小説 | ナノ






人の命など、一瞬で失われてしまうこの鮮やかな時代。戦の前夜、華やかなる宴の中でふと思うのは兵士の皆様のこと。士気を高めていらっしゃる沢山の人達の中で一体どれほどの数が生きてここへ帰ってきてくれるというのだろう。睫毛を伏せて考えてもそこに答えなどあるはずもない。ああ、溜息なんてこの喧騒の中には似つかわしくないのに。そう思いながら、部屋を出る。あの場にいては、悲しい考えに焦がされてしまいそうになる。





「どこへ行くのです?」

「光秀様…、いいえ、少し気分が優れなくて」

「それはいけませんねぇ、私が介抱して差し上げましょう」

「そんな!ご迷惑をおかけする訳には参りません、私ならば大丈夫ですからどうか宴の続きを楽しんでらして下さい!」

「そんなつれないことを言わないで下さい…私達の仲なんですから…」





耳元で囁かれてぞわりと全身が粟立つ。喧騒から少しだけ離れた廊下で、口元だけで笑う彼の名は明智光秀。時には信長様の代理を務めたりする、とても偉いお方。けれど何故か私の事を何かと気にかけてくれていて、時折洒落にならないようなお戯れをなさる。からかわれているのだと解ってはいるけれど、心を奪われてしまっているのはどうしようもない事実だ。





「…だめですよ、光秀様がいらっしゃらないと折角の宴の席が…」

「どうせ皆さんはもう酔っていますよ、私一人そこにいなくとも些細なことです。」

「では、光秀様も酔っていらっしゃるのですか?」

「私は酒は好みません。…ですが明日は戦…クク、楽しみですねぇ…興奮してきました」





光秀様が戦の前に高ぶるのは、もはや恒例だ。聞いた話によると色々と問題も起こしているらしいけれど、私は害を被ったことがないのでただの噂だと考えておくことにした。そして今回も私は置いていかれてしまう。恋う人が戦場に行くことひとつ止められない、隣に並ぶことすら出来はしない。

意味のわからない焦躁感は私の心を、静かに確実に蝕んでいく。信じていないわけではない。きっと今回の心配も杞憂で、光秀様はまた返り血を沢山浴びながら恍惚とした表情を浮かべて帰ってきて下さるのだろう。それでも不安で仕方がないだなんて、もはや救いようもない。切ない。





「もし、足や手がなくなったとしても絶対に戻ってきて下さいね…」

「無くす気などありませんが…戻ってきますよ、必ず…」

「…本当ですか?」

「私には野望がありますからね…それを果たすまでは死することはありませんよ…クク…」





何とは無しに、信長様に関することなのだろうなぁと察することが出来た。どんな仕草をしたとしてもこの人は羨ましい位に綺麗。私がもし男に生まれて戦場で彼の隣に立てたとしたら、この銀色を目に焼き付けて死ねたのだろうか。命が終わる瞬間に彼を見ていられるのならきっと幸せな生涯だったと言える。だから一番怖いのは、知らない所で全てが終わってしまうこと。





「貴女は心配性な方ですね…。そんな所も嫌いではありませんよ」

「…み、光秀様!」

「大声を出せば、誰かが様子を窺いに来てしまいます…静かに」

「……っ」





ますます盛り上がっているらしい宴の場から、扉一枚隔てただけのこの場所。彼が力強く私を引き寄せれば、非力な私はすぐにしなやかで逞しい彼の腕の中。限りなく近い場所で繰り返される彼の呼吸と、仄かすぎる酒の匂い。一際強く香るのは彼がいつも焚いている香の匂いだ。酔ってしまいそうになる。

安心出来て、少し切なくなるこの香りが鼻腔でぐるぐるとして、泣きそうだ。嫌だな、必死に堪えていたというのに。





「おや、肩が震えていますよ。…私が、怖いですか?」

「…光秀様を怖いと思ったことなど一度もありません。あ、いや…最初は少し怖かったかもしれません」

「…では今は?」

「失うことが、怖くてたまらないです」





こんな言葉は、きっと意味も持たずに空気に同化して消えていく。けれど吐き出してしまわなければ後悔してしまいそうで。涙を必死に押し戻そうと足掻く私を、彼は驚く位に優しく抱きしめた。そんなことをされれば折角込めていた力が緩んでしまって、頬に涙が落ちていく。痛いくらいに彼に焦がれる私はこの腕を、絶対に自分からは振りほどけない。





「夜明けになれば、戦の場へと進む準備をします。…それまで、話し相手になってくれますね」

「私が断れるとでも?」

「…いいえ?わかっているつもりですよ。ああ、具合は如何ですか」

「お付き合いします。具合は…どうせ皆様が無事に帰って来られるまでは、治りはしませんもの」





私を抱きしめている腕をほどいて彼は満足げに笑う。そしてこの長い廊下を少し歩いて、手招きをした。呼ばれたのでそちらへ向かえば真っ直ぐに手が伸ばされたので、戸惑いながらもその手に自分のそれを重ねる。行き先はきっと彼の自室。触れ合えば触れ合うほど失った時の痛みは大きいと知っているはずなのに温もりを求めてしまう。ああ、なんて滑稽で浅ましくて、愛しい感情なのだろう。その時私は確かに、この時間が永遠であるようにと願わずにはいられなかった。







(恋焦がれ、乞う)




夜明けなんて来なければ良い。そんな私の思考とは裏腹に、表はじりじりと明るさを増していた。



END



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -