さあ、乾杯を





夜風が頬に触れる。
酒で火照った体には少し冷たいこの風も心地いい。
抜け出したパーティの喧騒は遠く、時折照らす車のヘッドライトが二人分のシルエットを浮き上がらせた。

「だいぶ涼しくなったな」
「ああ。このままあっという間に年末になっちまうのか」
「発言がジジ臭ぇぞ」
「うるせぇ」

前を向いて話す二人の顔は穏やかだ。
ほんの数年前まで顔を合わせるたびに罵り合っていた二人とは思えないほど。

「お前とこうやって歩く日が来るとは思わなかったぜ」
「何言ってんだ、誘ったのはお前だろ」
「まさかこんなすんなりついてくるとは思わなかったんだよ、会長サマよ」
「俺はもう会長じゃねぇよ。…あの頃の俺はガキだったってだけだ」

懐古するように目を細めた一人の顔を、もう一人はちらりと流し見て、ふ、と笑った。






人里離れた全寮制の男子校であるとある学園。
昔から独特な風習が育まれてきたその学園で、彼らは出会った。
中等部の頃からあまり相性の良くなかった二人だったが高等部に上がる頃には顔を合わせると罵詈雑言が飛び交うようになり、二人がそれぞれ生徒会長と風紀委員長という学園での二大権力者に選ばれたことが決定打となり完全に敵対してしまった。
それから卒業まで二人は見事に天敵となった。

それが皆が知っている二人。
誰もそれを信じて疑わなかった。

(好きだった、俺は、こいつが)

けれど、まさかその生徒会長が風紀委員長に片想いしていただなんて、学園中の誰もが思ってもみなかっただろう。

(好きなんだ、今でも、)

それから6年が経ち大学を卒業後起業した今でも、元生徒会長こと東海林玲雅(ショウジ レイガ)はたった一人、隣に立つ元風紀委員長である早渡寿一(ハヤト ヒサカズ)のことをひと時も忘れることができないほど惚れ込んでしまっていた。

(まさかまたこいつに会えるなんてな)

天敵のまま卒業し、二人はそれ以降一切音沙汰がなかった。
もちろん連絡先など交換しているはずもなく、早渡の近況など風の噂でしか耳にしなかった。
東海林はもともと家の後継者として育てられたため家の事業を手伝いながら学業に励み、大学卒業とともに独立して起業した。
次男坊だった早渡もまた同じように会社を起こし、26歳となった今、どちらの企業も軌道に乗っている。
結婚を勧められることもあったが、早渡のことを忘れられなかった東海林がその話に乗ることはなかった。
とはいえ、早渡との関係が発展することを望んだからというわけでもない。
ただ単純に、早渡以上に好きになれる相手がいなかっただけだ。






会社の関係で出席したパーティで早渡と再会したのは、東海林には予想外のことだった。
人が溢れるような大きなパーティにもかかわらず、自分でも驚くほど東海林は簡単に早渡を見つけた。
何も変わっていない。
強い意思を感じる精悍な顔も、逞しく均一のとれた体も、まっすぐ前を見据える瞳も、何も。
涙が出そうだった。

(ああ、好きだな)

そう漠然と感じた。
あの頃抱いていた感情は風化などしていなかった。

(俺はやっぱり、あいつが好きだ)

どうしようもないほど、好きだ、そう思った。

「…!」

横顔を向けていた早渡を東海林が見つめていると、早渡が急に東海林へと顔を向けた。
間違いなく、迷いなく、東海林だけへと視線が向けられたのだ。
時間が止まってしまったように目が離せなくなる。
そして、ふ、と早渡は柔らかく笑った。

それを目にして東海林が抱いた感情は、歓喜と切なさ。
学生時代、二人は役職柄毎日のように顔を合わせていたが、早渡が東海林に笑いかけることは一度もなかった。
初めて向けられた表情を見て、様々な感情が入り乱れた。
嬉しい、けれど苦しい、悲しい、切ない。
早渡は成長したのだ。
東海林が知らない間に、東海林の知らない早渡になったのだ。

「よう、久し振りだな」

迷わず東海林の前にやってきた早渡の声に、震えそうになる体を東海林は何とか押しとどめた。
昔よりずっと落ち着いてはいるが、東海林が好きだった声だ。

(こいつは変わったんだな、嫌いな相手にもこんな声を出せるくらい)

ならば東海林もまた、変わったという名目でもう少し素直に話をしてもいいのだろうか。
そう思えば少しだけ気が楽になった。
どうせ最初からこの関係に期待はしていないのだから。

「ああ、そうだな」

あの頃のように険を含んだ声ではなく、今の早渡のように落ち着いた声が出た。
第一声から喧嘩腰になっていた昔に比べれば成長したように見えるだろうか。
最初からこうしたかったのだとは悟られないだろうか。

「有名だぜ、お前。イケメンカリスマ社長ってな」

早渡がまた、笑う。

「お前はどうなんだよ」

東海林がちらりと手元を見ると指輪やその跡はない。
それに心底安心したことは、表情にも態度にも出さない。
たとえ早渡にそんな相手がいなくても、東海林には関係ない。
その事実に心がつきりと痛むことももう慣れきってしまっていた。

「まあ、ボチボチだな」

謙遜すんなよ、と心の中で思う。
早渡の仕事が順調なのは知っている。
直接連絡はとりあっていなくても、いつも早渡の会社の動向を確認していたのだから。

「…今から二人で飲みに行かねぇ?」

会話を始めて早々に思い立ったように言われ、何を言われたのか最初は分からなかった。
まさか、早渡が、東海林を敵視していたあの早渡が、自分から誘ってくるなんて、考えてもみなかった。
混乱する東海林に追い打ちをかけるように、積もる話もあるしな、と笑って肩を抱かれ、それだけで思考が止まる。
こうして触れ合うことなんて、学生の頃は想像すらしたこともなかった。

