unfair love | ナノ


「13」



 無理やりこの気持ちに蓋をしないと、本当に心が病んでしまいそうだった。苦しさと悲しさと切なさを織り交ぜながら海は何とか地下鉄にゆられ、仕事に向かっていた。9月までの我慢と言い聞かせて。そうして気づけば8月ももう半ば。夏の終わり、過ぎ去りし季節が確実に過ぎてゆく。そして、2人の終わりも目に見えて近い。

「主任。ネットバンクの資料纏めましたのでお時間ある時にご覧下さい」
「ああ、助かる。ありがとう」
「よろしくお願いします」

 ニコリともせず。短くそれだけを告げて海は室内履きのナースサンダルを鳴らしてさっさと自分のデスクに座ってしまった。あの日を境に変わってしまったかのように、海は努めて吹っ切れたかのようにリヴァイに接していた。もちろんお昼休みのいつも2人でこっそりタバコを吸っていた屋上に続く踊り場のテントにすら寄り付かなくなってしまった。

 そして、海はタバコ自体も禁煙に成功して辞めたのだと、みんなの前で楽しそうに話していた。みんなの前では明るく振る舞うのに、リヴァイの前では仕事のことや業務的なことしか話題にしなくなり、いつも向けられていた海の優しい笑顔は冷たい氷のようになってしまった。そして、定時になればさっさといなくなってしまう。あの時、最後に見せた泣き顔も笑顔も、みんな海から消えてしまったかのようだった。

「主任、お茶です」
「ありがとう、ペトラ」
「あと、これ、例のやつ纏めましたので見てくださいね」
「流石だな、お前がいて助かる」

 みんなにお茶を出そうと気を利かせたペトラがリヴァイの元へやってきて、リヴァイの好きな紅茶を当たり前のように入れてくれて優しく微笑みかけてくれる。しかし、今はもう海が自ら進んでリヴァイに紅茶を出すことは無くなってしまって。そうしてペトラがリヴァイの周りをフォローしたり、一緒に外回りで歩くようになり、海はそんな2人を見ないようにまたパソコンに画面を向け、書類を横目にタイピングを続けた。

「海、今時間いいか?」
「なんでしょうか。主任」

 その変わりよう。その態度はあまりにも露骨すぎやしないか。周りのメンバーも突然変わってしまった優しい笑顔の海の突然の態度にびっくりしている。感情をあまり表に出さないいつも冷静なリヴァイも海の業務態度にいい加減キレるのではないかと、ヒヤヒヤと落ち着かない。

「地下にある資料がどうしても必要なんだ。鍵をやるからリストアップした書類を探して持ってきて貰ってもいいか?」
「はい、分かりました」

 しかし、リヴァイは大人だった。どんな理由があれ、決して海に対して態度を変えることなく、本心はわからないが、仕事上はあくまで上司として振る舞った。
 電話も、トークアプリさえも海の手で断ち切りブロックされて、それでもリヴァイは何も言わなかった。

 リヴァイから鍵を受け取り、微かに触れた手にあの熱い夜がフラッシュバックし、微かに赤らむ海の頬。背中を向け、1人地下の資料室へと向かった頼りなく小さな背中。本音はそんな地下の暗い場所など、絶対行きたくないが、上司命令とあれば仕方のないこと。そして、ふと思う。もしかしたら人疲れしやすい自分に気を遣ってあえて1人の空間を自分に用意したのではないかと。真意までは測り兼ねるが、海はエレベーターで地下に向かい、過去の資料や文献を手当り次第探すことにした。

「えっ、と……これかな?」

 仕事着はパンツスーツなので脚立を使い高いところも難なく。手を伸ばして届く所までの書類を引っ張り出す。

「よいしょ、よいしょ」

 感情を殺してしまえば楽になれた。一人の殻に閉じこもり、あと少しで帰れるからと指折数えて卓上カレンダーに斜線を引き。やがて1人になり黙々と仕事をこなしてゆく中で、ふとお尻のポケットのスマホが鳴った。取り出しディスプレイに表示されていたのは久しぶりに見たミカサの名前。仕事中だが、海はいつも通りにミカサからの電話に出るといつもの明るい口調に戻った。

