THE LAST BALLAD | ナノ

#86 Who Saves Maria

 光さえも届かぬ深い闇の中で、確かに自分は存在していた。
生きているのかもわからない、明日さえも見えない。
これが末路だ、自分が望んだ結末。
自ら幸せを願い伸ばした手は虚空に掻き消えてしまった。
 これでいい、自分にはこの冷たい牢獄がお似合いだ。少し肌寒くて、そして拘束された両手の鎖が揺れる。

「リヴァイ……」

カツンーー……
聞こえた足音に顔を上げればそこに居たのは最愛の人、唯一ここに心残りがあるとすれば、目の前の今も断ち切れぬ彼の存在だった。
 リヴァイは自分がこんな状態だと言うのに、中央憲兵と同じ人間であり、そして許されざる罪人だと言うのにそれでも彼はこんな自分を愛し、そしてどうにかして自分をこの冷たい地下から救い出そうとしてくれる。
 鉄格子越し、そんな状態の中でもお互いの手は離れないとしっかり固く結ばれている。もう二度と離れる事が無いように。祈りを込めて。涙で溢れ泣き腫らしたウミの涙を拭い、慈しむように優しく彼はその傷を癒し愛してくれる。しかし、彼とは頑丈な鉄格子で遮られ当たり前だったいつものように抱き合うことは出来ない。
 冷たい鉄のカーテンに遮られながらも懸命に手を伸ばして触れようとする彼の手が痛い位に温かくて…堪え切れずに涙が込み上げた。
 潤んだ瞳から流れる涙を拭うその手、お互いに当たり前に感じられた熱。もう今は抱き合うだけでは満たされない思いに支配されていた。
 触れ合えるのはこの互いの手、そして、愛してる、その言葉だけ。触れ合う唇から漏れる声に熱だけが虚しく二人の空間を満たしていた。

「……ウミ」
「どうしたの? リヴァイ」

 今まではウォール・マリア奪還作戦の為に偽りの王から真の王へ。玉座を取り戻す為、同じ人間同士で調査兵団の命運と自分達の命を賭けて争っていたのがまるで昔の出来事のように感じられていた。陽の光さえも届かないこんな閉鎖された世界じゃ、時の流れさえも感じることは出来ない。もう遠い昔の記憶、リヴァイに出会ったあの地下街。誘拐され、人身売買を受けて、屈強な男たちに囲まれ、逃げ出す事も出来ないままに過ごしていたあの時の忌まわしい記憶と記憶に酷く酷似していた。完全にあの時の自分の記憶に戻っている状態。非力でなすすべもなく暴力と屈辱に晒されて。
 かつては互いにあの場所に居た、そして戦いの渦中の中に居たと言うのに。その喧騒が今はかつて過ぎ去った遠い昔の記憶に感じられて。切り取られた世界はまるで別の空間のように感じられる。ずっと牢屋の中に幽閉され、今のウミはこの牢屋から脱獄して逃げ出そうなんて思っていないし、戦いから離れたこの世界では武器もなく、自由に宙を飛び回る翼もない。何もかも投げ出して彼と幸せになる。そんな力さえもう残ってはいなかった。

「俺と一緒にここから出るぞ」
「え……?」

 ぼそりと低い声で鉄格子越しに手と手、指先と指先で絡ませていた手を鉄格子から引っ張り出して突然急に、何を言い出すのか。そんな出来もしないことを非現実なことを彼の口から聞くとは思わずウミは呆然としていた。
 出来もしないことを簡単に口にするなんて。どうかしている、ここ最近の彼は確かに自分じゃない他の誰が見ても分かるほどにやつれ、追い詰められているようだった。
 彼は知っている筈だ、自分の犯した罪を、この手に駆けられた錠の意味を理解している筈。
 それでもこんな自分の犯した罪語と彼は受け入れて愛し続ける彼に対してこれ以上もう会うのは止そうと、自分はもう戻れないし、作戦に参加する資格もない。
 彼に言わずにこのまま遥か最果ての地の収容区への移送を受け入れ、自ら赴く覚悟をしていたのに。
 もともと細い腕や肩、そして痩せたウミの身体。このくらい世界で幾度もその罪の意識に潰されて泣いた、生々しいその涙の跡が残る泣き腫らした目、震える瞼を見て、猛禽類のように鋭い彼の双眸が自分を見ていた。
 彼の眼は偽りは無く、自分を見つめている。そして彼はいつも真面目で、自分に対して嘘なんかついた事は一度もないのだから…。

