に出来ることなどはほとんどない。
 育てていた花を摘んで花瓶に生けたり、買い物に出かけたり、トロスト区に再び「超大型巨人」が襲来したあの日から舞い降りた縁は再び彼女に自由の翼を背負わせた。色んな経緯を経て再び調査兵団の一員として最愛の彼と背中を預けそして一緒に育ち成長を見届けてきたエレン、ミカサ、アルミン、そして104期と共に戦い続けていたこの三ケ月の日々は今はもう懐かしい記憶の彼方だ。
 兵団に所属していた時は常に気を張っていた状態だったからなのか、極限状態の中を生きていて自分の体の不調など顧みる暇も無い程色んなことが目まぐるしく起きたからそれが原因かどうかは分からな、兵士を辞めてからは一気に体力が落ちたように見えた。そして食事もリーブス商会でフレーゲルがやたらと心配してリヴァイと婚約破棄となった自分がこのまま一人勝手に孤独死を選ぶのではないかとやたらと気を利かせて食糧を届けてくれるのでお言葉に甘えている。
 体重を測定する機械も持ち合わせていないから実際に分からないが、姿見に映る自分は目に見える程痩せており、瞳がくぼんでいるように感じた。
 リーブス商会の今はケニーに殺された亡きディモ・リーブスは自分とリヴァイが結婚するのを楽しみにしていてくれた。色んな人が自分と彼がウォール・マリア奪還作戦成功すれば、きっといい報告が効けると楽しみにしていたのに、自分は結局皆の期待を裏切ってしまった。
 誰にも心を許さなかった、あのリヴァイが最愛の女性と破局したとのうわさが広まれば彼を密かに慕う貴族や兵団の女性たちがきっと彼を放っておかないだろう。彼も男盛りだ。自分との未来を果たすことは無く「獣の巨人」を仕留め損ねた悔しさ、自らの手で彼の地獄を終わらせたリヴァイのただ一つだけのエルヴィンとの誓いを果たすべく、自分との未来ではなく兵団として最後の一人になるまで、四肢がもげようともその刃はジークに向けられ続けている。
 その為に、兵士長としてこれからも兵団の最前線に立ち、危険を覚悟で生きる彼に家庭を築くという未来の選択肢は無い、そして余命いくばくもない自分にも、どちらにせよ二人の歩む道はもう違う。
 ひたすら鍛錬に明け暮れる彼が自分とどんな思いで別れを洗濯したのか知りもせず彼が他の女性になびくなんて、心のどこかでまだ彼は自分と離れ誓いの為に孤独の道を歩んだことに対して安堵していた。
 だが、彼もアッカーマンの血が流れており、今はもうこの世界にたった三人、自分がこの先遅かれ早かれ死ねばミカサとリヴァイだけになるのだ。アッカーマンの血を絶やすわけにはいかない。彼も義務でも恐らくいつかは子を成すときが来るのだろう。
 彼がその手に子供を抱く瞬間、きっと不器用で表情も乏しい彼でも生まれた命を手に擦ればきっとその喜びを知る。
 自分では出来なかったことを、愛するだけでは、あの日から月のものも来ない女として不十分で、欠落品の自分では到底不可能だった「彼の子を成す事」他の女性たちならばきっと難なく叶えられる筈だ。
 彼が本当に赤子を抱き上げ微笑む穏やかな笑みが取り巻くその空間には自分は居られないけれど、人は死ぬとどうなるのだろう。
 きっとその先で自分を待つ仲間達の姿の中に自分も加わるのだろう。エルヴィンはまさか自分の次にウミが来ることを驚くだろうか、クライスやペトラ、彼女たちも驚きながらも、でも、きっと温かく迎えてくれるだろう。
 若くて才能があり、未来が溢れるペトラに内心嫉妬していた自分が懐かしい、彼女は本当に知れば知るほど好きになった存在だった。あの優しい色素の目を見つめるととても心癒され、リヴァイがどれだけ彼女に自分が不在の間面倒を見てもらい、そして献身的にリヴァイを支えながら最後までその思いを封じていたペトラの気持ちが今ならわかる気がした。
 もし今もペトラが生きていたら、きっと、彼女にならリヴァイを託してもいいと心の底から思える。あの子なら。他の女性ではなく、自分が知る人に愛する人を託しその幸せを空から見守るのだ。
 イザベルやファーランもきっとその先で待ってくれている。彼の大事な人はいつも奪われてきた、自分はもうその中の一人ではないから自分がこのまま死に絶えてもきっと彼には届かない場所で自分はこのまま息絶えるのだ。
 自分がもうじき死ぬ。その光景を脳裏に描いて、ウミは自分達が亡くしたと思い、遺体はなくとも弔いの為に作った墓の存在を思い返した。そういえばアヴェリアが生きていたことであの墓の意味はもう無い。あのまま墓の主が生きている墓を放置するなどアヴェリアが知れば傷つくに違いない、彼に知られる前にあの墓を何とかしなければ。
 抱きたくても抱けなかった我が子の為に、自分の最期が近いと知るからこそ、片付けられるものは自分で片付けておかないと。
 慌ててふらついた足取りで集団墓地へ向かおうといつも通り少し立て付けの悪い集合住宅の木製の扉を開けようとしたその時だった。