「もしもし! ミカサ!?」
「久しぶり、海?今電話しても、大丈夫だった?」
「うん。全然大丈夫。1人で作業中だったから」
「そう」

 電話から聞こえるミカサの落ち着いており、大人びた声に海は思わず顔をほころばせ笑った。先月のをあの日以来久しぶりに笑った気がする。やはり、地元の仲間の声は安心するものだ。

「もうすぐお盆だけど海、帰ってくるのかなと思って」
「そうだったんだね。う〜ん、夏休みはあるけど、仕事のお休みはカレンダー通りなんだよね」
「じゃあ、こっちに戻ってくるのは難しいよね」
「うん、そうだね……。仕事も上半期終盤で忙しくなってきたからさ。出向も上半期だけだし、10月になればまたそっちに帰れるから。早くみんなに会いたいなぁ。早く元気もらいたいよ。」
「……ねぇ、海、何かあったの?」
「ん? どうして?」
「この前電話した時と、声の明るさが、全然違うから」
「え……」
「泣いてるのを、我慢しているみたいだね」

 電話越しなのにまるで目の前にミカサが居るようで。本当に彼女にはなんでもお見通しだ。そして自分は上手に嘘がつけなくて、本当のことを言わざるを得なくさせる。

「ううん、ほんとに何もないのっ! 大丈夫だよ! 毎日すごく楽しいよ? この街は相変わらずおしゃれだし、こっちのお友達ともこの前プールで遊んで来たし、仕事もね、みんないい人達だし、上司の人もね……すごく、いい人なの……!」

 「お前……本当に飽きないやつだな。お前といると、退屈しねぇ」
「お前は慣れない県外から来てるのに弱音も吐かず人一倍尽くしてくれているからだ」
「馬鹿野郎が。くだばっちまいそうな声、出してんじゃねぇよ・・・何事かと思ったじゃねぇか……」
「……海、この前の返事だか、俺はやはり……」


「海? どうしたの……? まさか、泣いてるの……?」
「あっ、ごめんね、なんでもない!なんでもないの……! 今、仕事中だったからそろそろ戻るね、ごめんねミカサ!」
「あっ、海」

 これ以上自分の心を簡単に見抜くミカサとの話していたら泣いてしまう。無理やりミカサとの会話を断ち切り、電話を切ると、海は1人、力なくその場にへたりこんでしまった。本当は今にも大声で泣きたい気持ちだ。いつまで続くのか。いつまでこの苦しみを抱えたままここで働かなければならないのだろう。リヴァイが好きだった。今も、本当は好きで好きでたまらない。だが、付き合っているのは恋人なのは、ペトラで。2人で出かける姿も見た、オルオも前にリヴァイとペトラがいい雰囲気のバーで飲んでいたと、寂しそうに口にしていた。

「ああ……私、本当に、ひとりぼっちなんだね」

 そして、リヴァイが優しく笑うのは……リヴァイのことを考えるだけで、あの夜を思うだけで、それだけで幸せなはずなのにその瞬間だけで、終わってしまえばこんなにも苦しくて悲しくてたまらない。もう出向期間はもうどうでもいいから、早く地元にみんなのいる地元に帰りたい。今の自分にはそれが何よりの望みだ。

「……もう、早く、終わって」

 そう、悲しげに誰にも聞こえない声で確かに呟いたのに。ふと、背後に人の気配を感じて振り向くとそこに居たのは紛れもなく今の海を悲しませる張本人のリヴァイだった。

「海」
「主任……どうして」
「お前の戻りが遅いから心配したが……良かった、生きてたか。脚立から落ちたりダンボールに埋もれて無かったよな」
「大丈夫ですよ……」
「お前はいつもよく何かとトラブルを起こすし、本当に危なっかしいからな。」
「そんなこと、無いですったら……」
「そう思ってるのはお前だけだ」
「っ……いじめないで、ください」