「お前は永遠に俺の傍に居ろと約束したはずだ、ここを出て一緒に暮らそう…お前は俺の妻でそしてお前が居ないと俺はもう無理だ……もう俺にはお前しかいない、お前無しの人生を生き抜ける程、俺はそんなに強くはねぇ」
「リヴァイ、何を言っているの? あなたがそんなことを言うなんて…ねぇ、ちゃんと眠れているの? 食事は? 出来もしないことを…私はお金の為に中央憲兵達に加担して…同じことをしていたの。私の罪はサネスが証明しているの……だから、私がこの牢屋から抜け出すことなんて、無理だよ、出来るはず、無いじゃない」

 間違いなく彼は言った。この地下牢から抜け出して一緒に暮らそうと。アッカーマン家の復興を果たそうと彼がここで暮らそうと与えてくれた約束の楽園。だけどその楽園に私は相応しい存在なんかじゃない。

「お前はシガンシナ区を見たくないのか?」

 彼の確信めいた言葉が胸を打つ、それはこの五年間、焦がれて止まない私の故郷、そして母の眠る墓標。やけに静かな静寂の中、ここを知る者は兵団でも幹部の人間しか知らない、私という咎人には似合いの場所。そんなこの場所から抜け出そうなんて、考えもしない。それなのに彼は、当たり前のように、会話が弾まない人間同士のありきたりな決まり文句のような。まるで、今日の天気の話でもするかのように。

「お前の母親も待ってるじゃねぇか……。お前以外に誰が母親を弔える?」
「そ、れは」

 まるでそれは許されざる駆け落ちのようだ。何もかも、犯した罪さえも捨てて一緒になる。考える事を放棄していた思考が一気に動き出す。そうしてリヴァイが自ら口にした思いがけぬ事実に硬直するウミの唇をまた奪った。今度はもう呼吸さえも許さない、力強い激しい熱、漏れる息さえも塞ぐようなそのキスに浮かされ、歯列をなぞられ、苦し気に求めた呼吸で開いた口に彼の舌がねじ込まれた。

「っ……ン……んんっ……!」

 もう二度と離さない。リヴァイの執念にも似た自分への思いが痛い位に伝わる。彼を孤独にしないと約束しながらその約束が意味のない者へと形を変える。どうして彼と出会ってしまったのだろう。生き急ぐ自分が彼を幸せになど、出来やしないのに。
 骨が軋む勢いで腕を掴まれ鉄格子越しに強く、互いの指先を絡め、後頭部を掴まれ食べられそうな貪る様な口づけ。混乱するぐちゃぐちゃの頭の中で、上気した熱に涙が溢れるのは彼をそれでも愛して手放せないから。

「そんなことしたら…リヴァイまで捕まっちゃう……! そんなこと、無理だよ、出来っこない、私はリヴァイを犯罪者にしたくない…私たち、殺される。こんな状況で調査兵団からあなたが欠けてしまったらウォール・マリア奪還作戦の意味が無い…」
「ウミ……お前と俺は出会うために生まれた……こうして触れ合って、繋がる為に」

 その言葉にハッとし、ウミは口を噤む。リヴァイの眼差しはずっと自分だけに注がれていた、彼のその眼差しの力強さにいつも救われてきた。彼のために行きたいと、願ってしまった、自分は兵士として作戦に従事するそれだけの価値だったのに、今はもう自分は一人ではない、彼を残して去ることなど、どうして考えてしまったのだろう。
 もう二度と、離れない、隠し持っていた彼がくれた新しい愛の証を握り締めウミは絶望した。

「俺とお前が離れている間……俺は死んでるのと同じだ。身体は確かに生きていても心は死んだのと同じだ。お前の存在が巨人を斬り裂く俺の刃になる。これからも一緒だ、俺とお前は……死ぬ時も、同じだ。俺とお前は触れ合わなきゃ生きていけねぇ」

 やめて欲しい、そんな言葉、今まで聞いた事のない彼からの愛の殺し文句。視界が潤んで前が見えない。罪を犯した自分がそんなことを言う資格などない、直接手を出さずとも奪われた命がある。
 いや、もうここに至るまで多くの人を殺した。巨人の正体は人間、ならば自分もその正体が人間であると知りながらもこれまで生きてきた中でたくさん人を殺したも当然だ。許される筈が無いのに。言ってはいけない台詞を、言ってしまいそうになるから。どうかこの口を塞いで欲しいのに。許されてしまいたくなる、あなたの悲しみ、苦しみ、抱えた全てに縋ってしまいそうになる。

