unfair love | ナノ


「06」



 好きと嫌いと言う感情は紙一重で、その感情は、あっという間に反転してしまうこともある。好きだった人に裏切られたと理解した瞬間、愛が憎しみに変わる。
 怒りの矛先は止められない場所まで落ちるところまで落ちて、この身体も、この心も、あの時捨ててしまえばこうはならなかったのだろうか。
 今もわからない。答えなんて、出ない。ただ、哀れな女だと世間は笑うのだろう。

「主任。どうぞ。紅茶です」
「ああ、」

 憧れの上司と交わしてしまったキス。それは今も忘れられない夜となり、後々海を苦しめることになるなんて思わなかった。
 屋上の踊り場に向かえばあの夜の出来事はまるで夢だったかのようで。しかし、あれは夢ではない、夢じゃないと言い聞かせ海はテントから動けずにいた。
 時間を置いてやってきた足音に海は思いを馳せる。姿を見せたのはグレーのスーツ姿の紛れもなくそれは自分の恋い慕う人。
 当たり前のように隣にどっかり座り、手にはお互い色違いの電子タバコ。言葉なくタバコを吸い、2人で白煙をくゆらせ、たわいもない会話をして。それが今までの日常だったはず。しかし、

「ん……つっ、……しゅ、にん……」

 それは、どちらからともなく口付けを交わすようになったこと。

「リヴァイだ」
「あ……リヴァイ……さん、んんっ」

 軽々と小柄な海を抱き上げ、自身の膝の上に乗せて。息継ぎも不慣れだった純粋に恋を信じていた彼女をここまで変えたのはかつての上司となってしまった今は海の想い人。まるで欠けていたパズルのピースをつなぎ合わせるように。仕事中だというのにそれすらも忘れ、夢中で交わす秘密のキスは2人を余計に夢中にさせる。

「もっと、して……ください……」

 しかし、リヴァイはそれに答えずにまた唇を重ねてきた。潔癖症では無かったのか、リヴァイが送るのはお互いの唾液と唾液を混じり合わせるような激しいキスが喉にまで伝い、飲みきれなかった唾液が顎を伝った。交わるのはそれだけで、そっとシャツ越しの胸に触れはするが、決して肌を重ねることは無く、直に海に触れることはない。キスをしながら、激しく、しかし静かに。舌と舌を絡ませながら、夢中になって休憩時間を過ごした。
 海は怖くてリヴァイに聞けなかった。これはどういう意味のキスなのか、だって、一言も言われてはいないのだ。「好きだ」とか、その先を連想させる確信めいた言葉は1度も彼の口から。夜に誘われることもなく、そして、皆が知っている彼のIDも連絡先も全く知らない。もしかしたらこの人にとって自分は都合のいい相手なのかもしれない。それでも良かった。今は清潔な香りの綺麗なサラサラの髪も灰色の瞳も、逞しい腕も、自分だけ、この人は今だけは自分だけを見つめてくれていると。自惚れていたかった。

「海、行きましょう」
「はい、ペトラさん」
「しっかりついてこいよ」
「はい」

 何食わぬ顔で2人は別々に業務に戻る。リヴァイは今日の午後から出張のために1週間もここを離れる。また会えるはずなのに、いつもより長いキスをくれたリヴァイはシャツの上にベスト、そしてジャケットを纏うと席を離れた。

「後は任せる」

 颯爽と立ち去る背中を見つめながら、ぼんやり見つめていると、向かいの席のペトラも全く同じ表情をしていた。彼を意識してしまったから、尚更彼に向ける女達の眼差しをより察知するようになった。
 ペトラが彼に向ける眼差しも間違いなく自分と同じだということを。彼女にだけは、いや、どの女にも負けたくない。今まで他人をここまで深く思ったことはない。海は絶対に彼を諦めたくないとさりゆく背中に強く思うようになった。
 炎天下の外での撮影。予約したお店に向かい情報提供と写真を撮り、それを海が転送し、次々とパソコンに取り込んで行く。キーボードの音が小気味よく響く。まるでロボットみたいな彼女のタイピングの速さに勝てる者は居ない。
 1週間も想い人に会えないなんて、触れられないなんて、身が切られるよりも辛い。
 果たしてリヴァイが不在で上手くやっていけるのだろうか。しかし、仕事は仕事としてこなさなければいけない。
 自分がここにいられるのは一時的なものだとしても、慣れ親しんだ土地よりもここは海の第2の故郷となっていた。

「海、顔色が悪いわ。大丈夫?」
「え……あ、はい、大丈夫ですよ」
「駄目よ。無理しちゃ」

 自分が敵視するのが申し訳ないほどペトラは優しく、そして面倒見も良くて、何よりも気配り上手で。慣れない暑さにすっかり参ってしまった海の状態異常をすぐに見抜くとリヴァイの後を任されたエルドを呼び、エルドが海を椅子に座らせた。

「海はタクシーでオフィスに戻って。あとは私たちがやるから大丈夫よ……」
「すみません、ペトラさん……」
「いいのよ。気にしないで。あなたに何かあったら主任に怒られちゃうからね」

 無理してここに残っても役立たずだ。確かに先程から汗が止まらないし、頭がグラグラして、気持ちが悪い。どうやら本当に熱中症になりかけてきている。無理はしないでタクシーで戻ることにした。

「海〜大丈夫かよ
「はい、大丈夫です」
「いやいや、顔色悪いし心配だ。ほら、とりあえずこれ飲めよ」
「すみません、ファーランさん」
「海って雪の多いとこから来たから暑いの慣れてないもんなぁ。ほらほら、とりあえずソファに横になりなよ」

 皆に介抱され横になる。塩飴と経口補水液を貰い、それを、飲み飲み、白昼夢に浮かされる夢中で交わしたお昼のキスが嘘のようで、これは夏の見せた幻だと思えば辛くなくなるのだろうか。
 そのまま休んでていいからなと言われ、そっと瞳を閉じてどれだけの時間が過ぎたのか。ふと目を開けるとイザベルと、ファーランが楽しそうに談笑していた。

「けどよぉ、兄貴も良かったよな」
「おい、海が寝てるんだぞ、まだ公にするなって言われてるんだからな」
「分かってるよ。けど嬉しくて仕方ねぇんだ! 兄貴、モテるのにその、身体の付き合いばっかりでなかなか特定の彼女とかそういう人がいなかったからさ!」

 耳を疑う言葉に海は一気に覚醒した。しかし、あえて寝た振りを続ける。そうか、やはり彼は昔からモテモテだったのだ。当たり前だろう。比較したこともないが、自分が欲しいと虜になるくらいキスがすごく上手いのも納得が行く。いろんな女性と関係してきたのだろう。
 所々しか聞こえない2人の会話を海はもどかしく感じた。リヴァイからは何も聞いていない。何を公にしていないのだろう?自分との関係を公にするのだろうか。期待に高鳴る胸。ドキドキしてとてもじゃないが期待で眠れそうになかった。だから早くリヴァイに帰ってきて欲しいと海は願うのだった。

 
To be continue…

2018.08.03
2020.07.19加筆修正



prevnext

[読んだよback to top]