「…わ、かった」

少しだけ挙動不審にはなったけれど、東海林はこくりと頷いた。






パーティ会場から少し離れたビジネスホテルの地下にあるバー。
半個室のように壁で軽く仕切られたテーブルに二人は進み、一人用のソファにそれぞれ腰を下ろした。

「こういう店、よく来るのか?」
「一人で飲みたいときにたまにな」

慣れた手つきで酒を飲み始めた早渡は、本当に様になっている。
薄暗くシックな雰囲気を漂わせるこの店はとても心地よく、照明が酒や氷、グラスに反射して早渡の顔を照らしている。
まさに早渡のためにあるような店だというのは、言いすぎなのだろうか。

(昔より男前になったな、こいつ…)

不良じみた雰囲気があったあの風紀委員長が、今ではこんなにも落ち着いてしまうなんて昔は想像もしていなかった。
それでも一切幻滅しないのは、早渡が早渡だからだ。
結局東海林は、早渡の全てが好きなのだ。

「そんな見てんなよ」
「…っ、ああ、悪い」

しまった、見すぎた。
自分の失態に東海林が内心舌打ちをしていると、早渡は息を吐くように笑った。
学生時代であればそれだけで喧嘩になっていただろうが、早渡は落ち着いた様子で煙草の箱を取り出した。
それすらも非常に似合っていたのだが、流石にそこまでまじまじと見ていては不自然だと思い東海林は視線を早渡から自分のグラスへと移した。

「あ…」

すると隣から間の抜けた声がした。
声につられて東海林が早渡を見ると、彼は唖然とした顔で手元の煙草を見ていた。
その視線をたどって手元を見れば、口をつけるフィルター部分に火がつけられ燻っている。

「お前何やってんだ」

思わず笑ってしまう。
こんなにも大人になった早渡が、まさかこんな初歩的なミスをするなんて、と。

「お前がそんな見てたからだろ」
「……は?」

笑っていた東海林は、ふと早渡が呟いた言葉の意味が分からず固まってしまう。
ぽかんとしてしまった東海林を見た早渡は、頭を掻いて小さく溜め息を吐いて前髪を掻き上げた。
どこかそれはあの頃を思わせるような、野性味のある仕草だ。
それから向けられた目は真剣で、それにもまた昔を思い起こされる。

「…カッコいいとこ見せようと思ってたのに、こんなんじゃお前を惚れさせることもできねぇな」

伸ばされた早渡の手が優しく東海林の頬を撫でた。

「…は……?」

その時の東海林の顔は、生まれてこのかた一度もしたことがないほどに間の抜けた顔だったろう。
そのくらい、早渡の言葉の意味が分からなかった。

「…――俺はお前が好きだ、東海林。学園にいた時からずっとお前が好きだった」

嘘だ、そう思わずにはいられない。
早渡はいつだって東海林のことを睨み、東海林の発言も態度も表情もすべてを嫌っていた。
大嫌いだと面と向かって何度も言われた。
その早渡が、東海林のことを好きだったと言われても信用できるはずがない。

「……なに、言ってやがる…」

東海林がやっとのことで捻り出した声は掠れていた。
嘘だと思いながらもその言葉で急激に心臓が早鐘を打ち、碌に呼吸もできない。
視線も揺れて動揺を隠しもしない東海林を見た早渡は再び表情を緩めた。
けれど先刻見た柔らかな表情ではないそれは、まるで諦観したかのような、自嘲しているかのようなもので。

「…悪ィ、飲み過ぎたみてぇだ。忘れてくれ」

早渡は東海林から視線を逸らし、そのまま立ち上がった。
ちらりとも向けられなくなった瞳がやけに哀しげに見えて、息を呑む。

「本当なのかよ、それ」

店を出ようとしていた早渡は、腕を掴んで引き止める東海林の手によって止められた。
焦りをにじませた必死な顔を隠しもしないで東海林が見上げると、出口に向かおうとしていた早渡が意を決したように東海林に体を向けた。

「嘘じゃない。お前が好きだ」

腹を括ったように一つ大きな深呼吸をして、言った。
学生の頃目にしたあの真摯な瞳が、今まっすぐ東海林に向けられている。
何度でも見とれてしまったその瞳が早渡が本気の時に見せる目だと東海林は知っている。
冗談でも遊びでもないと、早渡のことを誰より見てきたからこそ東海林は気付いてしまった。

「…いつからだ」
「中三」

東海林の問いに早渡は淀みなく答えた。
そしてそれを聞いた東海林は、はは、と思わず笑っていた。

「俺は冗談なんか言ってねぇ」
「その目見りゃそのくらい分かる」

少しむっとしたその顔はやはり、初めて会った時から変わっていない。

「遅いんだよ、バーカ」
「馬鹿ってなんだ、馬鹿って」
「俺は中一の時からだ、クソ風紀」

は、と今度は早渡が呆けた顔をする番だった。
悪戯が成功した子供のように東海林は笑い、それから固まる早渡のネクタイを引いた。

薄暗い店内、穏やかな音楽が流れ、わずかな話し声とコップの中のグラスが立てる音に紛れ、他の客や店員の視界を遮る仕切りの中、二人は初めての口付けを交わした。



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