「私を攫ってリヴァイ……あの時と同じみたいに、私、ね、シガンシナ区に行きたいの!!」

 絶対に口にしてはいけないその言葉を囁いた時、彼の背後を見た、そして目の前の彼は自分ではない多くの人の返り血を浴び、頭からつま先まで染まっている。あまりにも夥しいその血の量にゾッとし、思わず後ずさりすれば、リヴァイは静かに吐き捨て、今にも自分から離れようとする、遠い距離にいるウミを引き戻した。

「お前は俺に繋がれた。この指輪がある限りお前は永遠に俺の傍を離れるな」

 そして……ウミは躊躇いながらもその血まみれの手を取った。誰も居ない、静寂の中。両手を伸ばしてウミは目の前の逞しい男の身体に強く抱き着いた。



「こらぁ……! 待ちなさ――い!!!」

 賑やかな声が響く夕焼けの中、女王として王冠を授けられあの日から二カ月が過ぎた。事実上この壁の最高指導者となったヒストリアの気高い姿がまだ記憶に新しい中、牧場で明るく元気そうなうら若き女王の声が響いていた。
 彼女の姿を私服姿の苦難を乗り越え、ウォール・マリア奪還作戦までの束の間の休息に黄昏れている新兵達の姿があった。サシャとコニーが子供たちに悪戯をされながらも荷物を運んでいる。荷物が地面に置かれたままの状態で、かつて互いに銃口を敵から向けられた危機的状況でジャンを救うためにその手を汚したアルミンとそしてアルミンにあの時救われて今があるジャンがその様子を遠巻きに見つめていた。

「何か……」
「うん、」
「思ってた女王と違うなぁ……王冠被ったのが二カ月前か……。今じゃ孤児院の院長の方が板についてきてる」
「実質、この壁を統治してるのは兵団だから……。お飾りの王政は隠しようが無いんだけど、ヒストリアが巷でなんて言われてるか知ってる? 牛飼いの女神様だって。もちろん親しみを込めてね」
「そりゃそうだ。民衆に襲いかかる巨人を葬った英雄がこれだけ慎ましく健気だときてる。訓練兵団の時から女神とか言われてモテモテだったヒストリアがいよいよ手の届かねぇ存在になっちまったな……。これじゃあん時トロスト区の穴を塞いだ奴の事なんて誰も覚えてねぇよ、オイ!」

 ジャンが皮肉交じりにかつてトロスト区の壁を破壊したベルトルトが開けた穴を巨人化能力で塞いだエレンをからかうと、エレンはぼんやりとその光景を眺めながらぼそりと呟いた。

「ヒストリアが女王になるって決意した理由の一つはこれをやるためだ」
「これって?」

 アルミンが問いかけるとエレンはここが完成するまでの経緯に関わっていたリヴァイの姿を離していた。

「地下街から壁の端から端まで調べ上げ……孤児や困窮者をこの牧場に集めて面倒を見る。王室の公費や没収した議員の資産をここの運営に回したリ貧困層をこの支援にあてる。これには兵長の後押しもあったらしい」
「あぁ……兵長は地下街の出身なんだってね」
「そういやウミってどこに行ったんだ?」
「ヒストリアの戴冠式以来見てねぇ、よな……?? リヴァイ兵長と二人でそのままいなくなって……」
「リヴァイ兵長に監禁でもされてんじゃねぇのか?」
「まさか、」

 何とも物騒な表現を仄めかしながらジャンがそう告げるとアルミンが驚いたようにジャンの言葉に目を向け、そしてこんな物騒な話をリヴァイが聞いていたらまずいと思わずここにいない筈のリヴァイの顔が浮かんだ。

「えっ!?」
「そりゃあ……ねぇだろ。幾ら兵長でも……そこまでするかな」
「きっとウミは今まで休み無く戦い尽くめだったし、休んでいるんじゃないかな。それに二人は公には夫婦になったんだし。ウミ、クーデターの時も体調悪くて無理してたみたいだし」
「そうだよな」
「オイ、それってもしかして……」