「やぁ、待っていたよ、ウミちゃん」
「……獣の巨人……」

 扉の先は、見知らぬ世界が広がって居た。昼でも夜でもない明らかにこの世界ではない道。立ち上る光の柱がどこまでも続いている。そして目の前にいる突然の来訪者に開いた口が塞がらない。
 聞きなれた落ち着いたその声は紛れもなく。あの時、触れた手の感触たった一度だけ触れたが、それが全ての道を繋いだのだ。ずっと彼は未知の向こうで自分に語り掛けていた。彼の身体に流れるその血がウミに通じる道を繋いだのだ。

「生きていたね、やっぱり」
「そう呼ばないでよ、よそよそしいなぁ全く。言ったじゃないか、俺は必ずこの島の悪魔から君を救って見せるって」
「そんなの、覚えてない、救いを頼んでもない。このまま逃げ帰ろうなんてそうはいかないわよ」

 獣の巨人の本体であり、そして、エレンの記憶の中で耳にした事が事実ならば、彼は色素は違うが、エレンと腹違いの兄弟で、異母兄にあたることになる。この先極限状態の中でも満身創痍の道を行く事となる、リヴァイの最大の因縁の相手である。
 いつの間にか歪む景色に驚く間もなく飲み込まれていく身体はこの状況を夢だと認識することですんなり受け入れた。夢ならば覚める。これは悪い夢の続きだと、自らに言い聞かせる事で。

「でも君はやっぱり来てくれた。ずっと君がこうして会いに来るのを俺は待っていたよ」
「そんなの、私は望んでいない」
「そうだね。でも俺が、君を信頼しているように、君は心のどこかで俺と話をしたいと、そう思っていてくれていたんだね。そうだ、君は正しい選択をしたと思うよ。あんな野蛮な男、ジオラルド家のご令嬢のにはどう考えても釣り合わないさ。これから君の選ぶ道にあの男では、君のことなど到底、分かる筈もない」

 あの男とは誰かなんて聞かなくても分かる。今はその名前さえも、まだ、口にはしないように自ら必死に抑え込んでいる。どうしようもなく目頭が熱く、抑えようにもどうすることも出来なくて。

「時間がないから早々に話を済ませよう。俺と会話したことは内緒だよ、と。言いたい所だけど、きっと君はこれを悪い夢だと思っているならそれは否定しておかなきゃね。俺の目的のためには、どうしてもジオラルド家の君が必要なんだ。悪いようにはしない、ほら、鼻血が出てるよ。最近普段にも増して体調が辛そうだ。恐らく君の命はもう後ほんの数日足らずかもしれないね」

 何もかも見透かしたようなジークの眼差し。それはよく見れば少しだけグリシャやエレンに似ているかもしれないと、そう思った。
 血縁者なのだから当たり前だ。しかし、エレンは父親と言うよりもカルラに似ていることからジークもグリシャ寄りではなく最初の妻にカルラを捕食したあの醜い巨人の元であるダイナに酷似しているのだろうか。

