まだ薄暗い住宅街の中を、自転車をこいで学校へと向かう。大して早い時間というわけでもないのに、朝もやの立ち込めた住宅街は息を潜めたように静かで、まるで湖の底を水を切って泳いでいるような気がした。ふうっと吐いた白い息が、泡になってどこまでもぶくぶくと昇っていくんじゃないかと思う。どこまでもどこまでも昇って、私のため息が神様のところまで届けば、神様は私を可哀相に思って、私の恋を叶えてはくれないかな……。
 そんなことはあり得ないのは分かっている。はぁ、ともう一度息を吐いたあと、どうか朝もやで髪のセットが乱れませんようにと願いながら足に少し力を込めた。

 学校の校門をくぐるのと同時に時計をちらりと見ると、針は7時半ぴったりを指していた。よし、ちょうどいい時間。自転車を止めて自転車置き場を見渡すと、まだ数の少ない自転車の中に、籠がボコボコに歪んだ黒い自転車が見えた。ほら、やっぱり、来ている。自転車を見ただけなのに、自然と足取りが軽くなるのが分かって、笑ってしまった。

 佐瀬くんは、教室でイヤホンで音楽を聴きながら、単語帳を眺めていた。ゆっくりと深呼吸をして、教室のドアに手をかける。おはよう、おはよう、おはよう、と頭の中で3回繰り返してからドアを開けた。

「おはよう」
「ん、あぁ佐伯か。おはよ。早いな」

私が挨拶をすると、佐瀬君はイヤホンを右耳だけ外して、こちらを向いて答えてくれた。

「単語テスト?」
「そうそう」
「今回難しかったよね」
「あ、マジ?俺まだちょっとしか見てないんだよな」
「そっかぁ。でもまだ時間あるし」
「あぁ、頑張るわ」

そう言うと佐瀬君はもう一度右耳にイヤホンをきゅっと詰めて、単語帳を見始めた。私も自分の席につき、鞄から単語帳を出す。そして単語帳を見るふりをしながら、そっと佐瀬君を見た。黒と青のスポーツバッグに、今日の靴下は青だ。イヤホンは黒。黒と青が好きなのだと、ずっと前に言っていたのを聞いたことがある。視線に気付かれないように、また単語帳に視線を戻した。

 水曜日の1時間目の英語の授業では、毎回単語のテストがある。そのために毎週水曜日、佐瀬君は朝練に行かずに教室でその勉強をしていることを、私は知っていた。だから私も早く学校へ来るのだ。

 今日、私と言葉を交わしたことを、佐瀬くんはいつまで覚えているだろうか。毎週水曜日、私が早く学校へ来ていることに、佐瀬くんが気づく日はくるのだろうか。今のところそんな日がくる見込みはないし、私と話したことなんてあと2時間もすれば佐瀬くんは綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。

 はぁ、と、またため息が出た。このため息が、本当に神様に届けばいいのにと、本気で思った。



title by icy
111218





明日は夢になりたい




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