もう3月に入ったというのに、外の空気はまだまだ冷たかった。とはいえ、ピンと切れそうな程張り詰めた冬の空気はもうなくて、それはやはりもう春なのだと思わせた。

 白い息と共に校門をくぐり、教室には行かず部室に直行した。時刻は7時5分、正直校門が開いていたことにさえびっくりするような時間に、僕より早く部室に来ている奴がいた。こんな朝早くに誰がいるのだろう。僕のほかに部室の掃除なんて考える殊勝な部員がいるとは思えない。いや、自分が殊勝だと言っているわけではないが。少し警戒しながらそろそろと部室を覗くと、真っ黒いロングヘアの後ろ姿があった。

「……先輩」
「えっ、あっ、河野くんかぁ」

いきなり声をかけられたことに驚いた様子で、先輩は振り向いた。

「どうしたの、こんな朝早く」
「それはこっちの台詞ですよ。何やってんすか、こんな朝早くに」
「うーん、部室にお別れ、ってとこかな。あと、どうせ式のあと皆集まるだろうから、ちょっと花でも飾ってみようかなって」
「奇遇ですね。俺も皆集まるかなぁと思って掃除しに来たんです。先輩方が引退してから部室ぐちゃぐちゃだし」
「そうみたいね」

ファイルやゴミや紙の散乱した机の上を見ながら、先輩はそう言ってくすりと笑った。

「…卒業ですね」
「そうだね。長いようで、短かったな」
「俺もそう思います」

少しの間が開いて、その間を飲み込むように口を開いた。
「先輩、大学どこでしたっけ」
「一応、K大だよ」
「あぁ、一緒ですか」
「え?…あぁ、うん、そうなの」

照れた様に笑う笑顔がとても幸せそうで、一瞬胸がちくりと痛む。思い出すのは、半年前の後ろ姿。別の男と繋がれた手、今と同じ幸せそうな笑顔の横顔に、泣くこともできなかった。

「先輩」
「なぁに?」
「あの、」
「あ、」

 先輩の視線が僕を突き抜ける。ぱぁっと明るくなる表情に、全てを理解した。後ろを振り向くと、部室のドアをこつんと叩くその人がいた。あぁやっぱり。

立っているのは先輩の彼氏。先輩と同じK大に行く、彼氏。

あっち行ってて、と先輩が口パクと手で合図をすると、オッケーと合図をして、その人は去って行った。

「ごめん、話の邪魔入っちゃったね。なぁに?」
「あ、その」
「ん?」

にこっと笑って首を傾げる。何かを尋ねるときの、彼女の癖だ。

「すみません、忘れました。でも、たぶん大したことじゃないっす」

いつもと同じ、へらっとした笑いを見せると、彼女も眉を下げて笑った。

「なにそれぇ。忘れるの早過ぎるでしょ」
「たぶん部活楽しかったですか、とかそんなことだと思いますよ」
「えぇ、ほんとに?」
「はい、だって忘れるくらいですから。ていうか、大丈夫ですか?彼氏」

あ、という顔をして、先程その人がいた場所をちらと見る。時計を見上げてから、僕のほうを向いた。

「ごめん、あの人待ってるかも」
「行っていいですよ。俺は掃除して行くんで」
「うん、ごめんね?話の途中なのに」
「いや、俺は話の内容忘れたくらいなんで、大丈夫ですよ。じゃあ」
「うん、じゃあ、またあとで」

荷物を持って部屋を出て行く彼女の後ろ姿を見送った。部室を出て小走りに去っていく先輩を見て、何かが込み上げた。足が勝手に動いて、走ってゆく先輩を追いかけ、呼び止めた。


「…っ、先輩!」
「えっ?」
「すみません、思い出しました!」

廊下の向こうから、あの人…先輩の彼氏が、彼女のほうに歩み寄る。彼女もそれに気付いて彼に駆け寄った。

「卒業、おめでとうございまーす!」

彼氏の横に並んだ先輩は、あはっ、と軽い笑いのあと、言った。

「ありがとー!河野くんも頑張ってねー!」
「はい!あと、お幸せに!」

そう言って軽く頭を下げた。顔をあげると、嬉しそうに笑う先輩と、優しく笑う彼氏がいた。その手は、あの時と同じようにしっかりと繋がれていた。


3月。風は冷たい。でも、春の空気は優しかった。



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