※不健全注意




 放課後の駅前のアイス屋さんで、親友の美聡が嬉しそうに話している。美聡はピンクとオレンジのアイスが驚くほど似合う、わたしの親友である。


「それでねっ、その時織田くんがね、…ね、ハルちゃん聞いてる!?」
「はいはい、それで織田がどうしたって」
「うん、でね、そのあと市川くん抜いて、スリーポイント決めたの!すごくない!?」
「え、市川って、バスケ部の市川?織田ってそんなに運動出来たっけ?」
「ハルちゃん、今まで幼なじみやってて織田くんの何見てたの!?私は高校からしか知らないけど、サッカー部のキャプテンは尋常じゃないですよ!」
「へぇ、私、小学校の頃走るの速かったのは覚えてるけど、それ以後のあいつのスポーツ遍歴とか知らんわ」
「ハルちゃんひっど〜!」

 あぁ、美聡はなんて可愛いんだろう。無邪気で純粋で、一生懸命恋をして、そしていつもとてもわかりやすい。自分の恋の相手に興味の無い私を咎める振りをして、本当は私と拓也の関係を量ってる。ほら、今ほっとしたね。だから、それ故に時として残酷な美聡に、私も残酷な嘘を吐いてる。



 その行為が終わった後の気怠い余韻に浸っていると、拓也のごつごつした手が私の額に触れた。額に張り付いた私の前髪をそっとかき分け、そのまま頬を一度撫でてから拓也はベッドから出て行った。

 重たい体を起こして拓也の姿を探すと、拓也はパンツ一枚にパーカーを1枚羽織って、ベランダへ出て行くところだった。拓也、と呼び止めると、少し驚いた様子で振り向いた。

「悪い、起こした?」
「ううん、起きてたから。ぼーっとしてただけ」
「そか、よかった。今日、何時まで大丈夫?俺んち、今日母さん帰って来ないから泊まってっても大丈夫だけど」
「ん、今日はいい」

会話をしながら下着と服を身につけ、拓也と一緒にベランダに出る。ワイシャツ1枚に高層マンションのベランダの風は少し寒くて、声が震えた。

「なんかあるの?」
「うん、ちょっとね。友達から電話が」

嘘はついていない。夜は、美聡から電話がかかってくる約束になっていた。きっと、話題は拓也のことだ。もちろん私は拓也にそれを言わないし、そして美聡も何も知らない。

「そっか」

外はすっかり暗くなっていて、遠くの家の灯りがぽつぽつと浮かんでいた。そんな遠くの灯りを見つめながら拓也が言う。

「…ばれたら、困るもんなぁ」
「まさかセフレですとは言えないしね」

 少し首を傾げて見せると、拓也は手をズボンのポケットに押し込んで、ぐっと背をそらして空を仰いだ。私も一緒に空を見上げる。今夜は月が明るく、いつもよりほんの少し星が少ないように思えた。

「……なぁ、俺らなんで付き合わないんだっけ?」
「何でだっけ、ね。でも、付き合わないんだよ」
「…だよ、なぁ」

 体は重ねる。けれど、彼氏と彼女という関係にはならない。それが、もう一線を超えている私達が、今度こそ絶対に超えてはいけないライン。いや、本当は“私”が越えられないライン。

 流れる空気が重苦しくて、どうにか話題を変えようとした。

「あ、そうだ。この間、スリーポイント決めたんだって?すごいじゃん」
「あー、まぁ、うん。誰から聞いたの?」

 その瞬間ふと、思いついてしまった。言ってしまえばいい。美聡はそうとは口に出さないけれど、本当は私から拓也に伝えられることを期待している。気付いていたけれど、知らないふりをしてきた彼女の願いを、今、叶えてしまえばいい。

「ハル?」

 急に押し黙ったわたしに、拓也が心配そうに問いかけた。どくんと心臓が大な音を立てたけれど、知らないふりをした。

「…私と同じクラスの、椎崎美聡って子から。知らない?」
「さぁ…知らねえなぁ。ハルと仲いい子?」
「そう、あの、黒髪のウェーブの」
「あぁ、いっつも一緒にいる子か!色白の、すっげー細い」