「残念だけど、君の国では君の抱えた病は手に負えない、かもしれないけれど、君なら、治してあげられるよ。その代わり、君はこの国を捨てて、永久にマーレの要人として生きていく事になる。だけど、それは決して君にとって悪い事じゃない筈だ」

 その言葉にウミは心を突き動かされながらも「もっと、生きたい」その感情を今まで持たずに生きて来た、しかし、それでも死の淵に立ち日々消えていく自分の中から込めた生きる力というものが病に奪われていく中で願う思い、それは今も変わらずにそこにあるのだ。

「ど、うして……あなたは私のことが分かるの? 私はあなたをよく知らない、あなたが私たちの仲間を皆殺しにした事しか、そしてこの島を攻め滅ぼす為に進軍を開始していることも、私達の島はあなた達の国と、戦争をこれから始めるんでしょう?」
「そうだね。残念だけど、でも、俺は君たちを攻め滅ぼすつもりはないんだよ。今は話せないけど、でも本当だよ。約束する。そして、その君の病気が治れば君はもっとこの先生きていけるんだよ。あの日、君の手が触れた時から、俺と君は同じ意識の中で、繋がった。この島もこの島の悪魔たちも守られる。悪くない話だ、君の大切なリヴァイも、救われる」
「もう、誰も傷つかずに、殺し合わずに済むの?」
「君がマーレに亡命する決意があるなら。君も、俺も同じくあの父親たちの被害者だ、そして、エレンもそうだ」

 しかし、ウミには、分からなかった。死に際に自分の幸せを口にし、母親と自分を無戸籍にしてまでその姓を隠し通し、幸せに生きて欲しいと願っていた、普通の女の子として生きていた父親が、どうしても自分を不幸にしたくて母親との間に自分を望んだのか、分からなかった。自分がそうだ、母となりし、今だからこそわかる。子を想わない親は、この世界に、居ない。

「あなたは、エレンを……あの子を、どうするつもりなの」
「同じ父親にひどい目に遭わされた弟を俺が悪用するとでも思うかい? これを、君にあげるよ。俺はこの場では肉体はあっても触れられない、君の家族、ジオラルド家の遺した遺産だよ」

 ジークが差し出した箱には見覚えがあった。それは父親が幼い頃自分に話していた物語の箱。

――「いいか。ウミ。よく聞くんだぞ。この壁の外に、宝物がある」

 それは、巨人大戦で九つの巨人の力をエルディア帝国から奪い大国マーレへと築き上げた初代ジオラルド家の遺した財産。

「(リヴァイ……)」

 あの人はどんな思いで、暮れなずむ夕日の中を、今にも死に絶えそうな虫の息のケニーから託され、そしてあの瞬間まで肌身離さずに持ち歩いていたのだろう。箱を開けば聞くまでもないものが並んでいた。それは人類で大地の悪魔と契約し、巨人化した始祖ユミルの遺伝子を今世に渡るまで保管し、守り続け、そしてここまで守り抜いてきたエルディアの未来を憂いマーレからたくさんの助けを借りてこの壁まで辿り着いた、自分の父親が守ろうとしたもの。

「君にしか出来ないことをするんだ、さぁ、その注射薬を今すぐ壊して。君には必要のないものだから、要らないんだよ」

 選ばれし者、始祖ユミルの願いはただひとつだけ。伝承はそう書かれている。ユミルの願いを、意志を引き継いだ者が始祖ユミルとなり、この現代に復活するのだ。これがあれば、ウミはもう残り僅かの寿命の中で、自分へ問いかけた。