 体調が悪いと言うワードに反応するジャンの脳内では何が繰り広げられているのか突然顔を赤くしてアルミンとエレンを見る。誰も彼女の行方は知れない。幾ら何でも彼女が姿を見せなくなってからもう二カ月が経過しているのだから。
 しかし、今は事実確認を急ぐためにウミが捕縛された事は兵団の中でも一部の上官達しか知らない。そう、それはウミたっての申し出だった。自分が捕まったことを知ったとなればこれまで共に過ごしてきた彼らとの思い出を裏切られている中でまた自分が踏みにじる事になるのだ。
 これ以上あの輝かしい思い出は奪わせない。訓練兵団時代を共に駆け抜けた若い彼らの彼らだけの思い出を。

「あ――!! またサボってる!!」
「あ、」
「見つかった……」

 遠巻きで作業の手を止めていたジャン達の姿を見つけた女王様が小走りで駆け寄ってきた。愛らしい顔をした彼女が起こると迫力がある。崩れ行く礼拝堂地下で泣きべそかいて叫んだ自分はあのまま彼女にグーパンチされたことを思い出していた。

「ちょっと休憩を……」
「全部運んでからにしてよ、日が暮れちゃうでしょ!?」

 女王様を怒らせてはいけない。いつも訓練兵団時代は愛らしい笑みを浮かべて愛想振りまいてたクリスタだったかつての彼女の面影は今はもう何処にも無い。荷物を手にかつて彼女を嫌う男たちはいなかった。ジャンとアルミンは訓練兵団時代の彼女を思い出しては懐かしむように口にした。

「あいつ……なんか俺のか−ちゃんに似てきたな」
「女神様……」

 先を行くジャンとアルミンにエレンが小麦の入った袋を持ち、ヒストリアが木箱を抱えて並んで歩きながら風にあたる。

「そうだ、エレンの硬質化の実験は上手く行ってるんだってね」
「あぁ、洞窟を防げるようになったが未だ作戦には準備が居る。けど、急がねぇとまた……奴らが来ちまう」
「どうしたいの?」
「ライナーとベルトルトともう一度会うことになるとしたら……奴らは殺さなきゃ……ならない」
「二人を殺したいの?」

 そう問いかけるヒストリアに対し、エレンは自ら言い聞かせるようにその問い掛けに言葉を紡いだ。もう彼らと話し合いは終わったのだ。

「……殺さなきゃ……いけないんだ」
「早くわかるといいね……この世界が何でこうなっているのか。私たちが初代王の力を否定した事後悔するわけにはいかないから……」
「最近はね、地下街に居た子達も笑うようになったの。これが間違ってるはずなんてないよ」
「あぁ……お前は立派だよ」
「そんな事……」
「あん時は人類なんて滅べばいいとか言ってたのにな」
「あっ、あの時は勢い余っただけだから……!!」

 仲睦まじく見える二人の前に立ちはだかる大きな影に思わず立ち止まると、其処には普段の寡黙な美貌がこの世のものとは思えない恐ろしい顔つきで二人の間を塞いでいたのだ。

「何だよミカサ……」
「貸して」
「あ、オイ」
「エレンは実験で疲れてる」

 まるでヒストリアにそう言い聞かせるように。ミカサはエレンが持っていた小麦の入った布袋を奪うと軽々とその肩に担いだのだった。

「そうだね……ごめんねミカサ」
「だからオレを年寄りみたいに扱うのはやめろ」

 その時、その近くで荷物運びしていた少年たちが輪になって争っているようだ。その人だかりの輪の中心に慌ててヒストリアが駆け寄る。

「ちょっと! 何してるの!? 喧嘩しちゃだめよ!! ちょっと! アヴェリア!!」

 アヴェリア。ヒストリアにそう呼ばれた優しい色素に黒い眼差しはとてもまだ幼い子供のようには見えない、この世の醜悪を全て見て来たような、そんなひどく冷めた目をした幼い男児は馬乗りになって殴りつけていた自分より体格のいい子供に跨って殴っていた手を止めた。