 ふい、と顔を背けて、海はさっきまで泣きそうになっていた顔を見られぬようにリヴァイに背中を向けたまま乱雑に資料を集めるとダンボールに投げ込んで逃げるようにこの場を離れようとし始めた。しかし、洞察力の優れた自分より何枚も上手なこの男が見抜けないわけがない。

「おい、泣いてたのか」
「な、なんでもないです……っ!」

 しかし、海が虚勢を張れば張るほどリヴァイの目には必死に強がる海が痛々しく見えた。そっと腕を掴んで振り向かせると海は大きな瞳を潤ませ、その拍子に溢れた涙。思わず指先でその涙を拭うリヴァイの優しい声と手があった。

「海」
「っ、目にゴミが入ったんです・・・ご心配頂かなくても結構です。書類なら集め終わりましたので、戻りましょう」

 そのまま宥めるように抱きしめようとするリヴァイ。しかし、その手を振り払うように資料をまとめたダンボール箱を持ち上げた海は急に重いものを持ち上げた衝撃にそのままバランスを崩してしまう。

「あっ……」
「海」

 簡単に抱きしめられて逃げる場所など、どこにも無い。耳元で響く通りのいい声。鍛えられた腕、ダメだ。リヴァイと、この人とふたりきりになると自分はまた簡単に流されてしまう。本当は好きなのに無理やり離れようとするから尚更いつも通りの自分じゃいられなくさせる。早くこの場から離れたいのに、行く先には立ち塞がるようにリヴァイが居て。

 もしかして、この人は最初からここで自分と話すために・・・だとしたら、それはとても嬉しいことなのに。しかし、脳裏に過ぎるペトラの笑顔を忘れた訳じゃない。

「海、俺はお前に何かしたか?」
「……はい……?」

 何かした?は?何を言っているんだこの人は。
 海はぐちゃぐちゃな思考の中で悪態づいた。
 自分には何も告げず、ペトラと付き合っているくせにその事実を自分に隠し続けてそして、自分のことをまるで、恋人みたいに抱き締めるくせに。
 お前が言うセリフか。都合よく自分を振り回すこの男が、好きだった。海はまるで夏が終わり気温が低くなってゆくとともに海のリヴァイへの気持ちもただの憧れだとようやく真夏の夢からスーッと、冷めてゆくようだった。

「お前が何も言いたくないのなら……俺がお前の力になれない最悪な上司だと思っているのなら、悔しいが、それでも仕方ないと思う。だが、そうやってお前がいつも1人になると、弱気になって、泣いたりしている姿は、あまりにも非力で、見ていられねぇ」
「っ……」

 またあの日の夜みたいに抱きしめて欲しい。思わず手を伸ばしかけ立ち止まる。リヴァイに優しくキスをして欲しい、それか次第に呼吸を奪うような激しいキスでもいい。夜が明けるまで、ずっと同じベッドで一緒にいたい。心も身体も、抱き合うだけで満たされていたあの夜をもう一度、そう願うのに。二人の間を隔てる壁の前でそれを崩すことは出来なくて。

「すみま、せん……」
「……あのな、謝れって俺は一言も、言ってねぇよ……もう、いい。わかった」

 始まってすらもいない恋。その瞬間のリヴァイの気迫と言う物程恐ろしいものはなかった。獲物を捕食するかのような鋭い目付きに睨まれ海は息を呑み硬直した。そして、リヴァイは去り際に地下の硬い壁を思い切り殴りつけ、ガン!と乱暴に棚の上に置いたのは海の為に用意した缶コーヒーだった。

「お前がそういう態度なら……もういい、勝手にしろ。お前なんか、とっとと田舎に帰れ」

 怒りたいのはこっちなのに、なぜ、彼が怒るのか?鋭い眼差しに睨みつけられ痺れを切らしたリヴァイはついに、その場を立ち去ってしまったのだった。これで……いい、そう。これでこの恋も、終わる。
 海は涙に視界を滲ませ、そして今度こそ本当に離れゆく距離を、化粧を施した睫毛を伏せ、ようやく涙を流してこの始まりもしなったこの恋の終わりを、一瞬にして駆けた夏の終わりを噛み締めたのだった。

 
To be continue…

2018.08.16
2020.07.20加筆修正



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