「私、は、ごめんなさい、私は、選べない、この島を捨てて一人安全な道を選ぶことも、あなた達の国の、そしてお父さんが必死に私を遠ざけようとした、ジオラルド家の奴隷に、なるつもりもない! だって、私のお父さんはそんなこと、望まない!! 私は、この島で生まれたの、そしてこの島で、あの人に、リヴァイに、出会ったの……もう自分の先行きが短いこと、分かってしまったら尚更、私は、もうここから離れない、もう二度とあの人に触れることが出来ない身体になり果てても、あの人がこの島でいつか、戦いの無い世界で私ではない、もっといい人と結ばれて過ごせればそれで、いい。私は、この島を、エルディアの人たちを、守りたい! それがお父さんの願いだった。お父さんは、エルディアの人たちの幸せを最後まで、願っていた。この巨人化薬を使わず私に残してお父さんはあの日自分が救おうとしたエルディアの人たちの慣れの果て(巨人)に食われたのか、今ならわかるから……」
「まずい! 違う、それは君に使ったらいけない!!」
「わかるよ、私も、醜い巨人になるんでしょう? でもあなた一人くらいなら、食べてあげるから!!」

 ウミは涙ながらに望んで、自らの意志で、その注射器を打ち込んだ。ジオラルド家に代々女児が生まれなかった、その意味も本当に女児は生まれなかったのか?途絶えた血では誰も今は答えはしない。それでも諦められなかった。どんな姿でも、どんな化け物に、成り果てても。

「なんてことを!! それは!」

「(リヴァイと……本当は、貴方と最後まで一緒に……いたかったの……)」

 あなたに出会うために私は産まれたのだと。死に際に思い出すだろう、それでも今脳裏に浮かぶのはジオラルド家の歴史とか、始祖ユミルとか、得体の知れない自分には縁遠いものではない、浮かぶのは、愛し愛された記憶だけだった。そしてその愛は永遠に受け継がれていく。愛の系譜。紛れもなく、それは魂が叫ぶ。
 幸せになってほしい、平凡な女の子としての幸せを。そう願う父親との約束を捨てても、それでも。

「私が……あの人の生きる世界を……脅かす不自由ならこの身体を捧げても……構わない」

 泣き叫ぶ声と共に、ウミの頭上に落ちた落雷が全身を包み込む自らの意志ではなく突如として自分の全身を筋組織が包み込み、巨大な頭蓋骨が成形される。異空間のそびえたつ光の柱を遠巻きに見つめる。ジークの叫びが聞こえたが、もうすべて遅い。

「どうして……!! 君は調査兵団なんだろう? あんなに巨人を憎んでいたんじゃないのか!? 君の人生は君の両親の都合で滅茶苦茶にされてしまった、もう君はマーレで何も苦しまずに最後まで穏やかに過ごせる未来があるのに、どうして君はまた苦し忌み道を自ら選びに行くんだ」

 に包まれながらウミは自らの肉体に忌まわしき禁断のジオラルド家が科学技術を総結集させてこの世に残しそして父親が秘匿とした始祖ユミル・フリッツの遺伝子を元に復元させた巨人化薬を悪魔に囁かれ禁断の実を口にした。

「残念だ、ウミ。ジオラルド家の生き残りであるあの人の娘で、そして君なら、もっと賢い子選択の出来る子だと思っていたんだけどな」

「(ごめんなさい、私、は……この世界を壊して憎しみの連鎖を増やしたい訳じゃない。ただ、あの人が暮らせる楽園を守りたい、必死に人類が守り抜いてきたこの小さな世界を誰に侵される事もなく最後まで永遠に、どうか。)」

今も聞こえる、あの子が泣いている声が聞こえた。優しいあの子の気持ちが今は分かる。ひとりぼっちの女の子はずっとこの世界で待っている、たった一人の存在を……遥か遥か二千年前から。たったひとり。今もずっと。

「(わかる、ねぇ、聞いて。この声を。どうか聞こえるなら。この世界はあなたが思うより恐ろしくなんてない、こんなに小さなあなたを決して壊そうとしたりはしない。私があなたを受け入れる。そして、どうか、あなたにも私のたった一つの願いを、どうか最後に教えるから聞いて。あなたと私は。同じ遺伝子で造られた存在だって)」

 ウミ・ジオラルド
ジオラルド家の遺した始祖・ユミルの巨人の元となった「原始の巨人」の脊髄液を自らに投与。
 残り寿命あと13年。

To be continue…

2020.12.03
2021.03.17加筆修正
prevnext
[back to top]