「ん??」
「どうしたの?」
「あの子供……目つきが……」
「え? どの子?」
「今馬乗りになってボコってた方だよ……茶髪の……」

 ペッ、と口の中を負傷した子供は地面に赤く染まった口腔液を吐き捨てていた。鋭い目つきを変えずに落ちていた荷物を抱えると静かに納屋の方へと歩き出していた。さらりと風になびくその横顔は今はもう懐かしい記憶になりつつあるウミの姿と何故か重なった。
 兵団の粛清によって、内乱による死者以上に人類の中枢にあたる人材を多く失うことになった人類だが、得た物も大きかった。レイス家領地の広大な地下空間の光る鉱石はエネルギーを消費しない資源として利用され、住民に還元され、工場地を日夜照らし生産性を向上させた。
 個々の利益を優先し、人類の存続を脅かした罪――……。大義名分を得た兵団は内乱に敗れた旧体制に容赦のない粛清を行った。
 議員一族及び関係者は、爵位を剥奪され各地方の収容所に送り込まれた。残された貴族階級には兵団に協力的な者と反する者の間で税率の格差をつけ団結を阻害した。
 次々と変わりゆくこの残酷な世界の片隅で偶然か運命か、これは悲劇の序章でしかないのか、ようやく悲願を果たされて堂々と白昼の元を歩いていける二人を引き裂いたのはウミ自らが告白した取り戻す事の出来ない罪の告白だった。
 エレン、ミカサ、アルミン。3人と共にシガンシナ区から命からがら逃げ延び、自分も母とそして生きていく道しるべを失い、帰る家も頼れる親戚も居ない、心細い中で必死に3人を守り続ける為には、ウミはアルミンの言葉通りに人間性を捨てるしかなかった。
 あの時は元兵団上がりの学力もない非力な女でしかない彼女が働けるような環境はなかった。シガンシナ区から巨人が攻めて来たことでウォール・マリアの領土は奪われ誰もが貧困に陥ったのだ。人は誰しもが自分が生きるのに必死で差し伸べる手は無かった。
 愛する人と手を取り合い、そして共に幸せになれる。ようやく叶った彼岸の前にその罪の重さを味わい、噛み締めるにはこの牢獄は相応しいとウミは姿を消したのだ。



 王政・中央政府へこの壁の秘密に迫ろうとしていた人間をつぶさに調べては密告し、多くの人間が事故や事件に見せかけ消された。リヴァイとこれからは本当に「夫婦」として歩いていけると言うのに、だからこそ、人類最強としてその名を馳せる彼につり合いが取れない自分の罪をどうしてもなかったことにして自分だけが幸せになんて、なれなかった。
 数えきれない人の幸せを奪ってきた、精神的に疲弊し弱音を口にしてリヴァイに縋る自分の甘さに反吐が出そうだ。
 ヒストリアが女王として即位し、王冠を授かったように、ウミは自ら差し出した手で仰々しく枷を授かり、ウミは調査兵団としてこれから悲願を果たすべく故郷がある最果てのウォール・マリアの先にある故郷・シガンシナ区への帰還の夢を果たせないまま収容所へと送られる事になった。
 確かに結ばれたはずの、リヴァイがウミに贈った美しい鉱石が嵌められた光輝くエンゲージリングだけが虚しく閉鎖された地下のじめじめした牢獄の中で煌めき、それだけが幽閉されたウミの大切な今の心の拠り所だった。自分には地下の薄暗いこの陰鬱な空気が似合いだ。
 あれからどれだけの月日が過ぎたのだろう。肩上の髪も肩下まですっかり伸びてきてこの光さえも見えないこの生活にもだいぶ慣れた。正式な審判が下されるまではここで身を置く事になるのだ。来るはずもないのに、自分は彼を夢の中でも求めてしまっていた。これは重傷だ。

「夢……」

 そこでゆっくりとウミの意識は引きずり上げられるように浮上した。どうやら先ほど見た夢は悪い夢だったようだ。いや、そうであってほしいと望む。完全無欠の英雄が鷹が自分一人の為に脱獄を手伝い匿ったとして同じ罪を背負うつもりならそれはあってはならない事だからだ。
 長い間、閉鎖された犯罪都市である地下街で暮らしてきた彼がこれからは晴れ渡る大空の下で自由の翼を背に生きていける。地下の犯罪者だった彼はこれから英雄として約束された輝かしい未来が待っていると言うのに。
 夢の世界で彼に会えたのは嬉しいと純粋に思うのは今も彼の事が忘れられないから。未練がましい女だと嫌になる、咎人の分際でこれからウォール・マリア奪還作戦の最大戦力となるであろう彼の事をそれでも愛している。
 耳鳴りがしそうな程の静寂だ。置かれている今の状況、取り巻くその環境は何一つ牢獄の中から変わっていない。みんなはあれからどうしているのだろう、ハンジは怒っているだろうか、エルヴィンは無事だろうか、104期のみんな、そしてこの事実が露見してエレンやアルミンやミカサは胸を痛めているだろうか、それとも怒っているのだろうか。
 相変わらず陰鬱な空気の漂う地下牢。ゆっくりとその身体を起こしてぼんやりと天井を眺めていた。石造りの冷たい空気の残る天井には星の光さえも見えない。伸ばした指には輝く大きな鉱石。暗闇の中に吸い込まれるように今にも消えてしまいそうな自分を繋いでいてくれるような気がした。それはまるで星の光さえも見えない煌めきを放つ。埋め込まれた別れ際リヴァイから贈られてきた指輪。それだけでいい、この思いがあれば自分はもう一人でも生きていける。どんな苦境が待っていても。
 


