*喫茶店パロ
*店長×アルバイト









普段はそこまで客の多くないこの小さな喫茶店に、今日の昼時は何故か何時もの倍くらい客が来た。そのピークを過ぎ、いつも夕方頃に現れる常連客が来るまで暇になる。5つしかないテーブルとカウンターを隅々までしっかり拭いて念の為いつ客が来てもいいように綺麗にしておく。さほど汚れていない床も箒で手早く掃いたらすぐにすることがなくなった。洗っていない食器の山がカウンターの奥に見えるけど、あれは店長である黒尾さんがやると張り切って言ってたから俺はやらなくていい。材料の買い出しも今朝行ってきたからいらない。いよいよやることが無くなって、気が進まないけど学校の課題をやろうとカウンターの一番端に座った。

5分ぐらい数学とにらめっこしていたら、店の奥からのろのろと黒尾さんが出てきた。機械が苦手な黒尾さんが家計簿として使っているA4のノートをバサバサと扇ぎながら、面倒くさそうに食器の山を見て「あー…」と呟いた。


「…ねえ影山くん、今、暇?」
「不本意ながら暇じゃないです」
「何やってんの」
「人類の敵に取り組んでます」
「ああ、数学な…なあおい、そんなんいいから皿洗いしといてくんね?」
「……………チッ」
「舌打ちしねーの」

大体予想は付いていたけど、やっぱりこうなるんだ。客が途切れない昼に料理をしながら「皿はあとで俺が全部洗うから注文とってこい!」と言い切っていたくせに。ただでさえ数人しかいない店員も流行りの風邪やら忌引きやらで俺しかシフトに入っていなかったから、皿なんか洗う余裕なんてなくて、店にある皿を全て使い切る直前だった。見るからに多いあの量を片付けるのが嫌なのはわかるから手伝わされるとは思ってたけど、丸投げされるとは流石に思っていない。

「…給料上げてくれなかったら、ここ辞めますからね」
「あとで美味しいコーヒー入れてやっから」
「コーヒーも貰います」
「うっわ」

最近の若者は贅沢だねえ、そういって黒尾さんはわざわざシンクに立つ俺の目の前の席に腰を落ち着けた。自分の押し付けた作業を真正面から何もせず見ているっていうのも、イヤミな性格が表れてるとしか思えない。

「贅沢なもんか、むしろ俺は働き過ぎだと思いますよ」
「影山くんはよく働くいい子だよなあ」
「売り上げの半分くらい貰ってもバチ当たりませんよ、きっと」
「…売り上げの半分だけで俺に生活しろってか未成年」
「冗談です」

皿から目を離さないで会話を続ける。影山くんも冗談言うんだなあなんて言われて、どういう顔をすればいいかわからない。どうせ何を言っても冷たい言い方になってしまいそうで口を閉じる。

「影山くんのさぁ、その口は癖なの?」
「口?」
「よく突き出してるじゃん、ムッて」

黒尾さんは俺の真似と言わんばかりに口を突き出した。それがどうにも間抜け面で、少し面白い。

「俺、そんなことしてますか?」
「してるよ、しょっちゅう。無意識ってことは癖なんだろうな」
「今も?」
「してたよ」

自分では全く意識していなかったから、間抜け面なままの黒尾さんを見ていつもこんな顔をしていたんだろうかと気になった。今もしてるのかな、自覚がないから触って確かめようとしたけど洗剤まみれの両手じゃ不可能だ。

「なんかその口見てるとキスしたくなるんだよなあ」
「うわ、それこそ冗談やめてくださいよ」
「冗談じゃねえけど?」
「何言ってん、うわ、っんむ!?」


いきなり立ち上がったと思ったら黒尾さんは突然俺の襟元を掴んでカウンター越しにキスをした。洗っている最中だったコーヒーカップがゴトンと音を立ててシンクに落ちる。

「ちょ、んむ、黒尾さ、ッぷは」
「何、影山くんキス慣れてないの?」

にやにやしながら黒尾さんは鼻の頭にキスをする。からかわれているのがよくわかって、洗剤がつくのも構わずに襟を掴む黒尾さんの手を払った。

「慣れてるとか慣れてない以前に、何すんですか」
「あ、やっぱ怒る?」
「そりゃ怒りますよ。いきなりあんなことしてカップが割れたりしたらどうすんですか」
「え、そっち?」
「はあ?」

この人は反省してるんだろうか。さっきまでのにやにやした顔が変わって、切れ長の瞳が若干見開かれる。むしろ他のどこに怒ればいいんだ。

「…普通、男にキスされたっての怒らねえ?」
「え、」
「影山くん?」
「俺、キス、黒尾さんに、され、えっ」
「え、今更!?」


カップばかりに気を取られてキスされたことなんて気にしていなかったけど、言われてみれば普通男が男にキスなんてしない。自覚した途端に唇の触れ合う感触と体温を思い出して、顔が熱くなる。

「…その赤い顔は脈があるのか、欠片もないのか」
「脈なんかあってどうするんです…」
「そりゃ俺のもんになるまでグイグイ行くよ」
「は」
「つまりそういうことだ」

黒尾さんはまたにやりと笑った。そして今度は俺の首に手を添えて、頬に小さくキスを落とす。自覚した直後だったから、思わずびくりと肩を震わせてしまった。耳元で黒尾さんが笑っているのがわかる。


「良い展開になるって期待してるぜ、俺の可愛い店員さん」


顔の熱が、取れない。



爽快きらりジュース
(当店のオススメはケーキとコーヒー)
(店長のお気に入りはこちらのアルバイト君です)




thx 空想アリア