もう一度、心臓がどくんと音を立てた。もう、後には戻れない。

「うん。美聡ね、拓也のことが好きなの」
「え、」
「結構前から、去年の冬とかからじゃないかな」
「ちょっと待てよ」

 心の中で、拓也に謝る。ごめんね拓也。私は拓也の気持ちに気付いてる。拓也だって、私達の間に流れる何かには気付いているはずだ。それでも、私は拓也の恋人にはなれない。

「…だからか?」
「なにが?」

 拓也の手が私の手首を掴む。その通り。だから、だ。だからわたしは拓也とは付き合えない。だから駄目だ、それ以上言わないで。今まで作ってきたものが、全て駄目になってしまう。私が必死で保ってきたラインが崩れてしまう。やっとここまできたのに。今は駄目、今壊したら駄目なのだ。

「なぁ、こっち見ろよ、おい」
「…拓也」

大丈夫。言えるはず。

「ハル!……実遥、なぁ、頼むから…」
「拓也、私ね、これからも学校では拓也のこと織田って呼ぶよ」

 なるべく強い目で拓也を見ようとしたけれど、目が合ったあとで合わせなければ良かったと思った。拓也の瞳の奥にあるものが、見えてしまったから。瞼がじわりと熱くなる。拓也の胸に、倒れこんでしまいそうになった。

「…俺に白川さんって呼べってことか?」

 押さえつけられていた手首が自由になって、拓也の冷たい声にはっとした。
 いけない。
 可愛い可愛い美聡。本当は計算している美聡。それなのに肝心なことを何も知らない可哀相な美聡。その美聡の隣、それが私の居場所。その場所を失うわけにはいかない。怖いのだ、どうしても。

 すっと息を吸って、それを吐き出すように言葉を紡いだ。

「あと、半年。半年だから、いいでしょう」
「は?…半年、って」
「拓也知らないの?あと半年で、私達卒業だよ。卒業したらさよならでしょ?進路も全然違う、私はすぐそこの短大に行くけど、拓也は大阪の大学に行くって言ったじゃん」
「それは分かってるけど、なんで、そんないきなり…」
「いきなりじゃないよ」

月に手をかざすと指の間から月が見えた。まんまるより少し欠けた月が、私達を見下ろしている。

「私はずっとわかってた。だからこうして、拓也の部屋に来たりするんだよ。幼馴染の拓也とは、もうすぐ他人になる。幼馴染だから、幼馴染の間だけ出来ることなの。高校生だから、許されることなんだよ。」
「幼馴染だからなのかよ。始めから幼馴染じゃなかったら、俺達何か変わるのか?」

幼馴染じゃなかったら、何か変わるのか…。その問いには答えずに、拓也のほうを見て言った。

「美聡とメールしてあげて。アドレス聞きに行くんだって言ってたから、拓也から聞いてあげてよ」
「――っ!」

ガンっと手すりを拳で殴り、次の瞬間わたしをぐっと引き寄せた。乱暴なキス。拓也の気持ちが痛いほど伝わってきて、熱かった瞼がさらに熱くなる。拓也の右手からは血が流れている。拓也が目を瞑っているのを確認してから、一粒だけ涙が流れるのを許した。

涙を拭い、顔が離れてから言う。

「ごめんね、拓也。私、ずるくて欲張りなの」




 拓也が送ると言ったのを断って、家までの道を一人で辿る。振り向くとまだ拓也の家が見えて、拓也の部屋からは電気の灯りに写し出されたシルエットが見えた。

 私の言葉の意味が、拓也には分かっただろうか。答えないでいた拓也の問い。幼馴染じゃなくても、きっとわたしは拓也に同じ気持ちを抱いただろう。けれど、美聡の友達でいる限り、やっぱり拓也と付き合えはしなかっただろう。
 美聡、ごめん。美聡の幸せはやっぱり心からは願えないみたいだわ。その代わり、私の幸せも噛み合わないまま終わりそうだから、どうか許してね。失うことが怖かったの。壊れるほうがましだと思っただけ。どちらも本当に大事だったの。

ずるくて欲張りで、残酷で臆病な私。


窓のシルエットに向かって小さく口を動かした。

ごめんね。

大好きよ。



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