――巨人に領土を奪われた五年前から時を止めたままの、ウォール・マリア南突出区シガンシナ区。
 廃墟と化した無人の街な筈なのに、瓦礫の街では壮絶な巨人同士の死闘が繰り広げられていた。
 何かの砲撃でもう受けたのかと思うような、目を疑うような光景が広がって居たのだ。
 破壊された家屋の中心では鎧のような鋼の肉体を誇る筈の鎧の巨人の完膚なきまでに叩きのめされ朽ちた姿があった。

「ライナー!!」

 その向こうでは倒れた鎧の巨人を見下すように余裕の表情で座り込む獣の巨人が居た。
 どうやらライナーとベルトルトは獣の巨人と戦っていたようだ。ベルトルトの「超大型巨人」では戦えない、その代わりにライナーが名乗りを上げ戦ったのだが検討虚しく獣の巨人が持つ投石攻撃の前になすすべもなく敗れたらしい。彼の安否を心配して駆け寄るベルトルトが心配そうに急ぎライナーをうなじから引きずり出しながら驚愕の眼差しでその強大な力を持つ王者の前にひれ伏すしかなかった。

「勝ったぜ。アニちゃん助けるのは後な?」
「くっ……」

 どうやら囚われの身のアニを助ける為に捨て身で巨人同士の壮絶な戦いに挑んだらしい。
 五年間放置されボロボロの街はこの戦いでさらにダメージを受けた。

「座標の奪取を優先、当然だろ? ここで待ってりゃあっちから来るんだし」

 完膚なきまでに叩きのめされたライナーをうなじから引きずり出しながら獣の巨人の前では通じるはずもなく赤子同然に返り討ちにあったのだった。
 健闘する前に恐らくは敗れた力尽きたライナーを抱え、ベルトルトはやはり壁の外の世界ではリヴァイと対を為す存在、「戦士長」と呼ばれるこの男には敵わないのだと噛み締めていた。
 底知れぬその力、まさに巨人の王の名にふさわしい。

「ふぅ……」

 彼にとってはまるで準備運動のような戦いを終え、大事な物なのだろう。懐から取り出した丸眼鏡を拭きながらそっとそれを掛けた鎧の巨人の中からその姿を見せた金髪の髭面の男。
 上半身は裸で戦士らしく均等に鍛え抜かれた逞しい肉体を持っている。あの時、調査兵団の精鋭でもあるミケから立体機動装置を奪い、そしてクライスさえも殺した。そしてその叫びでウォール・ローゼを混乱に陥れた張本人はすっきりしたように獣の巨人の上で立ちはだかり、その余裕すら感じさせるその姿にはどこか王の貫禄さえ感じさせた。
 壁を破壊した鎧のような肉体を持ちその体は調査兵団の超硬質ブレードも通さない、正体を明かし、エレンを連れ去るために巨人化エレンとギリギリの死闘を繰り広げた「鎧の巨人」の肉体から引きずり出されたライナーは完膚なきまでに叩きのめされ、その鎧のような肉体は獣の巨人の投石攻撃を受けて全身穴だらけでその投石攻撃の威力の凄まじさを生々しく残していた。

「俺から迎えに行かなくても来るんだろうし。早く会いたいなぁ……」

 ライナーとの戦闘など彼にとっては軽い準備運動のようなもの。たとえこの先どんな敵が来ようとも、こちらの作戦は抜かりなく。所詮非力な人間がこの投石攻撃の前では立体機動装置を装備した調査兵団など肉片と化すだけだ。
 壁内人類の最果て、最突出区である五年前に破壊され既にゴーストタウンと化したシガンシナ区で。調査兵団達を待ち受けるは王の力を持つ「最強の巨人」その本体である男は嬉しそうに「誰か」を待ちわびていた。
 シガンシナ区決戦の日は静かに迫る。真実を追い求め進撃を続けるその先に待つ最強の巨人は一人残らず全てを破壊し尽くすその瞬間まで静かにその時を待つのだろう。

To be continue…

2020.05.17
prevnext
[back to top]